上 下
2 / 32

2.生まれて初めてのキス

しおりを挟む
多波さんに連れられ、着いたのは古びた2階建てのアパートだった。塗装の剥げた茶色のトタンで屋根で、2階へ続く階段は、あちこち錆びて赤茶色になっている。今にも崩れ落ちそうな外観だ。

「2階だから」

多波さんはそう言うと、錆びた階段をカンカン鳴らして上がっていった。

・・・帰った方がいい・・・帰ろう・・・帰ろう・・・

頭の中で、呪文のように唱えた。けれど、私の足は彼を追いかけていた。

ガチャリ

多波さんが玄関ドアを開けると、ドアの向こうに小さな部屋が見えた。綺麗に片付いている。私の部屋より綺麗だ。余分なものがない、と言った方が正しいだろうか。

玄関のすぐ横に、古くて小さなキッキン、その先に小さな和室が一つ。和室には、こじんまりとした座卓と本棚、窓際にシングルベッドがあって、鴨居にはスーツが掛けてある。多波さんがこの部屋にいると、部屋も家具も全て子供用に見えて、可笑しかった。

玄関を閉めるなり、彼はスルリとジャケットを脱ぎ、ワイシャツのボタンを外し始めた。筋肉質な腹筋が、シャツの下からチラリと覗く。私は思わず背を向けた。玄関ドアを一心に見つめる。ドアを見ているはずなのに、綺麗に割れた腹筋の残像が、チラチラ視界に割り込んでくる。

「外仕事なんだ。寒くなっても、毎日汗をかく。」

ドギマギしている私をよそに、多波さんは悠々と着替えを進めていく。

スルリ、シュルル、衣擦れの音。ガチャガチャ、シュー、ベルトの音。音を聞いているだけなのに、どんどん顔が火照っていく。

ふと、見つめている玄関ドアに、大きな影が落ちた。振り向くと、新しい水色のワイシャツを着た、多波さんが立っていた。

「さて、お礼の話だが、なにがいい?飯でも奢ろうか?」

俯いて黙っていると、フッという笑い声が頭上をかすめた。

「飯じゃなくてもいい。なんでも。」

・・・なんでも?

聞いた瞬間、突飛な考えが浮かんだ。考えは瞬く間に、喉まで転がり落ちる。慌てて、押し戻そうとしたけれど、声になってこぼれて落ちた。

「多波さんの体・・・触らせて下さい。」

・・・なにを言っているんだ・・・私は。・・・・死にたい

多波さんは一瞬、目を見張ったけれど、ゆっくりと瞼を閉じ、返事の代わりに着替えたてのシャツを脱ぎ始めた。シャツの小さなボタンを、大きな手で、一つ一つ、丁寧に外していく。

ストン

シャツが床に落ち、多波さんの上半身が露わになった。美術の教科書にあった男性の石像を彷彿とさせる体だ。呼吸に合わせて、厚い胸板と綺麗に割れた腹筋が、ゆっくりと上下している。

カッチリしたスーツの下に、こんなゴテゴテしたモノが隠れていたなんて、チグハグで少し可笑しかった。

「触らせて下さい」と自分で言ったのに、いざ目の前にしてみると、気恥ずかしくて、どうしていいのか分からない。

多波さんは、そっと私の手を取って、たくましい肉体へ導いた。腹筋に指が触れる。指先が筋肉の溝に沈む。汗でしっとりとした溝を、ゆっくり、ゆっくり、なぞっていく。硬く、艶やかな質感に息を飲んだ。

私の手は、腹筋から胸に上がり、首筋をなぞり、頬へと導かれる。

ふと、顔を上げると、多波さんと目が合った。相変わらず眉間にシワを寄せていたけれど、穏やかな眼差しだった。大きな瞳に映った私が、だんだん大きくなっていく。彼の顔が目前に迫り、鼻と鼻が触れ合う。

フワリ

唇に温かな弾力が落ちてきた。柔らかく啄むように、彼は口を吸っていた。甘くて優しい味がした。

キスって・・・こんなに気持ちいいんだ

生まれて初めてのキスだった。少し口が触れただけなのに、甘い感覚に全身がクラクラ揺れる。唇の離れる気配がして、私はそっと瞼を開いた。目の前の光景に思わず息を飲む。

多波さんは、微笑んでいた。さっきまでムッツリへの字口だったのに、まるで、別人のような穏やかな笑みを浮かべている。

「た・・・なみ、さ・・・」

言葉を紡ごうとしたけれど、彼は許さなかった。口と口が重なる。粘液があふれる。唇の弾力、潤い、吐息、その全てを味わい尽くすように、彼は貪った。

くちゅ、くちゅ、くちゅ・・・

「はふっ・・・」

ぬるぬると舌先が絡み合い、ゾクゾクとした感覚が背筋を駆ける。未知の快感に翻弄され、私の足はガクリと崩れ落ちた。

ドサッ!

床に膝をついたと思ったのに、どっしりとした温かいモノに包まれていた。多波さんは両腕で、私を抱きかかえていた。

「大丈夫か?」

「だ!!だだだだだ!大丈夫れす!初めてで驚いただけで!!」

顔が熱い。今、絶対、真っ赤だ。

「初めて?」

ハッ!?

・・・しまった・・・余計な事を言っちゃった。大人なのに、キスした事ないなんて、引くよね普通・・・絶対引かれた

「アハ、アハハ・・・はぁ・・・」

・・・もう・・・泣きたい。

泣くな、耐えろ、泣くな、耐えろ・・・

心の中で、必死に唱えた。なのに、目じりには容赦なく熱いものが込み上げてくる。すると、多波さんの大きな手が、私の髪を、わしゃわしゃとかき乱した。

「わぁ!」

ビックリして顔を上げると、彼は、しょげたような表情をしていた。まるで、いたずらをして叱られた、大型犬みたいな表情。

「悪かった」

「え・・・」

「驚かせた」

「あ・・・いや、その・・・」

予想外の反応に、こっちが驚く。

多波さんは、ゆっくりと私を床に下ろした。私の手を分厚い胸板の上に置くと、その手で硬い胸を撫で始めた。

さすさすさす・・・

「したいんだろ?」

「え・・・?」

「触る、、したいんだろ?」

「・・・あ」

さっきまでの緊張がしぼんで、みるみる後悔に変わっていく。

「あー・・・あの・・・別に・・・嫌なわけじゃ・・・」

「なにが?」

「・・・えと、キ・・・キス?」

「キス?」

「・・・え、そ・・・それは」

いやらしい妄想が、脳裏をかすめる。多波さんは、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。

「言わないと分からん」

「そ!?それは・・・む、ぐぅうう・・・」 

こ、コイツ、絶対遊んでる!!・・・でも、私には、もうこんな機会、一生ないかもしれないし・・・。でも、自分で言うのって、どうなの!?・・・けど、さっき、触りたいって言っちゃったし、ここまできたら、なにを言っても変わらないような・・・でも、やっぱり・・・恥ずかしい・・・でも、けど、でも・・・

散々悩んだ挙句、意を決して、ブルブル震える口から言葉を振り絞った。

「してみたい・・・です・・・エ・・・エッチ、・・・わわっ!」

エッチと言った瞬間、体がフワリと宙に浮く。多波さんは、たくましい腕で私を抱きかかえると、ベッドの上にゆっくり下ろした。

「優しくする」

大きな手が、緊張をほぐすように、私の頬を包んでいく。見上げると、彼はまた目を細め、ふんわりと微笑んでいた。真っ直ぐな、愛情を感じる眼差しだった。

・・・今日会ったばかりなのに・・・なんで

目に痛いくらいの光景で、恐ろしいほどの安らぎを覚えた。この時、既に囚われていたのだと思う、彼の持つ甘美な魔力に・・・。

「優しくする」

この言葉の通り、多波さんは、頭のてっぺんから、つま先まで、繊細な美術品を扱うように、私を大切にしてくれた。私はそれを全身で受け止め、打ち震えていた。

この日、
私は生まれて初めて、男を知った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

この家には一人変態がいる。

みそぎことのは
恋愛
ヤンデレなお姉ちゃんに逆レされてぇぇぇって時に感情のままに書いてます

カナリア

春廼舎 明
恋愛
ちやほやされて、サクセスストーリーやシンデレラストーリーに乗る女の子たちが羨ましい、妬ましい。 そう思うのは、努力してる私こそむくわれるべきという不満の現れ傲慢の塊なんだろうか。 手に入れても、掴んだと思った途端指の間からこぼれ落ちていく。 仲間に恵まれないのは仲間をつなぎとめておけない自分のせいなのか。 外から見たらありふれたシンデレラストーリー。自分の目で見ればまた違って見えると気がついた。 ※閑話含め全50話です。(49+1)

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...