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互いの気持ち

短い休暇

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 昨夜は殆んど眠れず、小鳥達の朝の知らせを聞く前には既に頭は冴えきっていた。

「今日はお早いですね」

「はい、目が覚めてしまって……」

 栗色のツインテールが似合うメイドのエマは優しく微笑むと、少し早いが朝食を持ってくると言い部屋を出て行った。
 城に戻ってきてからは、新しく雇われたエマとコルテが身の回りのことを手伝ってくれる。

 王子の婚約者に付くメイドが2人だけで申し訳ないとメイド長に謝られたが、十分だと答えると感情を顔に出さない彼女が珍しく驚いていた。
 普通の令嬢は最低でも4、5人のメイドがいるのが当然とされているらしい。
 そもそも自分のことは自分で済ませていた生活だったので、服の着脱の補助と髪のセットさえしてもらえれば後は自分でどうにかできてしまう。
 寧ろ、2人でも多いくらい。
 前にいたメイドさんたちは詳しいことは分からないが、実家に帰ったんだとか。
 1ヶ月城を離れていただけだが、知らない顔が多い気がする。
 この世界にも人事異動があるのだろうか?
 それとも、城の仕事はブラック?



「本日はどのようなお召し物に致しますか?」

 朝食を食べ終わりしばらくしてエマが微笑みながら尋ねてきた。
 いつも服と髪はお任せにしているので、今日も予定だけを伝えてお願いすることにした。
 エマはテキパキとした動きでドレスに靴、小物に装飾品等を選ぶとすぐに支度に取りかかる。

 この世界の服は1人で着るには厄介で、誰かの手を借りないと倍の時間が掛かるため今でも抵抗があるが我慢だ。
 エマの選んだプリンセスラインのドレスは、アイボリーを基調に、柔らかなスカイブルーの生地がフリルやリボンに使われ髪の色と相性が良かった。
 大人しめだが決して地味ではなく、品のあるドレスだ。
 髪はハーフアップに編み込まれて、全体的に可愛らしい印象になった。

「アルベルト様とお出掛けですから、可愛くさせていただきましたね」

 満足げに話すエマは、私の姿を前から後ろからと何度も眺めている。
 彼女の気合いの入れ様と、ドレスがアルベルト様の瞳の色に合わせたことに気付き段々恥ずかしさが込み上げてくる。

「ふふふ、丁度時間でございますね。 アルベルト様は西の庭園でお待ちになられております」

 エマがふわっと微笑みながら部屋のドアを開けてくれた。

「ありがとう、行ってくるね」

「お気をつけて」

 彼女に見送られ、私は少し重い足取りで廊下を歩いていると今日はいつもよりすれ違う人が多いことに気付く。
 いつも立ち話をする騎士さんやメイドさんも、今日は会釈をすると世話しなく行ってしまうのだ。
 何か城でイベントでもあったかと考えるが、あれば何かしらの形で私の耳に入るので当日まで知らないと言うことはないはず。

 不思議に思いながらも西の庭園が見えてくると、頭の中はすぐにアルベルト様のことでいっぱいになる。
 
「マリ!」

 庭園にいたアルベルト様と目が合うと、彼はすぐに私の元まで来て手を握ってくる。

「そのドレス、とても良く似合っている」

 アルベルト様の柔らかな表情と褒め言葉に、ブワッと体温が上がるのを感じた。

「あ、ありがとうこざいます……。 えぇっと、話しとは何でしょうか?」

 恥ずかしさのあまり、早速本題に触れてしまったがアルベルト様は気にしていない様子だ。

「実はマリと行きたい場所があって、そこで話しても良いかな?」

「も、もちろんです!」

「ふふ、良かった。 では姫、参りましょう」

「……っ!」

 アルベルト様の1つひとつの言動に変に反応してしまい上手く答えられずにいる私を、彼は余裕の笑みでスマートにエスコートしてくれた。

 馬車に乗り込み向かった先は城下町の先にある小さな港だった。
 漁に使う色とりどりの小舟が繋がれ、海と川を船がゆったりと行き交っている。
 川に沿って家が建てられているのは川から海へすぐ漁に出られる為だと言っていたが、あれがここの港に繋がるのだろう。
 透明度の高い海だが、奥に向かうに連れて不自然に濁っていくように見えた。

「海が……」

「港の海が本来のヴェルナードの海の色だ。 陸から離れるに連れて暗く濁っていく。 昔はどこまでも綺麗で海の生物をよく見かけた」

 人の生活が影響してしまったのだろうか?

「原因は分かっているんですか?」

「いや、1つだけ分かるのは海の濁りとヴェルナードに雨が降らなくなった時期は重なっている。 さぁ、もうすぐ到着するよ」
 
 馬車は港の脇にある小道を進むと、すぐに浜辺に行き着きついた。
 岩場の多い浜辺は透明度のある水色が美しく、穏やかに波音を立てている。
 1kmほど先には高くそびえる岩壁があり、その上にヴェルナード城がそびえているのが見える。
 浜辺には今はもう使われなくなった建物が物寂しげにひっそりとあるだけで、人も生き物の気配はなかった。

 ここの海は美しいが、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。


「昔はここで兄上やエミルと一緒によく遊んでいたそうだ」

 静かな海を眺めながら、アルベルト様は複雑な表情を見せる。
 誰かから聞いたような口振から記憶がなくなる前のことだと察すると、上手い言葉が出てこない。

「私の記憶はないが体が覚えているのか、ここに来ると懐かしい気分になるんだ」

「不思議な所ですね。 私、海をこんな間近で見たの初めてです」

 海とは離れた土地に住んでいたこともあるかもしれないが、今まで行ったことがなければ触れたこともない。
 確か海って塩水なんだよね、本当にしょっぱいのかな。

 おめかしした格好で来てしまったが、好奇心が勝り海に近付こうとすると急にアルベルト様に腕を掴まれた。

「アルベルト様、どうしました?」

「何だかマリが何処かへ行ってしまう気がして……」

 自分でも驚いているようで、2人で顔を見合せ笑っていると頭の中に言葉が響く。
 気のせいかと思ったがその声はまたすぐに聞こえてきた。

― 見つけた ―

 落ち着いているが、少女のような可愛らしい声が頭の中にゆっくりと響く。

「誰?」

「マリ、どうした?」

「誰かが話しかけてきます。 精霊かもしれません」

「私には聞こえないが……」

 私たちは周囲を見るが、精霊の姿はなく近くにいる気配もなかった。

― お帰り、フィオレ ―

 ぼんやりとした声が徐々にハッキリと聞こえてくる。

「フィオレって?」

「マリ!」

 声に気を取られていたせいで、背後から来る高波に気が付かなかった。
 先程までの穏やかな波ではなく、私を簡単に飲み込める高さの波が真上まで迫っている。

 咄嗟のことでただ眺めることしかできない私を庇うように、アルベルト様が抱き締めてくれた。

 すると私たちを包むようにポワッと柔らかい光がドーム状に作られ、襲いかかる勢いの波はその光を綺麗に避けていく。
 波が引くと光りも同時になくなるが、また同じような波が何度もやってくる。
 光に守られながら私たちは海から離れると、やっと諦めたかのように初めに見た静かな海に戻っていった。

「何だったのでしょう……。 海がまるで生き物のようでした」

「あぁ……。 波が襲ってくる前に何か聞こえたと言っていたが?」

「声が聞こえたんです。 女性の声でした、フィオレお帰りって……」

「お帰り……?」

 そう話す間もアルベルト様は私を抱き止めていて、ふと目が合うと急に我に返ったように手を離した。
 アルベルト様が珍しく動揺しているのが面白く、さっきまでの緊張が和らぐ。
 照れる彼が真っ赤になった顔を腕で隠そうとすると、シャツの胸ポケットから皮の巾着が地面に落ちた。

「アルベルト様、何か落ちましたよ?」

 それを手に取ると、微かに魔力を感じたため不思議に思いながらもアルベルト様にお返しする。

「あぁ、これが気になるか?」

 すぐにいつものアルベルト様に戻り私の視線に気付いた様で、巾着の口を開くと中の物を掌に出して見せてくれた。

「大きいパールですね、綺麗。 それに不思議な光ですね」

「記憶がなくなる前から持っていた物で、最近フォンテに進められて持ち歩くようにしている。 光るのは初めてだ……、マリも胸元で何か光ってないか?」

「え?」

 そう言われ、アルベルト様のパールと同じ魔力が2つあることに気付く。
 胸元を見れば服の下で淡い光を放つものがあった。

「これ、母にもらったんです」

 この世界に来る前に貰ったパールのネックレスを出して見せると、アルベルト様のと同じく淡く少し色味のある光が放たれている。
 その光から私たちは目を離せずにいると、遠くから聞きたくない声が聞こえてきた。

「ラルフか……」

 馬を走らせ近付くラルフを見るとチクリと1度だけ胸が痛んだが、久しぶりに血相を抱えた様子の彼を見るとそんなことは頭から吹っ飛んでしまった。

「アルベルト様、至急城に戻るようにと王からの伝令です」

「しばらく休みをくれるんじゃなかったか? ……まぁ仕方ない、事は急だからな」

 城で何かあったのだろうか?
 朝からバタバタとしていたが、やっぱり何かイベント事でもあるのかもしれない。
 
「マリ、すまない。 邪魔が入ったから話はまた今度ゆっくりしよう」

「邪魔ってまさか私のことではありませんよね?」

「ラルフ以外に誰かいるか?」

 ラルフがすかさず突っ込むが、アルベルト様はからかうように返事をする。
 ラルフは苦手だが、この2人の掛け合いを見ているのは好きだ。
 お互いに心を許しているのが伝わってきてほっこりする。
 そんな私をラルフが嫌なものでも見るような顔で見てくるので、さっさと馬車に乗り込もうと背を向けた。 

 馬車に乗り込む時にまたあの声が微かに聞こえた気がしたが、アルベルト様が城に着くまで私の手を握り続けたせいで声の事など頭からすっかりなくなってしまうのだった。
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