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第2話
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その女性は希望と夢を胸に上京した。
河川敷に舞い散る可憐な桜と共に見知らぬ街で新生活を始め、そしてアスファルトの上に敷きしめられた薄汚れた桃色に過去を想う頃、彼女は落ち込んでいた。
高校を卒業後、広告デザイナーを目指すため両親の反対を押し切って専門学校に入学。
そして憧れの職に就くことが出来、彼女の人生は順風満帆に見えた。
しかし人生のゴールは新しいはじまりである。
彼女はデザイナー見習いとしてオフィスの雑用係に任命。研修と称しての先輩からのいびりも連日続いている。
かと思えば、優しくしてくれる社員もいた。男性経験の少ない彼女はそれを純粋な好意だと思っていたのだが、彼らの目の色が異性を見るものだと知り、絡みつく視線を振り切って距離を取った。
「お仕事辞めたい……」
彼女は帰宅する途中にあったカフェに立ち寄っていた。
アイスコーヒーとミルククレープを注文し、適当に席に座り、トレイを隅に寄せて机に頭から突っ伏す。
遣り甲斐のある仕事ではある。
だが、それは今の彼女にはオーバーワークであり、心身は消耗する一方だ。
「……ふう」
彼女は会社でのことを思い返しながらクレープを銀色のフォークでつつく。
夕食前の店内は落ち着いており、半透明のパーティションの向かい側から話し声が響いてくるだけで割と静かだ。
「すみません。今日も助けてもらってばかりで」
「気にするな。最初は誰だってそんなものさ」
僅かに上擦った若い男性の声と、年齢を重ね落ち着いたトーンの男性の声が交互に聞こえる。
新入社員とその上司かな、と彼女は口当たりの良くないストローで闇夜色の液体を啜る。
「うまくやれるでしょうか。正直、自信ないです」
若い男性が重い口調で漏らす。
彼女は彼の境遇を自分と重ね、心から同情した。
「お前は『壁』に当たっているんだ。今は辛いかもしれないが、乗り越えた先の風景は良いものだぞ」
「は、はあ」
彼女は励ましてくれる上司が居て羨ましいな、と聞き耳を立てながらミルククリームとクレープの断層をフォークで断ち切り、口へ運ぶ。
先の苦味とコク深い甘さのコントラストが心に染み、彼女は目を細めて足をバタバタと前後に振るのだった。
職場から電車と徒歩で片道四十五分。彼女は若い単身女性にも人気なアパートの一室に戻り、パイプベッドに倒れ込んだ。
その拍子に「飯野 瑞希」と書かれた社員証が鞄からこぼれ落ちる。
内定会の時に撮影した純粋無垢な笑顔。
今でも元気な自分をアピールすることは忘れないが「お仕事スイッチ」がオフになると途端に元気がなくなる。
「現実は厳しいなぁ」
瑞季がひとり呟く。
今の彼女の癒しは録画しておいた深夜アニメと、インターネットの友達から教わった対戦ゲーム。それに顔も知らない人たちとのチャットだ。
瑞季は薄いメイクを落とし、作り置きのおかずを入れておいたタッパーを冷蔵庫から抜き取るとそのままレンジに入れて温める。
帰宅時間に合わせてセットしていた炊飯器から電子音のメロディーが流れ、彼女はご飯をよそって温まったおかずを食器に移して今日最後の宴を催す。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて恵みに感謝し蛇口から水を出してそれにくぐらせ、水で満たしたアルミボウルに静かに沈めていく。
洗い物はあとでやるとして、先ずはお風呂だな。と瑞季が背伸びをしていると、部屋に置いてあったスマートフォンが不意に通知音を発した。
「帰宅なう」
そこには鬼島からのメッセージが入っていた。瑞季はすぐに返信しようとしたが、仲間の間では新米社会人として通っているので、多忙感を演出する。
彼女は急いで洗い物を済ませ、逸る思いでスマートフォンに直行した。
「帰宅中なんですか、それとも完了形どっちなんですか(笑」
すぐに「既読1」がつく。鬼島以外の二人はまだ見ていないようだ。
「家に戻って色々終わったところです」
「私も『今』帰ってきたばかりでして」
とりとめのない会話が途切れ途切れに連なる。
瑞季はこの間が大好きだった。
メッセージを送る時のちょっとした緊張感。
それに対して反応があったときの小さな幸福感。
飯野 瑞季はそういう幸せを噛みしめる、夢を「まだ」追いかけている女性だった。
「どもどもどーも! ボクです!」
チャットの既読が2になり、穏やかだった空気が一斉に弾みだした。ハヤトだ。
「いやー、今日もやっちゃいましたよぉ。ムカつく上司を一言論破っ。さすがだね!」
「論破って……あまり波風立てるのは感心できませんね」
「鬼島さーん。ピロゆきを見てないんですか? あのバッサバッサと正論で人を切り捨てる快感! 自信満々な相手を最後に屠るカタルシス!」
「ピロゆきさんは私、あまり好きではないです」
「おやスイさん。同年代のアナタなら分かってくれると思っていたのですが」
「でも、私も嫌な上司に絡まれていて、時々ムキになってやり返したいこともありますよ? でも、それをやっちゃったら社会的に死ぬのは自分たちの方じゃないですか」
瑞希は口の端を歪め、思いを込めて硝子板に指を滑らせて文章を紡いでいく。
「そうですよ、ハヤトさん。上司の面子を潰すような真似は褒められたものではないです」
瑞希に続き鬼島もハヤトの行いを咎める。
「んー、でも喧嘩売ってきたのはあっちですよ?」
「ハヤトさん……いいですか」
鬼島の恒例である説教の前置きが投下された次の瞬間、Kが何処からか飛び出してきて「ゲームしようぜ!」と発言した。
「話の途中だったんですけど」
ハヤトは邪魔が入ったと言わんばかりに口を尖らせた。
「まあ、細かいことは良いじゃん。丁度『エペックス・レゲネート』のフレが居なくてさあ。スイとあと誰か、やる人居ない?」
どうやって打っているのだろうか、Kが凄まじい早さで投稿を続ける。
「私は決定済みなんですか……」
「えー、だってスイ良い声してるもの。ストリーマー向けというか」
「おおっ、それは是非聞いてみたいですねぇ!」
Kとスイのトークに割って入るハヤト。
「それって、スマホとかで遊べます?」
「いや、ゲーム機かパソコンがないと無理ですね」
「そうですか。残念です。少し前に売ってしまいましたから。それにおじさんの声聞くのもキツイでしょうし」
瑞季の返事に鬼島は涙を流す人の絵文字を打ち込んだ。
「鬼島さんは渋めの声っぽい」
「いやいや」
謙遜する鬼島。
「ボクもパスですね! あ、でもボイチャだけは繋いで盛り上げましょうか?」
「じゃあスイ、一戦だけしようか」
「はい。一旦反応無くなりますね。お疲れ様です」
「ええー。行かないでくださいよぉ。男二人は寂しいですってば」
ハヤトが後髪を引くが、瑞季は「またね」と手短にメッセージを残し、ゲーム機を起動させてKとボイスチャットと繋ぐ。
「さあ、今日もチャンピオンになっちゃうよ!」
コントローラーを手にし、意気揚々な瑞季。
平日の夜は更けていく。
河川敷に舞い散る可憐な桜と共に見知らぬ街で新生活を始め、そしてアスファルトの上に敷きしめられた薄汚れた桃色に過去を想う頃、彼女は落ち込んでいた。
高校を卒業後、広告デザイナーを目指すため両親の反対を押し切って専門学校に入学。
そして憧れの職に就くことが出来、彼女の人生は順風満帆に見えた。
しかし人生のゴールは新しいはじまりである。
彼女はデザイナー見習いとしてオフィスの雑用係に任命。研修と称しての先輩からのいびりも連日続いている。
かと思えば、優しくしてくれる社員もいた。男性経験の少ない彼女はそれを純粋な好意だと思っていたのだが、彼らの目の色が異性を見るものだと知り、絡みつく視線を振り切って距離を取った。
「お仕事辞めたい……」
彼女は帰宅する途中にあったカフェに立ち寄っていた。
アイスコーヒーとミルククレープを注文し、適当に席に座り、トレイを隅に寄せて机に頭から突っ伏す。
遣り甲斐のある仕事ではある。
だが、それは今の彼女にはオーバーワークであり、心身は消耗する一方だ。
「……ふう」
彼女は会社でのことを思い返しながらクレープを銀色のフォークでつつく。
夕食前の店内は落ち着いており、半透明のパーティションの向かい側から話し声が響いてくるだけで割と静かだ。
「すみません。今日も助けてもらってばかりで」
「気にするな。最初は誰だってそんなものさ」
僅かに上擦った若い男性の声と、年齢を重ね落ち着いたトーンの男性の声が交互に聞こえる。
新入社員とその上司かな、と彼女は口当たりの良くないストローで闇夜色の液体を啜る。
「うまくやれるでしょうか。正直、自信ないです」
若い男性が重い口調で漏らす。
彼女は彼の境遇を自分と重ね、心から同情した。
「お前は『壁』に当たっているんだ。今は辛いかもしれないが、乗り越えた先の風景は良いものだぞ」
「は、はあ」
彼女は励ましてくれる上司が居て羨ましいな、と聞き耳を立てながらミルククリームとクレープの断層をフォークで断ち切り、口へ運ぶ。
先の苦味とコク深い甘さのコントラストが心に染み、彼女は目を細めて足をバタバタと前後に振るのだった。
職場から電車と徒歩で片道四十五分。彼女は若い単身女性にも人気なアパートの一室に戻り、パイプベッドに倒れ込んだ。
その拍子に「飯野 瑞希」と書かれた社員証が鞄からこぼれ落ちる。
内定会の時に撮影した純粋無垢な笑顔。
今でも元気な自分をアピールすることは忘れないが「お仕事スイッチ」がオフになると途端に元気がなくなる。
「現実は厳しいなぁ」
瑞季がひとり呟く。
今の彼女の癒しは録画しておいた深夜アニメと、インターネットの友達から教わった対戦ゲーム。それに顔も知らない人たちとのチャットだ。
瑞季は薄いメイクを落とし、作り置きのおかずを入れておいたタッパーを冷蔵庫から抜き取るとそのままレンジに入れて温める。
帰宅時間に合わせてセットしていた炊飯器から電子音のメロディーが流れ、彼女はご飯をよそって温まったおかずを食器に移して今日最後の宴を催す。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて恵みに感謝し蛇口から水を出してそれにくぐらせ、水で満たしたアルミボウルに静かに沈めていく。
洗い物はあとでやるとして、先ずはお風呂だな。と瑞季が背伸びをしていると、部屋に置いてあったスマートフォンが不意に通知音を発した。
「帰宅なう」
そこには鬼島からのメッセージが入っていた。瑞季はすぐに返信しようとしたが、仲間の間では新米社会人として通っているので、多忙感を演出する。
彼女は急いで洗い物を済ませ、逸る思いでスマートフォンに直行した。
「帰宅中なんですか、それとも完了形どっちなんですか(笑」
すぐに「既読1」がつく。鬼島以外の二人はまだ見ていないようだ。
「家に戻って色々終わったところです」
「私も『今』帰ってきたばかりでして」
とりとめのない会話が途切れ途切れに連なる。
瑞季はこの間が大好きだった。
メッセージを送る時のちょっとした緊張感。
それに対して反応があったときの小さな幸福感。
飯野 瑞季はそういう幸せを噛みしめる、夢を「まだ」追いかけている女性だった。
「どもどもどーも! ボクです!」
チャットの既読が2になり、穏やかだった空気が一斉に弾みだした。ハヤトだ。
「いやー、今日もやっちゃいましたよぉ。ムカつく上司を一言論破っ。さすがだね!」
「論破って……あまり波風立てるのは感心できませんね」
「鬼島さーん。ピロゆきを見てないんですか? あのバッサバッサと正論で人を切り捨てる快感! 自信満々な相手を最後に屠るカタルシス!」
「ピロゆきさんは私、あまり好きではないです」
「おやスイさん。同年代のアナタなら分かってくれると思っていたのですが」
「でも、私も嫌な上司に絡まれていて、時々ムキになってやり返したいこともありますよ? でも、それをやっちゃったら社会的に死ぬのは自分たちの方じゃないですか」
瑞希は口の端を歪め、思いを込めて硝子板に指を滑らせて文章を紡いでいく。
「そうですよ、ハヤトさん。上司の面子を潰すような真似は褒められたものではないです」
瑞希に続き鬼島もハヤトの行いを咎める。
「んー、でも喧嘩売ってきたのはあっちですよ?」
「ハヤトさん……いいですか」
鬼島の恒例である説教の前置きが投下された次の瞬間、Kが何処からか飛び出してきて「ゲームしようぜ!」と発言した。
「話の途中だったんですけど」
ハヤトは邪魔が入ったと言わんばかりに口を尖らせた。
「まあ、細かいことは良いじゃん。丁度『エペックス・レゲネート』のフレが居なくてさあ。スイとあと誰か、やる人居ない?」
どうやって打っているのだろうか、Kが凄まじい早さで投稿を続ける。
「私は決定済みなんですか……」
「えー、だってスイ良い声してるもの。ストリーマー向けというか」
「おおっ、それは是非聞いてみたいですねぇ!」
Kとスイのトークに割って入るハヤト。
「それって、スマホとかで遊べます?」
「いや、ゲーム機かパソコンがないと無理ですね」
「そうですか。残念です。少し前に売ってしまいましたから。それにおじさんの声聞くのもキツイでしょうし」
瑞季の返事に鬼島は涙を流す人の絵文字を打ち込んだ。
「鬼島さんは渋めの声っぽい」
「いやいや」
謙遜する鬼島。
「ボクもパスですね! あ、でもボイチャだけは繋いで盛り上げましょうか?」
「じゃあスイ、一戦だけしようか」
「はい。一旦反応無くなりますね。お疲れ様です」
「ええー。行かないでくださいよぉ。男二人は寂しいですってば」
ハヤトが後髪を引くが、瑞季は「またね」と手短にメッセージを残し、ゲーム機を起動させてKとボイスチャットと繋ぐ。
「さあ、今日もチャンピオンになっちゃうよ!」
コントローラーを手にし、意気揚々な瑞季。
平日の夜は更けていく。
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