【完結】色素も影も薄い私を美の女神と誤解する彼は、私を溺愛しすぎて困らせる。

すだもみぢ

文字の大きさ
上 下
43 / 60

第42話 違和感

しおりを挟む
 ――――それから。

 日々は淡々と過ぎていった。
 何事も起きなくて不安になるほど順調に。
 クロエの話がどうなったのかわからないまま、ただ目の前のことをこなすので精一杯だった。

 大公妃のサロンの準備に力を注ぐとはいえ、春の新作も同時進行で進める必要があるため、ブティックに勤める人は上も下もおおわらわだった。それはきっとプリメールだけではなく、全てのブティックがそうだっただろう。
 二か月という時間は長いように見えるが、ことドレスを作るにおいては短いくらいだ。
 しかもこちら側に与えられた情報はサイズのみ。デザインなどはこちら側に丸投げで、大公妃の気に入りそうなものはどういうものかなどの情報を仕入れることからスタートだ。
 過去の大公妃が着ていたドレスや好みを知れる分、彼女が今までドレスをオーダーしていたブティックやデザイナーの方が有利だろうけれど、もっともこのようなことを始めたということは、目新しさが欲しいからだろう。
 そういう心理を読み解きながら、手探りでデザインするのは骨が折れるだろうな、と端から見て思い、レティエはセユンに勝手に同情をしていた。

 あと一週間で本番。

 サロンに出品予定のドレスはまだ両方とも工房だ。
 最終段階の飾り付けをお針子総出でしているため、下手したら当日に初めて袖を通すことになるかもしれない。
 似たデザインのドレスを身に着け、どのようにアピールをするか。最近では考えるようになるのまでレティエの仕事になっていた。
 ファッションショーをサロンで行うようになったのはデザイン画だけではわかりにくいリアリティをお客様に伝えるため。
 しかし今回のショーはたった一人のために行うもの。となると、容姿も雰囲気も違うデザイナーはどうすれば『このドレスを着てもいい』と思われるだろうか。
 頭の中にあるデザイン画のドレスを思い出しながら、自分はそれを着ているつもりになる。

 今日はアトリエに誰もいないから、広い空間を、貴族の邸宅の大広間だとみなして練習ができる。
 何度も何度も歩いて、紙に動き方や重さのかかる位置、足の動かし方をリハーサルする。
 全身汗だくになっても姿勢を維持するのを忘れない。ヒールの高い靴も慣れた。

「そろそろ休憩しよ……」

 練習しすぎて足の感覚がなくなってきていた。息を切らし、倒れこむようにして気を付けてから床に寝転ぶ。床には大量の布が散らばっているから。
 この部屋はセユンの忙しさに比例して床は布地で覆われていく。
 お行儀が悪いと自分で思いながらも、隙間を見つけて木張りの床に横たわるとそこは冷たすぎず、汗ばんだ頬に心地よい。
 汗を拭かないと風邪をひく……そう思いながらも四肢に重りがついたようで、まるで床に引きずりこまれるようだ……と意識があったのはそこまでだった。


 
「……っ!?」

 気づいたら布地に埋もれて倒れこむように眠っているではないか。
 慌てて起き上がりながら外を見ればとっぷりと日が暮れてしまっている。

 いけない、早く帰らないと!!

 自分がここにいることに気づかず、鍵もかけられてしまったのだろうか。もちろん中からは鍵を開けられるので外に出ることはできるけれど、私は鍵を持っていないので施錠ができない。

 どうしようかな、と悩んでいたら、ガチャリと鍵が開くような音がした。
 
 こんな時間に誰か来た?

 続いて入ってくる気配がして、声を掛けようとして違和感に口を閉ざした。
 それは防衛本能のなせる業と後から思い出すことになったのだが。
 
 おかしいと思ったのはその足音だ。

 この別邸を利用したアトリエは入れる人が制限されている。鍵を持っているのはセユンにクロエ。そしてお針子として鍵を管理しているのはサティとリリン。 
 床板にきしむ重さはその人の体重を表すが、その沈み込むようなきしみは女性の重さではない。それならセユンが残るけれど、騎士としての習慣なのか、セユンはいつも一定のリズムで歩く癖があるし。
 靴も床に響く音はソールの種類で変わるが、それは布でくるんであるかのように妙な衣擦れがする。まるで音を立てないように細工されてるみたいに。

 その加工がますます危機感を助長させた。私は大急ぎで布地の中に入り込むと息を殺して身体を固くする。
 その直後に、ぎいっと音を立てて私がいる部屋の扉が開いた。

「……っ」

 ざわっと鳥肌が立った。
 漂ってきた汗臭いような脂ぎった匂いは嗅いだことのない体臭だ。
 つまり知らない人間がここに入ってきたわけで。

 このアトリエは伯爵邸の敷地内であるから、伯爵家の私兵で外周部が警備されている。よりによってここに忍び込む人がいるなんて豪胆すぎる。
 練習として布地の多いドレスを着ていたのが幸いだっただろう。広がるパニエは布地を多くとるし、足まですっぽり隠れるから、身体を丸めて頭を隠せば布の塊があるかのようにしか見えない。
 震えながら布の隙間から入ってきた人間の姿を見ようと努めた。
 しかし、黒に近いズボンを穿いた太い足がのっしのっしと歩いていく様しか見えず顔を確認することはできなかった。

 その迷いない動きは、伯爵家に勤めている人がセユンに頼まれて物でも取りに来たのかと思ったくらいだ。しかし、この人物は伯爵邸の中で見たことがないと言えた。顔は見えないが。

 その人物は私のいるところを通り過ぎて、迷わず奥の部屋へと入っていく。
 そこはほぼセユンの専用部屋となっていて、片付けの苦手な彼のせいで色々なものが雑多に散らかっている場所だ。
 そこで、その人物は何かを始めたようだ。 

 ドッ ドッ ドッ

 自分の心音がうるさい。

 どれくらい時間が経っただろうか。その間、私は身を固くして静かにしていることしかできなかった。
 唐突にガチャン!という重いものが触れ合ったような金属音が響き渡った。
 息を殺し、必死に早く相手がいなくなるよう祈る。

 バサバサ……ッと紙の束が取り落とされる音がして、そのまま身じろぎしないようにしていると、相手は部屋から出てくると足早に私の側を通り過ぎていった。

 玄関の扉が閉まる音がして。

 ――――そして、誰もいなくなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

彼の秘密はどうでもいい

真朱
恋愛
アンジェは、グレンフォードの過去を知っている。アンジェにとっては取るに足らないどうでもいいようなことなのだが、今や学園トップクラスのモテ男へと成長したグレンフォードにとっては、何としても隠し通したい黒歴史らしい。黒歴史もろともアンジェを始末したいほどに。…よろしい。受けてたちましょう。     ◆なんちゃって異世界です。史実には一切基づいておりませんので、ご理解のほどお願いいたします。  ◆あらすじはこんなカンジですが、お気楽コメディです。  ◆ざまあのお話ではありません。ご理解の上での閲覧をお願いします。スカッとしなくてもクレームはご容赦ください。

元婚約者が愛おしい

碧桜 汐香
恋愛
いつも笑顔で支えてくれた婚約者アマリルがいるのに、相談もなく海外留学を決めたフラン王子。 留学先の隣国で、平民リーシャに惹かれていく。 フラン王子の親友であり、大国の王子であるステファン王子が止めるも、アマリルを捨て、リーシャと婚約する。 リーシャの本性や様々な者の策略を知ったフラン王子。アマリルのことを思い出して後悔するが、もう遅かったのだった。 フラン王子目線の物語です。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

【完結】婚約破棄されたので田舎に引きこもったら、冷酷宰相に執着されました

21時完結
恋愛
王太子の婚約者だった侯爵令嬢エリシアは、突然婚約破棄を言い渡された。 理由は「平凡すぎて、未来の王妃には相応しくない」から。 (……ええ、そうでしょうね。私もそう思います) 王太子は社交的な女性が好みで、私はひたすら目立たないように生きてきた。 当然、愛されるはずもなく――むしろ、やっと自由になれたとホッとするくらい。 「王都なんてもう嫌。田舎に引きこもります!」 貴族社会とも縁を切り、静かに暮らそうと田舎の領地へ向かった。 だけど―― 「こんなところに隠れるとは、随分と手こずらせてくれたな」 突然、冷酷無慈悲と噂される宰相レオンハルト公爵が目の前に現れた!? 彼は王国の実質的な支配者とも言われる、権力者中の権力者。 そんな人が、なぜか私に執着し、どこまでも追いかけてくる。 「……あの、何かご用でしょうか?」 「決まっている。お前を迎えに来た」 ――え? どういうこと? 「王太子は無能だな。手放すべきではないものを、手放した」 「……?」 「だから、その代わりに 私がもらう ことにした」 (いや、意味がわかりません!!) 婚約破棄されて平穏に暮らすはずが、 なぜか 冷酷宰相に執着されて逃げられません!?

もう何も信じられない

ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。 ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。 その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。 「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」 あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。 【お詫び】読んで頂いて本当に有難うございます。短編予定だったのですが5万字を越えて長くなってしまいました。申し訳ありません長編に変更させて頂きました。2025/02/21

処理中です...