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2章
2-9 マルモル村
しおりを挟む浴室でジュリアから紅葉を張りつけてもらったサラの頬は、瞬く間に大人気のネタとなった。
スレイプニルに風魔法を施そうとしていたワトーに腫れあがった頬を見られて噴き出される。
荷台に上がろうとして先に中で待っていたミネルヴァと目が合い、鼻で笑われる。
さすがに嫌になってローブに付いているフードを被って頬を隠してみるも、面白がったパロマにひん剥かれたうえに、ゲラゲラと大笑いされてしまった。
本当に散々な目にあった。
だいたい、一般人が王族の入浴の仕方なんて知るはずないだろう。
なんで、一人で体を洗わないんだ。
いい歳なんだから一人でも洗えるだろうに。
一応、浴室の外から声はかけた。
でも返事は無いし、水音もしないしで、もしかして入れ違ったのかと思ったのだ。
思い切って扉を開けたら入り口近くで、ふにゅんと柔らかいものにぶつかった。
横転する中で慌ただしく見えたのはジュリアの驚く顔と肌色。
何故ああなったのか、体勢を整えようとしてしまったのか、今となってはよく思い出せない。
とにかく転びたくない一心で目の前にあったタオルを掴み、サラは前のめりに倒れこんだ。
そして、気が付いたら自分の下でタオルをはぎ取られたジュリアを組み敷く光景が完成したのだ。
我ながらどうしてこうなったと、つくづく思う。
あられもない姿を晒したジュリアが胸を…じゃなかった、体を震わせてサラをキッと睨みつける。
頬に紅葉が色づいたのはその時である。
後から聞けば、ジュリアは体と髪を乾かすために魔法を使っていたせいでよく聞こえなかったそうだ。
しかもその時ワトーは浴室と部屋続きのトイレに入っていたという。
せめてワトーが浴室にいてくれれば、この不運な事故は回避できただろうに。
慌てて人生で初めての土下座をしたおかげか、ジュリアはすぐに許してくれた。
馬車に乗って数分のうちは笑い話として提供されたが、すぐに別の話題に切り替わったことだけが救いである。
まあそれでも、パロマだけは風呂場事件の話がツボに入ったようで、道中に何回かサラに絡んできた。
サラが辟易しながらもパロマと話していると、馬車がゆっくりとその足を止めた。
御者席からひょこりとワトーが顔を出す。
「いま村に入る手前っすけど、姫様の件はくれぐれもよろしくお願いしますよ」
「ああ。任せろ、ワイアー」
ミネルヴァの返事を聞いたワトーは小さく口角を上げて、持っていた手綱を軽く打つ。
また動き出した馬車の中でジュリアがリナリアからフード付きのケープを受け取り、羽織る。
上半身までをすっぽりと包み隠す深緑色のそれは、
裾にささやかな銀の刺繡が施されており、ジュリアの今の服装に良く似合う。
リナリアはもう一枚の黒い外套を持ったまま、ミネルヴァの方を見やる。
「ライナ様、本当に上着は宜しいのですか?」
「必要ない。剣が見えていればそれだけで牽制になる」
「何を格好つけているんです。
本当は動きにくくなるから着たくないだけでしょうに」
「なんだ、知っているなら最初から聞くものじゃあないだろう?」
「ハイハイ、わかりましたよ」
ハア、とため息をついて外套を丁寧に片づけるリナリアは、
まるでミネルヴァのお母さんのようだ。
道中でも話題になったが、ミネルヴァは身分を隠さないと宣言していた。
詐称したところでどうせボロが出るし、自分の立場は理解しているが隠すほどではないと言っていた。
むしろカロラの王女が健在であることを世間に知らしめたい姿勢を見せたミネルヴァは、ジュリアとは真逆の思考をしていた。
そのあともミネルヴァは、何やら小難しい国同士の話をしてジュリアと意見交換を図っていた。
途中から話についていけなくなったサラだったが、
外見の話にすり替わったあたりでまた耳を傾ける。
ジュリアがせめて外套で隠すか、もっと地味な服装に着替えるべきだと訴えていた。
確かに、ミネルヴァの派手な真紅の服に黒のタイトなパンツスタイルは否が応でも目を引くだろう。
その横に巫女服の従者がいれば尚、目立つというもの。
それでも二人は、この格好でないと落ち着かないの一点張りだった。
なんでも、戦争の時もこの服装だったから動きやすいんだとか何とか言っていた。
サラの黄色のローブだって目立つだろうと引き合いに出された時は少々焦ったが、お気に入りの服がある気持ちについてはサラも同意見だ。
それに町にもよるとは思うが、最近の服はかなり派手な彩色が多いのでジュリアが気にするほど目立たないだろう。
どちらかと言えば、地味な暗い色の方が怪しく見える。
その観点からすれば、今ジュリアが羽織っているケープは控えめながらも上品な印象を受ける。
リナリアは人を見て服を選ぶことに長けているのかもしれない。
どうせなら隣でいびきをかいて寝腐っている、
変人画家の服装も整えてやって欲しいところだ。
ガタンガタン、と馬車が大きく揺れる。
ちらりと外を覗けば道幅は広いものの、でこぼこと足場が悪い。近くには大きな岩肌が見え、遠くの方で炭鉱のようなものも見えた。
「ぶぇああ、もう着いた~?」
癖のあるあくびをしながらパロマが目覚め、片目をこすって上体を起こした。
「この道を越えましたら、すぐに村へ入るでしょう」
降りる準備をしておいてください、とリナリアは全員にアナウンスする。
言っていた通り、でこぼこ道を下った先で馬車は一時停止した。
ワトーが近くの村人に声をかけ、馬車を止めても良い場所にゆっくり移動する。
連れてこられたのは村で管理している放牧場の片隅にある大きな厩だった。
「すまねえなあ。
村の宿は小せぇもんで、ここで勘弁してくんな」
「いえいえ!お気遣い感謝します!」
ヤギ飼いの老人と話すワトーの横顔は、いつもとはまるで別人の曇りない明るさの笑顔で溢れていた。
すると話し終えたのか、ワトーが御者席から降りて荷台の日除けをめくり上げた。
「宿は村の中央にあるそうっす。村の出口に近い方まで連れてこられたんで、ちょっとばかし歩きますよ」
「そう。それにしても酷い匂いね…」
ワトーが差し伸べた手を借りてジュリアが荷台から降りる。
次いでミネルヴァが軽やかに降り、リナリアも後に続く。
「マルモル村は炭鉱とヤギの乳が有名ですから、獣臭くもなるでしょう」
「とにかくだ、さっさとゼルバを訪ねるとしよう。
いつまでもそれでは、視界が狭いだろう?」
ミネルヴァが腰をかがめてフードの下の顔を覗き込み、ニッと歯を見せてジュリアに笑いかける。
「ええ、そうしていただけるとありがたいわ」
サラの位置からではよく見えないが、きっと微笑んでいるジュリアの顔を想像し、サラも釣られて口元を緩ませる。
「そんじゃ、あたしはここでお別れかねえ~」
「あっ、そっか。パロマは師匠さんのところに行くんやっけ」
「そ。まあ村に居てる間は遊びにおいでよ。
湖の近くにお師匠のアトリエがあるからさ」
「そうか。パロマ、元気でやれよ」
「お気をつけて」
「うん。ミネルヴァ様もリナリア様もげんきで。
エルフのお二人さんも!」
「パロマ、元気でな」
「ちょっとサラぁ~!そんな顔しないでよ行きにくいじゃん!みんな生きてりゃどっかで会えるんだし。
それに、サラなら大丈夫っしょ!」
「…せやな、うんっ!ごめん!また会おな!」
「へへっ、じゃあ約束!」
「約束!」
パロマと指切りを交わしたサラは、彼女の新たな門出を祈り握手した。
馬車を取りに行ったときに荷台に詰め込んでいたのだろう、
初めて会った時も背負っていた馬鹿でかいリュックサックをパロマは引きずり出す。
そんじゃまたね~!と大きなリュックを背負い、湖のある方角へ歩いていくパロマの後姿をサラ達は見送った。
あっけない別れだったが、パロマからしてみれば『生きてりゃまた会える』らしい。
それに『約束』もした。パロマにはいつまでも元気で、笑ってヘンテコな絵を描き続けて欲しい。
もう犠牲者は出さない。サラは指切りをした手に力を籠め、村へと歩き出したミネルヴァの後を追った。
放牧場から村の中心部へは10分ほど歩いた。
斜面に形成されているマルモル村は山を削って住居を構えているため、階段が多い。
道のあちらこちらに炭鉱の入り口があり、屈強な男たちが忙しそうに出入りを繰り返している。
村の中を歩く人はほとんどいない中、ミネルヴァがきょろきょろと辺りを見回す。
「なあ、リナリア。ジジイの家どこだか知っているか?」
「分かりません。老師のお手紙には村に引っ越すことが決まった、としかありませんでしたので…」
「だよなあ…。仕方あるまい、あの宿で聞こう」
ミネルヴァがそう言って入ったのは3階建ての宿だ。
外観は少々古いが、丁寧に掃除がされていて小綺麗な印象を受ける。
「いらっしゃいませー」
サラ達を出迎えてくれたのは赤ん坊をおぶった、声に抑揚のない女の子だった。
「まあ、こんな小さな子が宿の受付を…?」
「5名さまですねー。お部屋は分けられますかー」
「ああすまない、客ではないんだ。少し教えてくれ」
ミネルヴァがそう言うと女の子は小さく舌打ちをし、明らかに不機嫌そうな態度で口を開く。
「…何の用」
「ゼルバというジジイの家を知らないか?
最近ここに越してきたはずなんだが…」
「なに?ゼルじいの知り合い?」
「まあ、そんなところだ」
「ふうん。ゼルじいなら一番上のおっきな赤いお家に住んでる」
ミネルヴァが礼を言うも、女の子は興味なさそうに背中の赤ん坊のお尻を軽くたたいてあやすだけだった。
それにしても何故こんな小さな子が宿の受付なんかしているのだろう?
気になったサラは宿を後にする前に女の子に話しかけた。
「なあ、なんで受付やってるん?お母さんの代わり?」
そう聞けば女の子はあからさまに嫌な顔をして、大げさにため息をついた。
「ハア…多いんだよね、アンタみたいな客。
お母ちゃんは死んだよ。
さんごのひだち?が悪かったんだってさ」
「あっ、ごめん…」
「ちょっと、何やってんすか!早く行くっすよ」
「すまない。気を悪くさせただろう」
ワトーに引っ張られて後ろに下がらせられると同時に、ミネルヴァが前に出て女の子に謝る。
気を遣われて恥ずかしくなったのか、ミネルヴァの顔が良かったのか、女の子はふいと顔を逸らす。
「別に、いい。よくある事だし。旅の人によく聞かれる」
どうやら冒険者や旅行者がこの村に訪れることは多いらしい。
マルモル村の男たちが鉱石を掘り進める山、ガルガロック鉱山を越えなければ、北の大国マーファクトや東の島国パニージャへは行けないからだそうだ。
もし鉱山を超える予定があるなら、炭鉱の道を使っていくといいと女の子は教えてくれた。
「そうか、丁寧にありがとう。
こんなに立派な受付嬢に敬意を表したい。君の名前は?」
「わたしは「ライナねえ~、レニャお出かけするけど何かいる~?」
女の子が名前を答えようとした時、宿の2階からぱたぱたともう一人女の子が降りてくる。
降りてきた女の子は受付のライナと呼ばれた女の子に瓜二つで、サラ達はすぐに彼女らが双子なのだと気付いた。
「え」
「双子ちゃんやったんや!
うわあ~すっごい!よう似てんなあ~!」
並んだ双子の前にしゃがみ込み、サラはよろしくなあ~と手を差し出す。
だが警戒されたのか、ライナちゃんが双子の片割れを背中に隠しサラを睨みつける。
結局双子がサラの手を取ってくれることは無かった。
ちょっとだけショックを受けたサラの横で、リナリアがぼそりと呟く。
「にしても名前がライナですか…これはまた…」
「なに。ライナじゃダメ?」
「い、いえ、そういうわけでは…」
ライナちゃんを不機嫌にさせてしまったリナリアは慌ててごまかすが、逆効果だ。
余計に警戒心を強めてしまった。
「ライナねえ~、この人たち誰~?」
「ゼル爺の知り合いだって。嘘かもしれないけど」
「ふう~ん?はじめまして~。
レニャ・ヘルツェンヴェインなの~。
ライナ姉の双子の妹なの~」
にこやかに挨拶してくれたライナちゃんの双子の妹はレニャちゃんというらしい。
レニャちゃんはライナちゃんと違って愛想は良いようだ。
「レニャちゃんって言うんや~!かわい~!」
「えへへ~。ありがとうおねえちゃん、レニャうれしい~」
満面の笑みで返してくれるレニャはとても愛らしい。
亜麻色のふわふわの髪の毛をサラが撫でつけていると、ミネルヴァに服の袖を引っ張られる。
「おいポニテ、そろそろ行くぞ。
ええと…教えてくれて助かった。ではこれで…」
珍しく目を泳がせ、受付のライナちゃんよりも宿の扉をちらちらと見やるミネルヴァは、どうも落ち着かない様子だ。
そんなに同じ名前の子と一緒にいるのが気まずいのだろうか?
そもそも『ライナ』という名前のどこに問題があるのだろう?
普通の名前だと思うが、カロラでは何か特別な意味を持っているのか?
とにかく早く宿から出たいという意思が見え隠れしているミネルヴァに対し、サラの右手を小さな手がきゅっと引き留める。
「え~!レニャも行く~!」
「ちょっとレニャ!変な人たちについて行ったら兄ちゃんに怒られるでしょ!」
お姉ちゃんであるライナちゃんはもちろん反対するが、彼女の中でサラ達は不名誉にも『変な人』のカテゴリに入っているらしい。
それでもレニャちゃんはめげずに粘る。ぎゅっとサラの腰元に引っ付いて離れようとしない。
「ゼルじいのとこでしょ~?何かあったらゼルじいに守ってもらうから、だいじょうぶなの~!」
「レニャ!」
「行くったら行くの~!
レニャもついて行っていいでしょ、ね?」
きゅるるん、とかわいらしい効果音が着きそうな程まん丸おめめをパチパチとさせて、おねだりしてくるレニャちゃんの破壊力たるやすさまじい。
サラはもうでれっでれなのだが、リナリアは違った。
上手い具合にフードを被り一言も発さないジュリアを背中で隠しつつ、凛とした声を響かせる。
「却下です。今から大事な話をしに行きますので、子供なんて連れていけません」
「おいリナリア」
いくらなんでも手厳し過ぎると、ミネルヴァがリナリアを嗜める。
確かに少々言葉がきつすぎた。
子供の相手が苦手なのだろうか、リナリアはグッと下唇を噛み、ミネルヴァに申し訳ございませんと頭を下げる。
その様子を見ていたレニャがミネルヴァの方へ近寄り、足元に縋り付く。
「レニャ、じゃましないから…どうしてもだめぇ?」
「ぐっ…いや、しかしだな…」
首をかしげてうるうると涙をためる幼女を前にしては、さすがのミネルヴァも歯切れが悪くなるばかりだ。
ついにこの状況を見かねたのか、ジュリアが一言二言ワトーにコッソリと耳打ちし、自分に代わって伝えさせる。
「まあ~いいんじゃないっすか。
ちょっとばかし外で遊んでもらう時間があるかもっすけど」
「おにいちゃんがお外で遊んでくれるの~?やったあ!」
「お、おにいちゃん??」
「レニャちゃん、この人はお姉ちゃんやで~」
「おねえちゃんだったの?!ごめんなさ~い!
レニャ間違えちゃった~!」
レニャちゃんはワトーの言葉遣いと断崖絶壁の胸元からお兄ちゃんと判断したらしい。
ぷぷぷ、と笑いを堪えながら間違いを指摘してあげると、
レニャちゃんは素直にワトーへごめんなさいをした。
その間ワトーが震えていたが、それは女として見られなかったことへの怒りなのか、はたまた含み笑いをしたサラへの怒りなのかは分からない。サラとしては、できれば後者でないことを願いたいところだ。
「ライナねえ~、ホントに行かないの~?」
「店番あるから行かない」
「つまんないの。じゃあレニャ行ってくるね~!」
「…レニャに何かしたら許さないから」
「こりゃまた怖い双子の片割れだな…」
ハア、と深くため息をついたミネルヴァはレニャちゃんを連れて宿を後にする。
レニャちゃんはこの後遊んでくれると約束したからか、ワトーにべったりとくっついていた。
少々羨ましいサラだったが、また遊ぶ時に一緒に混ざればいいかと考えていた。
レニャちゃんの案内もあり、ゼルバさんの家へはすぐにたどり着いた。
山肌を削った上に建てられているので、急な階段や斜面が多い道のりだったが、こんなに上の方におじいさんが住んで大丈夫なのだろうか?
若いサラ達でさえ、少々しんどいなと思える斜面だ。
お爺さんなら尚のこと疲れるだろうし、足腰を痛めたりもするだろうに。
やっぱりパワフルおねがいマッスルな感じのおじいさんなのか?
リナリアが赤い屋根の家の扉をノックすると、その扉が開かれる。
扉の奥に立っていたのは、肩幅が広く背筋がしゃんと伸びている背の高い初老の男性だった。
キッチリと一番上まで止められた白いワイシャツと濃紺のデニム姿が爽やかで、白髪はオールバックで整えられており清潔感がある。
腕まくりしたシャツから露出している手はムッキムキ、スラックスの太もも部分からも筋肉の気配がうかがえる。
いわゆる軍人体型という奴だろう。
おしゃれなニットタイで隠れているが、よくよく見ればシャツはパッツパツで今にもボタンがはじけ飛びそうだ。
「はい、ゴードンですが…おやおや、これは懐かしゅう」
「お久しぶりにございます老師」
「よう、ジジイ。来てやったぞ」
しっかり腰を折ってお辞儀するリナリアと対照的に、片手を軽く上げて挨拶するミネルヴァを目にしたゼルバは目を細め、困ったように笑みを浮かべる。
「…相変わらずのご様子で何より。
珍しく随分と大人数でいらしたのですな」
懐かしい顔ぶれにうれしさが滲むゼルバへと、レニャが抱き付いた。
「ゼルじい!」
「おやおや、レニャも一緒だったのかい?
お姉ちゃんはどうした?」
ゼルバは足元に引っ付く子犬のようなレニャを軽々と抱きあげつつ、優しく問いかける。
「店番があるからって断られちゃったの…」
「そうかいそうかい。残念だが仕方あるまい。
それで、今日のご予定はいかがされますかな?レディ」
「あのねあのね!
この前描いてた絵をね、完成させたくて来たの!」
「なるほどなるほど。
ではレディ、お部屋の場所は分かっておりますな?
爺はお客様のお相手をしていても?」
「うんっ!飽きたら降りてくる~!それにね、あとであのお姉ちゃんがお外で遊んでくれるってお約束したの!」
「それはそれは、楽しそうですな。
ではいってらっしゃいませ」
ゼルバがゆっくりとレニャを家の中におろしてやると、
小さなレディは嬉しそうに2階へと駆けあがっていった。
その様子を見届けたゼルバは、お待たせしましたと言ってサラ達を家の中へ招き入れる。
通された部屋は物が多いながらも落ち着いた雰囲気のあるアンティークなものだった。
ダークオークのテーブルセットに座るよう言われたサラは、
カウンターでコーヒーを入れてくれるゼルバを見ていた。
まるで純喫茶のオーナーのようだ。
それにしては体が少々ごついが。
コーヒーセットを持ってきたゼルバが一つ一つ丁寧にミルクと砂糖も添えてくれ、最後に自らも椅子に腰かけた。
「さて、今回はどういった御用向きですかなプリンセス・ライナ」
「ぶふっ」
ゼルバがミネルヴァに向けて放った単語が似合わなさ過ぎて、サラは盛大に噴き出してしまった。
ぎろりとミネルヴァがこちらを睨み、ゼルバへと顔を向ける。
「その言い方は止めろ。お前はもう軍人でもなければ王女付き補佐官でもない。ただの民間人だ」
「これは失礼を。してご用件は?」
「老師、変化の指輪の修繕を頼めますでしょうか」
「変化の指輪ですかな?
壊れた物自体があれば可能でしょう。お持ちですかな?」
ゼルバがそう言うとジュリアがすっと無言で小さな包みをテーブルに出した。
その包みを開き、近くの棚から小型ルーペで指輪の細部をゼルバが確認していく。
かたり、とルーペを置いたゼルバは眉根をひそめ険しい顔をしていた。
「非常に申し上げにくいのですが…こちらは、その、『ハイエルフ』様の持ち物でしょう?」
「…っ!どうしてそれを…」
「ハイエルフ?なにそれ?」
「レニセロウスのエルフの総称。
世の中にはダークエルフってのもいるんすよ。
だから学者さんたちは種族を言い分けるためにそう呼ぶらしいっす。肌の色が違うってだけで、たいして変わんないんすけどねえ…」
まあ、『耳長』とか下劣な俗称で呼ばれるよりかはよっぽど良いっすねとワトーは続ける。
「目の肥えた鑑定士や商人であればだれでも見抜けましょう。しかもこちらのお品はご丁寧に、内飾りとして宝石が埋め込まれております。それも翡翠とブルーダイヤモンド。
この意味がお分かりですかな?」
「翡翠とブルーダイヤモンド、がなんだっていうんすか?」
「…特産品だわ」
「その通りでございますハイエルフの姫君」
翡翠とブルーダイヤモンドはレニセロウスでしか取れない貴重な鉱石。レニセロウスが貿易を絶っている今となっては、決して手に入ることのない幻の宝石なのだと、ゼルバは解説する。
そして翡翠は王族の女性しか身に着けることが許されていないことは、過去の書物から判明している。
現在、レニセロウスに女王はいない。
となれば二人いる王女のどちらかに絞られるのだ。
では王女のどちらか、それはブルーダイヤモンドを見れば明白。
一般的にエルフの瞳は黄緑から深い緑色なのに、今代の第一王女の瞳は青いとマーファクトとの戦争で露見された。
よって、この指輪はレニセロウス第一王女の物であると断定できるそうだ。
「ええ?!指輪の宝石だけそこまでわかんの?!
鑑定士ってすごいんやなあ~!」
「バカ、その反応で確定させたようなもんだろうが」
「あっ、ごめん…」
「仕方ないわ。まさか、指輪にそんな細工があったなんて私自身も知らなかったのだもの…」
こんな名刺みたいなものをずっと身に着けていながら、偽名と変化を使っていたなんて滑稽だわ、とジュリアは自分自身を嘲笑した。そして、もう身元がばれてしまったのだし失礼だろうと、フードを脱ごうとした瞬間、ゼルバが優しく注意を促す。
「いけませんぞプリンセス、フードはそのままに。建物の中とはいえ、どこで誰が見ているか分かりませんからな」
「…そう、ね。ありがとうゼルバさん。
最初にその指輪を見せたのがあなたで良かったわ」
「本当にようございました。
もしこれが名のある商人や鑑定士の手に渡ってごらんなさい。
一歩間違えれば捕らわれていたやも知れませぬ」
「ゼルバ、そう怖がらせてくれるな。
それで、指輪は直るのか?直らないのか?」
「直りますとも。
一晩お時間は頂きますが、よろしいですかな?」
「一晩で直してくださるの…?!
素晴らしい腕をお持ちなのね、お任せするわ」
「かしこまりました、プリンセス」
ゼルバは指輪をそっと包みへ戻し、作業台の上の木箱に入れて施錠した。
丁度その時、ぱたぱたと小さな足音が2階から降りてきた。
「おねえちゃん、あそびましょ!」
ぴょこん、とレニャが階段から顔を出してワトーに微笑みかける。
指輪の件も終わったし、キリがいいかとワトーはジュリアに目配せをしてからレニャについて行く。
「レディ、庭から外へは出ちゃあいけませんぞ」
「はあい!いこっ!おねえちゃん!」
「ああ、ちょっ、そんな走ったら危ないっすよ!」
玄関とは真逆のポーチへ向かったレニャは、すっかり子守りの顔になったワトーを引き連れて走っていった。
ゼルバによるとこの家の裏には小さいながらも庭があり、
趣味で植えている花が沢山咲いているのだそう。
「この年になってまた趣味が増えるとは思いもしませんでしたなあ」
「本当に多趣味なジジイだな…」
「あ、そういえばゼルバさんって湖の昔話って知ってるん?」
「ニムエの逸話ですかな?あれは村では有名な話ですな」
「その…その逸話に出てくるニムエが守る魔石って今もあるのでしょうか…?!」
逸話が本当にあった。もしかしてもしかするのかも知れない。
ジュリアはもちろん、サラ達もほんのひとかけらの望みが間近にあるかもしれない可能性を見つけて、ゼルバの回答を聞くため身を乗り出す。
「…ございますよ。私は趣味で絵も描いておりましてねえ、
湖にも頻繁に行くのですよ。
そのおかげかニムエとも随分懇意になりまして、
魔石を見せてもらったこともありますな」
「本当ですか…!老師、実はですね…」
リナリアは今までの経緯とアルティナ様の杖の事を手短に説明した。
それを聞くとゼルバはカロラの国民を想い、
辛そうにしていたが最後までしっかりと聞き届けてくれた。
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