喪女の恋した優しいクズ〜 職場が女ばかりで恋愛経験のない社会人女性が、一生に一度の溺れる恋をする話〜

肝心な時にないアレ

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1.満員電車と大きな男

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結局、
私の拠り所は、あの男だけなんだ。

冷酷な男だけど、優しくて温かかった。私の知る、唯一の温もりだった。そんなものに縋るなんて、自分でも笑えてくる。

バカだと思いながらも、気づけば彼のアパートの前に立っていた。インターホンを押すと、すぐに大柄の男が出てきた。多波たなみさんだ。いつも通り眉間にシワを寄せて、への字口をしていた。でも、眼差しは優しかった。

「久しぶり。」

妙に明るい自分の声に、驚く。なんだかんだ嬉しいんだ。多波さんに会えることが。

彼は私の手を引き、部屋へ招いてドアを閉めた。たくましい腕で私を抱きしめると、愛おしそうに口を吸った。温かで甘い味がした。

多波さんは優しい。だから、錯覚してしまう。

彼も、私が好きだと――

でも、彼の心はここに無い。彼の指先や唇を温かいと思うほど、現実に引き戻される。体が向き合っても、心が向き合うことはない。そう思うと、どんどん心は冷えていった。

寒い夜に、冷え切った体を温めただけ。そう思って、耐えるしかなかった。

****

私の名前は、一希いつき のぞみ。女性向け雑貨を販売する小さな会社に、勤めている。社員は女ばかりで、男と関わることはほとんどない。

私が多波さんに出会ったのは、会社帰りの電車だった。もうすぐ冬なのに、満員の車内は熱気で蒸していた。

「ふぅ・・・」

息が詰まりそう。

私は吊り革につかまりながら、耐えていた。目の前の座席は、ぎゅうぎゅう。今日も座れそうにない。

ブーブー

鞄の中でスマホが震えた。母からのメールだった。

「もう27歳なんだから、結婚を考えた方がいいんじゃない?いい人はいないの?」

・・・またか。

メールを見なかったことにして、スマホを鞄に投げ入れた。

周りに女しかいないのに、どうやって恋するのよ?

そもそも、私の人生は男と無縁だった。中・高・短大、全て女子校、会社も女ばっかり。唯一の思い出は、小学校の時、向かいに住むケンちゃんと手を繋いでスーパーに行ったこと。

男じゃなくて、男の子だし・・・。

因みにケンちゃんは、今では3児の父親だ。

おまけに、私は地味だった。会社の同期は皆キラキラしているのに、私だけモサッとしている。なので寄ってくる男は、道でティッシュを配っている人くらいだ。

プシュー

電車が停車してドアが開くと、冷たい新鮮な空気が車内に入ってきた。思わず息を吸い込む。真正面に座っている女子高生が席を立った。

ラッキー!

すかさず、着席。横に立っていたオバサンの舌打ちが聞こえたけれど、私はオーバーなあくびをした後、寝たふりを決め込んだ。

電車は再び走り出す。私がうとうとし始めた頃、狙ったように急停車した。

ドスン!

肩に何かぶつかった。隣に座っている男が、もたれかかってきたようだ。男の顔は、ズルリと私の肩をすり抜けて、目の前に下りてくる。恐る恐る、薄目を開けると、男の顎が見えた。端の方に長い髭が、ちらほらと残っている。

・・・剃り残し・・・かな

水色のワイシャツ、少しシワのあるネイビーのスーツ。サラリーマンだろう。

それにしても・・・重い。

肩にかかる重みで、男がかなり大柄だと分かった。少し目線をずらすと、顔が見えた。眉間に彫刻刀で掘ったようなシワが、二本刻まれている。怒ったような顔。でも、不思議と怖くない。大きな瞼に、固そうな肌、ゴツゴツとした鼻筋。

どうして同じ人間なのに、私とこんなに作りが違うんだろう・・・。

こんなに間近で、男を見るのは初めてだった。寝息に合わせて男の体が上下するたびに、私の服とスーツがゆるゆる擦れ合う。触れあっている肩が妙に熱い。

ふと、唇に目が留まった。肉厚で張りのあるピンク色だった。

・・・へぇ、男の唇も、ピンクなんだ。

肌色に近いと、思い込んでいたので驚いた。新鮮だった。口はへの字に曲がっていて、今にも不平を言い出しそうだ。

この口で、誰かとキスをするのかな・・・。

「××駅ー、××駅ー」

車内アナウンスが、最寄駅に着いたことを知らせる。今思えば、男を退かして、さっさと降りれば良かったんだ。バカな私は、男が目を覚ますまで、ずっと肩を貸していた。

****

気がついたら、終点だった。

車両のドアが開くと、肩がフワリと軽くなった。男は、ようやく目を覚ましたようだ。

ここで、目を開けるのは気まずい・・・寝たフリをしよう。

そう決めて、じっと男が去るのを待った。

「おい、終点だぞ。」

低い声が車内に響き、体が前後にユサユサと揺れた。ビックリして目を開けると、私に寄りかかっていた男が、目の前に立っていて、私の肩を乱暴に揺さぶっていた。思っていた通り、大柄の男だ。目の前に大きな壁があると錯覚するほどの体格。男は眉間に深いシワを寄せ、私を睨みつけていた。

「・・・すみません。」思わず謝罪。

コイツに肩を貸していたのは私なんだから、謝るのは、おかしいよな・・・。

後から、思った。

私が起きたことを確認すると、男はズンズンと降車口に向かい、何事もなかったように電車を降りていった。

ホームで鉢合わせたら、気まずいな・・・。

バッグを整理するフリをして、数分経ってから、恐る恐る、電車を降りた。降りたところで顔を上げると、目の前にさっきの男が立っていた。

・・・なんで、まだいるの?

男は、相変わらず眉間にシワを寄せていたけれど、口元は少し笑っていた。

「俺の顔は、面白かったか?」

「・・・え?」

「薄目で見ていただろう、ジロジロと。」

寝てたんじゃなかったの!?

ザッと全身の血が引いていく。この男、私のことを薄目で見返していたらしい。

「多波」

「え?」

「俺の苗字。アンタは?」

一希いつき・・・ですけど。あの、起きてたなら寄りかからないで下さい。降り損ねました。」

「俺の顔を眺めていて、降りるのを忘れたんだろう。」

ブワッ

私の全身を冷や汗が覆う。

うぅ・・・言い返せない・・・今すぐここから消えたい

たまらなくなり、男をすり抜け改札へ走った。

その瞬間、グン!と後ろに引き戻される。驚いて振り向くと、大きな手が私の腕を掴んでいた。

「待てよ。最初は俺も寝てたんだ。肩を貸してくれた、お礼がしたい。」

・・・・胡散臭い

男の手は大きかったけれど、腕を軽く掴んでいるだけだった。振り払おうと思えばできた。でも、私の腕は動かなかった。
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