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10話 ロボットにとっては小さな一歩だが、人類には大きな一歩である

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 その日は朝から、空気がひりついていた。
 朝礼の後、全職員がロボットの格納庫へ集まっている。皆緊張の面持ちでクェーサーのボディを見上げ、祈るように手を握りしめている。

「では救君、よろしく頼むよ」
「了解っす」

 羽山からヘルメットを受け取り、救は敬礼した。社員の中で、救は最も丈夫な体つきをしている。そのため満場一致でロボットのパイロットに任命されているのだ。
 コックピットに乗り込み、一つ一つ指さし確認しながら、シートベルトを締めていく。クェーサーはその様子を、コンソール越しに眺めていた。

「よろしく頼むぜクェーサー、お前の体なんだ、動くかどうかお前にかかってるからよ」
『わかりました』

 今日はロボットの稼働実験である。製造から一年、いよいよ試験の段階へ突入したのだ。
 このロボットは歩くだけでなく、走ったり、ジャンプしたり、道具を使って作業したりと、6メートル級のボディで人体と同じ動きを再現するのを目的としている。
 そんな繊細な稼働を行うためには、AIによるリアルタイム制御が不可欠になる。常に現場を把握し、適切な動作プログラムをアップデートするのが、クェーサーの役目だ。

『有人機にする意味が分かりません。安全性を考慮するならば無人機にするべきです』
「理屈じゃないんだよ、羽山工業の社訓は「ロマンを遊びつくせ」だ。人間遊び心が無くなったらおしまいなのさ」
「外から私もサポートするからさ、大船に乗ったつもりでいてくれよ先輩、クェーサー」

 御堂がパソコンの前に陣取った。サヨリヒメは息を呑み、

「大丈夫じゃ、わらわが居る。神の加護があるおぬしらに、不可能などない……!」

 皆が、クェーサーの成功を祈っていた。
 ハッチを閉じ、モニターが起動した。スロットルを握り、救は目を閉じた。
 小さな声で、「行ける、絶対に」と、何度も言い聞かせていた。クェーサーは自身の体と繋がり、サポート体制に移った。

「救命、クェーサー! 行きます!」

 救がフットペダルを踏みこんだ瞬間、クェーサーがずしんと一歩、前に進んだ。
 続けて二歩、三歩。着実にロボットが歩んでいく。社員たちは歓喜し、爆発のような歓声が沸き起こった。

「よっしゃあああああああーっ!」

 救も両腕を突き上げ、声を張り上げる。あまりにうるさくてクェーサーはバグりそうになった。
 と、彼の頬に一筋の雫が零れた。

『なぜ泣いているのですか。成功したのであれば喜ぶべきでは』
「喜ぶ時にも涙は流れるもんなのさ……へへ、やったぜチクショウ……!」
『なぜ嬉しい時に涙が流れるのですか』
「心が震えるんだよ、物凄く辛い思いをして、苦労をして、もうだめだーって何度も思って……そんなのが全部報われた時に、心が物凄く震えるんだ。そんな時にさ、涙が勝手に零れちまうんだ」
『心が震えると涙が出るのですか』

 そもそも、震えるような物質がないはずなのだが。
 体のどこが震えるんだろう、頭なのか、それとも胸なのか。クェーサーは自分の体に触れてみた。内臓がないから分からないけど。
 そもそも、AIのクェーサーには涙を流せなかった。

「こいつは小さな一歩だが、どでかい前進だ! よくやったぜクェーサー!」

 ハイタッチのつもりなのだろうか、救はコンソールをばしりと叩いた。
 救は羽山工業の中でも、最も熱い心を持っている。その熱に当てられたのか、クェーサーは引っ張られるような何かを感じた。
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