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ヴェルナード王国

婚約者1

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 最後に音を立てて離れたアルベルト様の唇から、しばらく目が離せなかった。

「マリ、すまない」

 申し訳なそうに、祭壇に押し倒した私をゆっくりと起き上がらせてくれた。
 その仕草がとても優しく勘違いしてしまいそうになる。
 正気に戻らねばと周囲を見ると、面白そうに笑う王様と目が合った。
 その隣に座っている王妃様も下を向いていて表情は見えないが、微かに肩を震わせている。

「まさかアルベルトがここまでするとは。娘よ、名をマリといったか」

「へ? あ、はい」

 なんとも間抜けな声を出してしまった。
 王様にこんな対応をして不敬にならないかと一瞬不安になる。

「なるほど、似ている。 さて、そなたにはアルベルトの妻として国を救ってもらいたい」

「ツマ?」

 ふぉふぉふぉと完全に笑いながら、満足気に口ひげを触る王様。
 アルベルト様を見ると面食らった顔をして王様を見ている。

「陛下!考えをお改めください」

 先ほど生贄を提案した栗色の髪の青年が焦った様子で王様の前に膝まづく。
 そんな彼を尻目に、王様は声高らかに言った。

「この婚約の義は覆せぬ。この少女をアルベルトの婚約者と認める!」



―――――


 
 高らかにされたアルベルト様の婚約者宣言から早3日、あれから彼には会っていない。
 実は昨日は、王様の生誕祭だったそうだ。
 そんな良き日にあんなことになってしまって、申し訳ないない気持ちが生まれる。

 私とアルベルト様が祭壇で行ったのは婚約の儀と言うもので、行為そのものにも意味があるが魔法契約によって私たちは固く結ばれたらしい。
 婚約の最中は離れられないんだとか。
 どう言うことだろうと思いつつ、命には関わる話ではなさそうなので聞き流した。

 宣言後はすぐ誕生祭はお開きになり、アルベルト様は王様に連れて行かれ私はあろうことか生贄を提案した栗毛男に案内され会場を後にした。
 城の中に一室もらえることになり、行くあてのない私にはありがたい話だった。
 お風呂、トイレ完備でウォークインクローゼットには何十着の衣装が並び、退屈凌ぎになる本や簡単なボードゲーム等もあるおかげで、私がまだ一歩も部屋から出られていない。

 それが2つある理由の1つ。

 もう1つが…

 「あーあ、アルベルト様なにしてるかなぁ」

 「余裕ですね、マリ様」

 こそっと呟いたつもりだったが、目の前の人物に聞こえてしまったらしい。
 ラルフ・エリツィン、新緑を思わせる丸みのある瞳に少し癖のある栗色のマッシュショートが、中性的な要素をさらに引き立たせている。
 私よりも3つ年上らしいが、同い年か、眼鏡を外せば年下に見えるかもしれない。
 そんな彼の緑の目が、鋭く私を睨みつけている。

「すみません」

 ついつい謝ってしまうのは私の悪い癖だ。

「謝るくらいなら覚えてください」

「もう3日間、缶詰状態で教え込まれて現実逃避もしたくなります」

 ラルフは私の家庭教師に抜擢され、この国の情勢やマナー、男性なのに淑女の作法なんかも教えてくれる。
 それはもう付きっきりで。

 これが部屋から出られないもう1つの理由。
 嫌々請け負ったの教わりに彼の教え方はとても丁寧で、知識の幅も広くとても分かりやすい。
 めちゃくちゃ厳しいけれど。
 

 今のところ元の世界に帰れる手立てがないと言われて絶望していたが、落ち込んでもいられないと気持ちを切り替え素直に勉学に励むことにした。
 今は水を出すことのできる貴重な存在としてこうして城に留まっているが、この力がいつ無くなるかも分からないのでこの世界のことを学べるだけ学ばなければ。
 初めから言葉が通じたことも不思議だったが、この世界の文字も読めたおかげで勉強もスムーズに進んでいる。

 

「はぁ、仕方ないですね。マナーも学んだことですし、少し外に出ますか?」

「出る出る!」

 はしゃぐ私に冷たい目線を向けるラルフ。
 人見知りなのか、嫌われているのか分からないが彼の表情はいつも固い。
 多分、後者なんだろう。
 生け贄を提案したの彼だったし。
 そんな仏頂面をするならば、家庭教師なんて引き受けなければ良かったのにと思ってしまう。
 190cmはあるだろうか、高身長でこんな綺麗な顔をしているのに何も彼に対して思わないのは、私に向けるその態度のせいだろう。

「貴方が婚約の義など取り交わさなければ、こんなこと引き受けませんでした」

 心の声が口から出ていたらしく、ラルフは嫌そうな表情でそう言った。

「仕事ですのでしっかりやらせいただきます」

 背筋が曲がっていると、立ち上がった途端注意を受けてしまった。
 ここの世界の女性の服はドレスが普段着だそうで、私もプリンセスラインのパステル調のドレスを着ている。
 結婚式で着るカラードレスを少しシンプルにしたようなものだ。
 元々外出の予定があったのか、今日はいつもよりも侍女さんたちに華やかに身なりを整えられた気がする。

「そろそろいらっしゃる頃ですね」

「誰が……?」

 私がラルフに尋ねるや否や、廊下に続く扉が静かに開く。

「マリ、久しいな。ラルフもご苦労」

「アルベルト様……」

「説明や手続きに手間取ってしまった。君を部屋に閉じ込めるような形になってすまない」

 一国の王子があれだけ堂々と人前でキスをして結婚します宣言をしたのだから、きっと私の想像以上に大変だったのだろう。
 彼に言うことを散々考えていたが、目の下にしばらく取れなさそうな隈とやつれた表情を見ると言葉が出てこなかった。

「さぁ、行こうか」

 アルベルト様が私の腰に手を回しエスコートしてくれる素振りを見せる。

「えぇっと、どこに行くのですか?」

「ラルフから聞いていなかったか?父上に改めて挨拶をすると言っておいたが」

「王様に!?」

 ラルフを見れば涼しい顔をして、手筈は整えてありますと答える。
 予感的中。侍女さんたちから今日何度か励ましの言葉をもらって、念入りに身体を磨かれたのはこのためだったようだ。
 ラルフも礼儀作法を何度も繰り返し教えてくるし、私だけに伝えずにいたらしい。

「ラルフゥー?」

 ジロリと彼を睨めば、いってらっしゃいませと深く腰を折り私たちを見送る姿勢をとる。

「仰々しいねラルフ、私にはそんなこと滅多にしないのに」

「アルベルト様の大切なお方なので」

 白々しくそう告げてラルフはアルベルト様に微笑みを向ける。
 初めて見るラルフの柔らかい表情にアルベルト様に対する思いを感じ、私を認められない態度も少し我慢してあげようと思った。
 ほんの少しだけど。

「マリ様は今朝方から完璧に準備しておられます。安心してお連れください」

「それは良いな」

 前言撤回。
 やっぱりラルフは苦手だ。
 私はアルベルト様にエスコートされるがまま重い足取りで部屋を後にした。 
   
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