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わたしの働く場所 5

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「さ、先ほどもう帰ると言ってましたのに……」
困ったように首を傾げるアリシアお嬢様を見て、ソフィアが深々と謝った。

「お嬢様に誤った情報をお伝えして申し訳ございませんでした。メイドの研修でお嬢様のお部屋の案内をしたかったものでして」
「別に謝らなくてもよろしいですわ。ただ、一声かけて頂かないと、万が一、その……、あなたたちの上に足を乗せてしまいましたら、わたくし困ってしまいますわ……」

アリシアお嬢様はかなり言葉を選びながら伝えてくれた。踏み潰してしまったら、なんて言ったら、わたしたちを怯えさせてしまうから。もっとも、そんなアリシアお嬢様の配慮は先ほどわたしのことを巨大な靴で蹴っ飛ばしてきたエミリアのせいですでに台無しになっているのだけれど。知らない間にアリシアお嬢様のショートブーツに襲われてしまうところが脳裏によぎって震えてしまっていた。

ソフィアは「大変申し訳ございませんでした」ともう一度深々と頭を下げてから、エミリアに声をかけた。
「エミリアさん、定規を借りてもよろしいですか?」
ソフィアがサッと机の上を走って、巨大な木の板みたいな定規を手で指し示した。

「もちろん問題ありませんが、何をするのですか?」
「ええ、少しこの子に現状の把握をしてもらおうかと思ってまして」

わたしの方をチラリと見てから言ったのを聞いて、納得した。わざわざここまで来てソフィアがしたかったことを。何も言わずともエミリアも理解したようで、定規をわたしのすぐ横に立てた。異常にメモリの大きな定規を見せられてしまった時点で、もう気落ちしていた。巨大なエミリアの指が黙ってわたしのことを摘んで、強引に定規と背中合わせにした。

「も、もうちょっと丁寧に掴んでくださいよ!」
そんなわたしの声にエミリアが聞く耳を持つわけがない。
「背筋伸ばしてください」と冷たい声だけが返ってきた。ソフィアに話す時にはどことなく嬉しそうなエミリアの声は、わたしに話しかける時には感情のない機械みたいになっている。

無理やり定規に頭をくっつけられて、身長を測られてしまった。
「7センチと7ミリってところですかね」
エミリアは巨大な瞳をじっと凝らしてメモリを読み上げていた。

「一応これがあなたの身長ですけど、まだ現実逃避しておきます? このメモリも巨人用に10倍にしているとでも考えますか?」
ソフィアが小さな声でわたしに語りかける。
「それでも、元の身長の半分ですよ……」
「じゃあ100倍?」
「それじゃあわたしが巨人じゃないですか……」

小さくため息をついたのと同時に体の力がドッと抜けて、その場に座り込んだ。もしここが巨人用の屋敷だと想定した時に、他の生活用品は巨大な貴族たちが過ごしやすいように大きく作っているというのは理屈に合う。だけど、サイズを計測するための道具のメモリを変えたら、それは道具としての機能を果たさなくなる。だから、ソフィアはここにきてわたしの身長を測らせようとした。わたしは元の身長のおよそ20分の1程に小さくなっている。

そう思って、深呼吸をしながら立ち上がり、周りを見渡す。わたしのことを心配そうな瞳で見つめているアリシアお嬢様や、冷たい目で見下ろすエミリアは、机の上で立っているわたしのことを見下ろしていた。先ほどまでアリシアお嬢様が使っていたペンはわたしの背丈よりも余裕で高い。本だって、ノートだって、マグカップだって……。

何もかも大きな世界がわたしに襲いかかってくるように錯覚して、ふらりと足元がぐらつく。その場に倒れ込みかけた時にソッとわたしの体を抱きかかえてくれたソフィアだけが、安心できるサイズだった。

「ソフィアさん、何ですか、これは……。わたし、悪い夢でも見てるんですか……?」
「カロリーナさん、落ち着いてください。とりあえず、これは現実ですけど、悪いことばかりではないですよ。楽しいことだって、たくさんありますよ」
「訳わかんないです……」

そのままショックでわたしは気を失ったらしい。アリシアお嬢様が心配そうにわたしの名前を呼んでくれていたことくらいまでしか記憶はなかった……。
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