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緋崎辰也

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第四章 森ヲ噛零一

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〚こんなにたくさんの人を殺害していながら、一向に正体が不明であるのは一体どういうことなのでしょうか〛

〚証拠があまりにも少ない。周辺の防犯カメラにも、怪しい人物は映っていませんから······〛

〚ただ、人道からは逸脱した行いです〛

〚まるで鬼や悪魔の所業ですね〛

    昨年の六日連続殺人事件以降、“レイイチさん”に関するニュースの報道数は少なくなりつつあったのだが、昨日の捕縛事件で再燃していた。

    真偽は定かではないが、“レイイチさん”の血痕が発見され、警察も大きく動きはじめた。

「······やっぱり、テレビは偏ったことしか流さないな」

    鈴木飛鳥はあざ笑い、テレビを消した。
    プリンターの方はまだ時間が掛かりそうなので、終わるまでスマホで“レイイチさん”のことを話題にしているページをながめる。

    そこはまさに賛否両論で、まとまりがなくごちゃごちゃしていた。

〚“レイイチさん”は悪を倒す正義の味方って感じじゃないけど、いい人だろ〛

〚“レイイチさん”が殺人をしていた多くは長期休みのとき、もしくは長期休みが明けたとき。子供たちが悩みやすい時期と重なっているのには、わけがあるんだろう〛

〚“レイイチさん”は救世主!    社会が助けてくれない“死望者”を望み通り助けているんだ〛

    ───どいつもこいつも馬鹿だ。殺人が重罪であることを忘れているのか?
    まだ幼い子供たちや、懸命に生きていた病気の人なんかも被害に遭っているんだぞ。

    かわいそう、という簡単な言葉で済まそうなど、私が許さない。

〚どんな事情があれど、やっぱり殺人はよくない〛

〚“レイイチさん”は殺すことで全部終わらせようとして、問題から逃げてる。助ける方法を間違えているんだ〛

〚“レイイチさん”は悪魔。人の皮を被った最悪最低の悪魔〛

    ───バンっ、と乱暴にスマホを壁に投げつける。画面がヒビ割れ一瞬暗くなったが、壊れていない。
    同じページを映し続けるスマホをにらみつけ、飛鳥は奥歯をきつく噛んだ。

「助けられなかったくせに、助けられなかったくせに、助けられなかったくせに、助けられなかったくせに」

    みんな助けられない。どんな手を使っているのか知らないが、“レイイチさん”は“死望者”のところへ───すぐ側まで行くことができる。
    私だったら絶対に助けるのに。

“レイイチさん”はあの子を助けなかった。
    絶対に忘れない。あの声。
    許さない。
    殺人鬼め。

「助ける、助けるからね」

    プリンターはお利口だ。きっちり設計通りに動いている姿を一瞥し、わらう。

    ───これでいい。
    そう······死ねば全部終わるから。

    どんなにいい人であっても、どんなに悪事を働いたやつでも、そこに存在するなら平等にあるのは“死”だ。確実に来る。

「いつか必ず死ぬから、放っておけばいいなんてぬるいことしない。
    悪を殺すことには意味がある。私が殺すことにだって意味がある。私が殺せば、あの子だって───」

    ありがとう。そう言ってくれるはず。




    *   *   *




“レイイチさん”の正体が、二十三年前に行方不明になっていた女性だと、速報で報じられた。
    捕縛事件から二日後のことだった。

    名前は士草澪。年齢は三十六。

    小学校の卒業アルバムの写真がテレビに映り、全国に指名手配された。
    すぐに実家のある静岡県‪✕‬‪✕‬市に報道陣が入り、現場中継がはじまる。

〚はい、私はいま、指名手配中の士草澪容疑者の実家の前に来ております。現在、家のカーテンはすべて閉じられており、その中を確認することはできません───〛




    *    *    *




    現場中継がはじまる四時間前。
    警察関係者が家を出ていった直後、母が感情を爆発させた。

「なんっだってあいつは今さらあたしを苦しめるんだああ!!」

    母は愛用していた皿や、普段から使っている茶碗を床に叩きつける。派手に砕け、破片が四方八方に飛び散る。
    リモコンをテーブルの端に殴りつけ破壊した。

    水斗と雫は、暴れる母を見ていることしかできず、リビングの端で身を寄せあっていた。

「······破片、飛んできてないか?」

「大丈夫······」

    お互いに確認し合い、母が落ち着くまで黙ってその場で待った。下手なことを言うとこちらにも危険が及ぶ。

    それぞれの仕事場にいた二人は、突然警察からの連絡を受け、急遽自宅へ戻った。
    そこで姉の澪が殺人犯として指名手配されることを知らされたのだ
    それから一歩も家の外へ出ることは許されず、家宅捜査が行われた。当時家にいた母も終始ぼう然とし、早々に警察が立ち去るまで玄関で突っ立っていた。

    水斗も雫もいろんなことを訊かれたのだが、ほとんど憶えていない。

    澪の物はとっくの昔に母が処分していたし、この家で澪の名が出る機会など、あの日を除いて一切なかった。
    それほどまでにも、ここに澪の形跡は残っていないのである。

    警察が押収していったものといえば、ダンボールたったの二箱分のみ。その中には二人と母のスマホもある。
    きっといま頃会社から電話が来ているだろう。それ以外では、まったく澪と関係ないものばかりだった。

    警察は澪が実家にいないとわかると、驚くほど早々に出ていき───しかし、どこかで見張られている気がする。

    操り人形の糸がぷつりと切られたように、母が椅子に座った。沈黙する母の背を確認し、水斗と雫はそっと二階へ上がる。

「ほんとに、澪姉さんが“レイイチさん”なのかな······」

    水斗は信じられないでいた。
    はっきり憶えているかといわれると自信はないが、それでも澪がこの家を出ていった夜のことは忘れていない。
    自分のことを心配して、「来ちゃだめ」と首を振っていた。その澪が殺人犯だなんて、すぐに受け入れられるはずがない。

「でも、警察だってちゃんと調べてるはず······───“レイイチさん”は、お姉ちゃんだったんだ」

    雫はスーツの内ポケットから、手作りの小袋を取り出す。

「私、不謹慎だけど、ちょっとうれしい。お姉ちゃん、生きてるんだね」

「······うん。フクザツ、だよな」

    あの日を境に生死不明だった姉は、生きていた。
    そして何年も前から殺人事件を起こしていたのだ。
    度々ニュースになっていた“レイイチさん”として。

    殺人鬼として───。

「───あ、お兄ちゃん、あそこ」

    なにかに気づいた雫が廊下の窓の外を指さす。見ると、近所の人たちがこの家の周辺に集まってきていた。

「······カーテン、閉めよう。全部」

    SNSでの情報網がすさまじいこの時代、もう隠すことも逃げることもできない。そのうちテレビでも家が流れるだろう。

「やばいことになりそうだな······」

    水斗はこれから起こるかもしれない可能性を思い浮かべ、恐怖を覚えた。




    *    *    *




    澪が指名手配されてから、四日が経っていた。
    ここに“レイイチさん”はいないと分かっているはずなのに、報道陣をはじめ野次馬は連日士草家の前に張り付いていた。

    四日。
    そのはじまりの日から来ていた鈴木飛鳥も、野次馬のひとりであった。
    当然飛鳥も“レイイチさん”がいないことは知っている。それでもなおここに留まっているのは、ある計画があるからだった。

    一日目に、指紋や唾液がつかないよう注意しながら、脅迫状を郵送で士草家に送り付けた。
    やはり郵便物も警察が徹底的に調べていて、ターゲットに読まれることなく回収されてしまった。
    それも想定内であったので、飛鳥は次の手を用意する。

    簡単なことだ。石を投げ込むだけ。しかし、それをしたのは飛鳥ではなく別の野次馬だった。どこで見ていたのか、そいつは駆けつけた警察に連行されていった。

    三日目になると近所の者たちはおらず、むしろ騒ぎを起こす連中や、しつこい取材でうんざりしているようだった。

    そして四日目。数はやや減ったが、それでも初日からずっといる強者もいて、その光景はまるで有名人の出待ちをしているようである。
    そう。野次馬のなかには、“レイイチさん”のファンもいるのだ。「もしかしてあなたも“レイイチさん”を待っているんですか?」と聞かれたこともある。
「ええ、そうです」と飛鳥はうそ偽りなく言った。

    強者、というかファンの間ではよく知られた情報で、“レイイチさん”は驚くことに、なんの前触れもなく唐突に現れる。彼らはそれを待っているのだ。

「そんな魔法みたいなこと、あるはずないのに」

    飛鳥は“レイイチさん”を信じているやつらのことを心底馬鹿にしている。瞬間移動だの、神の力だの、そんなものあったらいま頃世界は変わっているのだから。

    確実に変わっているであろうものは、士草家の人間たちだ。
    毎日取り囲まれ、絶えず人の目が向いている。暴言を大声で叫ぶやつもいるし、投げられた石は窓を割っていた。
    四日間でどれほど精神を追い詰められていることか。───これが飛鳥の狙いだった。

    士草澪には母と弟と妹がいるらしい。その三人がこの中にいるならば、追い詰められた彼らがどんなことを思うか。

    ───死にたい。

    そう願えば、やつが来るのだ。
    飛鳥はそこを狙っている。この有象無象のなかにいるなら、もう動くはずだ。

    ひとりも残さず警戒しながら、飛鳥は腕を組むしぐさのふりをして、肩掛けバッグに手を入れる。

───どいつだ。どこにいる。さあ出てこい“レイイチ”!!


    パァンっ!


    士草家の中からしたその音に、あたりが一瞬にして静まり返る。
    それが銃声だと分けり、飛鳥はあわててバッグを確認する。

「私じゃない」

    では、誰が。

「───“レイイチさん”?」

    隣の男がつぶやいた。みな、え?    なに?    なにが起こってるの?    そんな顔をしている。
    それは飛鳥も同じだった。まったく状況が掴めないでいる。

    そうこうしているうちに警察が家に入っていき、少ししてから一台の救急車が来た。

「道を開けてください!    救急車が通ります!」

    私服の警官が誘導し、野次馬たちやカメラマンが道の端に寄っていく。

    救急隊員が担架を持っていき、出てきた時には人が乗っていたが、ブルーシートが掛けられていて姿は見えない。

    救急車が発進する。警察が「立ち入らないでください!」と人よけし、数人が家に入っていった。

    リポーターがカメラに向かってしゃべりだす。周囲の人たちも小声で話しはじめた。

「······どういうこと」

    しだいに周りの音が聞こえなくなっていく感覚が飛鳥を襲う。

    怪しいやつはいなかったはず。警察だって見張っていた。それなのに、こんなに人がいるのに、誰も“レイイチさん”に気づかなかった。

    これは、人の目が作り上げた、密室だった。





    飛鳥が全貌を知ることができたのは、翌日のニュースでのことだった。
    発砲音がして、突入した警察が発見したのは、士草澪の母親の遺体だった。銃のようなもので頭部を撃ち抜かれていて、状況から判断し“レイイチさん”の犯行と思われる。

    家の中は争った形跡があるのだが、不思議なことに、母親以外───澪の弟と妹がどこにもいなかった。二人が家から出てくるのを見たものはいない。もちろん飛鳥も見ていない。

    まるで神隠しにあったように、二人は消えたのだ。

    士草澪の母親を殺したのが本当に“レイイチさん”だとしたら───······。

「······一体、なにもの······」

    はじめて飛鳥は“レイイチさん”に恐怖を感じた。
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