【完結】夜に咲く花

すだもみぢ

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溺れる魚

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 今日はアズサがいつもの重そうな荷物を持っていない。
 塾の帰りにここに寄ると思っていたが、今日は塾に行かなかったのだろうか。

「これからどうしようかな」

 んー、と伸びをして、それから首をコキコキ鳴らしている。
 そういう風に縦に長くなると、アズサは背が高いなぁ、と思わされてしまう。断じて私が小さいわけではない……はずなのだけど。

「どうするって?」
「目標を見失っちゃった気分」

 目標? 彼女の目標とは将来の話だろうか。見失っただなんて……何が起きたのだろう。

「医者になる夢は?」
「医者になる必要なくなっちゃったもん」
「あれま」

 やっぱりその話だったようだ。
 しかしあんなに叶えるのが大変そうな夢に向かって努力していたのに、必要あるかないかで安易に辞められるものなのか?
 私ならその努力がもったいないとか思ってしまいそうだ。それを貧乏性と思ってはいけない。
 
「医者になりたい理由がなんかあったんだ」
「そりゃあね。もっとも大人受けしない内容だから内緒だけど」
「大人受け?」
「あー。あのね、医学部って面接あるんだよ。その時に志望理由言わなきゃいけないの。そこでの話ね。本当の志望理由なんか書くわけないじゃん。全部いい感じに捏造するんだよ」

 なんか黒い裏事情を聞いた気がする。それでいいのかお医者さん。私が『うわあ』という顔をしたのがわかったのだろうか。アズサはふふん、と笑っている。

「金が儲かるとか社会的地位が高くて尊敬されるからとか、そういう理由で医学部志望してるのなら、本音書けると思う?」
「まぁ、書けないね……」

 実際、面接官もそんなことを言われても困るだろうけれど。私はうーん、と首を傾げて思ったことを言う。部外者だし。

「ま、そういう嘘を上手につけることも医者には必要なんでしょ。患者に真実を常に伝えるのがいいってわけじゃないだろうしさ」

 あくまでも患者の立場にしかなるつもりのない私だが、無責任にそう言った。いや、本当に傷ついて辛い時に心無いことを言われたら腹が立つだろうけれど、余計なことを言わない医者なら患者には都合がいいわけで。
 だって、性格悪くても腕のいい医者の方がいいのだもの。
 考え方がドライかもしれないけれど、ホスピタリティに興味を持たない人種だ。可哀想と思って同情してもらいたい相手に医者を求めないだけだ。
 だから、熱い熱意を持たないアズサに対しては、気休めのような無責任のような私の考えを押しつけるだけだ。

「それならなんとなくそのまま医者になれればなっておけば? 今までの努力がもったいないじゃん」

 誰も自分の人生しか責任取れないんだから、それを現実にするかどうかは本人の問題だ。他人がどれだけその人に親身になったとしても、自分の道は自分が決めなければならない。
 私の放言をアズサが信じるも信じないのもアズサ次第だ。
 そして、その言葉は返す刀で私自身を傷つける。
 
「一花咲かせて、それでだめで諦めるもよし、極めてみるもよし。私は咲かずにそのまま枯れていくだけの予定の花だから、アズサは私の代わりに咲いてくれ」

 おっと、愚痴に聞こえてしまったら申し訳ない。

 アズサやレイみたいに何かをやりたい! という夢を持っていない私は、きっと何者にもならずに消えていくのだろう。
 大きな将来の夢も、日常に溶け込む小さな夢も、叶えること自体が夢なのだろうし。
 夢を見る能力が欠乏しているのではと思うレベルで、憧れが私の中に生まれてくれないのだから。正直、何もしたくない。海の中を漂う海藻のようにゆらゆらして生きていたい。
 そうは思っているのに、ただ、ただ焦りだけはたまっていく。
 時間がないんだ、と背中を毎日押されていて。
 なんでもしていいというのは、なんにもしなくていいと言われているのと同じで、自分という基準点がない私は、ジャンプがしたくても足場がなくて踏み切れない。

 お前は魚だから、泳げるだろ? と思い込まれて、当たり前のように水の中に放り込まれたようで。
 世の中には溺れる魚だっているだろうにさ。

 なんとなく自分の考えで憂鬱になって夜景を見下ろしていたが、アズサが「違う」と言い出した。

「違うよ。ショウコは咲けるよ」
「アズサ?」
「本当に咲けるかどうかはわからないけど、その可能性はある。だからショウコはちゃんと咲くんだよ」
「……?」

 私みたいに無責任に言っているのかと思いきや、その口ぶりは妙に熱い。そして独り言のように続ける。

「貴方は私たちの夢だからさ」

 私たち……?
 その複数形の意味は、アズサとレイなのだろうか。それしか思い当たるような人はいない。

「アズサは?」
「私は咲かないよ。生まれつき、最初から咲けないって決められた花だからね」

 その諦めきった顔は、何を諦めてきているのか、よくわからなかった。
 同じような歳のはずなのに、なぜ、そんな風に達観した顔をしているのだろう。それはレイがたまに見せる表情でもあったのだけれど。

「いい? 花は実をつけるために咲くんだよ。それが生物の基本なんだから」

 唐突に生物ときたか。
 私が言っている花と、アズサの言っている花はずれているような気がする。
 私が言っているのは夢のことで、未来への力、なのだけれど。
 アズサが言っている花は生物としての花だろうか?
 彼女が何を言いたいのかわからない。レイだったらわかるのだろうな、と思うと二人の絆に嫉妬しそうになる。それでレイのことを急に思い出した。 

「レイに返そうと思って持ってきたのになぁ」

 レイの義眼を猫のきんちゃく袋から取り出してアズサに見せた。

 眼球という言葉で私たちが思い描くような球形ではなくいびつな形のそれは、手の中でころり、と転がった。
 非常灯の緑がかった光でのせいで、レイの紅い虹彩の義眼は黒に近い影がおちる。瞳孔は黒く描かれているから、そこが影となって虹彩の内側に淡い線を描いている。人間の本物の瞳孔ならば、もっと闇だ。

「もらっときなよ。形見と思ってさ」
「んな大げさな」

 形見、という言い方は大仰すぎるし、中二病的な要素を感じてしまう。
 思い出の品、くらいな言い方にしてほしいし、それなら渡されるものはもっと気軽なものであってほしい。

「手元に置いとくの邪魔なら私が預かっておこうか?」
「レイの連絡先知ってるの?」
「……まぁね」
「よかったー。私が持っててもいいんだけど母親が不気味がっちゃってねー」
 
 アズサに義眼を渡そうとして、むき出しのまま渡すのもなんか悪い気がして、袋ごと渡した。母に無断で勝手にあげてしまうことになるけど、謝っておこう。いや、黙ったままにしたらばれないかもしれないが……私の方が良心の呵責に耐えられそうもない。

 袋の開け口から、目が見える。
 なぜ、これを母が気味悪がったのかはよくわからない。
 これがいきなり喋りだしたりしたらさすがに不気味だろうけれど。
 
 ほい、と何気なくアズサに義眼を渡せば、彼女は苦笑していた。
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