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第一章 ここは私の知らない世界

第12話 銀の鹿と小さじ亭

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 シシリーの用事で外出するより、先にお休みをいただけることになったので、ラルセー街の『銀の鹿と小さじ』亭まで手紙を出した。
 セイラ先生からも了承の返事が届き、その日に先生にお会いできることになったのだけれど、問題は手紙の出し方……リリアンヌもしたことがなかったらしくわからなくて、こっそりと執事に聞いた。
 聞いた相手はジェームズ第二執事であのミレディのお相手だ。
 本当だったら仕事柄、あまり関わりあいのない相手だけれど、この手のことだったら、旦那様の書類を扱うこともある執事に対して質問しても不思議がられないだろうから。
 ジェームズ側からも弱みを握れないだろうかと、少しずつ探りを入れようかなとも思っているところだったりする。こまめな接触は情報の基本だからねぇ。

 それはともかく、セイラ先生から届いた手紙も、公爵家の人や使用人に見られたけれど、子爵令嬢としてのセイラ先生ではなく、銀の鹿と小さじ亭から届いた手紙ということで、誰にも彼女と自分の繋がりに気づかれずにいられた。
 こういう利点をあの場でとっさに思いつけたのだから、セイラ先生頭の回転早いなぁ、と思ってしまった。
 特にシシリーと近い場所にいる自分だから、バレたらなんといわれることやら。




 当日は、自分のお出かけを祝福するような快晴だった。

 空が広い……。

 リリアンヌの体になって初の外出で、真っ先に出た感想はそれだった……。

 一応首都圏に住んでいた自分には、高層ビルの中に空が埋もれているのが当たり前だったし、電信柱がこの世界にはないので、ど田舎だと思っていた祖母の家よりむしろ、テレビで見る無人島生活の風景に近いかもしれない。
 広大な公爵領で、その領主の邸宅近辺は開けている方だとはいえ、それでも建物の高さ的には全然低い。
 この辺りで一番高い建物っていったら、公爵邸ではなかろうか。

 夜は星が降るように見えるのだろうかと思うが、外が暗くなるような時間から一番仕事が忙しくなるので、外を見る余裕などなかった。今度時間を作って空を見たら、自分の知ってる星座は見つかるだろうかね。
 地下の部屋では窓から空を見上げることもできないから、それは仕事終わりに外に出るかするしかないだろうけれど。

 リリアンヌの記憶に従って、ラルセー街の方に出る。
 銀の鹿と小さじ亭についてメイド仲間にも訊いてみたけれど、誰も知らなかった。店の位置は地図に描かれてはいたけれど、もし見つけられなかったら、通りすがりの誰かにでも訊いたらたどり着けるだろう。

 しかし、地図を見ながら歩いていれば、ちゃんとお店に着くことができた。
 ドアを鳴らしてから開ければ、その瞬間に風が通り抜け、何かの熱気と乾いた空気の匂いがした。
 鉄が温められるような独特の香りとじわっとするような水分を含んだ空気。どこかでそれに覚えがある、と思って次の瞬間に、アイロンを思い出した。

「リリアンヌ、いらっしゃい」

 奥から出てくるのは屋敷に来る時のドレス姿とは違う、装飾がほとんどなく平民が着るようなシンプルなワンピース姿のセイラ先生である。スタイルの良さが引き立ってこれはこれでいい。

「こちらにいらっしゃいな。お茶をご馳走するわ」

 中にある機能性が高そうなテーブルと椅子のところに手招きをされる。店内に置かれているものは素朴なのに、そこにいるセイラ先生のその洗練された動きで、むしろ優美に見える。
 さすが、貴族令嬢だ。
 こういう所作も含めてシシリーはセイラ先生に学んでいるのだ。

「お、恐れ入ります。お構いなく」
「緊張しないでちょうだいな。テストとか考えないでお喋りしましょう」

 優雅に笑うセイラ先生に、乾いた笑いしかできない。
 テストとか関係なく、セイラ先生と差し向かいというのが緊張するんですわ。
 この人、無駄に格好いいからね。

「こちらはなんのお店なのですか?」
「洋服屋です、貴族の方向けのドレスから、平民の下着まで手広く扱っております」
「へえ」

 奥が工房にもなっているようだ。アイロンのような匂いの元はここか。

「実は、ここは私の店なんです」
「え、出資を?」
「いえ、デザインもしてますよ」
「先生、服飾デザイナーをされてるんですか?!」

 一瞬驚くが、でも、あ、やっぱり、と納得してしまった。
 やはり洒落てる人は、どっか違う。本当に自分が欲しいものは自分で作らなきゃ、になるんだろうな、とオシャレはそれなりに好きでもそこまで情熱がない私は思ってしまう。

「先生も針を持たれるのですか? それとも完全にデザインのみを?」
「時間がない時は私も縫ったりもしますけれど、お針子も雇ってますよ。やはり、ずっと針を持っている人達に対して、技術的なものは敵わないですしね」

 貴族として一通りは修めてはいても、専業のお針子の熟練の腕はやはり別物ですからね、とその言葉には敬意が溢れている。
 それを聞いて、ちょっと反省してしまった。
 リリアンヌはともかく、みずほの感覚では縫物なんてミシンでガーッと縫っておしまいのものか、朝5分の運針で集中力を高めるためにするものでしかなかったからねえ。
 服を作ることや、それを作っている人への敬意なんて忘れてた。

 セイラ先生はでもねえ、とため息をつく。

「やはり腕のいいお針子はみんな王都の方に出てしまうのよね」
「それなら、メリュジーヌお嬢様をご紹介しましょうか?」

 メリュジーヌお嬢様の腕前は相当だと思う。もっとも素人である自分が言うだけで、プロとして使えるかはわからないのだけれど。
 でもここはメリュジーヌお嬢様を売り込むチャンスだろう。

「メリュジーヌお嬢様って、シシリーお嬢様の腹違いのお姉様でしょう? そんな方に頼んでいいのかしら?」

 え? と困惑したような顔をしている先生に、ピンときた。
 なるほど。セイラ先生は当家の事情に詳しくない。でも、今は慎重に。
 メリュジーヌお嬢様の名前に傷がついてしまうかもしれないから、あまり迂闊に本当のことを話すことはできない。
 私は曖昧にほほ笑んで誤魔化すと。

「今度、シシリーお嬢様の授業の時に、メリュジーヌお嬢様の作られたものをお渡しします。それを見て、お嬢様の腕前をご確認ください」

 お嬢様が作った作品を何点か借りてこよう。そしてあのカードも。
 もしかしたら、ここでお嬢様の作品の委託販売なんてできないだろうか、と店舗スペースを借りれないかと、思わず値踏みで視線がうろうろしてしまった。
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