【完結】色素も影も薄い私を美の女神と誤解する彼は、私を溺愛しすぎて困らせる。

すだもみぢ

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第42話 違和感

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 ――――それから。

 日々は淡々と過ぎていった。
 何事も起きなくて不安になるほど順調に。
 クロエの話がどうなったのかわからないまま、ただ目の前のことをこなすので精一杯だった。

 大公妃のサロンの準備に力を注ぐとはいえ、春の新作も同時進行で進める必要があるため、ブティックに勤める人は上も下もおおわらわだった。それはきっとプリメールだけではなく、全てのブティックがそうだっただろう。
 二か月という時間は長いように見えるが、ことドレスを作るにおいては短いくらいだ。
 しかもこちら側に与えられた情報はサイズのみ。デザインなどはこちら側に丸投げで、大公妃の気に入りそうなものはどういうものかなどの情報を仕入れることからスタートだ。
 過去の大公妃が着ていたドレスや好みを知れる分、彼女が今までドレスをオーダーしていたブティックやデザイナーの方が有利だろうけれど、もっともこのようなことを始めたということは、目新しさが欲しいからだろう。
 そういう心理を読み解きながら、手探りでデザインするのは骨が折れるだろうな、と端から見て思い、レティエはセユンに勝手に同情をしていた。

 あと一週間で本番。

 サロンに出品予定のドレスはまだ両方とも工房だ。
 最終段階の飾り付けをお針子総出でしているため、下手したら当日に初めて袖を通すことになるかもしれない。
 似たデザインのドレスを身に着け、どのようにアピールをするか。最近では考えるようになるのまでレティエの仕事になっていた。
 ファッションショーをサロンで行うようになったのはデザイン画だけではわかりにくいリアリティをお客様に伝えるため。
 しかし今回のショーはたった一人のために行うもの。となると、容姿も雰囲気も違うデザイナーはどうすれば『このドレスを着てもいい』と思われるだろうか。
 頭の中にあるデザイン画のドレスを思い出しながら、自分はそれを着ているつもりになる。

 今日はアトリエに誰もいないから、広い空間を、貴族の邸宅の大広間だとみなして練習ができる。
 何度も何度も歩いて、紙に動き方や重さのかかる位置、足の動かし方をリハーサルする。
 全身汗だくになっても姿勢を維持するのを忘れない。ヒールの高い靴も慣れた。

「そろそろ休憩しよ……」

 練習しすぎて足の感覚がなくなってきていた。息を切らし、倒れこむようにして気を付けてから床に寝転ぶ。床には大量の布が散らばっているから。
 この部屋はセユンの忙しさに比例して床は布地で覆われていく。
 お行儀が悪いと自分で思いながらも、隙間を見つけて木張りの床に横たわるとそこは冷たすぎず、汗ばんだ頬に心地よい。
 汗を拭かないと風邪をひく……そう思いながらも四肢に重りがついたようで、まるで床に引きずりこまれるようだ……と意識があったのはそこまでだった。


 
「……っ!?」

 気づいたら布地に埋もれて倒れこむように眠っているではないか。
 慌てて起き上がりながら外を見ればとっぷりと日が暮れてしまっている。

 いけない、早く帰らないと!!

 自分がここにいることに気づかず、鍵もかけられてしまったのだろうか。もちろん中からは鍵を開けられるので外に出ることはできるけれど、私は鍵を持っていないので施錠ができない。

 どうしようかな、と悩んでいたら、ガチャリと鍵が開くような音がした。
 
 こんな時間に誰か来た?

 続いて入ってくる気配がして、声を掛けようとして違和感に口を閉ざした。
 それは防衛本能のなせる業と後から思い出すことになったのだが。
 
 おかしいと思ったのはその足音だ。

 この別邸を利用したアトリエは入れる人が制限されている。鍵を持っているのはセユンにクロエ。そしてお針子として鍵を管理しているのはサティとリリン。 
 床板にきしむ重さはその人の体重を表すが、その沈み込むようなきしみは女性の重さではない。それならセユンが残るけれど、騎士としての習慣なのか、セユンはいつも一定のリズムで歩く癖があるし。
 靴も床に響く音はソールの種類で変わるが、それは布でくるんであるかのように妙な衣擦れがする。まるで音を立てないように細工されてるみたいに。

 その加工がますます危機感を助長させた。私は大急ぎで布地の中に入り込むと息を殺して身体を固くする。
 その直後に、ぎいっと音を立てて私がいる部屋の扉が開いた。

「……っ」

 ざわっと鳥肌が立った。
 漂ってきた汗臭いような脂ぎった匂いは嗅いだことのない体臭だ。
 つまり知らない人間がここに入ってきたわけで。

 このアトリエは伯爵邸の敷地内であるから、伯爵家の私兵で外周部が警備されている。よりによってここに忍び込む人がいるなんて豪胆すぎる。
 練習として布地の多いドレスを着ていたのが幸いだっただろう。広がるパニエは布地を多くとるし、足まですっぽり隠れるから、身体を丸めて頭を隠せば布の塊があるかのようにしか見えない。
 震えながら布の隙間から入ってきた人間の姿を見ようと努めた。
 しかし、黒に近いズボンを穿いた太い足がのっしのっしと歩いていく様しか見えず顔を確認することはできなかった。

 その迷いない動きは、伯爵家に勤めている人がセユンに頼まれて物でも取りに来たのかと思ったくらいだ。しかし、この人物は伯爵邸の中で見たことがないと言えた。顔は見えないが。

 その人物は私のいるところを通り過ぎて、迷わず奥の部屋へと入っていく。
 そこはほぼセユンの専用部屋となっていて、片付けの苦手な彼のせいで色々なものが雑多に散らかっている場所だ。
 そこで、その人物は何かを始めたようだ。 

 ドッ ドッ ドッ

 自分の心音がうるさい。

 どれくらい時間が経っただろうか。その間、私は身を固くして静かにしていることしかできなかった。
 唐突にガチャン!という重いものが触れ合ったような金属音が響き渡った。
 息を殺し、必死に早く相手がいなくなるよう祈る。

 バサバサ……ッと紙の束が取り落とされる音がして、そのまま身じろぎしないようにしていると、相手は部屋から出てくると足早に私の側を通り過ぎていった。

 玄関の扉が閉まる音がして。

 ――――そして、誰もいなくなった。
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