もしも北欧神話のワルキューレが、男子高校生の担任の先生になったら。

歩く、歩く。

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18話 降臨するリンドブルム

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「どうだった、こうちゃん」

 夕暮れの帰り道、琴音にそう聞かれ、浩二は後頭部を掻いた。
 認めたくないが……物凄くわかりやすかった。わからなかったはずの二次関数が、嘘みたいに解けてしまった。しかも渡された冊子も組み合わせれば、相乗効果でより一層頭に内容がしみこんできた。
 それが、悔しくて仕方なかった。

「……役に立ちすぎだろ、あいつ」
「結果オーライでしょ? 私達への被害もないし、テスト対策もばっちりだし、バスケ部も強くなって一石三鳥! ばるきりーさんは最強の教師と相成ったのでしたー」
「うるせぇ」

 浩二は首を振った。

「何が最強の教師だよ。こんなの、一時的な物だろ。またどうせ、すぐにダメ人間に……」
「ばるきりーさんは人じゃないよ」
「……もとい、ダメワルキューレに逆戻りするに決まってる。あいつも所詮、大人なんだから」

 そう、ばるきりーさんは大人だ。クズで役立たずで、人一人助けられないどうしようもない存在なのだ。信じてはいけない、信じたらまた、奴らは手ひどい裏切りを行うに決まっている。
 奴らのせいで、浩二は大切な人を奪われたのだから。

「絶対そうだ……絶対……絶対に」
「ばるきりーさんは違うと思うけど……」
「違わない。お前忘れたんじゃないだろうな、大人が天木にした事を。あいつを……あいつを追い詰めたのは紛れもない、大人じゃないか!」

 浩二は電信柱を殴りつけた。

「……俺は、あんな奴、信じない……あいつは絶対に生徒を裏切る。絶対にだ!」
「こうちゃん……」

 琴音は沈みこんだ。

「……私だって、ゆいちゃんを忘れた事なんて、一度もないよ」
「なら」
「でも、だからといって見境なしに大人を嫌ったりはしないよ」

 琴音は浩二に、曇りのない瞳を向けた。

「ゆいちゃんを追い詰めたのは、とても悪い大人達だったよ。けどそれで大人全員を嫌うなんて、ゆいちゃんは絶対望んでない。そんなことしても、ゆいちゃんは帰ってこないんだから。
 だから、大人を皆敵だと思うのは、私は違うと思う。私達と同い年にも、悪い人は居るんだもの。私はこうちゃんより頭良くないけど、自分なりに決着はつけてあるよ」
「何を……」

「こうちゃんはゆいちゃんが居なくなってからずっと、時間が止まってるの。体は大きくなっても、心はまだ、あの時のまま。そりゃ、飲み込むのは大変だと思うよ。けどずっとこのままで居るわけにも、いかないでしょ。
 私達だって結局大人になるんだよ、こうちゃんの嫌いな大人に。自分が一番嫌いなものになるのって、きっとすごく辛いと思う。だから、少しでも時間を進めないとダメだと思うよ。ゆいちゃんを忘れるんじゃない。ゆいちゃんが居なくなった事を、認められるようにならないと」

 琴音は怒るでもなく、諭すでもなく、いつになく静かに語った。
 この時の琴音は、浩二には遠くの存在のように感じられた。自分だけが取り残されているようで、とても心細く感じる。

 悔しいが、全部琴音の言うとおりだ。浩二はまだ、結衣が居ない現実を認められていない。結衣が死んだ日からずっと、浩二はあの時間に閉じ込められている。ただ徒に憎しみを募らせるだけの、無意味な檻に囚われているのだ。
 大人を憎んでもしょうがないのは、浩二もわかっている。けど、だったらどうすればいい。心に開いた風穴を、どうやって埋めればいいんだ。

 大人を憎み続けるしか、この空しさを補う方法が見つからないのに。

「!」

 不意に浩二は何かの気配を感じた。思うや否や体が反応し、琴音を抱えて飛び退った。
 直後に巨大な生物が飛び掛り、浩二達の居た場所を噛み砕く。アスファルトは大きく抉れ、くっきりとした歯型が出来上がった。

 浩二は琴音を背中に隠し、生物と向かい合った。

 一言で表せば、奇妙な亀だ。硬い甲羅に鋭い背鱗で身を固め、ヤマネコのような上半身を持った、六本足の怪物である。目のない細長い顔は、半分が大きな牙を持った口で占められている。どうみても好意を示しておらず、むしろこちらを食べる気満々だ。

「な、なんだろあの生き物……」
「タラスクだよ。ドラゴンの眷属とか言う魔獣だ、イタリアで人を食う事件を起こしてるぞ」

 前にニュースでやっていた情報を手繰りつつ、浩二は後ずさった。
 もう三度目の流れだから、大体わかる。あの怪物もまた、自分たちを襲いに来たのだろう。誰かは知らないが、自分たちを狙っている奴がいる。

「何はともあれ……行くぞ琴音!」

 浩二は琴音の手を引いて、タラスクから逃げ出した。人間が勝てる生き物ではない、早く逃げなければ!
 タラスクは追いかけ、大口を開けて迫ってくる。浩二は通りかかったゴミ置き場のポリバケツを蹴っ飛ばしたが、タラスクは難なく噛み砕いた。
 時間稼ぎにもならない。奴のほうが足が速いから、いずれ捕まってしまう。どうする、どうやって奴から逃げればいい。浩二は考え、鞄を握りしめた。

「一か八かだ……」

 角を曲がり、浩二は琴音を先に行かせ、鞄を振りかぶった。
 曲がり角なら奴はこちらを見ていない、勢いは止められない、何よりカーブの瞬間姿勢が崩れる。浩二の予想通り、タラスクは勢いそのままにドリフトし、姿勢を崩した状態で現れた。

「どぉりゃあ!」

 そこを狙い、浩二は下から鞄を振り上げた。ばるきりーさん特製の、超重量鞄を!
 強烈な質量弾をぶつけられ、タラスクは思い切りよくひっくり返った。甲羅が禍してタラスクは起き上がれず、足を動かしもがくしかなかった。
 タラスクが動けなくなったのを見て、浩二は一安心した。これなら、もう追って来れない。

「こうちゃん! 警察に連絡しといたよ」
「ありがとな」

 まだ重い感触の残る腕をさすり、浩二は鞄を見た。
 間接的にだが、ばるきりーさんのおかげで助かってしまった。浩二は首を振り、悪態をついた。
 どこまであいつは、付きまとってくる。浩二が何かをすればするほど、ばるきりーさんの影がついて回り、結果的に、浩二を守ってくれている。

 それがとても悔しい。奴を否定すればするほど、奴はより強く反発してくる。そして浩二に、手を差し伸べてくるのだ。
 そんなの、止めろ。もう大人を信用するのは嫌なんだ。もう、裏切られるのは、こりごりだ。

『キェアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!』

 突然だった。いきなりタラスクが、耳を劈く悲鳴を上げた。
 浩二は琴音を背に隠し、タラスクに身構えた。タラスクは悲鳴をやめると、今度は姿が消え、どこにもいなくなってしまった。

「んだ、おい……」

 尋常じゃない悲鳴だったが、断末魔とは違う。何かを呼びつけるような、助けを求める声のような気がする。
 他に群れがいるのではないかと思い、浩二は見渡した。しかしそれなら最初から群れで来ているはず。では何をしたのか。

「……まてよ」

 浩二は自分の発言を思い出した。そうだ、こいつは……竜の眷属じゃないか!
 浩二の勘が警鐘を鳴らす。あの悲鳴が呼び声だとしたら、これからここに来るのは……!

「こ、琴音! 急いでここから離れるぞ!」
「うん!」

 琴音はすぐに察し、浩二の手を握り締めた。
 なんだってこんな事ばかり起こる! 理不尽な展開に浩二は毒づくも、琴音を引き寄せた。
 琴音の不安な顔が目に映る。なんとしても、琴音は守らなければ。

「来るか!」

 気配を感じ、浩二は顔を上げた。
 そして覆いかぶさる、巨大な影。空より舞い降りた圧倒的な存在に、浩二は息を呑んだ。
 巨人よりもはるかに大きな体を持ち、背中に広げる翼はさらに巨大だ。雄雄しく禍々しいのに、神々しさすらある、金色の鱗に覆われた屈強な姿の神話の覇者、ドラゴンのリンドブルムが、浩二の前に光臨した。
 なんて威圧感だ。姿を見ただけで、足がすくんでしまう。浩二と琴音は立ち止まり、リンドブルムを呆然と眺めた。逃げるという意思が、粉々に砕かれてしまった。

 リンドブルムの出現に気づいた人々が悲鳴を上げるも、すぐに静まった。理由は、二人が立ち止まったのと同じだ。
 奴に比べたら、自分なんかあまりにも小さすぎる。恐怖すら打ち砕かれ、浩二は感情をなくしてしまったかのような錯覚を感じた。
 リンドブルムは静かに降下し、浩二に腕を伸ばした。浩二は逃げ出さず、大人しくリンドブルムの行為を受け入れていた。

 こんな存在に、抵抗するなんて無駄だ。本能がそう叫ぶ。
 もう、どうにでもしろ。お前に抵抗するほど、間抜けな話はないのだから。
 浩二の姿が、リンドブルムの手に、すっぽりと収まった。

「むんっ!」

 刹那、リンドブルムが空高くぶっ飛んだ!
 一気に小さくなったリンドブルムを見て、浩二は我に返った。混乱していた頭に、思考力がよみがえる。浩二は頬を叩き、空に立つ戦士を見上げた。
 最強の教師、ばるきりーさんが助けてくれたのだ。

「フレースヴェルグ、アルミラージと来て、リンドブルムか。随分、バラエティ豊かな駒をそろえたものだ」

 ばるきりーさんは煙を上げる拳を掲げ、そうつぶやいていた。どうやら、ワンパンチでドラゴンをぶっ飛ばしたらしい。
 しかし、相手はドラゴンだ。これまでと違って、ワンパンチでは沈まない。翼を広げて踏みとどまり、戦う意思を見せていた。

「あれ?」

 ここでふと、浩二は体が軽くなった事に気づいた。さっきまで感じていたリンドブルムの威圧感がない。震えもなく、自由に動かせる。

「体は大丈夫だな?」
「あ、ああ……何が、一体……」
「トカゲごときがこんな威圧感を持つはずないだろう。威圧術で意思を打ち砕いていただけだ」

 ばるきりーさんは首を鳴らした。

「まさか、自ら現れるとは。狩られる覚悟があるらしいな」

 殺気を放つばるきりーさんに対し、リンドブルムは牙をむき出しにして威嚇した。意に返さず、ばるきりーさんは浩二を見下ろした。

「浩二! 琴音と一緒に身を隠していろ。できるだけ被害を出さぬよう戦うが、流れ弾が来るかもしれないからな」
「あ、ああ……」

 浩二の生返事にうなづき、ばるきりーさんは超速でリンドブルムの懐に入り込み、天高く蹴り飛ばした!
 リンドブルムの巨体が一瞬で消え去る。ばるきりーさんは追いかけ、こちらもまた、姿が見えなくなった。
 消えたばるきりーさんを視線で追いかけ、浩二は歯噛みした。

 どこまで、あいつは追いかけてくるつもりだ。ばるきりーさんが大人である限り、手を伸ばそうが、何をしようが、浩二は拒絶するだけだ。
 なのにあいつは、絶対諦めない。どこまでも、どこまでも、しつこいくらいに手を伸ばし続けてくる。浩二が閉ざした、心の扉をこじ開けようとしてくる。

「なんなんだよ、あいつは……もう、くんなよ……」

 浩二は拳を握り締めた。

「もう俺に……かかわるな……」 

 浩二は、ばるきりーさんを否定し続けた。
 その背後に、消えたはずの眷族が、現れているとも知らずに。
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