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49話 世界一頼りになる男

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 事務仕事を終え、セピアは長い息を吐いた。
 気付けばもう真夜中だ。万年筆を置き、書類を整理しているクロノアを見やる。

「今日はご苦労だったな、遅くなったしあがっていいぞ」
「姉様はどうするの?」
「少しだけ整理してから寝るよ。それと姉様ではなく団長、敬語も忘れるな」
「今は二人きりだからいいでしょ」

 クロノアはにへっと笑った。我が弟ながら、甘え上手だと思う。堅苦しいセピアとは違って、クロノアは世渡り上手だ。
 弟のそんな面が羨ましくもある。自分にももう少しクロノアのような柔軟性があればと常々思う。

「ハワード氏、まだ起きてるかな? 短い時間でもお話出来れば……」
「止めておけ、真夜中に訪室するのは失礼だろう」

「ちぇっ、姉様がこき使うから時間無くなっちゃったじゃないか。カインが羨ましいなぁ、ハワード氏に指導付けてもらったなんて一生自慢できるよ」
「そうだな……ハワードと一緒に居られるなんて、羨ましいな」

 思わず零れた本音にクロノアがきょとんとする。はっとして、セピアは激しく首を振った。

「早く部屋に戻れ馬鹿! 今のはなしだ、他言無用だぞ!」
「はーい」

 弟がにやにやしながら出て行く。セピアは手早く片づけを済ませ、部屋へと戻った。
 一人になると、またしても不安が募ってくる。得体のしれない恐怖や心配が湧いてきて、胸がざわついてきた。
 同時に幻聴も聞こえてくる。それどころか、幻視まで見えてきた。
 セピアに向けて罵詈雑言を向ける民衆、王からの冷たい目、部下達からの視線。全てが彼女の心を削り、追い詰めていく。
 ハワードに会いたい。彼の傍に居ないと、寂しさで身が擦り切れそうだ。

「だめだ……甘えたら、ハワードにすら……幻滅される……そんなの、嫌だ……」

 ペンダントを外し、床頭台へ置く。セピアは無理やり眠りについた。

  ◇◇◇

 次の瞬間、セピアは真っ暗な場所に居た。
 ここはどこだ? あたりを見渡しても、誰もいない。
 不安になってクロノアを呼ぼうとしても、声が出ない。体も動かない。すると瞬いた直後、突然血まみれになって倒れる弟の姿が浮かんだ。

 クロノアだけではない。部下達は勿論、リサにアマンダ、カイン達勇者パーティの亡骸も。
 そしてその中には……ハワードの死骸もあった。

「ハワード……ハワードぉぉぉぉぉっ!」

 絶叫と同時にセピアは飛び起きた。息は切れて、額から大量の汗が滴り落ちている。
 セピアは暗闇の世界から抜け出し、自室に戻っていた。

「ゆ、夢……か? ハワード……!」

 いてもたってもいられず、セピアはハワードの下へ駆け出した。
 部屋に転がり込むなり、ハワードが驚いた様子でセピアを見やる。彼は月を見ながら、バーボンを煽っていた。

「よかった……無事で、ハワード……」
「これはこれは、月見酒の最中に女神の来訪とはまた、重畳なこった。夜中に無防備な姿で男の部屋へ飛び込む意味、分からないほどウブじゃあないよな?」

 ハワードは軽口交じりにセピアを迎えた。セピアは涙目で彼を見上げ、胸に飛び込もうとした。
 だけどその前に、ハワードに止められてしまう。

「セピアちゃん、ペンダントはどうした?」
「え? ペンダント……!」

 血の気が引いた。床頭台に乗ったままだ。
 刹那、衝撃音が響く。ハワードと共に部屋へ戻ると、そこには……。

「キング!?」

 そう、壁を粉砕して、奴が居たのだ。手にはレグザの石が握られている。

「レグザの石、確かにもらい受けた」
「か、返せ!」
「それは聞き入れられんな」

 キングは踵を返し、逃げようとする。しかしその前に、ハワードが飛び込んだ。

「淑女の部屋に押し入って下着を盗むとは。王様がやるにしてはせこくねぇか?」
「貴様にだけは言われたくないな下着泥棒」
「下着泥棒じゃねぇ、恋泥棒さ」

 ハワードはにやっとすると、キングを右ストレートで粉砕した。血も肉も飛び散らず、煙となって消え去る……あのキングは分身だ。
 転がったレグザの石を拾い上げ、ハワードは眉間に皴を寄せた。
「やられたな、偽物だ。本物はとっくに奪われてるか」
「左様。すでに我がオリジナルが当主様の下へ届けている」

 向かいの屋根に、キングの分身が立っている。キングはセピアを見下ろし、あざけるように笑った。

「【透明化】のスキルを甘く見たな。これはただ姿を消すのみにあらず、探知系のスキルから身を隠す力があるのだよ」
「へぇ、俺様の目を欺くとはなぁ。ドラッグのブーストまで使って、酒の肴としては贅沢なもんだ。……てめぇ、セピアに何を仕掛けやがった?」
「別に。何も。ただ魔人ならば賢者を殺せると言っただけだ。同時に、その女がどれほど無力な存在なのかを、しっかりと教えてやった。それだけの事だ」
「なるほどな……要するにセピアの不安や恐怖に付け込んで、言葉で誘導しただけか」

 人の心を操るのに、スキルなど必要ない。誹謗中傷、コンプレックスを刺激するだけで、人間は破滅に走るもの。

「人は誰しも不安や恐怖を抱えて生きている。それを少しでも膨らませてやれば、あとは勝手に自らの心を追い詰めてくれる。その女は我の言葉に惑わされ、自ら墓穴を掘っただけだ」
「はっ、人の弱味に付け込むだけの湿気た話術だ」

「だが愚民には効果的だろう。自ら不安を煽り、勝手に悪夢を見て、己が首を絞める。所詮愚民など、王の声にすら歯向かえぬ無力な者なのだよ」
「四の五のうるせぇ奴だ、人の悪口言って楽しいか? 俺様にゃあ一ミリも理解できない趣味だぜ!」

 【シードライフル】で分身を撃ち抜き、ハワードは片目を閉じた。
 騒ぎを聞きつけ、兵達が駆け寄ってくる。しかし、時すでに遅し。

『さらばだハワード・ロック。今夜は貴様の最期の就寝時間となる、精々惰眠を貪る事だな』
「なら注意しときな、夢遊病の賢者がいびき交じりにテメェらを潰しに行くだろうからな」
『忠告、素直に受けておこう。では、さらばだ!』

 キングの高笑いが闇夜に響く。入れ違いで、クロノアたちが入ってきた。

「姉様! 今のは一体……」
「クロノア……それが……」
「わりぃ、俺様のミスだ。レグザの石を奪われちまったよ」

 セピアは息を呑んだ。セピアの失態を身代わりしたハワードに、糾弾の声が上がる。

「まぁまぁ落ち着きなさいって。俺様に黄色い声を上げる前に、アイドルの私物を盗んだファンを追いかけるのが先じゃあないかな?」
「た、確かに。急いで追跡を! 指揮は俺が取る!」
『はっ!』

 兵達が大急ぎで去っていく。それを尻目に、アマンダとリサがやってきた。

「一杯食わされましたね、キングの名は伊達ではなさそうです」
「んで、どうするのハワード。石、盗まれたんでしょ? このままだとあんたの責任になっちゃうけど」
「ならないよ。むしろ話が分かりやすくなった、塔の魔人を倒せばハッピーエンド。だろう? 俺様だからこそ出来る解決策さ。塔の魔人だろうが、俺様に勝てるわけねぇからな」

 ハワードは笑い飛ばした。セピアが負うべき責務を全部請け、一人で解決しようとしている彼に申し訳なくて、セピアは唇を噛んだ。

「ハワード……済まない……」
「んー? 俺様なんか君にしたかな? そりゃまぁ、魅惑的な桃尻振って部屋に突撃されちゃあついつい手が伸びちゃうけどさぁ」

 ハワードはしらばっくれてから、

「クロノア&ハワードガールズ、キングの捜索、先に行ってて頂戴。彼女が化粧直しをするのに少々時間がかかりそうなんでね、後で追いつくよ」
「かしこまりました。それではクロノア様、私達は先行いたしましょう」
「え、あ、はい?」
「いいから空気読む。ハワード、ちゃんと追いつきなさいよ」

 アマンダとリサに背を押され、クロノアが出て行く。ハワードは指を鳴らして人避けの結界を張り、セピアに両腕を広げた。

「ほら来なよ。ここには俺様と君だけしかいない、今だけは仮面をはがして、女に戻っていいんだぜ」
「……ハワード……っ!」

 セピアはハワードに抱き着いた。賢者は優しくセピアを包み、髪を撫でてくる。

「私は、何度失態を繰り返せばいい……ザナドゥにレグザの石を奪われてしまうなんて……私は……団長失格だ……」
「ん、辛かったな。けどよく頑張った。たった一人で色んなもの背負って、大変だったろう? 全部、涙と一緒に流してあげなよ。たまには自分に甘くなったっていいんだからな」

 ハワードの優しさに触れ、セピアは泣き続けた。
 彼女は初めて人に弱さを見せていた。近衛兵団長として自身を律し続け、そのうちに積み重ねていた苦しみを、全部ハワードに受け止めてもらった。

「君は挫折を知らな過ぎるんだ。一度挫折した心ってのは、自分が思うよりもずっと傷ついているんだよ。そいつを治さずに頑張り続けたら、そりゃあこうなっちまうさ。自分に厳しいのはいい事だが、厳しすぎちゃあよくないな。苦しんでいる自分を無視するのは、ただ自分を大事にしていないだけだ」

「では、どうすればよかった……私には、頼れる人なんか……」
「ここに居るじゃねぇか」

 ハワードはウインクし、自身を指さした。

「胸に手を当てて、自分の姿を一歩離れて見てごらん。今の君は、どんな姿をしているかな」
「……小さい。自分の情けなさを嘆いて、泣いている」
「なら、泣いている自分をどうすればいい?」
「分からない……このような事は、初めてだから……」

「俺様がやっているように、抱きしめてやればいいのさ。自分の心が傷ついているのに厳しくしたら、心は傷ついていく一方だ。自分を苦しめたって、喜ぶ奴なんか誰もいない。君の心の傷と涙は、誰かの傷と涙になってしまうんだ。だから、自分に優しくしてやりな。そいつは甘えでもなんでもない、傷ついたセピアの心に包帯を巻けるのは、君しか居ないんだよ」

 ハワードに諭され、セピアは自分を抱き寄せた。
 自分を俯瞰して見ると、酷く傷つき、ボロボロになっているのが分かる。幾度もの挫折を受け、セピアの心は限界に達していたのだ。

「自分の事に気づかず、こんなにも痛めつけていたのか……全身傷だらけで、痛々しくて……なのに私は無視して……はは、馬鹿だな私は」

「けど気付けたんだ、それだけでも凄いよ。だから、自分を休ませてやりな。こっからは俺が戦う。誰かに守ってもらうのは、決して情けない事じゃない。誰かに頼るのも、自分の力の一つなんだ。都合よく、ここに世界一頼りになる賢者も居るわけだしな。
 だから今は俺様に寄りかかりな。少し休んで、思い切り泣いて、そしたらもう一度立ち上がれるさ。ひび割れた心を癒せば、自然と失った誇りも取り戻せる。君に足りないのは、誰かに甘える強さだ。甘えは決して弱さじゃない、人に支えてもらえるのは、確かな強さだよ。
 誰に何言われたっていい、君の頑張りを見ている人は必ず傍に居る。周りの心無い声なんか、無視して『うるせぇばーか!』って言い返せばいいんだ。それで余計攻撃されたら、遠慮なく俺様の背中に隠れな。世界の全てが君の敵になっても、俺だけは君の味方だからな」

 ハワードはセピアの背をぽんぽんと叩き、それに勇気づけられて、彼女は囁いた。

「ハワード、私を、助けてくれないか……苦しくてもう、一人じゃ立てないんだ……こんな弱い私でも、貴方なら……甘えたって、いいんだろう……?」
「勿論。君が背負っている重たい荷物、全部まとめて俺が抱えてやる。俺なら……いいや、俺だけが君を救う資格を持っているからな」
「……どうして?」
「なぜなら、俺がハワード・ロックだからだ」

 力強く、説得力のある決め台詞だった。
 ハワードの胸によりかかり、セピアは初めて他人に身を任せた。
 賢者の鼓動は熱く、激しいビートを奏でている。聞いているだけで、不安が氷のように溶けていく。
 ハワードなら、必ず自分を救ってくれる。セピアは確信を抱いた。

  ◇◇◇

「よくぞレグザの石を手に入れた。褒めてやるぞ、キングよ」
「光栄の極み」

 キングは恭しく首を垂れ、党首の言葉を受け取った。
 レグザの石を手中に収め、塔の魔人を目覚めさせる準備は整った。
 儀式は明朝行う。世界に新たなる支配者、ザナドゥの名を知らしめるために。

「我らが野望の供物として、貴様の亡骸を捧げてやろう、ハワード・ロック。明日が貴様の命日だ!」

 党首は両腕を広げ、高らかに笑った。
 彼の目には、果てしない野望の光が宿っていた。
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