喪女の恋した優しいクズ〜 職場が女ばかりで恋愛経験のない社会人女性が、一生に一度の溺れる恋をする話〜

肝心な時にないアレ

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5.異常な日常

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結局、
私の拠り所は、あの男だけなんだ。

冷酷な男だけど、優しくて温かかった。私の知る、唯一の温もりだった。そんなものに縋るなんて、自分でも笑えてくる。

バカだと思いながらも、気がつくと多波さんのアパートの前に立っていた。インターホンを押すと、すぐに彼が出た。

「久しぶり。」

妙に明るい自分の声に、驚く。なんだかんだ、嬉しいんだ。多波さんに、会えることが。

彼は私の手を引き、部屋へ招いてドアを閉めた。たくましい腕で私を抱きしめ、愛おしそうに口を吸った。温かで甘い味がした。

なにも変わっていない。この前の光景が、全部夢だと思えるほどに。

多波さんは、優しい。でも、彼の心は、ここにない。

彼の指先や唇を温かいと思うほど、現実に引き戻される。体が向き合っても、心が向き合うことはない。

そう思うと、どんどん心は冷えていった。

****

目が覚めると朝だった。私はブカブカのパジャマを着て、多波さんのベッドに寝ていた。窓から降り注いだ朝日が、布団の上に長く伸びている。

多波さんは私に背を向け、座卓の前で新聞に目を通している。前と同じ、水色のワイシャツ姿。座卓の上で、マグカップに入ったコーヒーの湯気が揺れている。

「おはよう」

背を向けたまま、彼は言った。

いつも通りの声。ううん、声だけじゃない。私のパジャマも、新聞も、コーヒーも。何もかも、いつも通り。

この前の女は誰?ルールってなに?多波さんは、私の事どう思ってるの?

彼を見ていると、次々に言葉が湧き上がってくる。けど、・・・声にならなかった。

声にすれば、二度と会えない・・・そんな気がした。

彼の気持ちを確かめるより、会えなくなる方が問題だと、考えている自分がいる。真実を知りたいと思って来たのに、彼に会った途端、何も知りたくないと、思っている自分がいる。

・・・本当に・・・どうかしてる

多波さんは、ずっと新聞に目を落としていた。何も言わない。

時が止まっているようだった。けれど、マグカップのコーヒーの湯気は、ゆらゆら揺れている。時は確かに流れている。

ここにいると、余計な事を言ってしまいそうだった。

・・・帰ろう。

私はベッドから降りると、ブカブカのパジャマから昨日の服に着替えた。通勤バッグを持って、玄関に向かう。座卓で新聞を読んでいる多波さんの横を、ゆっくり通り過ぎる。通りざまに、彼の顔を盗み見た。

・・・同じだった。

・・・前と同じ。

何もなかったように、新聞を見つめている。

私は彼を通り過ぎ、玄関のドアノブに手をかけて、回そうと動かした。ノブは手の中で、弱々しくカチャカチャと音を立てるだけだった。

・・・手に・・・力が・・・入らない

・・・開けたいのに・・・開かない

ドン!!

後ろから何かが伸びてきて、玄関ドアを叩いた。分厚くて大きな手が目の前にある。多波さんが、私の行く手を遮っていた。

・・・え

一瞬、彼の顔が悲しそうに見えた。けれど、瞬きをしてもう一度見ると、恐ろしい形相に変わっていた。眉間にシワを寄せ、歯を食いしばって、私を睨んでいる。反射的に体がすくむ。へたり込みそうになったけど、踏ん張った。じっと多波さんの言葉を待つ。

・・・でも彼の言葉は、期待とは違っていた。

「気をつけて・・・」

彼はドアを開け、私がアパートを出ると、すぐに、閉めてしまった。

寒々しい朝日の中、私は、ただ呆然とドアの前に立ち尽くしていた。

****

結局。
私は、多波さんとの関係を断ち切れず、彼の部屋を何度も訪れていた。何度も、何度も、何度も・・・。

彼に会うのは辛かったけれど、会えないのも辛かった。辛いことがあって、どうしても我慢できない時だけ、会いに行った。散々、多波さんをクズ呼ばわりしたけれど、私も立派なクズになっていた。

多波さんは、相変わらず優しい。全く変わっていない。アパートに行けば、優しく包み込んで、癒してくれる。

アパートを訪れると、部屋から女が出てきたり、部屋の前で待っていたりした。しかもその女は、毎回違った。最初は、異様に感じた。

・・・でも、・・・多分

私が・・・おかしいんだ・・・

この状況に驚いているのは、私だけだった。多波さんも女達も、何食わぬ顔をしている。女たちは、多波さんをめぐって、いがみ合ったりする事もない。それどころか、アパートの前で、楽しそうにおしゃべりをしている。

・・・私が、おかしいんだ

多波さんが他の女と寝るのも、いつも違う女なのも、全部・・・当たり前なんだ。

・・・もう・・・どうでもいい

どうでも・・・

多波さんに会えれば・・・なんでもいい。

辛い時、そばにいてくれれば・・・それでいい。

多波さんや女達と同じように、私もこの環境を受け入れていった。

***

そんな生活をしばらく続けた、ある日。

私はいつものように、多波さんのアパートへ向かっていた。

もう、事前に連絡なんてしない。そんなもの、してもしなくても同じだ。先客がいたら、そこら辺のカフェで時間を潰そう。

「行かないでくれ!」

アパートの階段を上がると、男の叫び声が聞こえた。多波さんの声だった。

もう、何を見ても驚かないと思っていたのに、私は目を見張った。多波さんは腹ばいになり、女の足に取りすがっていた。

黒髪ロング、黒のトレンチコート、スラリとしたプロポーション、初めて見る女だった。

「・・・行くな」

多波さんは荒い息を吐きながら、声を振り絞り、その女に懇願していた。彼の眼差しは、私や他の女に向けるモノとは、まるで違っていた。

本気・・・に見えた。

私が引き止められた事なんて、一度もなかったのに・・・。何があっても動じない多波さんが・・・、こんな・・・こんな・・・。

多波さんとは裏腹に、女はやけに冷静だった。それどころか、微笑んでいる。女はニッコリ笑って、彼をたしなめた。

「ルールはルールよ、多波。あなたのためのルールなのに、なぜ破るの?あなたが、約束を守れないのは昔からだけど、それを見過ごすほど、私はお人好しじゃないの。」

・・・また・・・ルール

多波さんが歯を食いしばって俯くと、女は満面の笑みを浮かべた。

「今日の枠は、もうないわ。会員にも通達済みよ。しっかり反省してね。大丈夫、死んだりしないわ。自分で首でも、吊らないかぎりは。フフフ・・・。」

そう言って、女は多波さんを部屋に押し込んだ。ドアが閉まると、女は私に向き直って、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「やっと会えた!皆から噂は聞いていたけれど、中々会えなくて焦ったわ。あれ?怒ってる?嫉妬しちゃった?」

女に言われて、自分の顔が引きつっている事に気がついた。女は、なだめるように囁いた。

「心配しないで。多波は私だから執着している訳じゃないの。それにね、私には他に大事な人がいるのよ。」

そこまで言うと、女は私の手を取った。

「お話がしたいのだけど、時間あるかしら?私は、裏束うらつかサラ。サラって呼んでね。」

サラと名乗ったその女は、屈託のない笑顔で微笑んだ。
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