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2章

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「おや、これはお見事」

「リナリアの弓矢より早いんじゃあないか?」

「ご冗談を」

「本当に、私の愚図でお馬鹿な従者のせいでごめんなさい…」


全身しっとりと濡れてしまったミネルヴァとリナリアにジュリアは平謝りする。
一番水溜まりの近くにいたミネルヴァは水も滴るいい男を凌駕した、水も色づくいい女になっていた。
サラとジュリアはというと、比較的後ろに立っていたので、多少しぶきを受けた程度で済んだ。
すぐにジュリアが魔法でぬれた服を乾かそうとするが、ミネルヴァは首を振った。


「無理をするな。これくらいどうということは無い」

「で、でも…そのままでは風邪をひいてしまうわ」

「君が魔力を使う必要はない。
まだ万全の調子ではないだろう?」


ミネルヴァは顔にかかった髪を前から後ろへかき上げると、ジュリアの頬についていた汚れを親指で拭い去る。


「リナリア、乾かしてくれ。
ああ、一つ確認なんだが、私の自室はまだ無事だったよな?」

「はい。あそこはそもそも入り口が狭苦しいですから、大きな魔物は入れないでしょう」


リナリアがミネルヴァを含めた全員の服の汚れから髪の毛に至るまでを魔法で整える。
袖から出した札のようなものを媒介として魔法を発動していたので、おそらく東系魔法の類だろう。
東系魔法はパニージャ発祥の魔法だと、兄から聞いたことがある。
さすがにどういった魔法が得意なのかは知らない。
いや、もしかしたら兄が説明していたかもしれないが覚えていない。
ジュリアの魔法がふんわり仕上げだとするならば、リナリアの魔法は新品の服のようにパリッと仕上がっている。
何だかアホ毛まで背筋が伸びたようにピンと張っていて落ち着かない。
けれどリナリアも疲れているはずなのに、魔法を使ってくれたんだ。
そこは感謝しなければならない。
みな各々でリナリアに礼を述べる中、ミネルヴァは改めて大広間を見渡していた。


「ここは門も近い…やはり移動するべきだな。
私の部屋が最上階にある。そこへ行くとしよう」

「それは喜ばしい提案ですけれど、ワトーとパロマさんがはぐれてしまわないかしら?」

「屋上の話を振ってきたんだ。
ここには戻らず屋上で何かするつもりなんだろう」

「ライナ様のお部屋は屋上にも通じていますから、物音がすればすぐに出られましょう」


それを聞いて胸をなでおろすジュリアと一緒になって、サラはミネルヴァとリナリアの先導に続いた。
城の中にはもう魔物の気配はないが、城外ではたまに大きな地響きが聞こえてくる。
ワトーたちは無事に戻ってこられるだろうか、とサラが思案しているとジュリアが可愛らしい声をあげた。


「な、なに?どうしたん?」

「あっ、ごめんなさい。
あまりにも多くの蔵書に驚いてしまったの」


サラがぼんやりしているうちにミネルヴァ達に連れてこられたのは何の変哲もない書庫。
古書の入った本棚がずらりと整列しているその部屋は、
本が好きだというジュリアにとって衝撃的だったようだ。
しかし、なぜ書庫なんかに来たのだろう?
サラはその疑問を口にする。


「ミネルヴァ、ここになんか用事なん?」

「何を言っている。今から私の部屋へ行くんだよ」


ニヤリと笑ったミネルヴァが、書庫の壁に飾ってあった小さな絵画をグルンと時計回りに回す。
すると、ゴゴゴゴ…と鈍い音を立てて一つの大きな本棚が徐々に床下へと収納されていく。
それと同時に、本棚があった壁の裏に隠されていた石階段が姿を現す。


「ええっ?!階段?!」

「言っただろう?私の部屋へ行くと」


人一人分の幅しかない石階段を上っていると、最後尾についていたリナリアが慣れた手つきで石壁に垂れさがる鎖を引っ張っていた。それに伴ってまた元の位置へ戻り始める本棚。
念には念を、といったところだろうか。
リナリアが足取りをつかめないようにしたため、サラ達に後退するという選択肢はない。
もうあとは、ミネルヴァの背中を追って前進するのみだ。

らせんのように続く細く長い階段の先にあったのは、簡素な木製の扉。
扉の鍵を開けたミネルヴァが後ろにいたジュリアを部屋の中へ招き入れる。


「さあ着いたぞ。ここが私の安息の地だ」


そう言って自慢の私室を見せびらかしたミネルヴァは、部屋の中央にある暖炉の灰をかいてスッと立ち上がる。
ここで待っていろ、薪を取ってくると言言い残し、奥の部屋へと姿を消した。
部屋の主が居なくなったところで、ジュリアは周囲を見回しニッコリと微笑んだ。


「まあ…独創的で、素敵なお部屋ですこと」

「えーどれどれ?…って、うわっ?!ナニコレ?!」


ジュリアの感想があからさまに棒読みだった理由は、部屋の中を覗き込めば一目瞭然だった。
石造りの部屋なのに温かみを感じるミネルヴァの私室は、赤の絨毯や木製家具で統一されているものの、『お姫様の部屋』とはかなりかけ離れている。
猟師かトレジャーハンターの部屋だと紹介された方がまだ納得できるだろう。
すぐそばの隅には木樽があり、無造作に長剣やハルバードなど様々な武器が入れられているのが見える。
左右の壁は大型のショーケースと本棚に埋め尽くされ、隙間すら見当たらない。
ガラス棚の中に飾られた妙ちくりんな者たちも気になるが、やはり一番に目を引くのは中央にでかでかと敷かれた茶色の毛皮ではないだろうか。


「リナリア、あれって…」

「クマの皮です」

「くま?はちみつ食べたい感じの?」

「そんな可愛いものではありません」


正確には『ザーゲグリズリー』という超大型のクマで、所かまわず人を襲う非常に凶暴なクマなのだそうだ。
何度か被害にあっているカロラ国では害獣に認定されているらしい。
そんな猛獣の皮が王女の部屋に敷かれているのはなぜか。
町中に出たクマをライナ様おひとりで討伐されました…と言うリナリアの目はものすごく遠くを見つめていた。
仮にも王女たる人が危険な獣を単独で討伐し、捌き、皮を加工し、現在に至るという。
…どうやら本当に猟師の部屋だったらしい。

ミネルヴァは実に王女という肩書きが似合わない人だなと思いながらも、サラはウキウキしていた。
こんなに沢山、一度だって見たことのないヘンテコなものが山ほどあるのだ。
漁らないで突っ立っているだけなんて、全く関係ないけど魔導師の名折れな気がする。
早く全貌が見たいとそわそわしていると、入り口で立ち尽くしていたジュリアが小さく謝って部屋の隅へ移動してくれた。


「あの…どうしてこんなに剣があるのでしょう?」

「ライナ様の趣味です」

「あらあ…そうなのね…」


その樽はもう見た。今はショーケースの中身を観察する時間なのだと、サラはガラス戸に手をかける。
すんなり開いたその奥には何が書いてあるのかわからない象形文字だらけのボロ紙や、小さな虫のようなものが閉じ込められている黄ばんだ石、ひどく古びた世界地図に、固い紙のような材質の黒い筒が鎮座していた。
サラはその中から一番気になった黒い筒を手に取り、リナリアに聞こうと振り返る。


「なあなあ!これ何?!」

「バカ触るなアホ毛!」


暖炉の薪を持ってきてくれたミネルヴァに運悪く見つかってしまい、黒い筒を奪い取られてしまった。
面白そうなものの代わりに手渡されたのは白いタオル。
サラにとっては無用の長物であるそれに八つ当たりしながら、ぷくりと頬を膨らませる。


「ちょっとくらいええやん!けちんぼ!」

「全く…。これは、『万華鏡』というんだ」

「まんげきょう?何に使うん?」

「この先端に光が当たるように上向けて、下から覗いてみろ」


部屋の明かりを使い黒い筒を傾けるミネルヴァが、その角度を保ったままサラをかがませる。
万華鏡を持たせてもらったサラは、右目にそれを押し当てた。
その筒の中はきらめきが詰まっていた。星空のように美しい青と黄色の幾何学模様がサラの瞳に落ちてくる。


「う、わああ…!きれい!すごいきれい!」


先端をゆっくり回して見ろとミネルヴァから言われ、その通りにすれば見える景色が一変した。
赤と金色になったそれはサラが筒の先を回すたびに、形をくるくると変えて踊る。


「すごいすごい!万華鏡ってすごいきれいやねんな!」


初めて見た美しいものに満足して顔をあげると、リナリアとジュリアの様子がおかしい。
サラの顔をちらちらと見ては笑いを堪え、顔を背けるを繰り返す。
そんなに変な顔をしただろうか、と首をかしげるサラの前に、ミネルヴァが手鏡を差し出した。


「これで、よおく見てみろ」

「ええ?…ああっっ!!?ナニコレぇ!!」


万華鏡を覗いていた方の右目を囲む黒い円。
まるで狸のようになっているそれは、間抜けを体現したかのような無様さである。


「ほら、タオルが必要になっただろう?」


イタズラっぽく笑うミネルヴァにしてやられたサラは、また頬を膨らませながらも顔の汚れを落とすのであった。
大広間での事や外の惨状を薄っすらと忘れかけてきた頃、ガタガタガタガタッ!バタンッ!と上の方で音が響く。


「何事?!」

「この真上から聞こえましたね」

「見に行ってみるか?屋上に」

「うんっ!」


ミネルヴァに連れられてクマの敷物がある私室から奥の部屋へ入る。
奥の部屋は寝室になっており、サラが夢見ていたプリンセス感満載の天蓋付きベッドは無かったが、キングサイズのシックなベッドはあった。やはり王族サマは豪勢なベッドをお持ちでいらっしゃる。
ふっかふかのベッドへダイブしたくなる誘惑に耐え、カツカツと歩いていくミネルヴァに急いでついて行く。

何故だろう。
普通に歩いているだけなのにミネルヴァの一歩とサラの一歩では大きく違う気がする。
足か?コンパスの話なのか?
いやいやいやいや、確かにサラの太ももは太いが短足って訳では無い。
これは身長の差だ。ざっくり見てもミネルヴァは170手前くらいありそうだし、違って当然だ。そうに違いない。
それにしてもきれいな足だ。一体どうしたらそんなに程よく筋肉がついて引き締まってくれるんだ、教えてくれ。

…などとサラが不毛な太ももへの葛藤をしているうちに、寝室の隠し通路が開かれて天井から梯子が降りてきていた。またギミックがあったらしい。本当に変な城だ。
こんなのが各部屋にあるなんて、絶対に住みたくないし勤め先にもしたくない。
鉄梯子を上ろうと足をかけたとき、後ろにいたジュリアに声をかけられる。


「ごめんなさいサラ、そのローブを少し持ち上げて上れるかしら?」

「あっ、ごめん!邪魔やんな!」


間隔をあけて一人ずつ上るとはいえ、こんなに長い布が垂れ下がってくれば、後に続くジュリアは手元が見えなくなるだろう。
サラは足首に少しかかっているローブの両裾をガバリとたくし上げると、適当に腰元で結んだ。
じゃあ早速上ろうかと再度、足を持ち上げようとしたらまたジュリアから声がかかった。
まだ何かおおかしなところがあるのかと振り向けば、ジュリアがほんのり頬を染めて慌てていた。


「さ、サラ。その恰好はレディとしてはしたないわ。
せめて…そうね、こうしておきなさいな」


動きやすさ重視のインナーの丈が悪かったのだろうか。
ジュリアは太ももとお尻を隠すように、手際よくローブを膝丈になるよう調節してくれた。
トップスで見え辛いけど、中に短パン履いているからパンツは見えないのになあ~と思いつつも、サラはジュリアの指示に従う。
まあお見苦しい太ももを至近距離でジュリアに晒すことは回避できたから良しとしよう。

サラ達がやっと梯子を上り終えると、目の前には大空が広がっていた。
ビュオウッと屋上の風に吹かれながらも声のする方に体を向ける。
そこにはミネルヴァと歓談するワトーとパロマの姿があった。
しかも二人の後ろには風の魔法を纏ったスレイプニルと幌馬車まである。


「な、なんですか…これは…」

「やっと来たかリナリア!すごいぞ!8本足の馬だ!」

「あの子ったら、馬車に風魔法をかけて飛んだわね?
なんて目立つことをするのかしら…まったく…」

「まあええやん!今は見る人もおらんやろうし。
馬車があった方が移動しやすいやろ?」

「それはそうだけれど…」


困った子だわと言って眉尻を下げて笑うジュリアを連れて、サラ達は3人と合流した。
一先ず馬車はこのまま屋上に待機させておくこととなり、一行はミネルヴァの私室へ戻って休むことにした。
もうすっかり日が昇り、朝ごはんの時間に差し掛かっている。
城の厨房へ行けば何かと料理が作れるのだが、さすがに1階へ降りる気力もなく、体力も限界だった。


「ライナ様。キャンプで使う携帯調理器具を使いましょう」

「器具はあるが、根本の食材がないぞ」

「そうですか…困りましたね」

「ミネルヴァはキャンプが趣味なん?」

「部屋の感じ見てるとキャンプって言うか、サバイバルっぽいっすけどね」

「ワトー、失礼でしょう!」

「ハハハ!まあ間違いではないな!おっ、そうだ!
サバイバルと言えば携帯食料を蓄えていたはずだ」


確かこの辺に…と言ってミネルヴァは大樽の中からずっしりと重たそうな麻袋をひっくり返す。
ドサドサと袋から落ちてきたのは掌より少し大きいくらいの長方形の箱たちだ。


「なんじゃこれ?」

「レーションだ!味はともかくとして腹は膨れる。
色々と買ったから種類は豊富だぞ?
ビスケットに近いものやしっとり甘いものもある。
私のお勧めはこのスティックタイプだな!」


好きな物の話になってうれしいのか、ミネルヴァは気前よく全員にレーションという携帯食料を配っていく。
試しに一つ開けて食べてみると、もっさもさで口中の水分を奪われるが、言われた通り腹には溜まるようだ。


「口ん中パッサパサなんですけど~…
しかもあんま美味しくない…うどん食べたい…」

「文句を言わない。食べれるだけマシでしょう」

「それもそうなんだけどさ~…」


全員が水分を欲しているのを察したリナリアが、水差しとコップを用意してくれる。
さすが王女付きの補佐官で幼馴染だけある。
この部屋の勝手は知り尽くしているらしかった。


「それにしても、いつの間にこんなに買い込んだのですか…?まさか国庫に手を出したりなど…」

「するわけがない。すべて私のポケットマネーだ。
それに長くて4年は持つんだ。非常食にもいいだろう?」

「本当…あなたは一体何を目指しているのですか…」

「は?何を分かり切ったことを。
次期女王に決まっている。己の責務は果たすさ」


ミネルヴァはそう言い切ってレーションを口に放り込む。
ミネルヴァもジュリアと同じように自分の立場をしっかりと理解している。
その気持ちはいいのだが、リナリアが物申したい部分はそこではない。
胡坐をかいて水をラッパ飲みしている姿は雄々し過ぎる。
隣で優雅にレーションを小さく割って、音もたてずに咀嚼するジュリアがいるせいもあるだろうが。


「心意気が男前すぎるんですよ…
もう少しジュリア様を見習われてはいかがですか?」

「まあ。ミネルヴァが私とお茶会をしてくださるの?
とても楽しそうだわ」

「茶会はなあ~…。そうだ、ダンスなら付き合おう。
男役でエスコートできるぞ」

「男役ができる姫なんて早々いないんじゃね?
エルフのお姫さんとミネルヴァ様とか絶対映えるじゃん~」


ちょー絵になりそう!と興奮するパロマの言葉遣いに、ジュリアはこてんと首をかしげる。


「ばえる?」

「若者言葉で、引き立つとか、場が映えるとかいう意味っすよ姫様」

「あらそうだったの?それはうれしいことね。
人とエルフが一緒にダンスを楽しむなんて夢のようだわ」

「今の世を少しずつ変えていけばいい。次の世代である私たちが手を取り合えば、その夢は実現できる。
その為にも、早急に民を救わねばな」

「ふふっ。お話のエスコートもお上手なのね。あなたが男性でしたら、私は一夜にして陥落していたところよ?」

「私が男ならば、君をひと目見たときから周りが見えなくなっていただろうさ」


当の本人たちは軽いジョークのつもりで話しているのだろうが、傍目から見ればもう完全に少女漫画の世界感が滲み出ている。どうしてそんな噎せ返るような甘い台詞が次々に飛び出してくるのだろう。
ひええ…と声にならない叫びを胸の内であげたサラが悶えていると、えへん!おほん!とわざとらしい咳ばらいをリナリアが数度響かせる。


「ごほんっ!ライナ様、お戯れが過ぎます」

「何だ~リナリア、やきもちか?
ほんとうに愛い奴だなあ、お前は」


ミネルヴァにぐりぐりと頭を撫でられたリナリアは、ちがうそうじゃないと苦悶の表情を浮かべる。
その様子を見ていたワトーが静かに哀れみの眼差しを送っていた。
立場が似ている二人は、お互い何か通じるものがあるようだ。
すねた飼い猫をひとしきり構った主人はさて、と話を切り替える。


「少し休むとしよう。一応、私とリナリアが交代で見張りをしておく。4人ならベッドとソファで事足りるだろう」

「でもそれでは、あなた達が休めないのではなくて?」

「気にするな。私たちは戦争で野営も経験しているから、地べたは慣れているさ」

「絨毯がある分、かなり快適な方です」

「そう?ではお言葉に甘えるわ。ワトーの馬なら1時間もあれば湖までたどり着くでしょうし、ゆっくり体力を回復させましょう」


ベッドとソファ。どちらを取るかでひと悶着あったが、結論から言えばベッドにはサラとジュリア、ソファにはワトーとパロマが寝る事となった。
さすがに高貴なる姫をソファに寝かせるわけにもいかず、ジュリアは即ベッド行きが確定。
姫さまがベッドなら従者の自分もベッドだと言い張るワトーに対し、サラがベッドへの類い稀なる執念と執着と羨望を熱く語れば、ワトーは顔を引きつらせて快く譲ってくれた。

夢にまで見たベッドはまるで雲の上に寝そべっているような心地で、サラを柔らかく包み込んでくれた。
アルティナ様の杖に魔力をほとんどつぎ込んだせいもあって、サラは泥のように眠りの海へ沈んでいく。

真っ暗な夜道、満月が大きく近く見える日。
兄に手を引かれて進んだ小道。大通りではにぎやかな声が聞こえ、露店の明かりがキラキラと星のように輝く。
そうだ、これはお祭りの日。
エデンで年に一度の、アルティナ様のための祝祭。
この年もサラは兄妹でお祭りを楽しんでいて、そのあとの帰り道だ。


『おにいちゃん。どこ行くん?』

『大聖堂だよ』


今よりもずいぶん甲高い自分の声と声変わりする前の兄の声。
背格好からしてサラは5歳、オズワルドは10歳あたりだろうか?
5つ上の兄がとても大人びて見えていた頃。
すごくお兄ちゃん子で、いつも後ろをくっついていた。
確か…まだミアは小さいから、レイばあちゃんたちが家でお留守番させていたんだっけ。


『わかった!じいじに会いに行くんや!』

『そうだけど、少しちがうかな』


哀しそうに、どこか寂しそうに笑う兄の顔が、印象的だった。


『ええ~?じゃあ何しに行くん?』

『…………に行くんだよ』


お兄ちゃんが大聖堂の前に立つ白服の大人たちにサラを引き渡す。
さあ、行こうね。と優しく、でも強制的に大聖堂の奥へ連れていかれそうになる。


『え?』

『だいじょうぶ。
すぐに終わるって、………………も言ってたから』

『おにいちゃん!まって、おにいちゃん!』

『おれは入っちゃいけないんだ。
お外で待ってるから。ね、サラちゃん』

『いやや!お兄ちゃんといっしょにいる!!』

『サラちゃんは……だから、………受けないとダメなんだって』


聞こえへんよ、おにいちゃん。なんて言ったん?
なんで、なんで大聖堂に連れて行ったん?
どうしてじいじは…え?じいじ?
…わからん…わからんけど、このまま入ったら…


「助けて…お、にいちゃ…」


天井に突き出した自分の腕がぼんやりと映り、ハッとする。


「ゆめ…」


知らぬ間に流れていた涙をゴシゴシと袖で拭い去り、辺りを見回す。
隣で寝ていたはずのジュリアの姿はなく、ソファで寝そべっていたワトーとパロマも居ない。
何処に行ったんだろうと、サラはクマの敷物があった部屋へ向かう。
扉を開けると、暖炉の傍で腰を下ろしていたミネルヴァと目が合った。


「おう、やっとお目覚めか。おそよう」

「え?ええと、おはよう?」

「お前が最後だったんだよ。少し前に起きたエルフの姫様は風呂をご所望でな、その身支度で従者も駆り出された。
ああ、ちなみにリナリアとパロマは馬車の荷積みをしている」


私のキャンプ道具で役立つものがあるから持って行くそうだ。
と、ミネルヴァは嬉しそうに語る。


「そっか、私待ちやったんや。ごめん、寝坊して」

「…どうした。夢見でも悪かったか」

「ちょっと昔の事、思い出してん」

「そうか…。やはり、私の話ではあまり気は紛らわせんな。
万華鏡はけっこう自信あったんだが…ジュリアもあまり寝付けなかったらしい」

「万華鏡…え、もしかして、わざとふざけてたん?!」


そういえば部屋に着いた辺りから、ミネルヴァは笑顔を絶やさないようにしていたし、魔物の事や外の話に一切触れなかった。彼女なりに気遣ってくれていたのだ。
恥ずかしそうに頬を掻くミネルヴァを見て、何故か目頭が熱くなる。


「いやはや、ガラじゃ無いことはするべきじゃあないな。
少しでも皆の気が晴れればいいと思っていたんだがなあ」

「今やったら、ミネルヴァが一番、しんどいのに…」


エデンやレニセロウスの事もあるが直近で起こったカロラの事件が記憶に新しい。
座り込んで呆然とするミネルヴァの姿を目の当たりにしたサラからしてみたら、今一番落ち込んでいても仕方がないと思えるのはミネルヴァとリナリアなのだ。
未だにエデンの事を引きずっている魔導師がいるのだから、
この人はもっと泣いてもいいはずだ。
それでも、ミネルヴァは毅然とした態度で暖炉の後始末をしながらこう答える。


「…大切なものを失った苦しみに、一番などないさ。
皆、それぞれに悲しんでもがいている。
リナリアやパロマは顔に出にくいが、
あれらなりにかなり苦しいはずだ。
パロマなんて、カーヤを想えば泣き出したいだろうに…。
おまえもいろいろ抱え込んでいるが、
エルフの二人にも困ったものだ。
ハァ~…どうしてここに集まった連中はみんな、
溜め込んでしまうのだろうな」


困り笑いを浮かべるミネルヴァの目元は重たく、
薄っすらと黒ずんでいた。
なんだ、眠れていないのはそっちじゃないか。


「…ミネルヴァだって、その一人なんちゃうん?」

「おっと、気づかれたか。
世間知らずのお子さま魔導師かと思っていたが…
存外、人の機微に敏感なのか?」

「きび?」

「ハハハ!まだまだ勉強不足だな!」


ニカッと笑ったミネルヴァに、
サラは頭をわしゃわしゃと撫で繰り回される。
ポニテが崩れる!と騒いでいると後ろから冷たい視線がサラを突き刺した。


「何をじゃれついているのですか、ライナ様」

「え~!サラいま起きた感じ~?
もう荷造り終わったっての~!
もうちょい早めに起きてくれたら手伝ってもらえたのに~」

「ご、ごめん!パロマ!」


もうリナリア様にぐちぐち言われながら荷物運んでて大変だったんですけど~!と、ふくれっ面のパロマをサラは慌ててなだめる。


「リナリア、もう出立できるのか?」

「あとは御者次第です」

「あっ、御者ってワトーやんな!私呼んでくるわ!」

「そうか、なら頼んだぞ。
まだジュリアの入浴の手伝いをしているはずだ」

「すぐ呼んでくる~!」


颯爽と風呂場へ突撃しに行ったサラの後姿を見送ったリナリアがポツリと呟く。


「彼女は王族の入浴を手伝うことの意味、理解しているんですか?」

「あ」

「…どうなっても知りませんよ」


この後すぐ、ジュリアの悲鳴とサラの謝罪が同時に響き渡り、ミネルヴァ達は頭を抱えるのだった。
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