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ピピアーノ高原

北へ

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 ガタンと時折大きく揺れながら、私とアルベルト様を乗せた木材で馬車が北へ北へと進んでいく。
 舗装のされていない道では時々お尻が浮くことがあり長時間の乗車は控えたいところだが、これが1週間続くらしい。
 今回の派遣は王子や私が行くことは公にされていないため、キラキラピカピカした王室の馬車ではなく小貴族がよく使うという丁寧に彫られた模様が美しい小綺麗な馬車だ。

 真っ白な2頭の馬が馬車を牽引しているのだが、この世界の馬にはなんと翼と角が生えている。
 魔法をかければ空も駆け抜けると言うのだから、これはもうペガサスと呼んだ方が良いのかもしれない。

 と言う程で男性陣は動きやすいジャケットにベスト、シャツとありふれた格好をしている。
 私も初め同じ服を希望したがアルベルト様とラルフに拒否され、シンプルだが質の良い膝下のワンピースを着ることになった。
 馬車にはアルベルト様と私が、ラルフとコルテという名のメイドさんは馬に乗り後を追っている。

 
 一国の王子との旅にしては同行する人数が少ないが話によればラルフは勿論、メイドさんや御者さんさえも相当な手練れらしい。
 人は見かけによらない。


 派遣先は、ヴェルナード王国の北に位置するピピアーノ高原。
 北の隣国との国境にもなるノルド川の少し手前にある乳産業が盛んな地域である。

 夏は標高の高い場所で、冬は平地でプエという牛のような動物と移動をしながら暮らしている。
 プエから搾乳したラッテや、それを加工したプロマ(食べてみたらチーズだった)は国の常食になっており貿易の主流商品なんだそう。

 前々から雨が降らずプエの食べる草が減り出荷数が減っていたが、最近では出荷が途絶え連絡すら取れないそうだ。
 他国とも関係する大事な商品ということで、今回アルベルト様が向かうことになった。

 とは言っても、今回は状況把握だけで特別何かをするわけではない……はず。
 気負わずにと王様が出発前に声をかけてくださったが、期待しているとがっつり顔に書いてあったのは気のせい。



「ふぁ~」

 王都を抜けてから変わらない続く枯れた大地と、馬車の一定の振動が心地よい眠気を誘う。
 王子の前だというのに欠伸が出てしまい慌てて口を隠したが、対面に座るアルベルト様に見られ彼は眉間にシワを寄せた。

「疲れたか?今夜泊まる村までは先が長いから一眠りするといい」

「いえ、まだ大丈夫です」

「魔力の使い方が安定しない内は、体力の消費も激しくなるのはラルフに聞いただろう。 それなのに君ときたら遠慮なく魔力を使うから見ているこちらがヒヤヒヤするよ」

「ご心配をおかけしてすみません。 ですが、私ができることはやっておきたいんです」

 休憩の際に小さな集落に停まるのだが、その度に私は唯一できる魔法を使っていた。
 
 魔法で水を出し、井戸に貯水する。

 調査に出発まで1ヶ月の間に魔法訓練もしたのだが、どれだけ頑張っても水を出すことしか出来なかった。
 両手を前に向けて念じれば、止めどなく水がジャバジャバと出てくるので水道になった気分になる。
 私は人よりも魔力量が多いらしく、どれだけ使っても魔力が尽きる気がしない。

 地味で一時の凌ぎにしかならないが、何時間も歩いて湖や川に水を汲みに行くよりかはマシなはず。
 その作業が数日間でもなくなれば人々は他の仕事ができ、子どもたちも親といられる時間が増える。

 ただ1つ問題があって魔法を使い慣れていないせいで、先ほどアルベルト様が言っていた通りとにかく疲れる。

「安心して眠ると良い、次の村で一泊する。 マリが寝ている間に通り過ぎることはないし、もしあったとしても君を起こすことを約束しよう」

 何度か船を漕いでいる私を見て少し考える素振りを見せた後、対面に座っていたアルベルト様は私の隣に移動する。
 彼は私の頭にそっと手を添えると自分の方に引き寄せたので、体を預ける形になってしまった。

「ア、アルベルト様!? 誰かに見られたら……!」

「見られないようにカーテンを閉めておこうか」

 慌てる私とは裏腹に、アルベルト様は余裕のある笑みを見せ馬車のカーテンを閉めた。
 閉め際に馬に乗るラルフと窓越しに目が合うと、彼はぎょっとした顔をしていた。
 あの顔は失礼じゃないか。

「さぁ、お休み。 眠り姫」

 さすが王子様、時々こうやって甘い言葉を言っては私をドキリとさせる。
 折角考えないようにしていたキスも思い出してしまって心臓がうるさい。
 絶対に寝れそうにないが、私は観念してとりあえず目を閉じることにした。

 視覚がなくなると急に体のダルさを感じ、恥ずかしながら意識はあっと言う間に深く沈んでいった。
 



―――――





「やぁっと、着いたーー!!」 

 日がもうすぐ落ちる頃、馬車から降りて両腕を上に伸びをする。
 寝ている間にピピアーノ高原に入ったようで、ふんわりと柔らかな草の感触は何度も足踏みしたくなる。
 そして王都よりも気温はぐっと低く、肌に触れる風がひんやりとして心地よい。
 
 この世界の季節も日本とほぼ同じで、現在は夏である。
 そんな季節でも涼しいピピアーノ高原は、北海道あたりに近い気候だろうか。

「マリ様、暗いので皆から離れないように」

 ピシャッと私の背後からラルフが冷たく言い放った。

「ラルフ、怒ってる?」

「何度倒れたかご存じですか? アルベルト様の邪魔だけはしないで頂きたいですね」

 振り向けば、眼鏡の奥にある緑の瞳がギロリと私を睨みつけていた。
 実はこの道中、私は3度倒れている。
 原因はもちろん慣れない魔法を使ったせいだ。

 アルベルト様が気遣ってくれているのにもかかわらず、何度も気を失い彼に心配をかけている私にラルフはご立腹。


「……気を付けます」

「そうして下さい」

「ラルフ、そのくらいに。 村の人々は皆マリに感謝をしていた」

 ラルフに怒られる私に気が付き、アルベルト様がフォローに回ってくれる。
 
「それに今は………」

 周囲を見渡しているアルベルト様の表情は険しい。

「はい、先ほどから様子がおかしいですね」

「動物や虫の音さえも聞こえない」

 ピピアーノ高原に入ってから緑の大地が見えるようになったものの、動物や人の姿を見なかったことに私も違和感を感じていた。
 そして2、3キロ先に見える村は、日没前だというのに灯りがつく気配はなく静まり返っている。
 風車や倉庫のようなものが遠くから確認でき、今まで通ってきたどこの村よりも大きそうだ。

 
「あの村に泊まる予定だっが、様子を見て今日は野営をしようか」

「では保護魔法をかけます」

 ラルフが両手を空にかざすと、ラルフの髪色に少し似た薄茶の膜が私たち全体を包むようにドーム状に出来上がった。

「大砲で撃たれても防げます」

「少し肌寒いな、温度を上げておこう」

 アルベルト様が目を瞑り集中すると、ドームの中がふんわりと暖かくなるのを感じた。
 2人が言うには、これくらいは普通らしい。

 絶対に嘘だ。
 
 そんなやり取りをしている内に、御者さんとコルテが手際よく食事の支度をしてくれた。
 何も力になれず、むしろ迷惑しかかけていない肩身の狭い中で人生初の野営がスタートした。

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