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第九話 神の御業

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「ちゃんとしたのは家で描いてくるけれど、今から簡単にサンプル描くから、それを暫定で変更してたら? ダイレクトメールでアカウントに送るから、それでプロフィール欄に設定してね」

 今すぐ変更しろと言われるくらい、そんなにひどかったのか。私のアイコン。
 小田さんは弁当を途中で食べるのを止めてしまって、スマートフォンに本格的に向かっている。大丈夫なのだろうかと心配になるのだけれど。元々食べる量も少なかったのに、午後の授業もつのだろうか。
 小田さんはスマートフォンのお絵描きソフトを立ち上げると、慣れた手つきで白いキャンバスに指で絵を描いていく。

「この場合はニッキー推しで、マンダリンファンと言うことを分かりやすくしなきゃいけないから、ヘッダーの方にメンバー全員の似顔絵を描いて、ニッキーを一番大きく描いた方がいいかな。アイコンは志保ちゃん自体の似顔絵か……それより写真の方がいいかもだけど」

 大きいニッキーがピストルを撃つ真似、いわゆるバーンしているポーズに、饅頭みたいにデフォルメされたメンバーが後ろで可愛く踊っている図をさらさらと描いている。
 キャンバスを大きくしたり小さくしたり、やり直したりを繰り返しているけれど、さくさくと迷いなく描いている。

「なんでアイコンは写真の方がいいの?」
「本当の高校生の方が相手って思う方がファン同士は安心じゃない?」
「そ、それは奥の手で」
「じゃあ、差し当たっては志保ちゃんの似顔絵にするね」

 小田さんはそれから色を塗り始めた。トン、と指先で選んだ場所に、ぱっと色がついていく。バケツの水をこぼしたような絵のアイコンとパレットから選んだ色を何度も往復しているだけで、どんどんと色が着いていく。
 その後でも私を百倍くらい美化した可愛いギャグタッチな絵柄で描いてくれて……。
 
「こんな感じでどう?ざっと描いただけだけど」

 その間27分……。昼休み終了前までに仕上がってるし……。
 私は神業を見た。
 魔法のようにスマートフォンの上で指が踊っているだけにしか見えなかったのに、なんでこんな絵が描けるの? こんな小さな箱で……。
 しかも絵って鉛筆とかペンとか持って描くものじゃないの? 今の時代って指で描くの?
 一人だけ時代に取り残されている気がした。

「……もうこれでいいんじゃない……?」

 震え声でそう言ったら、それはダメ!と全力で言われてしまった。

「雑だし、線も荒いし、色のバランスもとれてないし。アイコンとして小さくした場合、線はつぶれるし、淡い色は消えるから、そういうのをこれから調整していかなきゃいけないんだよ」

 そ、そういうものなのか。なんか余計なことを言ってごめんなさい……。
 芸術家のこだわり炸裂という感じだった。

「私、これに対する御恩をお返しできないんですけれど……」
「何を大げさなこと言ってるの~」
「じゃあ、私にできることなんでもいって! パシリでもいいから」
 対価を払うなんておこがましい。これは神に対して献上するなにかレベルだ。そう申し上げたのに、この世の生き神様は面映ゆそうに笑っておられるだけだ。小田さんは冗談だと思っているらしい。

「うーん、そうだなぁ……じゃあ、今度、一緒に遊びにいこうよ」
「ゴゴゴ、ゴメンナサイ……、ワタクシ、遊ビニデカケル経済力ガ……」

 一緒に遊びに行くって、それってお友達としてでしょうか。下僕としてでしょうか。しかし、悲しいかな、金がない。
 通学も徒歩圏だから定期券もないし、交通費すら出せない。

「あ、じゃ、図書館! 図書館にいこう!! そこで私に勉強教えて! そしてベンチでお喋りしよう」
「それくらいなら……」

 ものすごい妥協してもらった気がする。なんか逆に迷惑かけてるみたいなんだけど。
 だって私より小田さんの方が絶対成績優秀だと思うんだよなぁ。

「嬉しいなぁ。志保ちゃん忙しそうだから、あんまりお喋りできないもんね。その日は私と図書館の勉強デートだぁ」

 にこにこしている小田さんの優しさに涙が出そうになる。
 嬉しいのはこっちだよ。友達に誘ってもらってどこか行くって何年ぶりだろう。小田さんのファンになりそうだよ。今はニッキーファンのふりしているけどね。
 しかし、笑っていた小田さんの顔がふっと陰った。

「志保ちゃんは偉いよね。お金ないっていうの、恥ずかしいとか思わないんだね」
「だって事実だし?」

 遊ぶためのお金はないけれど、最低限暮らしていくだけのお金は持っている。それが大事なこと。その生活費を確保するために、お金がないと明言するのは大事だ。だって見栄張っても仕方ないし。

 私というか、我が家がお金がないのって、学校でも知れ渡っていると思う。中学が同じだった子もいるし、そこから父が死んで経済的に困窮しているのは漏れてるだろうし、なにより学校から奨学金ももらっている。
 それは私が別に成績優秀者というわけではなくて、学費負担者が死亡した時に受け取れる特別奨学金。一家の大黒柱が生徒が在学中に死んだ時に授業料が免除される制度だ。

 でも、貧乏が恥ずかしいというのとは違うと思うんだよね。
 本当に金がないというのでみじめなのは、施されるとか憐れまれるとか、そういうことだと思うから。
 お母さんが生活保護を申請しにいかなかったのも、審査の目が厳しいという懸念もあっただろうけれど、そういう施しを受けるような気にさせられるのに耐えられなかったからじゃないかと思う。

 しかし金がないというのは単なる現象なんじゃないかなぁ。資本主義で金銭があって経済が回っているのなら、多く持っているものもいれば、持っていないものだってあるわけで。
 その持ってない立場が私であり、我が家である、と勝手に思っているのだけれど、社会の揉まれたことのない高校生だからそう思ってしまうだけなのだろうか。

 だって私、こんなに元気だし。動けるし。
 健康というものを授かっていて、貧乏ごときなんて、どうとでもなるんじゃないかなみたいに思ってる。
 そう思うのはお父さんが死んじゃった時に、死んだら人ってなんにもできないんだなぁという当たり前のことを実感してからだ。あと、お母さんが病気になった時に、あんなに元気でも、人って簡単に病むんだなって思ったし。

 だから、生き死に考えたら他のことって、どうでもいいかなって思えるようになったのかも。

 小田さんの言葉が素直に受け止められるのは、きっと、小田さんが「恥ずかしがるべきなのに、おかしい」というニュアンスで私に言ってないからで、普通に感心しているというのがわかるからだ。

「普通は言えないんだよ。すごいよ。それに、あんな風に意地悪されてても、マイペースに頑張ってるし。強いなって思ってる」

 素直に尊敬する眼差しを向けられる、小田さんは素直ないい子だなぁと思う。
 しかし、私、意地悪されてるのか……いや、分かってるけど、どのあたりが意地悪なのか、あまりよくわかってない。鈍くてよかった気もするけど。

「なんか、すごく私が偉い人みたいに思えて気分いいね」
「志保ちゃんて面白い人だったんだね」
「私からしたら小田さんすごいなーって思うけどね。こんだけ絵が描けるんだから、お金稼げるしね。いいなぁ」
「え……?」

 小田さんはそういう発想したことがないのだろうか。きょとんとした顔をしている。

「貴方のアイコン、1つ2000円で描きます~って募集かけたら、描いて欲しいって人、絶対くるよ。アイコンがSNSの顔だって知ってるわけだし。それ、強みだよ?」
「え、これくらい描けるでしょ」
「そんなことない。貴方はこれがすごいことを知らない。あとフォロワーが4000人もいるのもすごい」

 私のミドリムシとゾウリムシの絵をを見て「これくらい描ける」は暴言では……。
 それにフォロワーが1000人にすら到達せずにひーひー言ってる私が言うんだから、説得力あるだろうに。

「小田さん、将来プロになるの? あ、いや、もうプロでもおかしくないか。私がインフルエンサーになったら宣伝になるのにね」
「ええ!? 志保ちゃんインフルエンサー目指してるの!?」

 あ、しまった。
 その場は笑ってごまかしたけれど、フォロワーが増えなくてにっちもさっちもいかなくなったらブレインとして、小田さんにお願いに上がるしかないかな、とそう思っていた。



 そして夜。
 小田さんから届いたアイコンとヘッダーをバイト帰りに歩きながらうっかり見てしまった私は、夜道で「小田さんすごすぎっ!」と思わず叫んで、変な人となっていた。

 渾身の力作って感じのそのイラストを拝み伏すしかなかったんだけれど……。

 秒でアイコンとヘッダーを交換し、ツイートで自慢しまくったのは言うまでもなく。

 同じ高校生なのにかたやこんなスキルを持っていて、こちらは才能の欠片もなくて。

 その差を痛感して、しばし落ち込んだのは内緒だ。
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