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61話 ワタリボタル

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 今宵は月が綺麗だ。フウリは空を眺め、そう思った。
 ハワード達は既に眠っている頃だろう。夕餉によく寝れる薬草を混ぜておいたから、朝はすっきりと起きれるはずだ。

『賢者ハワードか。過去を振り返っても、不可思議な賢者じゃの』

 賢者とは俗世から離れ、煩悩を振り切って悟りを開いた者を呼ぶ。かつての賢者は皆厳格な性格の者ばかりだったのに、あれほど俗欲と煩悩に塗れた賢者は前代未聞だ。
 これも時代の流れという物か。フウリはため息を吐いた。

「風の大精霊がため息ついたら魔風が吹いちまうぜ。いや、君の心情を考えれば悲風かな」
『ハワード・ロック? 汝、起きていたのか』
「俺様は自己暗示で一瞬で寝起きできるんだ。最大百年は不眠不休で動ける自信があるぜ」
『その前に汝が老衰するじゃろう』
「この賢者ハワードに寿命なんて存在するとでも?」

 自信満々の発言である、こいつが言うと冗談に聞こえやしない。

「何しろ十三歳で賢者の石を作ったからな、その気になればいつでも寿命を伸ばせるんだ」
『汝はどれだけ規格外なのじゃ!? 賢者の石ときたら不老不死は勿論、死者蘇生を始めとしたあらゆる奇跡を起こせる神の石じゃ! 人の身で扱いきれる物ではないのじゃぞ! それを僅か十三で作ったと言うのか!?』
「ああ。ただ賢者の石は俺様自身の手で禁術にした。レシピも俺様の頭の中だけしか残ってないし、この事実を知っているのは教会の一部の、理解ある人間だけだ」

『随分、穏便な対応じゃの。それを世に広めれば、巨万の富を得られるじゃろうに』
「金や名声に興味なんざねぇよ、それに俺様は不老不死にも興味はねぇ。寿命ってリミットがあるからこそ、一日一日を大事に生きようって思えるんだからな」
『ならば、汝の興味ある事はなんじゃ?』
「女とケバブ」

 とことんブレない男である。フウリは思わず苦笑した。

「にしても、良い夜だ。こんな夜は極上の美女でも抱いて過ごしたいもんだが」
『ふむ、わらわで良ければ相手になるが』
「へへ、いい返事だ。だが俺様は簡単になびく女は趣味じゃなくてね、多少険がある方が好みなのさ。目先の運命に諦めて、何もかもに従順になっている奴はお呼びじゃないのさ」
『……そうか、ならばわらわは相応しくないようじゃの』

 フウリはテンペストの眷属になる定めに順じ、抵抗する気がない。自分の大事にしている物全てを諦め捨てようとしていた。
 胸の内を見破られ、俯いてしまう。だけど、どうすればいい。

「だけど、君さえよければデートをしないか? 君に見てもらいたい景色があるんだ」
『デート、じゃと?』
「精霊だろうが、美女を前に口説かない理由はないさ。私めの申し出を受けていただければ、貴方をネバーランドへ招待させてさしあげましょう」

 ハワードは芝居かかった仕草で手を差し出した。飄々としていて、捉え難くて、そんな賢者につい笑ってしまう。

『汝はずっとわらわを驚かせてくれた、ならば期待してもよいのじゃろう?』
「勿論。宵の森林浴としゃれ込もうか」

 フウリの手を取り、ハワードは軽快な足どりで走り出した。

  ◇◇◇

 ハワードに案内され、森の奥深くへと案内された。
 フウリも見知った場所であるが、こんな所で今更見るような事があるのだろうか。そう思った時。

『お、おおお……!』

 森全体が、突然淡く光り始めた。
 ふわふわと小さな光球が漂い、木々を優しく照らしている。風鈴のような涼やかな音も聞こえてきて、心が自然と落ち着いて来る。

『これは……見た事がない。なんじゃ、この光は』
「ワタリボタルさ。名前通り、世界を旅して回る蛍でね。しかも一度出た場所には二度と現れないから、詳しい生態が分かっていない生き物なんだ」
『……この音色は、羽音か。なんとも綺麗な音を奏でるのじゃな。心なしか、木々が活性化しているような気がするが』
「こいつらは傍に居るだけで、植物の生命力を上げる力があるからな。この蛍が通った跡はより豊かな土地になるんだよ」
『この世に生まれ出でて数百余年、まさかこんな光景に出会えるとはの。……感謝するぞ、賢者ハワード。汝はこう言いたいのじゃろう? テンペストの眷属になって世界を回り、多くの地を豊かにする。それが、わらわの役割なのじゃと……』

「そんな毒にも薬にもならねぇ説法するために連れて来るわけないだろう。逆だよ」
『逆?』

「ワタリボタルは綺麗な土地、つまりは精霊がきちんと活動している場所にしか来ないんだ。こいつらが来るのは、君のやってきた事が常に正しかったって事に他ならない。君がどれだけこの場所を愛しているかの証なんだ」
 ハワードはフウリを光の中へ連れ込んだ。
「これだけ愛している場所なのに、どうして簡単に諦めてしまうんだ? 君は本当にここが好きなんだろう? この地で生きている命を守りたい。それが君の本心なんだろう?」
『……当然じゃろう。テンペストの眷属になど、なりとうない。わらわはずっと、この土地に住み、守り続けたいのじゃ』

「なら我儘を通せばいいだろ」
『じゃが……昔からのしきたりで……』
「んじゃ、誰がそのしきたりを決めたのかな?」
『それは……知らぬ。わらわも先代から聞いただけで、そうせねばと思っていたから……』

「大体よ、おかしなしきたりだと思わねぇか? 人間が神や精霊に供物をささげるのは、彼らのお陰で豊かな生活ができる感謝を示すためだ。それに比べてテンペストはどうだ? ただやってきて花嫁かっさらって、何にも残さずさようなら。こんな不公平なしきたりがどうして存在している、精霊だけが一方的に不公平を被っているじゃないか」
『む……言われてみれば、確かに』

 身近に感じていた物だからこそ、気づかなかった。一方的に金だけ渡して何もない、そんな不条理がどうして存在している?

「しきたりだから、決められた事だから。そんな理由で自分のやりたい事を投げ捨てるなんざもったいないだろう。君にやりたい事があるなら、思う存分我儘になればいい。君がやってきた我儘は決して間違っていないし、そいつをやり通す権利もあるんだからな。最初から諦めちまったら、大事にしてる物を全部奪われるだけだぜ」
『我儘を諦めないか……汝にはないのか? 諦めたり、涙を呑んだ事が……』
「勿論あるさ、ナンパした美女と一発出来なかった時。流石に彼氏持ちや人妻は手を出せないからなぁ、涙を呑んで諦めるしかねぇさ」

『なんちゅう理由じゃ。本当に、汝ほど欲に塗れた賢者は見たことがないわ』
「何言ってるのさ、何かを起こす時には必ず欲が働くもんだろう。金が欲しいから働く、美味いもん食いたいから飯を食う。それと同じさ、好きな場所だから守ろうとする、大事な奴がいるから強くなる。欲があるからこそ行動出来て結果が生まれるんだ。賢者はよく欲を断って道を究める者なんて言うが、そうした道を自ら望んで選んでいる時点ですでに欲に飲まれているんだよ」

『なるほど……一理ある。というより、ある意味真理じゃの』
「だろ? 魔王と戦った時、もし俺様がカインを助けるのを諦めていたら、俺の宝はこの世から消えて一生後悔していただろう。俺様は自分の過去に後悔したくない、だからいつも全力で生きるのを諦めたりしない。やり遂げたい事があるのなら、我慢なんざくそくらえだ。だから君も欲張りになりな、諦めた事を後悔するより、諦めずやり切った自分を褒め称えた方が楽しいじゃねぇか」

 なんて力のこもった言葉なのだろう。ハワードの一声一声に、重い魂が宿っている。賢者の言葉は、フウリの心を激しく揺らしていた。

「聖獣に関しては、俺様もよく分かっていない。だからよ、謎を解き明かしてみないか? なぜテンペストが風の大精霊を眷属にしようとするのか。そしてどうして突然、精霊が呪いに冒されてしまったのかも、ついでにな」
『呪いだと? あれは、病ではないのか?』
「病に見せかけた呪いだ。あれは自然発生した物じゃない、誰かが精霊に仕掛けた性質の悪い魔法だよ。君の守るべき土地には今、多くの謎が集まっているんだ。この土地を愛する精霊として、放っておいていいのかい?」

『いいわけがない。わらわの同胞をあのような目に遭わせておいて、その黒幕がのうのうと生きているなど、我慢ならぬ!』
「ほぅら、君にも欲が出た。どうだい? どんなに逃げようとしたって、欲望から逃げる方法なんかないのさ。だったら、我儘に振るわなきゃあな。しかも都合よく、ここに君の我儘を聞いてくれるナイスガイが居ると来たもんだ」

 ハワードは胸を叩いた。

「今の俺は真摯な紳士だ。美女が一言囁けば、宇宙だってひっくり返してやるさ。だから言いな、君の願いを。天下無双の最強賢者が、君の望みをかなえてやるよ」
『……不思議じゃの、人間ごときが、こうまで精霊の心を揺らしてしまうとは』
「心が揺れ動くのは当然さ。なぜなら、俺がハワード・ロックだからだ」

 心の底から納得のいく決め台詞だった。
 話すうちに、フウリは彼に強く惹き込まれていた。揺るがぬ強さと崩れぬ自信、何より確固たる意志を持つ。ハワードは魅力の塊だ。

『わらわは、知りたい。テンペストがなぜわらわを望むのか、そして精霊に病を広めた者が何者なのか。そのために汝の、賢者の力を貸してくれ。ハワード・ロック』
「Surely! 麗しき精霊の依頼、確かに賜ったぜ」

 二つ返事で快諾し、ハワードはウインクした。
 彼ならば、この身を預けられる。そう思わせる力が、この賢者にはあった。

『これでは、精霊なのに落ちてしまうではないか……恋という、深淵に』

  ◇◇◇

「素晴らしい、風の大精霊をこうも簡単に救ってしまうとは。素晴らしいです、ハワード・ロック。流石ですハワード・ロック」

 その人物はハワードを賞賛し、拍手を送っていた。
 かの人物から感じるのは、純粋なる尊敬の感情だ。眼下で行われている精霊の救済、ハワード・ロックにしかできない事を、心の底から称えていた。

「貴方は本当に素晴らしい、世界最高の賢者です。貴方はもっと世に広まるべき至高の賢者、より名を高めるべき世界の宝。だからこそ私が貴方を磨き上げます。貴方の価値をより高め、貴方をさらなる唯一無二にするために。そのためにも、貴方の働きに期待していますよ」

 その人物は振り向いた。
 そこには、力強い鋼の翼を携えた巨鳥。聖獣テンペストが静かに眠っていた。
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