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第7話 契約
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私とミレーヌを分け隔てなく平等に扱うのはおばあ様しかいなかった。
おばあ様は「この子はこういう子」という色眼鏡で私を見ることはなかった。それがとても居心地がよく、彼女の前でだけ本音の自分を出すことができたから。
母の前では詩集と風景画の画集が好きな女の子を装っても、祖母の前ではチェリー・レイモンドのロマンス小説を読めるように。
私とミレーヌは同い年なのに、美しく人懐っこいミレーヌに両親は期待をかけている。この男爵家にとって有益な婿となりうる男性と結婚することを。
もしくは、この家の格を上げてくれるような男のところに嫁入りをして、縁をつけてくれることを。
私のことを両親が愛してくれていないとは思っていないが、美しくもなく愛想もふりまけない娘に期待をされていないのは感じている。そう、クロエが言っていたようなどこにでもある平凡な容姿を持ち、男性に魅力を感じさせることのない私だから。
そんなことは面と向かって両親に言われたわけではないが、美しいミレーヌがやってきて、そして一緒に育てば比べられてしまうのは自然だろう。
家族の中での私の扱いはどこかペットのような……いや、ペットより影が薄い。ミレーヌの影の存在という方が近いかもしれない。
どこかぼうっとした、はっきりとしない白い影。色彩が全体的に淡いせいで、目鼻立ちもはっきりしなくて。濃い色をまとえば目の色ですらその色を映してしまって色が変わったように見える。それくらい自己主張のない存在だ。
幼い頃に、母のような美しい金髪と、ミレーヌのように深い青い瞳を羨ましがって泣いた頃がある。その泣きつき先も当然おばあ様だったのだけれど。
まだあの頃は自分の容姿が成長すればマシになるものだと信じられていたのだと思う。だからそんな風に泣いて自分を憐れむことができたのだろう。
そんな私をおばあ様は慰めてくださったと思うのだけれど、なんと言われたのかを覚えていない。
ただ、おばあ様に言われた何かで、子供の私がひどく安心したことだけを覚えている。
おばあ様は私の恩人だ。だから……彼女のためにできることをなんでもしたかった。
まさか、こんな私なんかの容姿に価値を見出した人が、身内のおばあ様以外に現われるとは。
その人の場合はおばあ様とは違う、孫は可愛いフィルターでなく、金銭的価値に繋がるような見方をしているようなのが、そこに嘘やお世辞を感じられずかえって好ましく思えるのだけれど。
「今日は契約書を交わすからね」
次の日、言われたように例の伯爵家の離れの屋敷に顔を出せば、待ってましたとばかりのセユンに椅子に座らせられた。
ようやく覚悟を決めた。やることが犯罪でなければそれでいい。サロンを開くのは主にハイクラスな貴族ばかりだ。ミレーヌが言っていたように私とモデルを繋げて考える人もいないだろう。大丈夫、大丈夫……。そう、自分に言い聞かせた。
今日の部屋の床はそれなりに片付けられていて、机と椅子が用意されているのを見れば、今日のこれこそが面接みたいだと思ってしまった。
訊けばここはブティックのアトリエだそうだ。作業場はまた別にあるらしく、そちらで本格的に大人数でお針子たち総出で衣装を作るらしい。
ここにはブティックの一部の人間のみが出入りを許され、新しい製品やファッションショーの方針などを打ち合わせる場所なのだそうだ。
あんなに乱雑に布が散らかされていたのは、多分その流れだったのだろう。
「残業などは一切なしでお願いできますか?」
「わかってる。ファッションショーが行われるサロンは日中行われるものだからね。夜はご婦人方はパーティーの方に出るから、その心配はありえない。休みなども最大限配慮する」
雇用契約書として置かれている書類の表面をちらっと見る。ブティックプリメール……それが彼の所属するブティックのようだ。
目の前に出された契約書を見て、こんな大仰なことやるんだ……と思っていたが、それは大人社会では当たり前のことらしい。
貴族とは名ばかりの、働かなければ生計を維持することのできない男爵家。その娘なのに、どれだけ自分は箱入りなのだろうと思うと、自分の世間知らずっぷりが恥ずかしくなってきた。
内容を彼が読み上げてくれるのを頷きながら聞いて確認して。これなら大丈夫そうだ、と思いペンを手にする。
「あ、君、字が書けるんだね、優秀、優秀」
サインのためのペンを持った瞬間に彼にそう言われ、その目ざとさに動きを止めてしまった。
確かに、字を習っていなければ、ペンを正しく持つことだってできなかっただろう。
そういえば自分にセユンには平民だと思われているらしいのだった。その勘違いは好都合なのでその考えを改められてしまうようなことはなるべく避けないと。
「ここに名前書いて?」
「名前、でいいのですか?」
「そうだよ?」
その言葉に家名はいらない、名前だけでいい、と勝手に解釈をすることにした。
そしてペンを動かしながら何気ない風を装って話をする。
「私なんかより人前に出るのにうってつけな存在がいるんです。もしよろしかったらご紹介したいのですが」
「え? どんな子?」
頬杖をついて私のサインする姿を見ていたセユンだったが、ばっと顔を上げる。
「私の従妹です」
「君の従妹なら、確かに期待はできるね」
明らかに興味を引いた様子のセユン。ハシバミ色の瞳が好奇心で生き生きしていて子供のようだ。それを見て、自分に過ぎた期待と賛辞をおくるセユンもミレーヌに夢中になるだろうと予感がして。
それにどこかほっとすると同時に寂しさを覚えてしまった自分の欲深さに、ぐっと下唇を噛んだ。
おばあ様は「この子はこういう子」という色眼鏡で私を見ることはなかった。それがとても居心地がよく、彼女の前でだけ本音の自分を出すことができたから。
母の前では詩集と風景画の画集が好きな女の子を装っても、祖母の前ではチェリー・レイモンドのロマンス小説を読めるように。
私とミレーヌは同い年なのに、美しく人懐っこいミレーヌに両親は期待をかけている。この男爵家にとって有益な婿となりうる男性と結婚することを。
もしくは、この家の格を上げてくれるような男のところに嫁入りをして、縁をつけてくれることを。
私のことを両親が愛してくれていないとは思っていないが、美しくもなく愛想もふりまけない娘に期待をされていないのは感じている。そう、クロエが言っていたようなどこにでもある平凡な容姿を持ち、男性に魅力を感じさせることのない私だから。
そんなことは面と向かって両親に言われたわけではないが、美しいミレーヌがやってきて、そして一緒に育てば比べられてしまうのは自然だろう。
家族の中での私の扱いはどこかペットのような……いや、ペットより影が薄い。ミレーヌの影の存在という方が近いかもしれない。
どこかぼうっとした、はっきりとしない白い影。色彩が全体的に淡いせいで、目鼻立ちもはっきりしなくて。濃い色をまとえば目の色ですらその色を映してしまって色が変わったように見える。それくらい自己主張のない存在だ。
幼い頃に、母のような美しい金髪と、ミレーヌのように深い青い瞳を羨ましがって泣いた頃がある。その泣きつき先も当然おばあ様だったのだけれど。
まだあの頃は自分の容姿が成長すればマシになるものだと信じられていたのだと思う。だからそんな風に泣いて自分を憐れむことができたのだろう。
そんな私をおばあ様は慰めてくださったと思うのだけれど、なんと言われたのかを覚えていない。
ただ、おばあ様に言われた何かで、子供の私がひどく安心したことだけを覚えている。
おばあ様は私の恩人だ。だから……彼女のためにできることをなんでもしたかった。
まさか、こんな私なんかの容姿に価値を見出した人が、身内のおばあ様以外に現われるとは。
その人の場合はおばあ様とは違う、孫は可愛いフィルターでなく、金銭的価値に繋がるような見方をしているようなのが、そこに嘘やお世辞を感じられずかえって好ましく思えるのだけれど。
「今日は契約書を交わすからね」
次の日、言われたように例の伯爵家の離れの屋敷に顔を出せば、待ってましたとばかりのセユンに椅子に座らせられた。
ようやく覚悟を決めた。やることが犯罪でなければそれでいい。サロンを開くのは主にハイクラスな貴族ばかりだ。ミレーヌが言っていたように私とモデルを繋げて考える人もいないだろう。大丈夫、大丈夫……。そう、自分に言い聞かせた。
今日の部屋の床はそれなりに片付けられていて、机と椅子が用意されているのを見れば、今日のこれこそが面接みたいだと思ってしまった。
訊けばここはブティックのアトリエだそうだ。作業場はまた別にあるらしく、そちらで本格的に大人数でお針子たち総出で衣装を作るらしい。
ここにはブティックの一部の人間のみが出入りを許され、新しい製品やファッションショーの方針などを打ち合わせる場所なのだそうだ。
あんなに乱雑に布が散らかされていたのは、多分その流れだったのだろう。
「残業などは一切なしでお願いできますか?」
「わかってる。ファッションショーが行われるサロンは日中行われるものだからね。夜はご婦人方はパーティーの方に出るから、その心配はありえない。休みなども最大限配慮する」
雇用契約書として置かれている書類の表面をちらっと見る。ブティックプリメール……それが彼の所属するブティックのようだ。
目の前に出された契約書を見て、こんな大仰なことやるんだ……と思っていたが、それは大人社会では当たり前のことらしい。
貴族とは名ばかりの、働かなければ生計を維持することのできない男爵家。その娘なのに、どれだけ自分は箱入りなのだろうと思うと、自分の世間知らずっぷりが恥ずかしくなってきた。
内容を彼が読み上げてくれるのを頷きながら聞いて確認して。これなら大丈夫そうだ、と思いペンを手にする。
「あ、君、字が書けるんだね、優秀、優秀」
サインのためのペンを持った瞬間に彼にそう言われ、その目ざとさに動きを止めてしまった。
確かに、字を習っていなければ、ペンを正しく持つことだってできなかっただろう。
そういえば自分にセユンには平民だと思われているらしいのだった。その勘違いは好都合なのでその考えを改められてしまうようなことはなるべく避けないと。
「ここに名前書いて?」
「名前、でいいのですか?」
「そうだよ?」
その言葉に家名はいらない、名前だけでいい、と勝手に解釈をすることにした。
そしてペンを動かしながら何気ない風を装って話をする。
「私なんかより人前に出るのにうってつけな存在がいるんです。もしよろしかったらご紹介したいのですが」
「え? どんな子?」
頬杖をついて私のサインする姿を見ていたセユンだったが、ばっと顔を上げる。
「私の従妹です」
「君の従妹なら、確かに期待はできるね」
明らかに興味を引いた様子のセユン。ハシバミ色の瞳が好奇心で生き生きしていて子供のようだ。それを見て、自分に過ぎた期待と賛辞をおくるセユンもミレーヌに夢中になるだろうと予感がして。
それにどこかほっとすると同時に寂しさを覚えてしまった自分の欲深さに、ぐっと下唇を噛んだ。
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