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第34話 冬薔薇
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伯爵家の馬車というので、それだけでおばあ様の家で侍女たちに何かを気づかれたらどうしようとびくびくしていたのだが、さすが伯爵家。家紋のついていない普通の馬車というのも存在していた。
それでも相当立派なものだったが、身元はばれないだろう。
おばあ様の家に到着して、私の唐突な訪れに驚く顔見知りの使用人たちにまず謝った。
「先触れも出さずに急にきてしまってごめんなさい。えっとお花を持ってきたの。おばあ様に会えますか?」
「本日奥様の容態は芳しくないんですよね……」
しかし私の腕一杯に抱えた冬薔薇を見て、彼女たちは微笑んだ。
冬に花を手に入れるのは難しいことから、私が病気のおばあ様を慰めるために骨を折ったのだろうと勘違いしてくれているようだった。
私が来たことをおばあ様に報告してきてくれた侍女が戻ってきた。
「レティエ様がいらしたことを申し上げたら顔を見たいとおっしゃってます。ですので短時間だけ。どうぞ、こちらに」
看護の心得がある侍女の後についていく。彼女の後から部屋に入るとおばあ様は静かにベッドの上で横になっていた。
前のようにベッドの上に起き上がる体力もないらしい。短時間だけ、という話なので私は挨拶もそこそこにおばあ様に話しかけた。
「ねえ、おばあ様……昔、私に迷子になった時のことを話してくれたの覚えてる? 今ね、私、おばあ様の庭園を探しているの。ごめんね……おばあ様に見せてあげたかったのに見つけられそうになくて……」
約束していたわけではないけれど、申し訳ない思いでいっぱいになっていたというのに。
おばあ様はベッドの上で、小首を傾げている。
「私、貴方にそんなこと話していたかしら、覚えてないわ」
「もう! 私、あのお話大好きだったのに」
「ふふふ、冗談よ。あの話、あちこちにしてたけれど、探すほど真面目に聞いてくれたの貴方だけね」
それだけ話すことでもきついのか、おばあ様はそれだけ話して、ふう、と息をついた。
「でも、そんなこと気にしなくていいのに。私がその話をしたのは、私があの場所に帰りたかったわけじゃなく、誰かに見せたかっただけなのよ。本当に素敵な場所だったから」
「でも……」
「レティエはその場所に行ってみたいのね? そうねえ……他にヒントになりそうなことはあるかしら」
上を向いて話していることで唾液が喉に落ちたのか、ごほごほとむせたようにせき込みだすおばあ様。
ベッドの上で丸まって激しく咳を繰り返す。侍女はおばあ様の身体の向きを変え、私は慌ててその背中を撫でた。
「おばあ様、無理しないでね」
「大丈夫、平気よ……私が迷子になったのは、精霊のお祭で王都に来た時だから、秋だったはずよ。出歩いた時に恵みの実りを飴にして配り歩く道化者に会ったから間違いないと思う」
精霊祭はここ王都で一年で一番街が活気づくと言われる大きなお祭りだ。よその場所では収穫祭という名前がついているが、ここでは王宮に住む精霊が実りを祝福をするという伝説があるため精霊祭と呼ばれている。
恵みの実りとは秋に採れる果実のこと。
それらを一夜干しして飴をからめ、街行く人達にふるまってくれるのは、祭りに訪れる子供達に大人気なもてなしだ。
おばあ様の話を聞きながら、興奮させないように、とおばあ様の背中を撫で続ける。
そうしているといつもしてくれているおばあ様と立場が逆転しているようで。呼吸が落ち着いてきたようなおばあ様にほっとした。
「わかったわ、ありがとう。その場所を見つけてみせるから、一緒に行きましょう? おばあ様……」
「ううん、私はいいわ。貴方が精霊祭の頃のあの庭を見て、あの時の私の感動をわかってくれればそれでいいの。精霊のご加護だったのか、私はずっと幸せに生きてこられたから。次は貴方が精霊の祝福を受ける番よ」
「…………」
その言葉で、彼女を連れていく私の夢はもうかなわないだろうことを悟った。
話していて疲れたのか、おばあ様はそのまま静かに眠ってしまった。
眠るおばあ様の寝顔をしばらく眺めていたが、付き添う侍女に小声で礼を言って帰宅することを告げると、私はその部屋を出て、音がしないようにそっと扉を閉めた。
帰りの馬車の中で、抱きしめて来た薔薇の香りが服に残っていることに気づいた。
その香りが時間と共に消えていくのが怖かった。
セユンに押し切られるようにしておばあ様のところに行ってよかったと、後で思うことになると、その時はまだ知らなくて。
数日後。
まだ朝食にも早い時間。まだ寝ていたのにメイドに揺り起こされた。
父がネグリジェの上にガウンを着るだけでいいから階下に下りてくるようにと命じたという。
私の隣の部屋のミレーヌも同じだったらしく、廊下でナイトキャップをかぶったままのミレーヌに行き会った。2人連れ立って階段を下りていくと、玄関で外出着の父がそこにいた。
「レティエ、ミレーヌ……」
父は静かに私たち二人を見据えると、2,3度ためらうように唇を震わせてから苦しそうに言葉を漏らした。
「落ち着いてききなさい。……ソフィアおばあ様が昨晩、お亡くなりになった」
それでも相当立派なものだったが、身元はばれないだろう。
おばあ様の家に到着して、私の唐突な訪れに驚く顔見知りの使用人たちにまず謝った。
「先触れも出さずに急にきてしまってごめんなさい。えっとお花を持ってきたの。おばあ様に会えますか?」
「本日奥様の容態は芳しくないんですよね……」
しかし私の腕一杯に抱えた冬薔薇を見て、彼女たちは微笑んだ。
冬に花を手に入れるのは難しいことから、私が病気のおばあ様を慰めるために骨を折ったのだろうと勘違いしてくれているようだった。
私が来たことをおばあ様に報告してきてくれた侍女が戻ってきた。
「レティエ様がいらしたことを申し上げたら顔を見たいとおっしゃってます。ですので短時間だけ。どうぞ、こちらに」
看護の心得がある侍女の後についていく。彼女の後から部屋に入るとおばあ様は静かにベッドの上で横になっていた。
前のようにベッドの上に起き上がる体力もないらしい。短時間だけ、という話なので私は挨拶もそこそこにおばあ様に話しかけた。
「ねえ、おばあ様……昔、私に迷子になった時のことを話してくれたの覚えてる? 今ね、私、おばあ様の庭園を探しているの。ごめんね……おばあ様に見せてあげたかったのに見つけられそうになくて……」
約束していたわけではないけれど、申し訳ない思いでいっぱいになっていたというのに。
おばあ様はベッドの上で、小首を傾げている。
「私、貴方にそんなこと話していたかしら、覚えてないわ」
「もう! 私、あのお話大好きだったのに」
「ふふふ、冗談よ。あの話、あちこちにしてたけれど、探すほど真面目に聞いてくれたの貴方だけね」
それだけ話すことでもきついのか、おばあ様はそれだけ話して、ふう、と息をついた。
「でも、そんなこと気にしなくていいのに。私がその話をしたのは、私があの場所に帰りたかったわけじゃなく、誰かに見せたかっただけなのよ。本当に素敵な場所だったから」
「でも……」
「レティエはその場所に行ってみたいのね? そうねえ……他にヒントになりそうなことはあるかしら」
上を向いて話していることで唾液が喉に落ちたのか、ごほごほとむせたようにせき込みだすおばあ様。
ベッドの上で丸まって激しく咳を繰り返す。侍女はおばあ様の身体の向きを変え、私は慌ててその背中を撫でた。
「おばあ様、無理しないでね」
「大丈夫、平気よ……私が迷子になったのは、精霊のお祭で王都に来た時だから、秋だったはずよ。出歩いた時に恵みの実りを飴にして配り歩く道化者に会ったから間違いないと思う」
精霊祭はここ王都で一年で一番街が活気づくと言われる大きなお祭りだ。よその場所では収穫祭という名前がついているが、ここでは王宮に住む精霊が実りを祝福をするという伝説があるため精霊祭と呼ばれている。
恵みの実りとは秋に採れる果実のこと。
それらを一夜干しして飴をからめ、街行く人達にふるまってくれるのは、祭りに訪れる子供達に大人気なもてなしだ。
おばあ様の話を聞きながら、興奮させないように、とおばあ様の背中を撫で続ける。
そうしているといつもしてくれているおばあ様と立場が逆転しているようで。呼吸が落ち着いてきたようなおばあ様にほっとした。
「わかったわ、ありがとう。その場所を見つけてみせるから、一緒に行きましょう? おばあ様……」
「ううん、私はいいわ。貴方が精霊祭の頃のあの庭を見て、あの時の私の感動をわかってくれればそれでいいの。精霊のご加護だったのか、私はずっと幸せに生きてこられたから。次は貴方が精霊の祝福を受ける番よ」
「…………」
その言葉で、彼女を連れていく私の夢はもうかなわないだろうことを悟った。
話していて疲れたのか、おばあ様はそのまま静かに眠ってしまった。
眠るおばあ様の寝顔をしばらく眺めていたが、付き添う侍女に小声で礼を言って帰宅することを告げると、私はその部屋を出て、音がしないようにそっと扉を閉めた。
帰りの馬車の中で、抱きしめて来た薔薇の香りが服に残っていることに気づいた。
その香りが時間と共に消えていくのが怖かった。
セユンに押し切られるようにしておばあ様のところに行ってよかったと、後で思うことになると、その時はまだ知らなくて。
数日後。
まだ朝食にも早い時間。まだ寝ていたのにメイドに揺り起こされた。
父がネグリジェの上にガウンを着るだけでいいから階下に下りてくるようにと命じたという。
私の隣の部屋のミレーヌも同じだったらしく、廊下でナイトキャップをかぶったままのミレーヌに行き会った。2人連れ立って階段を下りていくと、玄関で外出着の父がそこにいた。
「レティエ、ミレーヌ……」
父は静かに私たち二人を見据えると、2,3度ためらうように唇を震わせてから苦しそうに言葉を漏らした。
「落ち着いてききなさい。……ソフィアおばあ様が昨晩、お亡くなりになった」
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