0110.

緋崎辰也

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第一章 士草澪

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    泣きながらリンドウの元に帰ってきた澪は、途切れ途切れに事の顛末を伝えた。

    もう二度とあの家に行くことはないと言いながらも、母のことを悪く言うことはなかった。

    傷心した澪は四日間食べることも眠ることもせず、ただ泣き続け、ようやく倒れるようにして眠りについたのは、五日後のことだった。

    長いこと眠り、目を覚ましても心ここに在らずで、リンドウとの会話も減った。すこし笑ったかと思えば、またぼんやりとする。

    毎日手入れしていた庭にも、おりることすらしない。

    リンドウはそんな澪に、すこしでも元気になればと不慣れな料理をしてみたり、森へ散歩に連れ出すこともした。

    だが、澪はリンドウを見ることもしなくなった。

    ──そして。

    よく晴れた夏の日に、澪は首を吊って死んだ。リンドウが小川へ魚をとりに行き、帰ってきたら、鴨居からぶら下がっていた。

「──澪」

    竹かごが手から滑り落ちるのもかまわず、リンドウは縁側から家のなかへ駆け込む。

    縄を切り、畳に横たわらせた。

    もう息はしておらず、心臓も止まっていた。すこしだけ開いた口から覗く歯が、薄紅色に染まっている。

    つやの無い黒髪。やせた頬。縄の痕が痛々しい細い首。澪が気に入ってよく着ていた小紋染めの紬。血管が見えない白い手。

    ⋯⋯なに一つとして、動いていない。

    澪は、“死”そのものだった。

「──」

    涙も言葉も出ない。

    リンドウは澪を壊さないよう、やさしく頬にふれる。

    まるで寝顔だ。出会った時の、苦しい表情のまま眠っていた少女の時とは違う、静かな寝顔。

    二度と目覚めない──。

「澪」

    呼んでも返事がない。

    ──また一人になってしまう。

    そう自覚したリンドウの行動は早かった。

    澪の紬の襟を開き、胸元をはだける。自分の着物も同じようにし、そして澪の胸部に手をかざした。

    家のなかを、季節外れの冷たい空気が走る。その風に影よりも濃い闇が重なり、二人を囲う。

    風と風がぶつかり、黒い閃光が瞬く。

    リンドウが指先で澪の喉元にふれると、引き寄せられるように肌から赤いすじが浮き上がる。すじは幾重にも出て風に乗った。
    もう一度同じところにふれると、肌が裂け、筋肉のすじがほどけていき、胸骨が開く。

    闇が濃くなっていく。

    リンドウはもう一方の手を自分の胸にあてる。同じように肌が裂け、白い肋骨が現れ、体外へ浮かび上がる。

    ──ひとり分の血と肉と骨と、そして。

    闇のなか、澪の心臓が自ら発光しているかのように赤くひかりはじめた。

    閃光が駆け抜ける。
    闇は深く、風が強さを増す。

    肉が裂け、
    骨が擦れる音までもが、
    風に溶けていった。
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