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第三章 東井マナカ
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プシッと小気味よい音がして、東井マナカは鉄板から隣に座っている泰希へ視線を移す。
友人は豪快にアルミ缶を呷っていた。
「びっくりした、酒かと思ったぜ」
泰希は東井と歳が同じで、まだ未成年だ。彼はうぷっとちいさくゲップし、ははと笑う。
「ちがうちがう、トマトジュースだからこれ。でももしかしたら持ってきてるやついるかもしれないぜ」
「それはおそろしいな」
東井は焼きそばを焦がさないよう炒めながらも、川に入ってキャッキャしている友人たちを見遣った。
いいやつらではあるが、その危険性はある。夏休みに入ってずいぶん羽を伸ばしているので、自分の目の届かないところで飲んでいそうだ。
「······焼きそばできたけど、食べるか?」
「ああ、いただくよ」
ここには料理担当の東井と、食べる専門の泰希しかいない。スマホをいじりながら、器用に食べる彼の行儀についてはいつも通りなので、長い付き合いである東井はなにも言わないでいる。
泰希にとってはスマホでの情報収集は呼吸と同義なのだ。
「───あ、またあったんだって」
泰希がさして驚きもせず平坦な声で言った。
「なにが?」
「殺人事件。これで六日連続だ」
「·········」
それはテレビでも連日報道されているニュースだった。
被害者のほとんどが10代の学生で、貧困家庭であったり、母子、父子家庭の子ばかりが殺されている。親が仕事で外出している日中、もしくは深夜が殺害時刻らしい。
なかには暴行されていた形跡のある子もいたという。
「───また“レイイチさん”だったりして」
軽々しく言った泰希をにらみ、東井は「やめろ」と怒気をにじませる。
「前の時もそうだったけと、零一のはずがない。一緒にするな」
「誰も森ヲ噛さんだなんて言ってないけど」
「言ってるようなもんだろ。零一にはアリバイがある。どうやったって移動時間を考えると無理なんだ」
「それは前の“レイイチさん”の時の話だろ。今回はどうなんだよ、森ヲ噛さんがどこにいるのかわかってんの?」
「······それはわからない」
零一はこの文明が発達した時代に、連絡手段をひとつも持っていないのだ。それっぽいものといえば、1曲しか入っていないウォークマンくらいだ。
彼女を今日の川遊びに誘ったのは、1週間前。
予想通り断られたのだが、そのときの零一はいつにも増して顔色が悪く、苦しんでいるようだった。
ひとりにさせてはいけない───そう思ったのだが、一度別れてからそれきり、いくら探しても会えなかった。
念のため行けるときはなるべく大学にも探しに行き、高山教授に訊きもした。
しかし、どこにもいないのだ。
「べつに決めつけてるわけじゃないし、東井の言いたいこともわかるけどさ。俺はお前ほど彼女のこと知らないしどうでもいいんだよ。なんつーか、ちょっと恐いしあの人」
「どう恐いんだ」
「何考えてるかわからない。お前には悪いけど、ほんとに人を殺していそうなんだよ」
「·········」
危うい雰囲気、というのか······その点は否定しない。
いますぐにでも会って、彼女の姿を見ることができればそれだけでいい。無事ならば、それで───。
しかし。
このままもう二度と会えないのかもしれない······そんな不安があった。
* * *
大学の研究室に姿を現した零一は、ソファーに倒れ込み、側にあるゴミ箱に嘔吐してしまう。
机で作業していた高山教授がハッと気づき、あわてて零一にペットボトルの水を差し出す。
「······ありがとうございます」
小刻みに震える手で受け取り、すこしだけ水を口に含む。が、むせてすぐに戻してしまう。
そんな零一に教授はいてもたってもいられず、決して言ってはいけないことを告げた。
「もう、あきらめよう」
瞬間、高山教授の額に赤黒いものがぴたりと当たる。───銃口だ。
「教授が、そんなこと言わないでくださいよ」
冷たい声色で言うと、イケメンで人気の教授の顔がひきつる。冷や汗をかき、「ご、ごめんっ」と零一からすばやく離れた。
ソファーに横たわり、零一は目蓋を閉じる。記憶のなかに生きる、小柄な彼の姿が闇に浮かぶ。
「······もうすこしで、成人だね······真心───」
『君』の姿が徐々に成長していき、別人に変わる。
東井だ。
東井はたしか、友人たちと川遊びに行っているはずだ。
誘われても行くはずがない。私が断ることを見越して、誘ってくれたのだろう。
二人きりだったら行っただろうか······?
いや、行けない。
川は、こわい。ひとりで行くならまだしも、彼と行くなんて───。
否応にも『君』が死んだ事実を何度も何度も確かめなければいけないのだから。
友人は豪快にアルミ缶を呷っていた。
「びっくりした、酒かと思ったぜ」
泰希は東井と歳が同じで、まだ未成年だ。彼はうぷっとちいさくゲップし、ははと笑う。
「ちがうちがう、トマトジュースだからこれ。でももしかしたら持ってきてるやついるかもしれないぜ」
「それはおそろしいな」
東井は焼きそばを焦がさないよう炒めながらも、川に入ってキャッキャしている友人たちを見遣った。
いいやつらではあるが、その危険性はある。夏休みに入ってずいぶん羽を伸ばしているので、自分の目の届かないところで飲んでいそうだ。
「······焼きそばできたけど、食べるか?」
「ああ、いただくよ」
ここには料理担当の東井と、食べる専門の泰希しかいない。スマホをいじりながら、器用に食べる彼の行儀についてはいつも通りなので、長い付き合いである東井はなにも言わないでいる。
泰希にとってはスマホでの情報収集は呼吸と同義なのだ。
「───あ、またあったんだって」
泰希がさして驚きもせず平坦な声で言った。
「なにが?」
「殺人事件。これで六日連続だ」
「·········」
それはテレビでも連日報道されているニュースだった。
被害者のほとんどが10代の学生で、貧困家庭であったり、母子、父子家庭の子ばかりが殺されている。親が仕事で外出している日中、もしくは深夜が殺害時刻らしい。
なかには暴行されていた形跡のある子もいたという。
「───また“レイイチさん”だったりして」
軽々しく言った泰希をにらみ、東井は「やめろ」と怒気をにじませる。
「前の時もそうだったけと、零一のはずがない。一緒にするな」
「誰も森ヲ噛さんだなんて言ってないけど」
「言ってるようなもんだろ。零一にはアリバイがある。どうやったって移動時間を考えると無理なんだ」
「それは前の“レイイチさん”の時の話だろ。今回はどうなんだよ、森ヲ噛さんがどこにいるのかわかってんの?」
「······それはわからない」
零一はこの文明が発達した時代に、連絡手段をひとつも持っていないのだ。それっぽいものといえば、1曲しか入っていないウォークマンくらいだ。
彼女を今日の川遊びに誘ったのは、1週間前。
予想通り断られたのだが、そのときの零一はいつにも増して顔色が悪く、苦しんでいるようだった。
ひとりにさせてはいけない───そう思ったのだが、一度別れてからそれきり、いくら探しても会えなかった。
念のため行けるときはなるべく大学にも探しに行き、高山教授に訊きもした。
しかし、どこにもいないのだ。
「べつに決めつけてるわけじゃないし、東井の言いたいこともわかるけどさ。俺はお前ほど彼女のこと知らないしどうでもいいんだよ。なんつーか、ちょっと恐いしあの人」
「どう恐いんだ」
「何考えてるかわからない。お前には悪いけど、ほんとに人を殺していそうなんだよ」
「·········」
危うい雰囲気、というのか······その点は否定しない。
いますぐにでも会って、彼女の姿を見ることができればそれだけでいい。無事ならば、それで───。
しかし。
このままもう二度と会えないのかもしれない······そんな不安があった。
* * *
大学の研究室に姿を現した零一は、ソファーに倒れ込み、側にあるゴミ箱に嘔吐してしまう。
机で作業していた高山教授がハッと気づき、あわてて零一にペットボトルの水を差し出す。
「······ありがとうございます」
小刻みに震える手で受け取り、すこしだけ水を口に含む。が、むせてすぐに戻してしまう。
そんな零一に教授はいてもたってもいられず、決して言ってはいけないことを告げた。
「もう、あきらめよう」
瞬間、高山教授の額に赤黒いものがぴたりと当たる。───銃口だ。
「教授が、そんなこと言わないでくださいよ」
冷たい声色で言うと、イケメンで人気の教授の顔がひきつる。冷や汗をかき、「ご、ごめんっ」と零一からすばやく離れた。
ソファーに横たわり、零一は目蓋を閉じる。記憶のなかに生きる、小柄な彼の姿が闇に浮かぶ。
「······もうすこしで、成人だね······真心───」
『君』の姿が徐々に成長していき、別人に変わる。
東井だ。
東井はたしか、友人たちと川遊びに行っているはずだ。
誘われても行くはずがない。私が断ることを見越して、誘ってくれたのだろう。
二人きりだったら行っただろうか······?
いや、行けない。
川は、こわい。ひとりで行くならまだしも、彼と行くなんて───。
否応にも『君』が死んだ事実を何度も何度も確かめなければいけないのだから。
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