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2章

2-13 水底の思い出

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すぐに彼女の鎖を断ち切ってあげようとサラが動いたと同時に、ニムエが待ったをかける。


「その前に、あなたのおともだちを解放するよ。
そして謝らせてほしいの。
ほんのわずかな時間だったけど、我を忘れて酷いことをしたのは確かだから…」

「ニムエ…。うん、ありがとう」


今まで悲壮感が漂い、泡のように消えてしまいそうだった雰囲気が一気に柔らかくなったニムエが、
指先でジュリア達を包む魔法をかき消す。
それと同時に気付けの回復魔法と水中呼吸の魔法もかけてくれたおかげで、
ジュリアたちの覚醒はとても早かった。


「私…」

「そうだ、ニムエ!」

「待って!みんな落ち着いて!」


ニムエを視界にとらえた途端に戦闘態勢をとる仲間たちに、サラは彼女に害はないことを訴えた。
説明が下手ではあったが、穏やかなニムエの様子を観察すれば一目瞭然だったのだろう。
ミネルヴァが剣を収めたのをきっかけに全員が落ち着きを取り戻した。


「本当に呪いはかき消したんだな?」

「うん、大丈夫。少しきつかったけど、あの程度なら私は浄化できるよ」

「まさか神を呪う手段があるなんてね…。村長が雇ったあの男、何者なのかしら…?」

「バルトロメウス協会って言ってたっすね。誰か聞き覚えは?」


ミネルヴァは首をひねり、物知りなジュリアでさえ応える事は出来なかった。
一切の情報が不明瞭な組織の存在にサラ達は気味の悪さを覚える。
それに追い打ちをかけるようにニムエがそういえば、と口を開いた。


「あの人、変なこと言ってたよ。『薔薇には効いたけど百合はどうかな?』って」

「バラ?」 「ユリ?」

「バラ肉?ゆり根?どっちかってんなら肉うどんかな~」

「何の話してんすかお前は」


刻みネギも欲しいと言うパロマの頭をワトーがペシンと叩く。
あの呪術師、オセと呼ばれていた男の行動は不可解だが、それよりもサラにはやるべきことがあった。


「ようわからん話は後々!ニムエ、鎖切るで!」

「…うん」


ニムエの頷きを合図に、サラは透明な鎖に杖を振り下ろす。
どうか彼女の未来が明るくありますようにと、祈りを込めて。
だが、サラとニムエの予想に反して、鎖は振り落とされたそれを拒んだ。

杖の先端は鋭利な槍のようになっているのだから、古い鎖など砕けると高をくくっていた。
バチバチと魔力を帯びる金色の魔法文字が鎖にとぐろを巻いている。


「え!?結界!?」


サラが驚いているとニムエがぼそりと呟いた。


「アルティナ様の魔法…」

「アルティナ様?どういうこと?」


ニムエは少し戸惑いを見せたが、意を決した表情で重たい口を開いた。


「わたし…ううん、わたしたち姉妹を創ったアルティナ様の魔法陣は、
この世界で唯一、金色に光るんだよ」

「じゃあこの魔法陣はアルティナ様が施したもので間違いないってことなんや…。
でもどうしてこんな…湖に縛り付けるみたいなことしたんやろ?」

「それは、わたしたちをリィトス様から守るためだよ。
この湖に居ればアルティナ様の魔力が守ってくれるから…」

「それはおかしいわ。どうしてリィトス様を警戒する必要があるの?」


伝説では過酷な戦闘の末、リィトス様の力を5つに分けたアルティナ様が各地に封印したとされている。
そのあと湖を創ったはずだから、
時系列的にリィトス様を警戒してニムエ達を鎖でつなぐ必要は無いとジュリアは意見する。
確かにその通りだ。
それなのに何故…?とサラが怪訝に思っていると、ニムエがその疑問に答えてくれた。


「詳しくは知らないけれど、アルティナ様はこう言ってたよ」


『リィトスの一部を逃がしてしまった』


その言葉を聞いてジュリアとミネルヴァが討論を始める。
二人ともサラより段違いで知識量が多い。
こういった難しい事柄に関してサラができることは何もない。
そう考えて改めて自分に出来る事を探した時、やっぱりこれしかないと感じた。


「なあニムエ。鎖切るん、もう一回だけ試させてくれへん?」

「え?でもアルティナ様の結界が…」

「実はこれ、魔法かけた本人が使ってた杖やねんで!なんか解けそうな気ぃするやろ?」


アルティナ様の杖?と首をかしげるニムエを見て、サラはしたり顔で魔法を展開する。
確固たる自信があった。

何故かって?
だってこの結界はエデンのオリジン魔法そのものだ。
解除方法もオリジン魔法に違いない。
そういえば歴史の授業でエデンのオリジン魔法は、
アルティナ様の魔法を元にしているとか何とか言っていた気がする。
座学の大半は寝ていたから薄っすらとしか覚えていないが。


「本当に解除できるのか?
創造神が張った結界なんだろう?
おっちょこちょいのアホ毛魔導師が解除できるものなのか?」

「で、できるもん!この結界だいぶ古くて魔力弱まってるし!」

「ねえ。もしかしたらあれが役に立つかもしれないよ」


そう言ったニムエが指さした先は水草が茂る湖底の隅。
水の精霊たちが水草を除けると小さな木箱が白砂にまみれて埋まっていた。
その木箱の蓋には緑色に光る石がはめ込まれている。

「あの緑色の石…まさか、アルティナ様の?!」

「探してる物かは分からないけど…わたしは触れる事すらできなくて。
でも大切な物だってお姉ちゃんも言っていたし、周りを水草で隠していたんだよ」


ゼルバが言っていた通り、湖底にアルティナ様の遺品はそこに眠っていた。
特に結界が張ってあるようには見えないのに、不思議とニムエや精霊たちは触れられないという。
アルティナ様の杖を持つ自分なら開けられるかもしれないと思い、サラは率先して箱の前に立つ。


「よーし!罠でも何でも来い!」

「いや、箱相手に杖構えるの面白過ぎっしょ」


パロマがあまりにもケラケラと笑うので、
サラは少し気恥ずかしくなり近くで暇そうにしていたワトーに目配せする。
頼むから箱にアクションを入れてくれ、と。外的要因があれば箱が何か反応を示す可能性が高い。
その時にサラが魔法で抑え込むほかないのだ。
ワトーには損な役回りではあるが、彼女以外に頼めそうな相手が見つからないのである。


「あーもう、ハイハイ。
まあ私がどうなろうと姫様が回復してくれるし?
杖の所有者や王族様やパンピーにやらせるわけにもいかないんで。
やらせていただきますよっと…あれ?」


ワトーがぐちぐち言いながらも木箱に触れると、簡単に持ち上がってしまった。
箱に付着していた砂もパッパッと払えてしまうほど、ごく自然に何の変哲もない箱なのだ。
それはまるで毎朝触る歯ブラシのようにお手軽で、警戒心を持つまでもない代物だった。
その意外性にワトー自身も驚きを隠せない。


「ええ?!」

「実は何の魔法もかかっていなかった…ということ?」

「とにかく、この石を杖につけてニムエの鎖を切りますか。
魔力が増幅したりするのかは知らないっすけど」


ほれ、とワトーからサラに差し出されたのは以前ジュリアが話していた【意思の緑輝石】。
確か杖の最下部に取りつけるはずだ。
サラはしゃがんで杖の一番下にある小さなくぼみに石を押し込んだ。
すると緑輝石をはめた場所から金の魔法文字が浮かび上がり、らせん状になって杖の先端までを駆け巡る。


「な、なに?!」

「懐かしい力の波…これは間違いなく、アルティナ様の力だよ」

「やっぱり…杖は本物だったんだわ…!」

「アルティナ様…の杖…存在したのか…」


ニムエの証言を受け、アルティナ様の杖であるという真実が決定づけられた瞬間、
ジュリアを筆頭にその場にいたすべての者の瞳に希望が宿る。
そして案の定というべきか、サラが再び瞼を開けた先は真っ白な世界であった。


「また…?カロラでもあった白昼夢…もしかして、アルティナ様の力に触れたからなんかな…」


霧がかった周囲が徐々に晴れていく。
どうやら今回はエデンの大聖堂ではないらしい。
見たことのないサラの知らない町並み。
でもどこか温かくて、のどかな田舎町といった印象を受ける。


「どこなんやろ…ここ」


広大な果樹園や田畑に交じって、ぽつぽつと大きな屋敷が見える。
脇道に行こうとしても、いつの間にか引き戻されている。
どうやら広く見えるようでサラが歩けるのは一本道のようだ。
ただひたすらにまっすぐ歩いていくと、少し小高い丘に辿り着いた。そこには一本の若木があった。
サラの背丈ほどしかない若木に触れると、後ろに気配を感じ、サラは勢いよく振り返る。


「だれ?!」


そこにいたのは絵本や伝承にあったままのお姿。
緩くウェーブがかった金のロングヘア、美しいエメラルドグリーンの瞳、陶磁器のように白い肌。
白と金を基調とした衣装が美を際立たせ、聡明さと尊さすらも感じさせる。
唯一無二の存在。
三女神の一人であり、創造神。

人々の救世主、アルティナ様だ。


「ア、ル…ティナ、さま…?」


伝説上の女神が自分の白昼夢に出てきている。
いや、そもそもこれは白昼夢なのか?
アルティナ様の遺物に触れたからなのだろうか?
サラが口をあんぐりと開いて硬直していると、アルティナ様の後ろから遅れて年老いた男がやってくる。
どうやらアルティナ様と男性にはサラの姿が見えないらしい。
二人はサラを無視して会話し始める。


『アルティナ、本当に…いってしまうのか?』

『…ごめんなさい。
でも、あなたとの日々はとても輝いていて、美しくて、楽しかったわ』

『……この地で、良いんだな?』

『ここでなければ、いけないのよ。…あとは、さっき話した通りに』

『………っ……』

『泣かないでアダム…ねえ、おねがいよ。あなたにしかできないの』

『せめて、せめて…墓標は…人としての、君の名を掘らせてほしい。
僕だけがいけるあの場所に立てるから…』

『…わかったわ。許しましょう。それじゃあ、おねがいね…』


(墓標!?それって死ぬってこと?!
え?で、でもアルティナ様は神様だから死ねないし…第一、伝説と違ってる…!)


伝説ではアルティナ様は力を使い果たしてどこかにお眠りになっているだけのはず。
それがどうして人間のように死ぬなどとおっしゃっているのか?
男の方も人としてのアルティナ様の名前がどうのと、よく分からないことを言っているし、謎だらけだ。
そうこうしているうちにアルティナ様は若木を背にして立ち、男と対面する。
思いつめた表情でボロボロと涙を流しながら、男が腰に差していた剣を抜く。


男が剣を構え、そして、アルティナ様の左胸を若木ごと貫いた。
ごぽり、とアルティナ様が吐血する。
それでもなお、アルティナ様は笑みを浮かべてアダムと呼んだ男の頬を撫でつけた。


『わたしの半身を、おねがいね…。…来たる、その…ひ、まで…』


(……っ!?!?)


熟したリンゴの色のように鮮やかな血がアルティナ様と若木の間を伝い、地面には赤い水溜まりができた。
突き刺した剣を引き抜いたアダムは膝からガクリと崩れ落ち、剣を放って悲しみを叫んだ。


『ああああああっ!!!イヴ!イヴ!』


(どういう事?!イヴって?!アルティナ様は、人として死んだ?!)


全く話が分からないサラを白い霧が無慈悲にも包んでいく。
アダムとアルティナ様、あの小高い丘が煙のように消えていく。
待って、まだ何も理解できていない。
サラが若木へ思い切り手を伸ばしても、そこに決して手は届かない。

どんどん現実に引っ張られていく感覚。
自分の名前を呼ぶ声が、遠くで聞こえる。



「サラ!!」

「…っ!?」

「なにボーっとしてんのさ!はやくニムエの鎖を切っちゃってよ!」

「パ、パロマ…私…」


首をかしげるパロマの様子からして、ほんの数秒ぼんやりしていたように見えていたのだろう。
たった数秒の間に、凄まじいものを見てしまった。
こんな白昼夢があってたまるか。
間違いなく、アルティナ様の力が関係している。

ふと、手元の杖を見やればもう輝きを失っており、いつも通りに戻っていた。
いつも通りの杖だが、いつも通りの魔力ではない。
巡ってくる魔力の量がケタ違いに増えているのを感じる。
サラは改めてニムエの鎖に杖を向けた。
足元にオレンジ色の魔法陣が展開され、杖は魔玉の両脇に白い羽をはばたかせた。



《掟を砕けよ英知の剣 燦然の輝きを奮う時 凍てつく鎖を断ち切らん―



凄まじい魔力の渦に湖の中で激流が走る。
ニムエは慌ててジュリア達が波にのまれないよう水の結界を張ってくれたのが薄っすらと感じ取れた。
それにサラは安心して詠唱を続行する。

体が熱い。
ぐるぐると魔力を含んだ水が竜巻のようにサラの周りをまわるのも気にせず、言葉を紡ぐ。



―天より翔けて我が元へ 
目指すは蒼き奥底の枷 我が盟約の名の元に解き放て》



《セーバーソード》



サラが詠唱を完了すると、空のかなたから湖めがけて光の大剣が太陽のごとく輝きを纏って落ちてくる。


ザンッ!!キィインッ!


激しい水音と金属音が水中に波紋として響き渡る。
水に交じってきらきらと光の粒が流れていた。それは湖底から。
ニムエが湖底と自分の足を交互に見つめ、感嘆の声をあげる。


「あ、あ…わたし…!」

「おめでとうニムエ!自由やで!」

「ああっ…!あ、ああ、ありがとう、ありがとう…ほんとうに、あり…がとう…!」


ボロボロとうれし涙を流すニムエの傍に自然と全員が寄り添う。
水の精霊たちも嬉しそうに、そして少し寂しそうにしながらも、ニムエの自由を祝福してくれた。


お祝いムードの中、ところで…と、ミネルヴァが口を開く。


「お前。さっきのボケッとしている間に、また白昼夢を見ただろう」

「うぇっ?!なんでわかったん?!ほんまに数秒やったのに!」

「分かるわよ。貴女、反応が素直なんですもの」


どうやらパロマに話しかけられた時の返事の仕方で見破られてしまったらしい。
この二人の観察眼が鋭すぎてサラはアハハと苦笑いする。


「い、いやあ~なんか…よう分からんかってんけど…」


そう言ってアルティナ様の事とアダムとイヴ、田舎町の若木など自分の持てる語彙力を総動員して説明した。
話し終えるとジュリアたちは深く押し黙ってしまった。
そりゃあそうだろう。聞いていた伝説と全然違う話になっているのだから。

「もし、それがアルティナ様の記憶の断片で、真実なのだとしたら…
杖を使用しても奇跡は起きないんだろうか…?」

「でもアルティナ様は後世に何かを残されたのでしょう?その、アダムという人に」

「わからんな…この手の伝承はゼルバに聞いた方が早い。
色々とごたついたせいで杖の鑑定を言い出せなかったが、そのついでに聞いてみるとしよう」

「まあ…ニムエの証言で正真正銘の本物だってのは、ほぼ確信に変わったっすけどね」

「とりあえず、この箱の中身を見たら地上に上がろうじゃあないか」

「おわあ、ちょっと!!」


ひょい、とミネルヴァがワトーの手から木箱を取り上げる。
罠や結界がないと知った途端に自ら動くあたり、さすがの王族様である。
木箱に鍵はかかっていなかったようで、蓋がすんなり開いた。
箱の中から出てきたのは一通の古ぼけた封筒だけだった。
封筒を手に取り、何気なく確認したミネルヴァは何かを見つけたのか、口角を吊り上げる。


「……ふん。どうやらこれはお前宛らしい」


そう言ってミネルヴァは封筒をニムエに手渡した。
突然のことに戸惑うニムエだったが、封筒の裏に書かれた差出人の名前を見て目を見開く。


「おねえ、ちゃん…?」

「え?!おねえちゃんって…それ、エレインからの手紙なん?!」

「どういう事?エレインもニムエ同様にこの箱に触れなかったのではなくて…?」

「まあまあ。姉さんからの手紙なんだし、ゆっくり読ませてやんなって~」

「そうっすよ姫様。はやる気持ちは分かるっすけど、ここは少し堪えましょ」

「そ、そうよね…私ったら…ごめんなさいニムエ…」


パロマの意見に賛同したワトーに指摘を受けたジュリアはハッとして、ニムエに謝罪する。
ニムエが特に気にした様子もなくジュリアに頭をあげるよう言っていると、ミネルヴァが口を開いた。


「しかし何故エレインからの手紙が入っていたのかは正直、私も気になるところだ。
もし内容が教えられそうなら情報をよこして欲しい」


ミネルヴァの言葉にこくりとうなずいたニムエは封を開き、手紙を目で追っていく。
数行程度だったのか、すぐに読み終えたニムエだったが、手紙を大事そうに胸に押し当てて一筋の涙を流す。


「お宅、大丈夫?」

「ん。だいじょうぶ。ちょっと昔を思い出しちゃった」


手紙の内容をかいつまんで話すね、とニムエが教えてくれた内容はこうだ。
まず、この箱の中に入っていたものはエレインが湖を出る時にどうしても必要だったため、持ち去ったこと。
二つ目に、箱にエレインが触れられたのは、
そもそもアルティナ様からエレインに手渡され守るよう託されており、
エレイン自身が妹も触れない結界を施し、自分も触れない風を装っていたこと。

そして最後に…


『こんなことになって、ごめん。
おねえちゃんは先にいくけど、ニムはゆっくりおいでよ。
ああ、そうだ。さいごに一つ。
人として生きる夢をあきらめないで。
それじゃあ、またいつか』

「その言い回し…まさか…」

「ん。多分、おねえちゃんは…もういない、んだと思う。だから…手紙を、のこし、て…」


エレインは元々入っていた物について何も触れておらず、一切の詳細は分からない。
けれど、それが当時の彼女にとってはよっぽど必要なもので、仕方なく持ち出したのだろう。


「それにしても、お宅の姉さんは機転の利く奴だったんだね~」

「え?」

「だってそうっしょ?敵を欺くならまず味方から。
誰も触れられない風を装っといて、いざという時には姉さんだけが箱の保管場所を移動できる。
これってお宅や湖を守る手段でもあると思うよ~?」


アルティナ様の遺産目当てで来た賊相手なら、
自分しか触れられないことをアピールして囮になることもできる。
そう言ってニムエを励ますパロマの目はとても温かだった。


「それにさ、手紙残してくれてるってことは、よっぽどニムエの事気にかけてたってことじゃん?
守られてた分も、しっかり生き抜いてやんなきゃ損だよ!
人間にでもなんでもなっちゃいましょうや!」

「うん、うん…ありがとう…」

姉を失い天涯孤独となったニムエに、パロマは過去の自分自身を重ねているのかもしれない。
小さく嗚咽を漏らしながら涙を流すニムエにパロマが寄り添う中、ミネルヴァがつぶやく。


「ん?この箱の底蓋、外れる…か?」


手紙と輝石以外に本当に何もないのかと、箱を弄くり回していたら底蓋がガコンと外れた。
二重底になっていた隙間からひらりとボロ布が舞い落ちる。
ミネルヴァは見事な反射神経でその布切れをキャッチすると、首をかしげてこう言った。



『永遠の器は心とありて 創造の器は技の先にあり 智賢の器は体を成す』



「え~?なにそれ?なんの話なん?」

「どこかの古い言い伝えか?聞いたことがないな」

「うつわ~?どんぶりの話?」

「んなわけあるか!」


最早コントの勢いでワトーがパロマにツッコミを入れるのが様になってきた。
それらを華麗にスルーしたジュリアが口元に手をやって何やら考え込む。


「ジュリア?どうかしたん?」

「えっ?あ、ああ…ええと、なんでもないわ」


サラの気配にすら気づけないほど集中していたのか、ジュリアは少し体を退いて愛想笑いを浮かべた。


「それより、ニムエも自由になったのだから外へ出ましょう?村長さん達も心が休まらないでしょうから…」

「あ?ああ、そうだな。リナリアたちの様子も気になるところだ。ニムエ、心づもりは良いか?」


ミネルヴァの問いにニムエは不安げに瞳を揺らす。そんな彼女の手をグイと引っ張ったのはパロマだった。


「だーいじょうぶ!あたしもついてってあげるからさ!」

「で、でも…人間になる手段を探すなんて…そんな、途方もないことに付き合わせるのは…」

「アタシはお宅を絵のモデルに使いたい。お宅は人間になる術を探したい。
これってウィンウィンの関係じゃん?
意外かもだけど、アタシの情報網結構広いんだよ~?」


案外はやく人間になれちゃったりするかも!と歯を見せて笑い飛ばすパロマに釣られて、
ニムエもくしゃりと破顔した。

ニムエのお役目のため、一番小さな精霊が彼女の腕輪にすり寄る。
ポフン、と軽快な音と泡を立てて精霊が腕輪の魔石に潜り込んだ。
これで水の精霊を監視する、という役目は遂行できるはずだ。

湖を出る準備を終えたニムエを連れ、サラ達は水面へと浮上した。
湖底で精霊たちがニムエにいつまでも別れを告げ、それに呼応するかのようにニムエの腕輪がわずかに光る。
ざばんっと久方ぶりに大地を踏みしめると、すぐに村長や村人、ゼルバの驚いた顔が並んでいた。


「ニムエっ!!」

「ライナ様、お嬢さんがたもご無事で!」


サラ達の帰還を喜ぶ一方、村人はニムエを凝視して鍬や剣を構えたまま牽制する。
びくりと肩を震わせるニムエだったが、隣に立つパロマやサラ達を見て、息を大きく吸い込んだ。


「わ、わたし、は!」


自分が雨乞いの神ではない事。もう水を運んであげられない事。
そして人間になりたい夢がある事。
ニムエは唇をたびたび震わせながらも、村人たちに丁寧に説明した。
もちろん、姉であるエレインの事も。
この地域一帯の地盤のゆるみについても話すと、村人たちは驚きと共に謝罪の言葉を口にするようになった。
これでようやく、長い間かけ違えてきたボタンが元通りになったのだ。

ニムエに対し酷い誤解をしていたとして村人たちがひとしきり謝ると、村長が前に出てきた。

「ニムエ。本当に、ほんとうにすまなんだ…。
儂は、儂はお前さんの気持ちを無視して自分勝手なことをした…死んでも詫びきれぬな…」

「…えっと、アル?アルだよね…?」

「え?」

「ごめんね。ずいぶん昔と姿がちがうから、すぐにわかんなかった」

「ニムエ、まさか…儂の、いや僕の事を覚えて…」

「たくさんお花をくれてありがとう、アル。わたしのこと…ずっと考えてくれて、ありがとう」

「ニムエ…!」

「こんなかたちでお別れになっちゃってごめんね。
わたし、がんばるから…応援してくれる?」

「もちろんだとも…!君が、君が笑って過ごせるよう、ここでずっと祈っているよ…。
ありがとう、ありがとう…ニムエ」

「ん。アルも元気でね」


村長とニムエの和解がサラ達と周囲の人全員の涙を誘うのは容易かった。
まるで一本の上質な舞台を見た時のように感動したサラ達は、
ひとまずゼルバの屋敷で腰を落ち着ける運びとなった。

屋敷に入るや否や、小さな影がサラの横をすり抜ける。
直後、ドンッとパチンコ玉に体当たりされたニムエがうわっ、と体を震わせる。


「ニムエ!」

「レニャ、怪我はない?」

「うん!つり目のおねえちゃんがたすけてくれたの!」


にぱーっと笑ってニムエにしがみついて離れないレニャと戯れていると、
二階からぱたぱたと足早に階段を降りるリナリアが小言を言いつつ降りてきた。


「ああ、もうこれだから子供は…いったいどこに…え、え?ライナ様!!ご無事ですか?!」


先ほどのレニャよろしく、リナリアはミネルヴァの姿を目視した瞬間にすっ飛んできた。
お怪我はありませんかと過保護な母親のように心配するリナリアを見て、ミネルヴァは困ったように笑う。


「リナリア、そんなに私の事を気にかけていたのか?まるでレニャのようじゃあないか」

「レニャ?…っ、ち、違います!私はただ従者として主の身を案じていただけです!」

「ハイハイ、そういう事にしておいてやろうなー」

「ライナ様!」


私を幼児と一緒にしないでくださいと小型犬がミネルヴァの傍で吠えているが、
気にかけることなくミネルヴァは椅子に腰かけた。
それを合図に全員が腰かけると丁度良いタイミングでハリエットがティーセットを持って台所から現れた。


「ハーイ!お茶を持っておちゃめに登場しますは、皆様ご存じのハリエットにございます~!」

「あーなんか一瞬で安心したわ。ハリエットさんも無事でよかったなあ~!」

「賊に囚われるだなんてお姫様気分を満喫いたしました~!」


少々腰が痛みましたけど、オホホと笑うハリエットはサラ達の前にお茶を手際よくセッティングする。
こうしてよく見れば、オセが化けていた偽物のハリエットとは似ても似つかない。
メイドとしての所作の美しさが段違いである。…ギャグのセンスはまた別として。


「さあさ、レニャさんはお家に帰りましょうね~。私がお送りしますよ」

「やだやだ!まだニムエとそばちゃんと遊んでない!」

「また今度遊んだらよろしいじゃあありませんか、ね?
ほらほら、いつも言っておりますでしょう?よお~くお考えくださいませ」

「あっ!」


ハリエットの台詞でレニャは自分の服をチェックし始め、何かに気づく。
そして頬を赤らめてハリエットに向き直ると、二人は声をそろえてこう言った。


「「身なりの汚れは心の汚れ!」」


確かに、レニャの服はしわくちゃで髪の結びも緩くなっていた。
長いこと箱に閉じ込められていたのだから仕方ないことだ。
だがその姿で居続けることにレニャは耐えられないらしい。
ハリエットがうまいこと教え込んだようだ。


「レニャ、こんなお洋服じゃばっちい!お家かえる!」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。お家に帰ってばっちいのとバイバイしましょうね~」

「バイバイする!」

「はい、ではこれにて失礼いたします」


ハリエットがレニャを連れて一礼して下がったのを見計らい、ゼルバが口を開く。


「いやはや、本当に大変でございましたな。
ニムエと村の確執もひと段落着きましたし、爺の心残りが一つ減りましたよ」

「何が心残りだ。お迎えにはまだ遠いぞ」

「ライナ様、失礼ですよ!老師もそんな弱気なことはおっしゃらず、お体を大事になさってください」

「ハハハ、冗談ですとも。それはさておき、湖底にて何があったか…説明いただけますかな?」


それは私もお聞かせ願いたいです、とリナリアも前のめりになる。
サラ達は一度ニムエの方を見た後、彼女がうなずいたのを確認してから事のあらましを話した。

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