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106 理想
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「ふぅむ・・・金貨が軍事力以上の力か・・・」
秋の収穫で忙しくなる前にユーリさんに会いに来た。仕事ばかりしている生活になると、女性以外の潤いを求めてしまう。自由人であり知識人であるユーリさんはこういう話の相手にはもってこいだ。
「虚論のようにも聞こえるが、実があるようにも聞こえる。不思議な話だな」
先日のリーベリ宰相と王妃とのやり取りをユーリさんに話した。虚論とは空想上の理屈であり、実論と真逆のものの捉え方だとユーリさんに教わった。
「実際に有効だと思います。これからゆっくりとペテルグは大きな力をつけてゆくでしょう」
「すぐに納得のゆく話では無いがな。やはり傑物の類であったか、あの王妃は」
ユーリさんを持ってしても、全体を推し量ることができぬ類の決断であったということになるか。
「おそらくだが・・・王妃が考える理想の大きな一翼を担っているのであろうな、武力に依らぬ平和というものは」
ユーリさんに言われてハっとした。王妃がどのような理想を求めているのか、俺は考えたことが無かった。だが王妃の理想は俺の理想とも一致する。女性が売られない世界、殺されない世界、女性が好きな男に抱かれる世界だ。
「王妃が考える理想のために、少し働いてみようかと思います」
「なにか響くものがあったようじゃが、あまり思いつめることは無いぞ。理想はしょせんは理想じゃ」
こういう言い方についつい笑ってしまうな。この気安さがユーリさんだ。
「虚論の話を持ち出したのはだな、これを見てほしいからだ」
俺はユーリさんが出した走り書きに目を通した。直角三角形の斜辺を1とした数式。三角関数の応用だな。
「こうで、こうで、こうじゃろう?」
思い出した。三角関数はこうやって使うんだった。
「水車か風車を見て気づいたのですか?」
「去年の秋くらいから水車が増えとるからのう。これが使えれば虚論の水車の恩恵を余すところなく使えると思うての」
三角関数はその成り立ちから、回転運動との相性が非常にいい。ヒントがあったにしても、独力でここにまで辿りつくものなのか。
「ワシのグライダーがただ飛ぶだけではのう。せっかくなのだから自由に飛べる方がいいと思ってな」
グライダーの図面も見せてもらった。この図は・・・なるほど、方向舵をつけようということか。まだまだ空を飛ぶことへの情熱は消えないのだな。この人もまた理想に向かっているのか。
とりとめもなく進んでいく雑談の中のふとした思いつきが、別のものへと繋がった。
水力によってアンナが持っていた機織り機を自動化できるんじゃないのだろうか?
作れる布の質は手織りに敵わなくとも、清潔な布が安く手に入ればやれることの幅は増える。ドワーフが作った穀物由来の高純度アルコールに、工業製品としての布、ペテルグの豊富な水、それに近々起こるであろうチュノスとの戦争・・・
「アラヒト?」
「戦争で怪我を負ったとき、軍は兵をどうしますか?」
「そりゃ血が出ないように適当に縛って、後方に引っ込めさせるじゃろう」
「引っ込めた兵はどうなりますか?」
「数日は使いものになりません。そのまま戦場から離脱させることもあります」
サーシャがユーリさんに代わって答えてくれた。
使えそうな気がしてきたな。俺は怪我の手当てについて説明した。清潔な水と包帯を用いた応急処置の考え方は、俺が居た世界でも近代以降のものだったはずだ。
「そういうやり方があるのですか。ドワーフの火酒を使うのは少々勿体ない気もしますが」
「・・・いや、必要な時に必要な数の人間が揃っているというのは、軍を率いる人間にとってはどのような対価を払ってでも欲しいものであろう」
ユーリさんの言葉に俺も頷く。
そもそもこの世界では個の主張が激しく、集団戦の弱さが問題だった。軍事教練は進んでいるが、軍の損耗率や稼働率まで考えて運用するという発想はまだ無い。
「どのような局面でも軍が数で優位を取れるようにする、という発想ですか・・・」
サーシャの反応を見る限り、どうやら使えそうだな。包帯が量産化された時にでも衛生兵の作成をムサエフ将軍に具申してみるか。
「アラヒトよ」
「はい?」
「愉快に理想の話をしていたというのに、心は戦の中にあるのか?」
空を飛ぶ楽しい話が、俺のアイディアひとつできな臭くなってしまったな。
「軍隊を使わない国の強さの話もいいのですが、やはり弱き人々を守るための軍隊の力というものもまだまだ必要でしょう。チュノスはまた攻めてくるでしょうし」
観念したかのように、ユーリさんは鼻から息をついた。
「襲ってくる力を跳ね返すための力というものも、まだまだ必要なのだな」
金貨だけではチュノスを追い払うこともできないだろう。女性を守れる国であるためには、まだまだ足りないものがあるし、たぶん永遠に足りるということは無いんだろうな。
「なんの力も無く理想だけ求めるというのは、ただの虚論となるか」
空を飛ぶことだけを考えて生きていて、なにが悪いのかという言い方だな。この人らしい。
秋の収穫で忙しくなる前にユーリさんに会いに来た。仕事ばかりしている生活になると、女性以外の潤いを求めてしまう。自由人であり知識人であるユーリさんはこういう話の相手にはもってこいだ。
「虚論のようにも聞こえるが、実があるようにも聞こえる。不思議な話だな」
先日のリーベリ宰相と王妃とのやり取りをユーリさんに話した。虚論とは空想上の理屈であり、実論と真逆のものの捉え方だとユーリさんに教わった。
「実際に有効だと思います。これからゆっくりとペテルグは大きな力をつけてゆくでしょう」
「すぐに納得のゆく話では無いがな。やはり傑物の類であったか、あの王妃は」
ユーリさんを持ってしても、全体を推し量ることができぬ類の決断であったということになるか。
「おそらくだが・・・王妃が考える理想の大きな一翼を担っているのであろうな、武力に依らぬ平和というものは」
ユーリさんに言われてハっとした。王妃がどのような理想を求めているのか、俺は考えたことが無かった。だが王妃の理想は俺の理想とも一致する。女性が売られない世界、殺されない世界、女性が好きな男に抱かれる世界だ。
「王妃が考える理想のために、少し働いてみようかと思います」
「なにか響くものがあったようじゃが、あまり思いつめることは無いぞ。理想はしょせんは理想じゃ」
こういう言い方についつい笑ってしまうな。この気安さがユーリさんだ。
「虚論の話を持ち出したのはだな、これを見てほしいからだ」
俺はユーリさんが出した走り書きに目を通した。直角三角形の斜辺を1とした数式。三角関数の応用だな。
「こうで、こうで、こうじゃろう?」
思い出した。三角関数はこうやって使うんだった。
「水車か風車を見て気づいたのですか?」
「去年の秋くらいから水車が増えとるからのう。これが使えれば虚論の水車の恩恵を余すところなく使えると思うての」
三角関数はその成り立ちから、回転運動との相性が非常にいい。ヒントがあったにしても、独力でここにまで辿りつくものなのか。
「ワシのグライダーがただ飛ぶだけではのう。せっかくなのだから自由に飛べる方がいいと思ってな」
グライダーの図面も見せてもらった。この図は・・・なるほど、方向舵をつけようということか。まだまだ空を飛ぶことへの情熱は消えないのだな。この人もまた理想に向かっているのか。
とりとめもなく進んでいく雑談の中のふとした思いつきが、別のものへと繋がった。
水力によってアンナが持っていた機織り機を自動化できるんじゃないのだろうか?
作れる布の質は手織りに敵わなくとも、清潔な布が安く手に入ればやれることの幅は増える。ドワーフが作った穀物由来の高純度アルコールに、工業製品としての布、ペテルグの豊富な水、それに近々起こるであろうチュノスとの戦争・・・
「アラヒト?」
「戦争で怪我を負ったとき、軍は兵をどうしますか?」
「そりゃ血が出ないように適当に縛って、後方に引っ込めさせるじゃろう」
「引っ込めた兵はどうなりますか?」
「数日は使いものになりません。そのまま戦場から離脱させることもあります」
サーシャがユーリさんに代わって答えてくれた。
使えそうな気がしてきたな。俺は怪我の手当てについて説明した。清潔な水と包帯を用いた応急処置の考え方は、俺が居た世界でも近代以降のものだったはずだ。
「そういうやり方があるのですか。ドワーフの火酒を使うのは少々勿体ない気もしますが」
「・・・いや、必要な時に必要な数の人間が揃っているというのは、軍を率いる人間にとってはどのような対価を払ってでも欲しいものであろう」
ユーリさんの言葉に俺も頷く。
そもそもこの世界では個の主張が激しく、集団戦の弱さが問題だった。軍事教練は進んでいるが、軍の損耗率や稼働率まで考えて運用するという発想はまだ無い。
「どのような局面でも軍が数で優位を取れるようにする、という発想ですか・・・」
サーシャの反応を見る限り、どうやら使えそうだな。包帯が量産化された時にでも衛生兵の作成をムサエフ将軍に具申してみるか。
「アラヒトよ」
「はい?」
「愉快に理想の話をしていたというのに、心は戦の中にあるのか?」
空を飛ぶ楽しい話が、俺のアイディアひとつできな臭くなってしまったな。
「軍隊を使わない国の強さの話もいいのですが、やはり弱き人々を守るための軍隊の力というものもまだまだ必要でしょう。チュノスはまた攻めてくるでしょうし」
観念したかのように、ユーリさんは鼻から息をついた。
「襲ってくる力を跳ね返すための力というものも、まだまだ必要なのだな」
金貨だけではチュノスを追い払うこともできないだろう。女性を守れる国であるためには、まだまだ足りないものがあるし、たぶん永遠に足りるということは無いんだろうな。
「なんの力も無く理想だけ求めるというのは、ただの虚論となるか」
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