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【番外編4】10年後の2人(3.スクラップブックの風景)
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今日は私の誕生日、土曜日で休日。
多波さんと過ごすはずだったのに、彼は休日出勤になってしまった。
「おめでとう。出来るだけ早く帰る」
彼はそう言って、私にキスをした後、アパートを出て行った。
覚えててくれたんだ・・・
胸の辺りにモヤモヤしていたモノが、スッと抜けた。けれど、またすぐに立ち込める。静まり返ったアパートに響く、廃品回収車のアナウンス。その騒々しさが、心をぐちゃぐちゃに踏み荒らしていく。
多波さんの病は落ち着いている。以前のように、他の女と寝る事はない。けれど「治った訳ではないから、症状を抑え続けることが大切」と、医師に言われた。完治することは、ないらしい。現に、疲れが溜まってくると、ちょっと情緒不安定になる。だから、忙しい日が続くと心配になった。
ここ最近、夜のスキンシップも減っている。アパートの片付けも順調に進み、いつも使っている物ばかりが室内に目立つ。もう10年前と、殆ど変わらない。いや、10年前の方がマシだった。毎晩、触れ合っていたもの・・・。
――浮気
――別れ
考えたくない言葉が、脳裏をよぎる。それを打ち消したくて、慌てて頬を両手ではたいた。
考えてもしょうがない・・・気分転換、気分転換・・・
本でも読もう。そう思って、和室の隅に這っていき、本棚にしている小さな三段のカラーボックスを物色した。
「あ・・・」
目が吸い寄せられた。本ではないモノに。カラーボックスの1番下の段。背表紙が日焼けして黄ばんだB5サイズのスクラップブック。
これ、懐かしいな・・・
年季の入ったそれを見て、思わず顔がほころぶ。本棚から抜き取って、パラリと開いた。中にはマンションの部屋やインテリア用品の写真が、ベタベタと貼り付けられている。全て広告から切り抜いて貼ったものだ。白を基調としたナチュラルな部屋、木目の美しいダイニングテーブル、爽やかな萌黄色のカーテン、リンゴ型のケトル、猫足の本棚。最後のページには、お洒落な8階建てのマンションが貼ってある。
この頃は、良かったな・・・
目を閉じた途端、鮮やかな思い出がキラキラと脳裏に広がった。確か、5年くらい前のことだ。
仕事から帰ってきた夜のこと。アパートの郵便受けを覗くと、新築マンションの広告が入っていた。8階建で、エントランスがレンガ調のお洒落なマンションの広告。白を基調としたナチュラルな部屋、対面キッチンの水回りには、空色のタイルがあしらわれていて、なんとも可愛らしい。
お風呂から上がった私は、その広告を和室の座卓でぼんやり眺めていた。
いいなぁ・・・ここで暮らしたら、楽しいだろうなぁ。
お洒落なキッチンで、多波さんと一緒にオムライスを作るところを想像した。とろとろふわふわの卵を作る私。ケチャップアートに全身全霊をかける多波さん。フフッ。想像なのに、笑みがこぼれる。
「この部屋、いいよな」
耳元で、聞きなれた低い声がした。背後から、広い手がぬうっと伸びてきて、眺めていた広告をトントン叩く。振り向くと、多波さんが目を細めて笑っていた。白いTシャツを着た巨体から、湯気が立ちのぼっている。丁度、お風呂から上がったらしい。
「ふふっ、多波さんは、乙女趣味だよね」
「ダメか?」
恥ずかしそうに俯く彼。その顔が可愛くて、後ろ手で大きな頬をゆっくり撫でた。
「ううん、そういうトコも好き」
ぎゅうううーー!!
「わぶっ!」
多波さんのバックハグ。隆々とした筋肉に、顔が埋まる。
ぐ、ぐるじい・・・
もぞもぞ身をよじって、腕の隙間から顔を出す。顔を出した途端、毎度お馴染み、キスの嵐が降り注ぐ。私が1つ愛情表現をすると、彼は10返す。いつもそう。いつものことだけど、いつも恥ずかしい。
彼は満足するまでキスとハグをした後、パッと私から離れ、部屋の棚から何か持ってきた。
「マンション、コレに貼っておこう」
多波さんが手にしていたのは、広告の束と背が焼けて黄ばんだB5サイズのスクラップブックだった。彼からそれを受け取って、私は声を弾ませた。
「わぁ!スクラップブックだ!懐かしい!高校の時、友達とアルバム作ったなぁ~!ねぇ、中見てもいい?」
「ああ」
少し波打った表紙をぱらりと開く。中は、ほんのり可愛いインテリア用品や雑貨の写真で、埋め尽くされていた。古い映画に出てきそうなカントリー調のダイニングテーブル、ホーロー製のコロンと丸いお鍋、ぶさかわいい猫の置物、そんな物がベタベタ貼ってあった。
「多波さん、これ・・・」
彼は頬を染めて、はにかんだ。
「趣味・・・だな。望と暮らす前は、その・・・物を増やせなかっただろ、広告に好きな物を見つけたら、貼って集めていたんだ」
「そう・・・だったの」
FS会があったから、欲しい物が買えなかったんだ・・・
そう思うと複雑だった。
スクラップブックをパラパラめくっていると、丁度半分くらいのところで、雰囲気が一変した。グリーンのマグカップ、ぐっすり眠れる安眠枕、ファンタジー映画の広告なんかが並んでいる。その切り抜きに、思わず目を見張った。
あれ?・・・これ・・・
「私の好きなモノばっかり」
「一緒に暮らすようになってからは、望の好きな物を貼るようになったな」
まさか私の好きな物が、密かにコレクションされていたなんて・・・。驚きと戸惑いで胸がグルグルした後、フツフツと温かいモノが込み上げてきた。
なんだかんだ嬉しいんだ、私・・・
多波さんはスクラップブックをめくって、まっさらなページを出すと、さっき私が眺めていたマンションの広告を切り抜いた。マンションの外観と室内をペタペタ貼りつけながら、大真面目な声で言う。
「籍を入れたら、こんな部屋に住みたいな」
「せ、せせせせ、籍!?」
「籍」で顔が燃え上がる。
まずい!焦げる!焦げる!
鎮火しようと、両手でパタパタ顔を扇ぐ。
「・・・そうだね」言いながら顔がニヤけた。
「望はグリーンが好きだろ。このカーテンはどうだ」
多波さんは広告の束から、インテリア用品店のチラシを抜き取り、爽やかな萌黄色のカーテンを指さした。
「わぁ、いいね!私の趣味よく分かったね!」
「望の趣味は、大体わかる」
彼は得意げにフッと笑い、広告からカーテンを切り抜いた。
「広告、私にも見せて」
「ああ」
多波さんから広告の束を受け取ると、座卓の上に滑らせ、一面に広げた。彼のマネをして紙面に目を走らせる。生活用品店のケトルにピンときて、彼の鼻先に掲げた。
「多波さん、コレ好きでしょ!リンゴ型のケトル!」
「俺のシュミ、よく分かったな」
まん丸になった彼の目を見て、私は得意げに鼻を鳴らした。
「フフッ・・・多波さんの趣味は分かるよ」
ジョキジョキ。リンゴのケトルを切り抜く。
他にも何かないかな・・・。
座卓いっぱいの広告を眺める。ふと、古道具屋の広告に目が留まった。早速、手を伸ばす。
トン
多波さんと指先が重なった。どうやら、同じモノが気になったらしい。目配せをし合い、お目当ての品を同時に口にする。
「「猫足の本棚!」」
キレイにハモった。
「「アハハッ!」」
笑い声もハモった。それがおかしくて、おかしくて、肩を揺らして一緒に笑った。
多波さんに背後から抱きしめられる。私は立派な椅子に寄り掛かるみたいに、たくましい胸板に体を預け、うっとりと猫脚の本棚を眺めた。
「コレ、可愛いな」多波さんが言う。
「でも、ちょっと高いよ」
上目づかいで彼を見ると、大きな手で頭をワシワシされた。
「夢だからいいんだ、値段なんか」
「そっか」
「「ふふふ・・・」」
二人でお気に入りの物を見つけては、はしゃいで切り抜いた。
籍を入れたら、どんな暮らしにしよう。
いつか来る夢のような生活を、色あせたB5の紙に描いた。
・・・夢で終わっちゃうんだな。
そう思った途端、鮮やかに輝いていた思い出は、花が枯れるようにしぼんでいった。あっという間に色あせて、灰のように崩れていく。
そっと、目を開けた。すっかり綺麗になってしまった古びたアパートに、私はいる。小さく息を吸った。少しかび臭い空気が、ツンと鼻にしみる。
現実・・・ちゃんと見ないと・・・
そう思って、スクラップブックを閉じた。すると、灰のように崩れ去った思い出が、息を吹き返し、色鮮やかに蘇った。広告の切り抜きで描いた夢、重なり合う笑い声、彼の笑顔、どんどん、どんどん、鮮明になっていく。眩しすぎる記憶で、窒息してしまいそうだった。みるみる視界が滲んでいく。古い部屋が溶けていく。
何やってるんだろう・・・馬鹿みたい・・・・
溢れ出す記憶を押し戻すように、うずくまり、両手で涙を拭った。すると、玄関から声がした。聞こえるはずのない低い声が。
「ただいま」
驚いて振り向くと、スーツ姿の多波さんが玄関に立っていた。
あれ?まだ夜じゃないのになんで・・・?
彼は私の顔を見るなり、ビジネスシューズを乱暴に脱ぎ捨て、駆け寄ってきた。うつむく私の顔を、大きな体を丸めて、心配そうに覗き込んでいる。
「どうした?大丈夫か?」
「大丈夫。寝てただけだよ」
「起こして、悪かった」
「ヘーキ、ヘーキ」
涙を眠気のせいにしたくて、口に手を当てて欠伸の真似をしてみせる。
「多波さん、仕事は?」
「これから、出られるか?」
「え?・・・うん・・・大丈夫」
問いを問いで返された。キョトンとする私を見て、彼はふんわり微笑んだ。
「少し距離がある。支度してもらっていいか?」
「どれくらい?」
「ここから6駅先だ」
「うん、分かった。ちょっと待ってて」
そう言いながら、押入れの衣装ケースからチュニックを引っ張り出して、無造作にかぶった。私が準備を始めると、多波さんは立ち上がり、スマホを耳に当てた。
「一台、お願いできますか?」
「え!?タクシー乗るの!?」
メイクを中断して、慌てて多波さんに詰め寄った。キョトンとする彼。
「ダメか?」
「あ、あのね!歩きたいの!多波さんと散歩したい!私、最近、運動不足だから・・・」
とっさに、ついた嘘だった。もし別れるなら、先立つ物が必要になる。だから、タクシーなんて使いたくなかった。
「・・・そうか。分かった」
多波さんは電話越しに、何度か頭を下げてから、タクシー会社との通話を切った。私が小さなショルダーバッグを肩から下げて、身支度を終えると、彼はニッコリ微笑んだ。
「久しぶりに、二人で歩くか」
「うん・・・」
多波さんが私の手を取る。指先が絡まり合う。恋人繋ぎになる。私の手をすっぽりと包み込む、大きな手。その温もりに、チリリと舌先が痺れた。
多波さんと過ごすはずだったのに、彼は休日出勤になってしまった。
「おめでとう。出来るだけ早く帰る」
彼はそう言って、私にキスをした後、アパートを出て行った。
覚えててくれたんだ・・・
胸の辺りにモヤモヤしていたモノが、スッと抜けた。けれど、またすぐに立ち込める。静まり返ったアパートに響く、廃品回収車のアナウンス。その騒々しさが、心をぐちゃぐちゃに踏み荒らしていく。
多波さんの病は落ち着いている。以前のように、他の女と寝る事はない。けれど「治った訳ではないから、症状を抑え続けることが大切」と、医師に言われた。完治することは、ないらしい。現に、疲れが溜まってくると、ちょっと情緒不安定になる。だから、忙しい日が続くと心配になった。
ここ最近、夜のスキンシップも減っている。アパートの片付けも順調に進み、いつも使っている物ばかりが室内に目立つ。もう10年前と、殆ど変わらない。いや、10年前の方がマシだった。毎晩、触れ合っていたもの・・・。
――浮気
――別れ
考えたくない言葉が、脳裏をよぎる。それを打ち消したくて、慌てて頬を両手ではたいた。
考えてもしょうがない・・・気分転換、気分転換・・・
本でも読もう。そう思って、和室の隅に這っていき、本棚にしている小さな三段のカラーボックスを物色した。
「あ・・・」
目が吸い寄せられた。本ではないモノに。カラーボックスの1番下の段。背表紙が日焼けして黄ばんだB5サイズのスクラップブック。
これ、懐かしいな・・・
年季の入ったそれを見て、思わず顔がほころぶ。本棚から抜き取って、パラリと開いた。中にはマンションの部屋やインテリア用品の写真が、ベタベタと貼り付けられている。全て広告から切り抜いて貼ったものだ。白を基調としたナチュラルな部屋、木目の美しいダイニングテーブル、爽やかな萌黄色のカーテン、リンゴ型のケトル、猫足の本棚。最後のページには、お洒落な8階建てのマンションが貼ってある。
この頃は、良かったな・・・
目を閉じた途端、鮮やかな思い出がキラキラと脳裏に広がった。確か、5年くらい前のことだ。
仕事から帰ってきた夜のこと。アパートの郵便受けを覗くと、新築マンションの広告が入っていた。8階建で、エントランスがレンガ調のお洒落なマンションの広告。白を基調としたナチュラルな部屋、対面キッチンの水回りには、空色のタイルがあしらわれていて、なんとも可愛らしい。
お風呂から上がった私は、その広告を和室の座卓でぼんやり眺めていた。
いいなぁ・・・ここで暮らしたら、楽しいだろうなぁ。
お洒落なキッチンで、多波さんと一緒にオムライスを作るところを想像した。とろとろふわふわの卵を作る私。ケチャップアートに全身全霊をかける多波さん。フフッ。想像なのに、笑みがこぼれる。
「この部屋、いいよな」
耳元で、聞きなれた低い声がした。背後から、広い手がぬうっと伸びてきて、眺めていた広告をトントン叩く。振り向くと、多波さんが目を細めて笑っていた。白いTシャツを着た巨体から、湯気が立ちのぼっている。丁度、お風呂から上がったらしい。
「ふふっ、多波さんは、乙女趣味だよね」
「ダメか?」
恥ずかしそうに俯く彼。その顔が可愛くて、後ろ手で大きな頬をゆっくり撫でた。
「ううん、そういうトコも好き」
ぎゅうううーー!!
「わぶっ!」
多波さんのバックハグ。隆々とした筋肉に、顔が埋まる。
ぐ、ぐるじい・・・
もぞもぞ身をよじって、腕の隙間から顔を出す。顔を出した途端、毎度お馴染み、キスの嵐が降り注ぐ。私が1つ愛情表現をすると、彼は10返す。いつもそう。いつものことだけど、いつも恥ずかしい。
彼は満足するまでキスとハグをした後、パッと私から離れ、部屋の棚から何か持ってきた。
「マンション、コレに貼っておこう」
多波さんが手にしていたのは、広告の束と背が焼けて黄ばんだB5サイズのスクラップブックだった。彼からそれを受け取って、私は声を弾ませた。
「わぁ!スクラップブックだ!懐かしい!高校の時、友達とアルバム作ったなぁ~!ねぇ、中見てもいい?」
「ああ」
少し波打った表紙をぱらりと開く。中は、ほんのり可愛いインテリア用品や雑貨の写真で、埋め尽くされていた。古い映画に出てきそうなカントリー調のダイニングテーブル、ホーロー製のコロンと丸いお鍋、ぶさかわいい猫の置物、そんな物がベタベタ貼ってあった。
「多波さん、これ・・・」
彼は頬を染めて、はにかんだ。
「趣味・・・だな。望と暮らす前は、その・・・物を増やせなかっただろ、広告に好きな物を見つけたら、貼って集めていたんだ」
「そう・・・だったの」
FS会があったから、欲しい物が買えなかったんだ・・・
そう思うと複雑だった。
スクラップブックをパラパラめくっていると、丁度半分くらいのところで、雰囲気が一変した。グリーンのマグカップ、ぐっすり眠れる安眠枕、ファンタジー映画の広告なんかが並んでいる。その切り抜きに、思わず目を見張った。
あれ?・・・これ・・・
「私の好きなモノばっかり」
「一緒に暮らすようになってからは、望の好きな物を貼るようになったな」
まさか私の好きな物が、密かにコレクションされていたなんて・・・。驚きと戸惑いで胸がグルグルした後、フツフツと温かいモノが込み上げてきた。
なんだかんだ嬉しいんだ、私・・・
多波さんはスクラップブックをめくって、まっさらなページを出すと、さっき私が眺めていたマンションの広告を切り抜いた。マンションの外観と室内をペタペタ貼りつけながら、大真面目な声で言う。
「籍を入れたら、こんな部屋に住みたいな」
「せ、せせせせ、籍!?」
「籍」で顔が燃え上がる。
まずい!焦げる!焦げる!
鎮火しようと、両手でパタパタ顔を扇ぐ。
「・・・そうだね」言いながら顔がニヤけた。
「望はグリーンが好きだろ。このカーテンはどうだ」
多波さんは広告の束から、インテリア用品店のチラシを抜き取り、爽やかな萌黄色のカーテンを指さした。
「わぁ、いいね!私の趣味よく分かったね!」
「望の趣味は、大体わかる」
彼は得意げにフッと笑い、広告からカーテンを切り抜いた。
「広告、私にも見せて」
「ああ」
多波さんから広告の束を受け取ると、座卓の上に滑らせ、一面に広げた。彼のマネをして紙面に目を走らせる。生活用品店のケトルにピンときて、彼の鼻先に掲げた。
「多波さん、コレ好きでしょ!リンゴ型のケトル!」
「俺のシュミ、よく分かったな」
まん丸になった彼の目を見て、私は得意げに鼻を鳴らした。
「フフッ・・・多波さんの趣味は分かるよ」
ジョキジョキ。リンゴのケトルを切り抜く。
他にも何かないかな・・・。
座卓いっぱいの広告を眺める。ふと、古道具屋の広告に目が留まった。早速、手を伸ばす。
トン
多波さんと指先が重なった。どうやら、同じモノが気になったらしい。目配せをし合い、お目当ての品を同時に口にする。
「「猫足の本棚!」」
キレイにハモった。
「「アハハッ!」」
笑い声もハモった。それがおかしくて、おかしくて、肩を揺らして一緒に笑った。
多波さんに背後から抱きしめられる。私は立派な椅子に寄り掛かるみたいに、たくましい胸板に体を預け、うっとりと猫脚の本棚を眺めた。
「コレ、可愛いな」多波さんが言う。
「でも、ちょっと高いよ」
上目づかいで彼を見ると、大きな手で頭をワシワシされた。
「夢だからいいんだ、値段なんか」
「そっか」
「「ふふふ・・・」」
二人でお気に入りの物を見つけては、はしゃいで切り抜いた。
籍を入れたら、どんな暮らしにしよう。
いつか来る夢のような生活を、色あせたB5の紙に描いた。
・・・夢で終わっちゃうんだな。
そう思った途端、鮮やかに輝いていた思い出は、花が枯れるようにしぼんでいった。あっという間に色あせて、灰のように崩れていく。
そっと、目を開けた。すっかり綺麗になってしまった古びたアパートに、私はいる。小さく息を吸った。少しかび臭い空気が、ツンと鼻にしみる。
現実・・・ちゃんと見ないと・・・
そう思って、スクラップブックを閉じた。すると、灰のように崩れ去った思い出が、息を吹き返し、色鮮やかに蘇った。広告の切り抜きで描いた夢、重なり合う笑い声、彼の笑顔、どんどん、どんどん、鮮明になっていく。眩しすぎる記憶で、窒息してしまいそうだった。みるみる視界が滲んでいく。古い部屋が溶けていく。
何やってるんだろう・・・馬鹿みたい・・・・
溢れ出す記憶を押し戻すように、うずくまり、両手で涙を拭った。すると、玄関から声がした。聞こえるはずのない低い声が。
「ただいま」
驚いて振り向くと、スーツ姿の多波さんが玄関に立っていた。
あれ?まだ夜じゃないのになんで・・・?
彼は私の顔を見るなり、ビジネスシューズを乱暴に脱ぎ捨て、駆け寄ってきた。うつむく私の顔を、大きな体を丸めて、心配そうに覗き込んでいる。
「どうした?大丈夫か?」
「大丈夫。寝てただけだよ」
「起こして、悪かった」
「ヘーキ、ヘーキ」
涙を眠気のせいにしたくて、口に手を当てて欠伸の真似をしてみせる。
「多波さん、仕事は?」
「これから、出られるか?」
「え?・・・うん・・・大丈夫」
問いを問いで返された。キョトンとする私を見て、彼はふんわり微笑んだ。
「少し距離がある。支度してもらっていいか?」
「どれくらい?」
「ここから6駅先だ」
「うん、分かった。ちょっと待ってて」
そう言いながら、押入れの衣装ケースからチュニックを引っ張り出して、無造作にかぶった。私が準備を始めると、多波さんは立ち上がり、スマホを耳に当てた。
「一台、お願いできますか?」
「え!?タクシー乗るの!?」
メイクを中断して、慌てて多波さんに詰め寄った。キョトンとする彼。
「ダメか?」
「あ、あのね!歩きたいの!多波さんと散歩したい!私、最近、運動不足だから・・・」
とっさに、ついた嘘だった。もし別れるなら、先立つ物が必要になる。だから、タクシーなんて使いたくなかった。
「・・・そうか。分かった」
多波さんは電話越しに、何度か頭を下げてから、タクシー会社との通話を切った。私が小さなショルダーバッグを肩から下げて、身支度を終えると、彼はニッコリ微笑んだ。
「久しぶりに、二人で歩くか」
「うん・・・」
多波さんが私の手を取る。指先が絡まり合う。恋人繋ぎになる。私の手をすっぽりと包み込む、大きな手。その温もりに、チリリと舌先が痺れた。
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