【完結】夜に咲く花

すだもみぢ

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両親

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 照明が点いていて明るいのに人気がなくて静かな廊下を歩く。
 本来なら我が家はここに住むはずではなかった。
 ただ、私が高校に進学して引っ越し先を考えた時にここ以外に借りて住む場所を見つけられなかったと、母がいつも嘆いている。

 「いつ地震がくるかわからない日本で、高層に住むなんて自殺行為よ!」

 そう過去に大きな震災を経験した母は言っていた。
 本当は8階にも住みたくなかったようで、もっと下の階を希望していたのに部屋が空かなかったといって嘆いていた。
 そんな母の影響で、生まれた時から低いところにしか住んだことのなかった私には、8階ですら最初は高すぎて怖く、マンションの中央にある吹き抜けを覗いて下を見下ろすことすらできなかった。
 それが今では最上階からだって見下ろして、長時間過ごすまでに成長しているのだから人は変わるものだ。高すぎて現実感がわかないというのもあるかもしれないが。

 そうでなくても人はどんな環境にだって慣れることができる。
 最初はエレベーターに乗ると気圧で耳が痛かったけれど、引っ越してきて二日で慣れた。
 それと同じように肉体的な不快だけでなく、恐怖に対しても感覚は鈍磨していく。
 そして気づいたのだ。
 戦争の中でも日常を貫いていた人達を呑気とか図太いとか思っていたことがあったけれど、あれは彼らが図太いのではなく、状況に慣れたのだということに。そしてそれは生きるための必要な順応であったということにも。
 それはいいことなのか、悪いことなのか。
 どちらにしろ、第三者が判断すべきことではないだろうけれど。

 ポケットに入れっぱなしにしている鍵を取り出して部屋に入る。扉を引っ張ると同時に私は声を掛けた。

「ただいまー」

 なるべく元気よく。
 とはいえ、あまり大きな声で言っても近所迷惑になってしまいかねないけれど。
 それは幼い時からの私の習慣だった。
 もし仮に変質者が私の後をつけていたとしても、家に誰かがいるかを装える演技。
 だから玄関の電気は常に点けっぱなしにするように、教え込まされている。それは女の子を持つ親が娘にする注意として当たり前なことなのだから。

 玄関は明るくても、その奥のガラス戸越しの部屋の中はまだ暗かった。母は帰ってきてないようだ。そしてそれはいつものこと。
 建築家の母は私が中学に入った頃から本格的に仕事に復帰した。キャリアを追い始めて、今、仕事が猛烈に楽しいらしい。

「流しは片付けてあるし……お風呂、入らなきゃ」

 一人の時間が長くなると、独り言が多くなる。
 人が入ってきているのに気づかず、学校のトイレで一人でぶつぶつ言っていたら、たまたま入ってきたクラスメイトが「貴方、誰と話しているの!?」と怯えていたことがあったが……思考をまとめるために言葉に出すのを癖にしてしまった弊害だ。
 ぼうっとしながら、ルーティーンにしていることをこなしていることもあるし。
 今日も夕方に一人でレトルトのカレーを温めて食べた後、無意識に片付けていたようだった。綺麗な流しを見たらなんとなく得した気分になって鼻歌を歌いながら風呂場に向かった。
 風呂を洗って湯を張るのを待ちながら、乱雑になりかけていたリビングの物を手に取って。学校から帰ってきた時にまとめて取り出してきた郵便物を何の気なしに見ていくと、中から覚えのある癖字が現れて目を落とした。
 我が家は誰かの誕生日となるとカードが送られてくる。その送り主は一人しかない。

「相変わらず、あの人ってマメだなぁ……」

 無表情に読むと、そのままぽいっとテーブルの上にそれを置いた。
 電話で話すことよりメールやSNSでやり取りするのがメインの時代になっても、こういうカードだけは忘れずに送ってくるのは……我が父だ。
 父親の方には二年ばかり会っていない。電話も年に数回程度だ。
 娘の私とももう長い間一緒に住んでいなくて、母は離婚の成立条件が整っている夫婦なの、と笑うのが我が家のお決まりのジョークだ。
 別に父と母が仲たがいしているわけではなく、父は海外にプラスチックの再生工場と会社を建てて、ずっとそちらに一人で住んでいるだけだ。
 便りがないのは元気な証拠。何かあったら外務省から連絡くるだろうからよろしく、とろくに帰ってもこないし、声も忘れてしまいそうになる。
 私が三歳の時から一緒に暮らしていないし最後に会ったのが祖父の葬式で、その前が従姉の結婚式というところからもどれだけ彼が日本に縁がない人かわかるだろう。日本だけでなく、妻と娘に対しても、だが。

 存在感が薄い父と、マイペースな母と、別に親に振り回されることもなく日々を過ごす娘と。

 この両親にどこか見合った娘が生まれたのは必然だったのだろう。

 両親から期待をされてなくて、期待に応えるだけの能力も持ち合わせていない私だったけれど、別に否定されるわけでも一緒に暮らしていないのは愛されていないんだわという拗ねたような気持ちを持つこともなく、安穏とした日々過ごせていた。
 放置されているのは、両親が単にやりたいことをやっているだけだと分かっているし。

 しかし、やりたいことに邁進する親夫婦と違って、その血を受け継いでいるはずの私はただ無為に日々を過ごすばかりだ。
 やりたいことが見つからない。
 ただ時間は受け流すだけ。通り過ぎさせるだけ。


 そんな風に生きる私の前に、レイとアズサが現れた。
 いうなれば、彼女たちは同年代の異分子だ。
 それまでの中学でも、もちろん高校でも会ったことはないけれど、お話の世界とかにはいそうな目立つタイプの子達だ。
 名前を教える時にはフルネームを名乗るものだと思っていた私に対し、それだけで十分でしょ? とばかりに彼女たちは、呼び名しか教えてくれなかった。
 友達を名前で呼ぶことも、呼び捨てにするのも、特別に親しい友人を作ってくることのなかった私には、それは粋で恰好よく思えて。
 2人の前では精一杯背伸びをしているなんてことを、あの2人はきっと知らない。
 この街は一応政令指定都市ではあるので、それほど田舎ではないはずなのに、彼女たちはひときわ『都会的』な存在に私には見えて。
 教わった名前はそれが本名かどうかも知らない。相手が何階に住んでるかも知らない。何号室に住んでいるのかもわからない。ただ、隣に住む棟の子達だろうと想像するだけだ。
 同じように向こうも私のことをほとんど知らないのだ。

 相手の個人情報を知らなければ誘いあうこともできず、夜にしか会えない友達であって。
 そんなのは友達なんかではなく、ただの顔見しりだと言われるかもしれないが。むしろ彼女たちがこのマンションの最上階に巣食う地縛霊だとしても、それはそれだと私は納得するだろう。
 まあ、相手が幽霊だったとしても別にどうでもいいわけだ。自分に対して害がない存在なら、実体があろうがなかろうが関係ない。

 私と違って存在感が激しい二人は行動パターンも両極端だった。
 アズサは決まって火曜日と土曜日にしか来ないことはほぼ決まっている。
 対してレイは気まぐれで、来るか来ないか自体がはっきりしなかった。
 そして私の方は、まるで忠犬がご主人様でも待つかように、ほぼ毎日、8時から10時の間、ずっと展望台にいた。
 待ちぼうけをくらうことの方が長いけれど、待ってる時間も楽しいというのは、その日課の間に気づいたことだった。
 まるで眠りに落ちる前にとりとめもなく心に流れていく言葉を眺めるような時間。気が短い自分なら退屈すぎてイライラすると思っていたのに、そうでなくて。
 自分は単にせっかちなだけだったとそれで気づけた。
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