上 下
29 / 32

【番外編4】10年後の2人(3.スクラップブックの風景)

しおりを挟む
今日は私の誕生日、土曜日で休日。

多波さんと過ごすはずだったのに、彼は休日出勤になってしまった。

「おめでとう。出来るだけ早く帰る」

彼はそう言って、私にキスをした後、アパートを出て行った。

覚えててくれたんだ・・・

胸の辺りにモヤモヤしていたモノが、スッと抜けた。けれど、またすぐに立ち込める。静まり返ったアパートに響く、廃品回収車のアナウンス。その騒々しさが、心をぐちゃぐちゃに踏み荒らしていく。

多波さんの病は落ち着いている。以前のように、他の女と寝る事はない。けれど「治った訳ではないから、症状を抑え続けることが大切」と、医師に言われた。完治することは、ないらしい。現に、疲れが溜まってくると、ちょっと情緒不安定になる。だから、忙しい日が続くと心配になった。

ここ最近、夜のスキンシップも減っている。アパートの片付けも順調に進み、いつも使っている物ばかりが室内に目立つ。もう10年前と、殆ど変わらない。いや、10年前の方がマシだった。毎晩、触れ合っていたもの・・・。

――浮気

――別れ

考えたくない言葉が、脳裏をよぎる。それを打ち消したくて、慌てて頬を両手ではたいた。

考えてもしょうがない・・・気分転換、気分転換・・・

本でも読もう。そう思って、和室の隅に這っていき、本棚にしている小さな三段のカラーボックスを物色した。

「あ・・・」

目が吸い寄せられた。本ではないモノに。カラーボックスの1番下の段。背表紙が日焼けして黄ばんだB5サイズのスクラップブック。

これ、懐かしいな・・・

年季の入ったそれを見て、思わず顔がほころぶ。本棚から抜き取って、パラリと開いた。中にはマンションの部屋やインテリア用品の写真が、ベタベタと貼り付けられている。全て広告から切り抜いて貼ったものだ。白を基調としたナチュラルな部屋、木目の美しいダイニングテーブル、爽やかな萌黄色のカーテン、リンゴ型のケトル、猫足の本棚。最後のページには、お洒落な8階建てのマンションが貼ってある。

この頃は、良かったな・・・

目を閉じた途端、鮮やかな思い出がキラキラと脳裏に広がった。確か、5年くらい前のことだ。

仕事から帰ってきた夜のこと。アパートの郵便受けを覗くと、新築マンションの広告が入っていた。8階建で、エントランスがレンガ調のお洒落なマンションの広告。白を基調としたナチュラルな部屋、対面キッチンの水回りには、空色のタイルがあしらわれていて、なんとも可愛らしい。

お風呂から上がった私は、その広告を和室の座卓でぼんやり眺めていた。

いいなぁ・・・ここで暮らしたら、楽しいだろうなぁ。

お洒落なキッチンで、多波さんと一緒にオムライスを作るところを想像した。とろとろふわふわの卵を作る私。ケチャップアートに全身全霊をかける多波さん。フフッ。想像なのに、笑みがこぼれる。

「この部屋、いいよな」

耳元で、聞きなれた低い声がした。背後から、広い手がぬうっと伸びてきて、眺めていた広告をトントン叩く。振り向くと、多波さんが目を細めて笑っていた。白いTシャツを着た巨体から、湯気が立ちのぼっている。丁度、お風呂から上がったらしい。

「ふふっ、多波さんは、乙女趣味だよね」

「ダメか?」

恥ずかしそうに俯く彼。その顔が可愛くて、後ろ手で大きな頬をゆっくり撫でた。

「ううん、そういうトコも好き」

ぎゅうううーー!!

「わぶっ!」

多波さんのバックハグ。隆々とした筋肉に、顔が埋まる。

ぐ、ぐるじい・・・

もぞもぞ身をよじって、腕の隙間から顔を出す。顔を出した途端、毎度お馴染み、キスの嵐が降り注ぐ。私が1つ愛情表現をすると、彼は10返す。いつもそう。いつものことだけど、いつも恥ずかしい。

彼は満足するまでキスとハグをした後、パッと私から離れ、部屋の棚から何か持ってきた。

「マンション、コレに貼っておこう」

多波さんが手にしていたのは、広告の束と背が焼けて黄ばんだB5サイズのスクラップブックだった。彼からそれを受け取って、私は声を弾ませた。

「わぁ!スクラップブックだ!懐かしい!高校の時、友達とアルバム作ったなぁ~!ねぇ、中見てもいい?」

「ああ」

少し波打った表紙をぱらりと開く。中は、ほんのり可愛いインテリア用品や雑貨の写真で、埋め尽くされていた。古い映画に出てきそうなカントリー調のダイニングテーブル、ホーロー製のコロンと丸いお鍋、ぶさかわいい猫の置物、そんな物がベタベタ貼ってあった。

「多波さん、これ・・・」

彼は頬を染めて、はにかんだ。

「趣味・・・だな。望と暮らす前は、その・・・物を増やせなかっただろ、広告に好きな物を見つけたら、貼って集めていたんだ」

「そう・・・だったの」

FS会があったから、欲しい物が買えなかったんだ・・・

そう思うと複雑だった。

スクラップブックをパラパラめくっていると、丁度半分くらいのところで、雰囲気が一変した。グリーンのマグカップ、ぐっすり眠れる安眠枕、ファンタジー映画の広告なんかが並んでいる。その切り抜きに、思わず目を見張った。

あれ?・・・これ・・・

「私の好きなモノばっかり」

「一緒に暮らすようになってからは、望の好きな物を貼るようになったな」

まさか私の好きな物が、密かにコレクションされていたなんて・・・。驚きと戸惑いで胸がグルグルした後、フツフツと温かいモノが込み上げてきた。

なんだかんだ嬉しいんだ、私・・・

多波さんはスクラップブックをめくって、まっさらなページを出すと、さっき私が眺めていたマンションの広告を切り抜いた。マンションの外観と室内をペタペタ貼りつけながら、大真面目な声で言う。

「籍を入れたら、こんな部屋に住みたいな」

「せ、せせせせ、籍!?」

「籍」で顔が燃え上がる。

まずい!焦げる!焦げる!

鎮火しようと、両手でパタパタ顔を扇ぐ。

「・・・そうだね」言いながら顔がニヤけた。

「望はグリーンが好きだろ。このカーテンはどうだ」

多波さんは広告の束から、インテリア用品店のチラシを抜き取り、爽やかな萌黄色のカーテンを指さした。

「わぁ、いいね!私の趣味よく分かったね!」

「望の趣味は、大体わかる」

彼は得意げにフッと笑い、広告からカーテンを切り抜いた。

「広告、私にも見せて」

「ああ」

多波さんから広告の束を受け取ると、座卓の上に滑らせ、一面に広げた。彼のマネをして紙面に目を走らせる。生活用品店のケトルにピンときて、彼の鼻先に掲げた。

「多波さん、コレ好きでしょ!リンゴ型のケトル!」

「俺のシュミ、よく分かったな」

まん丸になった彼の目を見て、私は得意げに鼻を鳴らした。

「フフッ・・・多波さんの趣味は分かるよ」

ジョキジョキ。リンゴのケトルを切り抜く。

他にも何かないかな・・・。

座卓いっぱいの広告を眺める。ふと、古道具屋の広告に目が留まった。早速、手を伸ばす。

トン

多波さんと指先が重なった。どうやら、同じモノが気になったらしい。目配せをし合い、お目当ての品を同時に口にする。

「「猫足の本棚!」」

キレイにハモった。

「「アハハッ!」」

笑い声もハモった。それがおかしくて、おかしくて、肩を揺らして一緒に笑った。

多波さんに背後から抱きしめられる。私は立派な椅子に寄り掛かるみたいに、たくましい胸板に体を預け、うっとりと猫脚の本棚を眺めた。

「コレ、可愛いな」多波さんが言う。

「でも、ちょっと高いよ」

上目づかいで彼を見ると、大きな手で頭をワシワシされた。

「夢だからいいんだ、値段なんか」

「そっか」

「「ふふふ・・・」」

二人でお気に入りの物を見つけては、はしゃいで切り抜いた。

籍を入れたら、どんな暮らしにしよう。

いつか来る夢のような生活を、色あせたB5の紙に描いた。

・・・夢で終わっちゃうんだな。

そう思った途端、鮮やかに輝いていた思い出は、花が枯れるようにしぼんでいった。あっという間に色あせて、灰のように崩れていく。

そっと、目を開けた。すっかり綺麗になってしまった古びたアパートに、私はいる。小さく息を吸った。少しかび臭い空気が、ツンと鼻にしみる。

現実・・・ちゃんと見ないと・・・

そう思って、スクラップブックを閉じた。すると、灰のように崩れ去った思い出が、息を吹き返し、色鮮やかに蘇った。広告の切り抜きで描いた夢、重なり合う笑い声、彼の笑顔、どんどん、どんどん、鮮明になっていく。眩しすぎる記憶で、窒息してしまいそうだった。みるみる視界が滲んでいく。古い部屋が溶けていく。

何やってるんだろう・・・馬鹿みたい・・・・

溢れ出す記憶を押し戻すように、うずくまり、両手で涙を拭った。すると、玄関から声がした。聞こえるはずのない低い声が。

「ただいま」

驚いて振り向くと、スーツ姿の多波さんが玄関に立っていた。

あれ?まだ夜じゃないのになんで・・・?

彼は私の顔を見るなり、ビジネスシューズを乱暴に脱ぎ捨て、駆け寄ってきた。うつむく私の顔を、大きな体を丸めて、心配そうに覗き込んでいる。

「どうした?大丈夫か?」

「大丈夫。寝てただけだよ」

「起こして、悪かった」

「ヘーキ、ヘーキ」

涙を眠気のせいにしたくて、口に手を当てて欠伸の真似をしてみせる。

「多波さん、仕事は?」

「これから、出られるか?」

「え?・・・うん・・・大丈夫」

問いを問いで返された。キョトンとする私を見て、彼はふんわり微笑んだ。

「少し距離がある。支度してもらっていいか?」

「どれくらい?」

「ここから6駅先だ」

「うん、分かった。ちょっと待ってて」

そう言いながら、押入れの衣装ケースからチュニックを引っ張り出して、無造作にかぶった。私が準備を始めると、多波さんは立ち上がり、スマホを耳に当てた。

「一台、お願いできますか?」

「え!?タクシー乗るの!?」

メイクを中断して、慌てて多波さんに詰め寄った。キョトンとする彼。

「ダメか?」

「あ、あのね!歩きたいの!多波さんと散歩したい!私、最近、運動不足だから・・・」

とっさに、ついた嘘だった。もし別れるなら、先立つ物が必要になる。だから、タクシーなんて使いたくなかった。

「・・・そうか。分かった」

多波さんは電話越しに、何度か頭を下げてから、タクシー会社との通話を切った。私が小さなショルダーバッグを肩から下げて、身支度を終えると、彼はニッコリ微笑んだ。

「久しぶりに、二人で歩くか」

「うん・・・」

多波さんが私の手を取る。指先が絡まり合う。恋人繋ぎになる。私の手をすっぽりと包み込む、大きな手。その温もりに、チリリと舌先が痺れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

下品な男に下品に調教される清楚だった図書委員の話

神谷 愛
恋愛
クラスで目立つこともない彼女。半ば押し付けれられる形でなった図書委員の仕事のなかで出会った体育教師に堕とされる話。 つまらない学校、つまらない日常の中の唯一のスパイスである体育教師に身も心も墜ちていくハートフルストーリー。ある時は図書室で、ある時は職員室で、様々な場所で繰り広げられる終わりのない蜜月の軌跡。 歪んだ愛と実らぬ恋の衝突 ノクターンノベルズにもある ☆とブックマークをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

【完結】Mにされた女はドS上司セックスに翻弄される

Lynx🐈‍⬛
恋愛
OLの小山内羽美は26歳の平凡な女だった。恋愛も多くはないが人並に経験を重ね、そろそろ落ち着きたいと思い始めた頃、支社から異動して来た森本律也と出会った。 律也は、支社での営業成績が良く、本社勤務に抜擢され係長として赴任して来た期待された逸材だった。そんな将来性のある律也を狙うOLは後を絶たない。羽美もその律也へ思いを寄せていたのだが………。 ✱♡はHシーンです。 ✱続編とは違いますが(主人公変わるので)、次回作にこの話のキャラ達を出す予定です。 ✱これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。

愛娘(JS5)とのエッチな習慣に俺の我慢は限界

レディX
恋愛
娘の美奈は(JS5)本当に可愛い。そしてファザコンだと思う。 毎朝毎晩のトイレに一緒に入り、 お風呂の後には乾燥肌の娘の体に保湿クリームを塗ってあげる。特にお尻とお股には念入りに。ここ最近はバックからお尻の肉を鷲掴みにしてお尻の穴もオマンコの穴もオシッコ穴も丸見えにして閉じたり開いたり。 そうしてたらお股からクチュクチュ水音がするようになってきた。 お風呂上がりのいい匂いと共にさっきしたばかりのオシッコの匂い、そこに別の濃厚な匂いが漂うようになってきている。 でも俺は娘にイタズラしまくってるくせに最後の一線だけは超えない事を自分に誓っていた。 でも大丈夫かなぁ。頑張れ、俺の理性。

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

始まりの順序

春廼舎 明
恋愛
自分で納得して選んで勝ち取ってきた人生なのに、勝ち組とか負け組とか他人に言われたくない。あなたの価値観を押し付けないで、私の価値観が同じだと思わないで。笑って受け流していられたものも、押し付けられる厚意のあまりのしつこさに、ほんの小さな親切も大きなお世話、ストレスとなる。 仕事の忙しさに疲れに睡眠不足、ストレスが積もり積もって爆発する。 やけくそで入ったバーで1人の男性と知り合った。 『男は一度で去り、女は一度で落ちる。』 知ってたのに。たった一夜で、バカな私は恋をする。 体から始まる恋がうまくいく事はまずない。稀、それこそファンタジー。知ってたけど。わかってるけど。 それでもやっぱり、期待してしまう私はバカなんだろう。 ※行為中の描写が入ります。苦手な方はお引き取りを。 ※2部、その後のお話15話で完結です。 ※オマケ追加しました

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

伯爵令嬢のユリアは時間停止の魔法で凌辱される。【完結】

ちゃむにい
恋愛
その時ユリアは、ただ教室で座っていただけのはずだった。 「……っ!!?」 気がついた時には制服の着衣は乱れ、股から白い粘液がこぼれ落ち、体の奥に鈍く感じる違和感があった。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

処理中です...