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2章
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出がけにワトーが魔法をかけてくれたおかげで、土埃でまみれていた服はきれいになった。
サラは金貨の入った巾着をポケットに入れて宿屋を後にする。
実はサラには気になっていたものがある。それは広場の露店。
先刻は広場で道を聞くだけだったので、ゆっくりと品物を見ることはかなわなかったが、
ちらりと目にした露店のラインナップは見たことのないものばかりだったのだ。
宿屋から広場への道は入り組んでいなかったので、地図が苦手なサラでも覚えていた。
もう夕方とあってか、青果店や精肉店は献立を考える奥様方で賑わっている。
サラが目星をつけていた店は雑貨店のくくりに入っているらしく、ほかに比べると少しだけ客足が落ち着いていた。
「わー!すごいすごい!どれも見たことない魔具やわあ~!」
「おや若い娘さんが魔具好きとは珍しい!
コイツなんか昨日入ってきたばかりのレアものでね、便利なんだよ~?
簡単に言えば転移石の強化版!
一度使ったら転移石はただの石になっちまうけど、
この『ルーンブレスレット』があればそんな手間は無し!
ブレスレットになってるこの魔石自体に超強力な転移魔法が込められているから、最大30回の転移が可能!
しかも主要都市の教会文字はすでに彫られていて、カロラはもちろん、パニージャ、ヴァイスベロー、ポートレイム、
ブルヴィア、エデンにすぐ飛べる!
もちろん、好きな場所の教会文字を入れられる空白も4か所あるから実家にも楽々転移!
一回きりしか使えない転移石を大量に持ち歩くのは面倒、またすぐに買い足さないといけないのが手間、というあなた!!
この『ルーンブレスレット』があれば、身軽に携帯できる!
そして30回分の転移ができてストレスフリー!!」
ひと噛みもせず分かりやすい商品説明がダイナミックに目前で行われたサラは、一気に店主のペースに引き込まれていた。
ショーケースの中で輝くブレスレットは転移石とは違う輝きを放っているし、とても豪奢な見た目をしている。
他の商品とは違って容易に手に取ることができない辺りも、何だか高額な希少品感があるしすごい性能をしていそうだ。
「おっちゃん、ようそんな早く舌回んな…。
でもそんだけ凄かったら、お高いんやろ~?」
「この道何年だと思ってんだいお嬢ちゃん。
おじさんはプロだよ~?
それゆえに!おじさんの商売人の腕が吹きまして!
このブレスレットを作ってる工房に何回も頭を下げました!
魔石提供してる宝石商にも商談を繰り返しました!
その甲斐あって今回なんと!」
「なんと!?」
「普段なら1万リールはくだらない代物が、今ならたったの8,980リール!8,980リールだよ!!
しかもこの一点を逃せば最後、次の入荷は再来年になっちまうよ~!」
「ええ?!そうなん?!
どうしよ…8,980リールかあ~。えー、どうしよっかなあ~!」
8,980リールという事は金貨を9枚払えばおつりが返ってくる。
残りの1枚とおつりだけでもサラひとりならギリギリ安価な晩ごはんなら食べられるだろう。
サラは頭の中でタンドリーチキンとブレスレットを天秤にかける。
はっきりと決断しないサラにしびれを切らしたのか、店主がまた大きく口を開いた。
「ええい、お嬢ちゃん可愛いし今買ってくれたらスペアの魔石を3個つけて7,980リールだ!」
「かっ「ボッタにも程があるっしょ~。おっさん」
買った、と言って巾着を持ち上げたサラの手が後ろから捕まれる。
急なことにびっくりしたサラは慌てて振り返ると、そこには大きな麦わら帽子があった。
「えっ?あ!パロマやん!さっきぶり!」
「お宅、こんなとこで何してんの?このおっさんにカモられてるよ?」
「おいパロマ!商売の邪魔をするんじゃあない!」
「なあにがルーンブレスレットだよ。
転移石を紐でつなぎ合わせただけじゃんか~。
それに、30回も使えないっしょ?
だあって特別な魔石なんかじゃない、ただの転移石なんだからさ~。せいぜい100リールっしょコレ?」
「うぎぎぎぎ…ええい!うるさいうるさい!
今日はもう店じまいだ!ほら帰れガキんちょ!」
パロマに言われたことが見事的中していたらしく、露店の親父はサラ達を追い払って店じまいにとりかかる。
もう少しで粗悪品を高値で売り付けられるところだった。
転移石はたくさん見てきたつもりだったが、何か加工が施されていたのだろう。とてもきれいだったのでショーケース越しでは見抜くことができなかった。
「お宅、買う気だったっしょ」
「ま、まっさかあ~!ちょっと珍しいと思ったけど、あんな値段出したら晩ごはん質素になるやん!買わんよ~!」
「ふう~ん。まあいいや。
お宅、お金持ってるっしょ?晩メシおごってよ~」
「パロマってストレートにたかってくるよな?!」
「素直でイイじゃん?
ほらあ、治安悪いところ避けて案内してやるからあ~」
そもそもサラのお金ではないのだが、晩ごはん代として預かっているものだ。
1人分が2人に増えたところでたかが知れているだろう。
あそこでパロマが止めてくれなければ大金を失って詐欺にも合っていたわけだし、事情を話せばジュリアならわかってくれるはずだ。
「うーん、まあええか。私な、イケメンが教えてくれたタンドリーチキン美味しいお店行きたいねん」
「あ~『飛翔亭』ねえ。いいんじゃない?
安価で大量に食べれるし、大通りの店だから治安もいいし~。
あそこのタンドリーチキンはまーじでうまいからさ~。
案内してやんよ~」
「ほんま!?ありがとう!」
さっそく広場から大通りに入ると、大男たちでにぎわっている居酒屋にパロマは臆することなく入った。
酒をあおる屈強な男たちが豪快に笑い飛ばしながら食べているのは、サラのお目当てのもの。
スパイスに漬け込まれた赤い鶏肉たちが香ばしい匂いを放っており、店内に立っているだけで涎が出てしまう。
奥からはカレーの匂いもするし、スパイス料理が得意な店なのだろう。
「んはあ~無理!早く食べよ!」
「それな!!おっちゃん!テーブル2人!」
「ロマ!てめえ、ツケ早く払わねえか!」
「このポニテが払ってくれる!」
「よし来た座れい!」
「ええっ?!ちょ、ツケは払わんで!
今日食べる分だけやから!」
「嬢ちゃん、パニージャのもんかい?
いいねえ~!あの国は同盟国ってのを抜きにしても良い奴らばっかりだからな、俺ァ好きだぜ」
「あ、えっと」
パニージャの出身ではないと言い返そうとしたサラの脇腹をパロマが小突く。
口パクで合わせろと言われていることに気づいたサラは、下手くそな嘘を吐いて頬を掻いた。
運よく一つだけ空いていたテーブルに通されたサラ達は、メニューからそれぞれ3品ほど頼む。
ほどなくして届いたタンドリーチキンを前菜のごとく食べられるのは若さゆえであろう。
「うんんまあああいいい!!」
「なああ!ほんとそれな~!!」
ピリリと辛いがすぐに鶏肉のジューシーな肉汁が追いかけて来る。外側はパリッと焼きあがった皮が香ばしいのに、中の肉はふんわり柔らかで舌の上で転がせば、あっという間に消えてしまう。両手が油でべたついているが、その指すら時折舐めてしまう程クセになる濃厚な味。
一皿に6本も積まれていたのに、もう残り3本だ。
まだメインのナンカレーが来てないのにおかわりするか悩んでいると、カウンター席の男が大きな声を上げた。
「なんだってえ?!そりゃ本当かよ!?」
「間違いねえ。エデンは、ありゃもうだめだ。
宝石病が蔓延してる」
「俺の親父も言ってたぜ。エデンで漬物買おうと思ったらよう、国全体が水晶に覆われてたんだと」
「マジかよ!
もう本場のサラ尾漬けは食えねえってことかァ?!」
ボトリ、とサラは持っていたタンドリーチキンをテーブルに落とした。
「お、おい、大丈夫か?」
「……な、なあ!そこのおっちゃんら!
その、今のエデンの話、ほんまなん?!」
ジュリアたちのためにも騒ぎを起こしたり、目立ったりしてはいけないとわかっていた。頭ではわかっていたが、口も体も動いてしまっていた。
エデンが、国全体が水晶に覆われているなんて、そんなのおかしい。
だって、ボブ爺さんは正門前でサラ達を見送ってくれたんだ。それも今日、午前中の話だ。
こんな短時間でヒュブリスのかけた呪いが蔓延したとでもいうのか?
有り得ない。いや、信じたくない。
「間違いないぜ。さっきエデンを経由して戻ってきたんだ。
水晶が国全体を覆っちまってたから、中がどうなってるかは分からねえが…」
「そ、んな…」
「お嬢ちゃん、エデンに知り合いでもいたのかい?
残念だがなァ…今あそこには行かない方がいいぜ。
気色悪ぃ魔物が近くの森に沸いてやがった。
まあ、国の中には入れねえだろ。
皮肉にも水晶が壁になってっからな」
「ポニテの姉ちゃん、戻ろう。
ナンカレー食べて元気出しなよ」
「うん…」
パロマに促されてサラはおじさんが座るカウンター席から離れ、元の席へ戻った。
すでにテーブルに鎮座していたナンカレーを食べようとするも、手が進まない。
いつまでもナンを手に持ち、カレーと見つめあうサラを見かねたのか、パロマがひょいとサラのカレーに自分のスプーンを差し込んだ。
「んま~!カレーもうま!
早く食べないともったいないよ~?」
「………」
「お~い、聞いてる~?」
「………」
再度、顔を覗き込んでパロマが話しかけてきたのに、サラは応えることができなかった。
エデンが水晶で閉ざされたという事は、みんな宝石化が済んでしまったという事なのか?
もう、みんな石になって、死んでしまったのか?
見に行きたくとも魔物が闊歩している中、水晶を壊してエデンに入るなんて芸当はサラの魔力ではできない。
エデンは壊滅してしまった…?
もう、攫われた兄弟と、自分だけしか生きていない…?
嫌だ、考えたくない。救うと決めたのに、レイばあちゃんたちの墓前で誓ったのに、もう心が折れそうだ。
今自分は何をしたらいい?
分からない、わからない。
こんな時、いつも誰かが助けてくれたのに。真っ暗な闇にひとり取り残されたような感覚を受けたサラは、歪んだ視界の中でただ呆然と眺める以外できなかった。
そのしおれたアホ毛頭を見たパロマは、カチャンとスプーンを置いて片肘をつく。
「へえ、無視決めこんじゃう感じ?
自分だけ絶望してる風だけどさ、お宅だけじゃないんだからね~?
あたしだって戦争で親吹っ飛んだし、家もなくなったし。
いまは天涯孤独ってやつ謳歌してる」
「……」
「いろんなもの一気に失ってみて、やっと気づくことってあんだよね~。両親にすげー守られて生きてたんだなってさ。
家がそこそこ裕福だったせいもあって、あたしはなーんにも世の中の辛さとか苦しさとか知らなかった。
それが急に生きるだけで精一杯な環境に置かれて、全部自分の頭で考えないといけなくなってさ~。その変化についていけなくなった貴族連中はすぐに隣でポックリ。
あたしは死に物狂いで生きたよ。
カーヤが見つけてくれるまでの2年間、自力で生き延びた」
ぺらぺらと誰に頼まれたわけでもなく、パロマは身の上話を語る。
所々、思う節があった。家族に守られて生き、何も世の中のことを知らない。似ている、と思った。
でもそれはパロマの場合だ。
サラの置かれている状況とは大きく異なるはず。
「……そんなん、私に言われても…」
「関係ないって?まあ関係ないさ。そりゃあそうだよ。
でも今のお宅、隣で死んでいった貴族連中とおんなじ顔してる。
青白い顔して家族のことば~っかり考えるだけで、結局なあんにも行動してないヤツにソックリ」
「ちゃうもん!!行動してる!!
今だってお兄ちゃんたち助けるために…旅に出るって決めて…!!エデンの人らも元に戻すって誓って出てきたんやもん!!」
「そりゃあ大変だ。じゃあ力をつけないとね。ホレ」
ずい、と寄せられたカレー皿を見て、サラは泣きそうになる。
そうだ。もっと力をつけなければ。
みんなを救うだなんて口先では簡単に言える。どうすればいいかなんてジュリアに聞けば分かるだろうなどと、心の隅で思っていた。
それじゃダメなんだ。自分の頭で考えて、問題に向き合わなくてはいけない。
ヒントを出してくれる弟も、正解へいざなってくれる兄もいないのだから。
今までサボらせていた脳みそを使う時が来たのだ。その為にもまずは栄養補給。
「……うん、ごめん…」
「そこはありがとうっしょ?」
「うん。ありがとう、パロマ」
少し冷めたナンカレーは、とても美味しかった。
おいしい、おいしいと涙を流しながら完食したサラに向かって、パロマはにかっと歯を見せて笑った。
お勘定をワトーから預かったお金で支払ったサラは、パロマと共に店を出た。
外はすっかり夜の気配を帯びており、商店街の両脇を飾るランタンがきらきらと輝く。
「さあ~て、宿に帰りますかっと~!」
「せやな!あ、そういえばパロマは宿のどこに居てんの?」
「ん~?受付の横に扉があってさ、その奥の部屋に住まわせてもらってる。絵と画材道具だらけのきったない部屋だよ~」
「そっか、絵描いてるって言ってたもんな。
どんな絵描いてんの?」
「どんな絵…あ、そうだ!ちょっくらあたしの絵見ていく?」
「見たい見たい!カーヤさんはヘタって言ってたけど、絵なんて人それぞれやもんね」
「そう!そうなんだよポニテ姉ちゃん~!
カーヤはあたしの絵のすばらしさに気づいてないだけ!
何たってあたしはあの!
超有名人気魔法絵師『ゼルファン・ゴッフォード』の一番弟子だし!!」
「セロハン?」
「ゼ・ル・ファ・ン・ゴ・ッ・フォー・ド!!」
「いや、区切りすぎててようわからん」
「ゼルファン!ゴッフォード!知らない?!
アネモネとかで有名な人!!」
風景画の巨匠らしく、特にアネモネの花を描いた作品が有名なのだとパロマは鼻息荒く説明してくれた。
写実がどうとか、色使いがどうとか他にも語ってくれたが、全部知らない単語なのでサッパリ分からない。
ぜったいどこかで見たことがある、絶対知ってると断言するパロマにサラは笑顔で答えた。
「ごめん知らんわー」
「ええええ!!お宅人生の半分損してる!半分どころか全部かも!!このままじゃダメだ!人生終了のお知らせ来てる!
あたしが教えてあげるから部屋行こ!!」
「ちょっ、えっ?パロマ?!」
善は急げとばかりにパロマはサラを引っ張って宿屋への帰路を駆け抜ける。
「見るついでにあたしの絵もとりあえず買っていこう!!
そしたら絵画のすばらしさに気づける!」
「ええっ?!買わんで?!」
「大丈夫!見たら欲しくなる!」
「お金ないって!」
「そこにあんじゃん!
だーいじょうぶ!お安くしときますぜお客さん!」
「めっちゃ怪しい!!
いや、ほんま、これ預かってるお金やから!
返さなあかんから!」
「お金以上の価値があるから問題な~し!!」
「ひえええ~!!」
購入してくれと迫るパロマに流されて、サラは宿に着くやいなや彼女の自室に通された。
受付を横切る際、カーヤに仲良くしてくれてありがとうと言われてしまったが、これは友達なんていう楽し気な世界ではない。
押し売りセールスマンと幸せになれる絵を買わされそうな客の関係である。
パロマの部屋は受付隣の扉をくぐった先の一番奥の部屋だった。
ドン、と背を押されて入ったそこはごみ屋敷というより絵画の樹海であった。
「えー…何この部屋…私の部屋の方がまだ片付いてるで…」
散乱する色とりどりの絵の具、乱雑に大量の筆が突っ込まれたたくさんの筆入れがそこら中に置かれており、ごみ箱があったと思われる場所にはパンくずや紙くずの山ができている。
絵画は壁一面を覆いつくし、部屋の四隅にも大小さまざまなキャンバスがドミノ倒しでもするかのように立てかけられていた。
大抵はミミズがのたくりまわっているか奇抜な色の妙ちくりんな絵画ばかりだが、サラが唯一美しいと思える絵画を見つけた。
「うわっ、これすご…」
ぐっちゃぐちゃのベッド脇の壁半分を埋めていたその絵画は、風景画だった。
その絵画はカロラの城内のどこかをモチーフにしているのだろう、赤い絨毯が敷かれた横幅の広い廊下が描かれていた。絵画上部には城のシンボルともいえる火の精霊たちが縦横無尽に飛び回って廊下を照らしている。
繊細な筆使いと何度も塗り重ねられた絵の具の深みが妙にリアルで、実際の光景を切り取ったように見える。
「ああ、それは父ちゃんの絵だよ~」
「お父さんも絵描きさんやったんや?」
「そ。両親二人とも宮廷絵師やってて、これは父ちゃんが描いた最後の絵。『ちかみち』っていうタイトルだってミネルヴァ様が教えてくれた~」
「ミネルヴァ?この絵ミネルヴァが持ってきたん?」
「お宅さァ~、あたししかいないから今はいいけど、外ではサマくらいつけなよ~?
ゴリラ腕力王女とかおっぱいの付いたイケメンとか色々呼ばれてるけど、一応は王族の人なんだからさ~」
「あ、うん。気を付ける」
王女様と旅をすることになって、呼び捨てオッケーだったから感覚緩んでましたとは言えない。
サラは適当な相槌を打ってパロマの話に耳を傾ける。
「戦争で父ちゃんが死んだときに、父ちゃんが使ってた城の部屋の遺品整理担当した人がミネルヴァ様に絵があるって報告したんだって~。
そこでミネルヴァ様がこの絵は家族が持つべきだって言ってくれたんだ~」
「ひゅう!男前~!」
「それな~。たぶん前王様に言われて描いてた仕事の絵だと思うのにさ、あたしにくれるってんだから太っ腹っしょ~?」
「せやんなあ~。これ、お城の廊下っぽいし」
「父ちゃん城の中大好きだったから城の絵ばっかり描いてたんだよ。仕掛け部屋もあるし探検するのが楽しいって言ってたっけなあ~」
「お城の仕掛け部屋?!そんなんワクワクする奴やん!」
「実際行ったらワケわかんないけどね。偽の扉とかあるし、隠し階段もあるしで入り口見つけるのも大変だよ~」
「あれ?パロマ入ったことあんの?お城」
「あ、いや、えーと…」
「誰にも言わへんから!」
「滅茶苦茶口軽そうなんだけど…まあいいかあ~。
あたしの絵、見て分かる通り精霊メインの風景画しか描いてないっしょ?城には火の精霊がいるから、それを描きに忍び込んでるってワケ」
どうやらあの死にかけのミミズや目がちかちかする配色の絵は精霊を描いていたらしい。
どのあたりが精霊で、どこが背景なのかも検討がつかないが、作者が言うのだから間違いなく精霊なのだろう。
遠目から見ても近くで見てもサラの目にはミミズにしか見えないけれど。
にしても城に忍び込むなんて度胸がある。
サラが前に大聖堂に入り込んだのとはわけが違う。
そういえばパロマはリナリアのことをやけに怖がっていた。
その時、サラのアホ毛がピコンとそそり立つ。
「あ!もしかしてそれでリナリアに見つかったことあるから、お昼間会った時かくれてたん?」
「うぐうっ!」
「やっぱりそうなんや~!何して見つかったん?」
「ちょっと物音立てただけだっつの!」
「え~そうなん?よう漫画とかであるやつ、ほら、おなかの音でバレたりとかしてへんの?」
「腹減ってたら仕方ないっしょ!」
「おなかの虫でバレたことあるんや!!」
「るっさいなあ~!失敗くらいあるっしょ~!
あーもう!ほら、20時回ってるし!
あたしも宿の仕事あるから出た出た!」
自分の都合が悪くなったパロマはおいしいネタを見つけたとはしゃぐサラを部屋の外に追いやった。
少しからかいすぎたか、と小さく笑いながらサラはワトーたちの待つ部屋へ向かう。
ぐっ、とドアノブを回しても扉は開かない。あれ、あれ?と何回かガチャガチャ試している最中にサラはようやく思い出した。
「あ、そうや!ノック!ノック!」
拳を作って5回ドンドンと扉を叩く。すると待ち構えていたように不機嫌そうな表情のワトーが出迎えてくれた。
「アンタ、ノック忘れてドアノブがっちゃがっちゃしてたでしょ。お嬢様が起きたらどうしてくれるんすか」
「ごめんごめん!でも思い出したからええやん!」
「ったく…で、晩ごはんは食べれたんすか?」
「うん!偶然パロマと会って食べてきた!
お金ありがとうな!」
「……この減り具合。
なるほど、アイツの分も支払ったってことっすね?」
「ご、ごめん…。流されてもうて、つい…」
「もういいっすよ。
あと、風呂入ってないのはサラだけなんで」
汚れた服はかごに、と言ってワトーはジュリアの隣のベッドにもぐりこんでしまった。
余程疲れていたのだろう、すぐに寝息を立て始めたワトーとすでに眠っているジュリアを起こさないように足音を小さくする。サッと汗を流してすっきりした後、空いていた入り口側の一番端のベッドに寝っ転がった。
サラは天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。
初めてまともにカロラの町を見て回ったり、ジュリアたちを含め多くの人と話して思ったこと。
それは自分の無知さだ。
ワトーの指摘で何故もやもやしたのか、パロマと話す中で感じたことを当てはめれば答えは簡単だった。
自分が知っていた世界はあまりにも小さすぎた。
カロラに来ただけでこの情報量の多さ。
もっと世界を知れば自ずと問題の解決にも繋がるのかもしれない。
だが、グズグズはしていられない。明日になったら、ジュリア達にエデンの異変を伝えなくては。
ジュリアはサラより間違いなく知識人だし、もしかしたら国を覆っている水晶について何か知っているかもしれない。
そして、今後どうするかを話し合おう。
「まっててな、おにいちゃ…みあ…」
久しぶりにたくさん考え事をしたせいか、サラは自分でも気づかぬうちに眠りに落ちた。
深い眠りの中でサラは夢を見た。
エデンの町を歩く。みんな笑顔で活気に満ち溢れた魔法の町。大聖堂にはじいじも居て、サラの頭を撫でてくれる。
入口の方がにぎやかだなと振り返れば、オズワルドとジェフさんがまた口喧嘩していた。
じいじが止めに入ろうとしたら、丁度ミアとフェリも来たせいで話がこじれてわちゃわちゃしている。
その光景は見ていておかしくて、口を開けて大きく笑った。
サラが笑っていると、大聖堂にいた全員が一斉にサラを見る。
そして口々にこう言い放つ。
『どうしてお前さんが生き残ったのじゃ』
『オズワルドならよかったのに』
『姉さんに救えるわけがない』
『コントロールすらままならないくせに』
『いっそ全員石になれば楽だったでしょうね』
四方八方から責め立てられ、サラはたまらず耳を塞いでその場にうずくまる。
自分でなく兄ならばすぐにみんなを元に戻せたかもしれない。
それくらい信頼できる力を兄は持っていた。
サラには無い。それに兄は連れ去られてしまった。
いない人を頼りにはできない。
ないものは無いなりに別の方法を探すしかないのだ。
『だってしゃあないやん!
私しか元に戻せる人がおらんねんもん!
私がやるしかないんよ!』
『杖をジュリアに託して待っていればよかったのよ』
『あかん!杖はじいじが私にって渡してくれたんやもん!』
『でも杖は使い物にならないじゃあないか。
今更何をしたって無駄だ』
確かに今のままではどうすることもできない。
杖の魔石が存在するかもわからない。探したって、無駄かもしれない。
でも可能性がほんのひと握りでもあるのなら、それにかけてみたい。
そう簡単に諦めたくはない。
《失敗は成功のもと》なんだから。何度でも成功する道を探してやる。
『私は…私、がんばるから!絶対助けるから!』
『またそうやって口先だけ。
結局周りの人を巻き込むんでしょ?』
『ち、ちがう!今度は自分で考えて行動するって決めたもん!エデンを出るって決めたのも自分で考えたし!』
『本当にそうかのう?己で最初に言っておったぞ?』
『自分以外に人が居なかったから』
『仕方がなかったから動いたんだ。
ほかに誰かいてもお前は動いたのかい?』
『そ、れは…』
まさか。本当は、心の奥底でそう思っていた?
もしお兄ちゃんがいたら、もしミアがいたら、もし、誰かいたら私はどうしていた?
思考が固まる。だって、図星だから。
助けたい気持ちは本物なのに、誰かに寄りかかろうとする甘えがある事も事実だった。
何も言い返せないサラを見て、彼らは騒ぎ出す。
『ほら、やっぱり。お前じゃだめだ』
『結局流れに身を任せているだけで、自己の意思が薄いのじゃよ』
『エデンの人は優しかったものね?
困っている素振りを見せれば、誰か手伝ってくれたもの』
『君ひとりじゃあ、何もできないよ』
『姉さんが兄さんにかなうはずないでしょ』
『う…るさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっっ!!!!』
聞きたくない、ここに居たくない。
夢なら覚めてくれと願った瞬間、ばちりと瞼が開いた。
「はっ、は……」
宿の枕をこれでもかと握りしめていた。
首の後ろから背中にかけてしっとりと寝汗をかき、息が乱れるほどの悪夢。
「ふー…」
ゆっくりと深呼吸して心臓を落ち着かせる。
寝るためにほどいていた髪が暑苦しく、手首に引っ掛けていた髪紐で手早くまとめた。
酷い夢だった。
大切な人たちの形を介して発せられたサラの深層心理。
言われたことはすべて、目を逸らしてきた負の感情。
自分でもわかっていたことだ。
知っていて見ないふりをしてきた事が、いつの間にか心の重りになっていたらしい。
この数日でサラの心は疲弊していたのだ。
当たり前のことだが。
「あつ…」
窓もカーテンも閉め切った部屋の空気は淀んでいた。むわりと湿気ていて、ワトーなんか掛け布団を蹴飛ばしている。
もう真夜中であるし、少しくらい窓を開けてもいいだろう。
サラは夜風を求めてカーテンを引いた。
するとやけに明るいのだ。
改めて部屋にある壁時計を見ると、短針は2を指していた。
こんなに明るい時間帯ではない。
カロラは街灯を真夜中でも焚いているのか?
不思議に思ったサラは窓の外を覗き込む。
「えっ!?」
遠目でもわかる火の手。
そう、妙に明るかったのは火災が起きていたからだった。
こうこうと燃えるカロラ城。
サラは急いで二人を叩き起こしにかかった。
「ジュリア!ワトー!起きて!!大変やねん!お城が!!」
「んん…、ワイアー、っすよ…サラ…」
「ワトー!お城!お城が火事やねん!!」
「……なんだって?」
「だから!お城が火事!!」
「私がそこの眠り姫をたたき起こすんで、サラは身支度!」
この人なっかなか起きないんすよね~と言ってワトーは豪快にジュリアのかけ布団を剥いだ。
急に温かさを失ったジュリアは両足を丸めて縮こまる。
布団を自分のベッドに放り投げたワトーが猫のように丸くなっているお嬢様の前に立ち、うねうねと動かしまわる指をジュリアの体に這わせた。
くすぐり定番の脇の下や横腹、足の裏。
ジュリアの体中をワトーの長い指がちょろちょろと動き回る。
くすぐり始めてものの3秒で、ジュリアはびくりと体を震わせた。どうやらくすぐったがりのようだ。
「ひあっ、ん!ふふっ、あはははははっ!!
や、やめ、やめなさっ!!ふあ、ひいいっ!
起きた!起きたわよ!!
だからやめ、もうっ!ノアったら!」
「ようし、お目覚めっすね」
あられもない声を上げて覚醒したジュリアを見て、ワトーはテキパキと主人の着替えを用意する。
サラと目が合ったジュリアはすぐさま顔を背け、上唇をとがらせる。白い肌がほんのりと桃色に染まっていた。
「あ、あなたねえ…くすぐるのは止めなさいって何度言ったらわかるの」
「お嬢様、カロラ城で火災っす。逃げましょう」
「っ!そういうことは早く言いなさい!」
荷物はまとめているわね、と言いつつジュリアは身支度をする。
状況判断が早いなあと感心して突っ立っていたサラのアホ毛に、ワトーの言葉が引っかかった。
「え、ちょ、待って!逃げんの?!」
「そうね…ヒュブリスの件もあるし、確認くらいはしておいてもいいでしょう」
「確認って…、お城の人たち助けに行かへんの?!
絶対困ってる人おるで!」
「そういうことはカロラの兵士がやるの。
私たちの出る幕ではないわ」
「で、でも!ミネルヴァとかは?!話したいんちゃうん?!」
「王族なら、緊急避難通路から脱出できるわ。
私の国ですらあるのだから、カロラもあるでしょう。
生きてさえいれば何処かでお話しできるもの」
「お嬢様の言う通りっす。大体カーバンクルがいるかもしれない国に長居する必要はないっすね」
「そんな…」
ジュリアなら助けに行こうと言えば、即答してくれると思い込んでいた。エデンで殆ど初対面のサラを庇ったりしてくれたから、誰にでも分け隔てなく優しい人なのだと思っていたのに。
実際はどうだ?
真逆の回答を受け、サラは戸惑いを隠せない。
どうして?
困っている人がいれば助けに行くのは当然だと、それが正義だと、小さいころから教皇様に教わってきた。
エデンの人たちはみんなサラと同じような思想だったから、世間一般的にそういうものなのだと思っていたのに。
エルフは違うのか?いや、王族が違うのか?
どうして人を見殺しにするような選択ができるのだろう?
確かに兵士が率先して救助に向かうかもしれない。
ミネルヴァはもう避難しているかもしれない。
それでも、人手は多い方がいいに決まってる。
誰かが困っている事実は変わらないのだから、そこに手を差し伸べるのは間違いではないだろう。
サラがうつむいて思案していると、心に渦巻くものを切り捨てるようにジュリアがサラに指示を下す。
「サラ、身支度ができたら外の様子を見ておいて。
何か異変があればすぐに報告してちょうだい」
「わかった…」
もやもやとした感情を抱えながらも、手早く身支度を終えたサラは窓の外を見つめる。
見つけた時よりも火の手が広がっている。
広場や住宅地の方もざわざわと騒がしい。
みんな逃げ出そうとしているのかと思いきや、どうも人の流れがおかしい。結託して城の方に向かっているグループが複数ある。
「え?なんで?」
「どうかしたの?」
「い、いやあ…大したことやないねんけど、町の人たちがお城に向かってて…」
「愚かね…ミネルヴァ様は何をしているのかしら。
民に避難命令を出せばいいものを」
ジュリアのその言葉は、今のサラを簡単に激情させられる潤滑油であった。
「なんでそんなこと言えるん?!
こんな大変な時に王族も市民も関係ないやろ!?
町の人はお城を心配して向かってるだけやん!」
「そのお節介が愚かだと言っているのよ!
民は守られる立場で、王族は民と国を守るもの。
民が下手に動いて二次災害を起こすかもしれないでしょう?
そうならないために軍があるし衛兵もいるの。
兵を動かし国を動かす役目を担った王族がいち早く指示しないといけない。
なのに民が動いている現状は、王族の落ち度だわ。
よって、私たちが救助に加勢する必要はないの!」
「それはジュリアの考えやろ!
ミネルヴァは違うんかもしれん!
私お城に行く。行って困ってる人助ける!」
サラがそう強く言うと、ジュリアは眉根を寄せて悲痛な表情を作った。
まるでその言葉に何度も傷つけられてきたかのような、被害者の顔だった。
「ちがう、違うわ!
これは、帝王学の本に記載されていて、だから…!」
「じゃあジュリアはどう思ってるんよ!!
その本の通りにした方がいいと思ってんの?!」
「そ、れは…」
押し黙るジュリアに付き合っている暇はないと、サラはローブを翻して部屋の扉を開く。
「私、先にお城行くから。
ジュリアたちは好きにしたらええよ」
「待って、待ちなさいサラ!どうやって行こうというの!?」
「あの人混みじゃあ正門からは入れないっすよ!」
「大丈夫!パロマがおるから!」
「まって、サラ!おねがいよ!」
引き留める声にサラが振り向くことは無い。
すぐさま1階へ降り、パロマの部屋の扉をどんどんと無遠慮に叩き続けた。
「パロマ!起きて!パロマ!」
「うっるさいなあ~…今何時だと思ってんのさ…」
太鼓の達人も真っ青なほど高速でドアを叩いたおかげか、髪で鳥の巣を3つ作ったパロマが寝ぼけ眼をこすりながら扉を開けて出てきた。遅くまで絵を描いていたのだろうか、頬や手に絵の具が付着しており、服も最後に会った時のまま。
これは好都合。少し汗臭いのに目をつむっておけば、すぐに外出できる服装なのだから。
のんきに欠伸をかますパロマの問いにサラは元気よく答える。
「だいたい2時過ぎ!」
「マジで夜中じゃん…勘弁してよ~…。
…ん?なんか外、騒がしくない?気のせい?」
「お城が火事やねん!パロマ抜け道知ってるんやろ!?
一緒に来て!」
「か、え?ハアア~?!」
城が火事と聞いてパロマは一気に覚醒したらしく、大きな声を出していた口をパッと手で押さえる。
そういえばパロマの部屋へ来るまでの扉の一つにカーヤと札がかかっていた。
近くの部屋で眠るカーヤに配慮したのだろうと気付いたサラも、小声でパロマをせっつく。
「はよ準備して!もうかなり火の手が回ってんねん!」
「それ先に言えし!城がピンチとか行くしかないっしょ!」
すぐに済ませると言ってパロマは再び自室へと消えた。
数分後。
がさがさと小さな物音を立てていた部屋から出てきたパロマはお決まりの麦わら帽子を被り、いつぞやの馬鹿でかいリュックではなく斜め掛けの革の鞄をぶら下げていた。
「よっしお待た!」
「どうやって行くん?」
「あ、ちょい待ち」
そう言ったパロマはポケットから四つ折りの紙をカーヤの部屋の扉下に滑り込ませる。
「何してんの?」
「カーヤには大人しくしてて欲しいからさ~。
あたし、この人には笑っといて欲しいし」
そう言ってはにかんで頬を掻くパロマの横顔には見覚えがあった。
サラはクスリと笑い、パロマの左肩を軽くたたく。
「なーんや、天涯孤独ちゃうやん」
「は?」
「だってカーヤさんの事、大切なんやろ?
お母さんって呼んであげたら?」
「う、るっさいなあ~。ホラ、さっさと行くよ~!」
サラがニヤニヤしながら言ったことが当たっていたのか、パロマは首後ろをガシガシと荒々しく掻いた。
2人が足早に受付の横を通り、宿の正面扉に手をかけたその時。
階段を駆け下りる音と共に鈴の転がるような声が響いた。
「待って!」
「…ジュリア?」
追いかけてきたのはジュリアとその後ろに控えるワトーであった。
先ほど喧嘩別れのような形になってしまったため、少し気まずく思ったサラは目線を泳がせる。
それでもなお、ジュリアは凛とした姿勢を崩さずサラの方を向いていた。
「私も行くわ。連れて行ってちょうだい」
「…ほんまにええの?
ジュリアが考えてることとは違うことするで、私」
ジュリアは火災の原因がヒュブリスの仕業かどうかを突き止めるだけ。
サラもヒュブリスのことは赦せないので、奴がいれば杖を抜くだろう。
だが、ヒュブリスが居る居ないに関係なく、サラは城内の人命救助に向かう。それが正義だと信じているから。
自分で考えて行動すると決めたから。
サラはさまよわせていた目線をジュリアの瞳の中に落とし込み、口元にきゅっと力を入れる。
ジュリアとサラの視線が絡み合った時、ジュリアはふわりと柔らかく微笑む。
「好きになさい。その代わり、本当に危険だと判断したら無理やりにでもあなたを連れて逃げるわ」
「わかった、ありがとう!じゃあこれでお相子やな!」
「おあいこ?」
「仲直りってこと!」
「…ええ!」
サラが差し出した右手がしっかり握り返されると、二人は目を細めて笑いあった。
「そんじゃあ~丸く収まったところで、もう行ってもオーケイ?」
「うん、行こう!カロラ城へ!」
こうしてサラ達はパロマの案内で赤く燃える城へと急ぐのだった。
サラは金貨の入った巾着をポケットに入れて宿屋を後にする。
実はサラには気になっていたものがある。それは広場の露店。
先刻は広場で道を聞くだけだったので、ゆっくりと品物を見ることはかなわなかったが、
ちらりと目にした露店のラインナップは見たことのないものばかりだったのだ。
宿屋から広場への道は入り組んでいなかったので、地図が苦手なサラでも覚えていた。
もう夕方とあってか、青果店や精肉店は献立を考える奥様方で賑わっている。
サラが目星をつけていた店は雑貨店のくくりに入っているらしく、ほかに比べると少しだけ客足が落ち着いていた。
「わー!すごいすごい!どれも見たことない魔具やわあ~!」
「おや若い娘さんが魔具好きとは珍しい!
コイツなんか昨日入ってきたばかりのレアものでね、便利なんだよ~?
簡単に言えば転移石の強化版!
一度使ったら転移石はただの石になっちまうけど、
この『ルーンブレスレット』があればそんな手間は無し!
ブレスレットになってるこの魔石自体に超強力な転移魔法が込められているから、最大30回の転移が可能!
しかも主要都市の教会文字はすでに彫られていて、カロラはもちろん、パニージャ、ヴァイスベロー、ポートレイム、
ブルヴィア、エデンにすぐ飛べる!
もちろん、好きな場所の教会文字を入れられる空白も4か所あるから実家にも楽々転移!
一回きりしか使えない転移石を大量に持ち歩くのは面倒、またすぐに買い足さないといけないのが手間、というあなた!!
この『ルーンブレスレット』があれば、身軽に携帯できる!
そして30回分の転移ができてストレスフリー!!」
ひと噛みもせず分かりやすい商品説明がダイナミックに目前で行われたサラは、一気に店主のペースに引き込まれていた。
ショーケースの中で輝くブレスレットは転移石とは違う輝きを放っているし、とても豪奢な見た目をしている。
他の商品とは違って容易に手に取ることができない辺りも、何だか高額な希少品感があるしすごい性能をしていそうだ。
「おっちゃん、ようそんな早く舌回んな…。
でもそんだけ凄かったら、お高いんやろ~?」
「この道何年だと思ってんだいお嬢ちゃん。
おじさんはプロだよ~?
それゆえに!おじさんの商売人の腕が吹きまして!
このブレスレットを作ってる工房に何回も頭を下げました!
魔石提供してる宝石商にも商談を繰り返しました!
その甲斐あって今回なんと!」
「なんと!?」
「普段なら1万リールはくだらない代物が、今ならたったの8,980リール!8,980リールだよ!!
しかもこの一点を逃せば最後、次の入荷は再来年になっちまうよ~!」
「ええ?!そうなん?!
どうしよ…8,980リールかあ~。えー、どうしよっかなあ~!」
8,980リールという事は金貨を9枚払えばおつりが返ってくる。
残りの1枚とおつりだけでもサラひとりならギリギリ安価な晩ごはんなら食べられるだろう。
サラは頭の中でタンドリーチキンとブレスレットを天秤にかける。
はっきりと決断しないサラにしびれを切らしたのか、店主がまた大きく口を開いた。
「ええい、お嬢ちゃん可愛いし今買ってくれたらスペアの魔石を3個つけて7,980リールだ!」
「かっ「ボッタにも程があるっしょ~。おっさん」
買った、と言って巾着を持ち上げたサラの手が後ろから捕まれる。
急なことにびっくりしたサラは慌てて振り返ると、そこには大きな麦わら帽子があった。
「えっ?あ!パロマやん!さっきぶり!」
「お宅、こんなとこで何してんの?このおっさんにカモられてるよ?」
「おいパロマ!商売の邪魔をするんじゃあない!」
「なあにがルーンブレスレットだよ。
転移石を紐でつなぎ合わせただけじゃんか~。
それに、30回も使えないっしょ?
だあって特別な魔石なんかじゃない、ただの転移石なんだからさ~。せいぜい100リールっしょコレ?」
「うぎぎぎぎ…ええい!うるさいうるさい!
今日はもう店じまいだ!ほら帰れガキんちょ!」
パロマに言われたことが見事的中していたらしく、露店の親父はサラ達を追い払って店じまいにとりかかる。
もう少しで粗悪品を高値で売り付けられるところだった。
転移石はたくさん見てきたつもりだったが、何か加工が施されていたのだろう。とてもきれいだったのでショーケース越しでは見抜くことができなかった。
「お宅、買う気だったっしょ」
「ま、まっさかあ~!ちょっと珍しいと思ったけど、あんな値段出したら晩ごはん質素になるやん!買わんよ~!」
「ふう~ん。まあいいや。
お宅、お金持ってるっしょ?晩メシおごってよ~」
「パロマってストレートにたかってくるよな?!」
「素直でイイじゃん?
ほらあ、治安悪いところ避けて案内してやるからあ~」
そもそもサラのお金ではないのだが、晩ごはん代として預かっているものだ。
1人分が2人に増えたところでたかが知れているだろう。
あそこでパロマが止めてくれなければ大金を失って詐欺にも合っていたわけだし、事情を話せばジュリアならわかってくれるはずだ。
「うーん、まあええか。私な、イケメンが教えてくれたタンドリーチキン美味しいお店行きたいねん」
「あ~『飛翔亭』ねえ。いいんじゃない?
安価で大量に食べれるし、大通りの店だから治安もいいし~。
あそこのタンドリーチキンはまーじでうまいからさ~。
案内してやんよ~」
「ほんま!?ありがとう!」
さっそく広場から大通りに入ると、大男たちでにぎわっている居酒屋にパロマは臆することなく入った。
酒をあおる屈強な男たちが豪快に笑い飛ばしながら食べているのは、サラのお目当てのもの。
スパイスに漬け込まれた赤い鶏肉たちが香ばしい匂いを放っており、店内に立っているだけで涎が出てしまう。
奥からはカレーの匂いもするし、スパイス料理が得意な店なのだろう。
「んはあ~無理!早く食べよ!」
「それな!!おっちゃん!テーブル2人!」
「ロマ!てめえ、ツケ早く払わねえか!」
「このポニテが払ってくれる!」
「よし来た座れい!」
「ええっ?!ちょ、ツケは払わんで!
今日食べる分だけやから!」
「嬢ちゃん、パニージャのもんかい?
いいねえ~!あの国は同盟国ってのを抜きにしても良い奴らばっかりだからな、俺ァ好きだぜ」
「あ、えっと」
パニージャの出身ではないと言い返そうとしたサラの脇腹をパロマが小突く。
口パクで合わせろと言われていることに気づいたサラは、下手くそな嘘を吐いて頬を掻いた。
運よく一つだけ空いていたテーブルに通されたサラ達は、メニューからそれぞれ3品ほど頼む。
ほどなくして届いたタンドリーチキンを前菜のごとく食べられるのは若さゆえであろう。
「うんんまあああいいい!!」
「なああ!ほんとそれな~!!」
ピリリと辛いがすぐに鶏肉のジューシーな肉汁が追いかけて来る。外側はパリッと焼きあがった皮が香ばしいのに、中の肉はふんわり柔らかで舌の上で転がせば、あっという間に消えてしまう。両手が油でべたついているが、その指すら時折舐めてしまう程クセになる濃厚な味。
一皿に6本も積まれていたのに、もう残り3本だ。
まだメインのナンカレーが来てないのにおかわりするか悩んでいると、カウンター席の男が大きな声を上げた。
「なんだってえ?!そりゃ本当かよ!?」
「間違いねえ。エデンは、ありゃもうだめだ。
宝石病が蔓延してる」
「俺の親父も言ってたぜ。エデンで漬物買おうと思ったらよう、国全体が水晶に覆われてたんだと」
「マジかよ!
もう本場のサラ尾漬けは食えねえってことかァ?!」
ボトリ、とサラは持っていたタンドリーチキンをテーブルに落とした。
「お、おい、大丈夫か?」
「……な、なあ!そこのおっちゃんら!
その、今のエデンの話、ほんまなん?!」
ジュリアたちのためにも騒ぎを起こしたり、目立ったりしてはいけないとわかっていた。頭ではわかっていたが、口も体も動いてしまっていた。
エデンが、国全体が水晶に覆われているなんて、そんなのおかしい。
だって、ボブ爺さんは正門前でサラ達を見送ってくれたんだ。それも今日、午前中の話だ。
こんな短時間でヒュブリスのかけた呪いが蔓延したとでもいうのか?
有り得ない。いや、信じたくない。
「間違いないぜ。さっきエデンを経由して戻ってきたんだ。
水晶が国全体を覆っちまってたから、中がどうなってるかは分からねえが…」
「そ、んな…」
「お嬢ちゃん、エデンに知り合いでもいたのかい?
残念だがなァ…今あそこには行かない方がいいぜ。
気色悪ぃ魔物が近くの森に沸いてやがった。
まあ、国の中には入れねえだろ。
皮肉にも水晶が壁になってっからな」
「ポニテの姉ちゃん、戻ろう。
ナンカレー食べて元気出しなよ」
「うん…」
パロマに促されてサラはおじさんが座るカウンター席から離れ、元の席へ戻った。
すでにテーブルに鎮座していたナンカレーを食べようとするも、手が進まない。
いつまでもナンを手に持ち、カレーと見つめあうサラを見かねたのか、パロマがひょいとサラのカレーに自分のスプーンを差し込んだ。
「んま~!カレーもうま!
早く食べないともったいないよ~?」
「………」
「お~い、聞いてる~?」
「………」
再度、顔を覗き込んでパロマが話しかけてきたのに、サラは応えることができなかった。
エデンが水晶で閉ざされたという事は、みんな宝石化が済んでしまったという事なのか?
もう、みんな石になって、死んでしまったのか?
見に行きたくとも魔物が闊歩している中、水晶を壊してエデンに入るなんて芸当はサラの魔力ではできない。
エデンは壊滅してしまった…?
もう、攫われた兄弟と、自分だけしか生きていない…?
嫌だ、考えたくない。救うと決めたのに、レイばあちゃんたちの墓前で誓ったのに、もう心が折れそうだ。
今自分は何をしたらいい?
分からない、わからない。
こんな時、いつも誰かが助けてくれたのに。真っ暗な闇にひとり取り残されたような感覚を受けたサラは、歪んだ視界の中でただ呆然と眺める以外できなかった。
そのしおれたアホ毛頭を見たパロマは、カチャンとスプーンを置いて片肘をつく。
「へえ、無視決めこんじゃう感じ?
自分だけ絶望してる風だけどさ、お宅だけじゃないんだからね~?
あたしだって戦争で親吹っ飛んだし、家もなくなったし。
いまは天涯孤独ってやつ謳歌してる」
「……」
「いろんなもの一気に失ってみて、やっと気づくことってあんだよね~。両親にすげー守られて生きてたんだなってさ。
家がそこそこ裕福だったせいもあって、あたしはなーんにも世の中の辛さとか苦しさとか知らなかった。
それが急に生きるだけで精一杯な環境に置かれて、全部自分の頭で考えないといけなくなってさ~。その変化についていけなくなった貴族連中はすぐに隣でポックリ。
あたしは死に物狂いで生きたよ。
カーヤが見つけてくれるまでの2年間、自力で生き延びた」
ぺらぺらと誰に頼まれたわけでもなく、パロマは身の上話を語る。
所々、思う節があった。家族に守られて生き、何も世の中のことを知らない。似ている、と思った。
でもそれはパロマの場合だ。
サラの置かれている状況とは大きく異なるはず。
「……そんなん、私に言われても…」
「関係ないって?まあ関係ないさ。そりゃあそうだよ。
でも今のお宅、隣で死んでいった貴族連中とおんなじ顔してる。
青白い顔して家族のことば~っかり考えるだけで、結局なあんにも行動してないヤツにソックリ」
「ちゃうもん!!行動してる!!
今だってお兄ちゃんたち助けるために…旅に出るって決めて…!!エデンの人らも元に戻すって誓って出てきたんやもん!!」
「そりゃあ大変だ。じゃあ力をつけないとね。ホレ」
ずい、と寄せられたカレー皿を見て、サラは泣きそうになる。
そうだ。もっと力をつけなければ。
みんなを救うだなんて口先では簡単に言える。どうすればいいかなんてジュリアに聞けば分かるだろうなどと、心の隅で思っていた。
それじゃダメなんだ。自分の頭で考えて、問題に向き合わなくてはいけない。
ヒントを出してくれる弟も、正解へいざなってくれる兄もいないのだから。
今までサボらせていた脳みそを使う時が来たのだ。その為にもまずは栄養補給。
「……うん、ごめん…」
「そこはありがとうっしょ?」
「うん。ありがとう、パロマ」
少し冷めたナンカレーは、とても美味しかった。
おいしい、おいしいと涙を流しながら完食したサラに向かって、パロマはにかっと歯を見せて笑った。
お勘定をワトーから預かったお金で支払ったサラは、パロマと共に店を出た。
外はすっかり夜の気配を帯びており、商店街の両脇を飾るランタンがきらきらと輝く。
「さあ~て、宿に帰りますかっと~!」
「せやな!あ、そういえばパロマは宿のどこに居てんの?」
「ん~?受付の横に扉があってさ、その奥の部屋に住まわせてもらってる。絵と画材道具だらけのきったない部屋だよ~」
「そっか、絵描いてるって言ってたもんな。
どんな絵描いてんの?」
「どんな絵…あ、そうだ!ちょっくらあたしの絵見ていく?」
「見たい見たい!カーヤさんはヘタって言ってたけど、絵なんて人それぞれやもんね」
「そう!そうなんだよポニテ姉ちゃん~!
カーヤはあたしの絵のすばらしさに気づいてないだけ!
何たってあたしはあの!
超有名人気魔法絵師『ゼルファン・ゴッフォード』の一番弟子だし!!」
「セロハン?」
「ゼ・ル・ファ・ン・ゴ・ッ・フォー・ド!!」
「いや、区切りすぎててようわからん」
「ゼルファン!ゴッフォード!知らない?!
アネモネとかで有名な人!!」
風景画の巨匠らしく、特にアネモネの花を描いた作品が有名なのだとパロマは鼻息荒く説明してくれた。
写実がどうとか、色使いがどうとか他にも語ってくれたが、全部知らない単語なのでサッパリ分からない。
ぜったいどこかで見たことがある、絶対知ってると断言するパロマにサラは笑顔で答えた。
「ごめん知らんわー」
「ええええ!!お宅人生の半分損してる!半分どころか全部かも!!このままじゃダメだ!人生終了のお知らせ来てる!
あたしが教えてあげるから部屋行こ!!」
「ちょっ、えっ?パロマ?!」
善は急げとばかりにパロマはサラを引っ張って宿屋への帰路を駆け抜ける。
「見るついでにあたしの絵もとりあえず買っていこう!!
そしたら絵画のすばらしさに気づける!」
「ええっ?!買わんで?!」
「大丈夫!見たら欲しくなる!」
「お金ないって!」
「そこにあんじゃん!
だーいじょうぶ!お安くしときますぜお客さん!」
「めっちゃ怪しい!!
いや、ほんま、これ預かってるお金やから!
返さなあかんから!」
「お金以上の価値があるから問題な~し!!」
「ひえええ~!!」
購入してくれと迫るパロマに流されて、サラは宿に着くやいなや彼女の自室に通された。
受付を横切る際、カーヤに仲良くしてくれてありがとうと言われてしまったが、これは友達なんていう楽し気な世界ではない。
押し売りセールスマンと幸せになれる絵を買わされそうな客の関係である。
パロマの部屋は受付隣の扉をくぐった先の一番奥の部屋だった。
ドン、と背を押されて入ったそこはごみ屋敷というより絵画の樹海であった。
「えー…何この部屋…私の部屋の方がまだ片付いてるで…」
散乱する色とりどりの絵の具、乱雑に大量の筆が突っ込まれたたくさんの筆入れがそこら中に置かれており、ごみ箱があったと思われる場所にはパンくずや紙くずの山ができている。
絵画は壁一面を覆いつくし、部屋の四隅にも大小さまざまなキャンバスがドミノ倒しでもするかのように立てかけられていた。
大抵はミミズがのたくりまわっているか奇抜な色の妙ちくりんな絵画ばかりだが、サラが唯一美しいと思える絵画を見つけた。
「うわっ、これすご…」
ぐっちゃぐちゃのベッド脇の壁半分を埋めていたその絵画は、風景画だった。
その絵画はカロラの城内のどこかをモチーフにしているのだろう、赤い絨毯が敷かれた横幅の広い廊下が描かれていた。絵画上部には城のシンボルともいえる火の精霊たちが縦横無尽に飛び回って廊下を照らしている。
繊細な筆使いと何度も塗り重ねられた絵の具の深みが妙にリアルで、実際の光景を切り取ったように見える。
「ああ、それは父ちゃんの絵だよ~」
「お父さんも絵描きさんやったんや?」
「そ。両親二人とも宮廷絵師やってて、これは父ちゃんが描いた最後の絵。『ちかみち』っていうタイトルだってミネルヴァ様が教えてくれた~」
「ミネルヴァ?この絵ミネルヴァが持ってきたん?」
「お宅さァ~、あたししかいないから今はいいけど、外ではサマくらいつけなよ~?
ゴリラ腕力王女とかおっぱいの付いたイケメンとか色々呼ばれてるけど、一応は王族の人なんだからさ~」
「あ、うん。気を付ける」
王女様と旅をすることになって、呼び捨てオッケーだったから感覚緩んでましたとは言えない。
サラは適当な相槌を打ってパロマの話に耳を傾ける。
「戦争で父ちゃんが死んだときに、父ちゃんが使ってた城の部屋の遺品整理担当した人がミネルヴァ様に絵があるって報告したんだって~。
そこでミネルヴァ様がこの絵は家族が持つべきだって言ってくれたんだ~」
「ひゅう!男前~!」
「それな~。たぶん前王様に言われて描いてた仕事の絵だと思うのにさ、あたしにくれるってんだから太っ腹っしょ~?」
「せやんなあ~。これ、お城の廊下っぽいし」
「父ちゃん城の中大好きだったから城の絵ばっかり描いてたんだよ。仕掛け部屋もあるし探検するのが楽しいって言ってたっけなあ~」
「お城の仕掛け部屋?!そんなんワクワクする奴やん!」
「実際行ったらワケわかんないけどね。偽の扉とかあるし、隠し階段もあるしで入り口見つけるのも大変だよ~」
「あれ?パロマ入ったことあんの?お城」
「あ、いや、えーと…」
「誰にも言わへんから!」
「滅茶苦茶口軽そうなんだけど…まあいいかあ~。
あたしの絵、見て分かる通り精霊メインの風景画しか描いてないっしょ?城には火の精霊がいるから、それを描きに忍び込んでるってワケ」
どうやらあの死にかけのミミズや目がちかちかする配色の絵は精霊を描いていたらしい。
どのあたりが精霊で、どこが背景なのかも検討がつかないが、作者が言うのだから間違いなく精霊なのだろう。
遠目から見ても近くで見てもサラの目にはミミズにしか見えないけれど。
にしても城に忍び込むなんて度胸がある。
サラが前に大聖堂に入り込んだのとはわけが違う。
そういえばパロマはリナリアのことをやけに怖がっていた。
その時、サラのアホ毛がピコンとそそり立つ。
「あ!もしかしてそれでリナリアに見つかったことあるから、お昼間会った時かくれてたん?」
「うぐうっ!」
「やっぱりそうなんや~!何して見つかったん?」
「ちょっと物音立てただけだっつの!」
「え~そうなん?よう漫画とかであるやつ、ほら、おなかの音でバレたりとかしてへんの?」
「腹減ってたら仕方ないっしょ!」
「おなかの虫でバレたことあるんや!!」
「るっさいなあ~!失敗くらいあるっしょ~!
あーもう!ほら、20時回ってるし!
あたしも宿の仕事あるから出た出た!」
自分の都合が悪くなったパロマはおいしいネタを見つけたとはしゃぐサラを部屋の外に追いやった。
少しからかいすぎたか、と小さく笑いながらサラはワトーたちの待つ部屋へ向かう。
ぐっ、とドアノブを回しても扉は開かない。あれ、あれ?と何回かガチャガチャ試している最中にサラはようやく思い出した。
「あ、そうや!ノック!ノック!」
拳を作って5回ドンドンと扉を叩く。すると待ち構えていたように不機嫌そうな表情のワトーが出迎えてくれた。
「アンタ、ノック忘れてドアノブがっちゃがっちゃしてたでしょ。お嬢様が起きたらどうしてくれるんすか」
「ごめんごめん!でも思い出したからええやん!」
「ったく…で、晩ごはんは食べれたんすか?」
「うん!偶然パロマと会って食べてきた!
お金ありがとうな!」
「……この減り具合。
なるほど、アイツの分も支払ったってことっすね?」
「ご、ごめん…。流されてもうて、つい…」
「もういいっすよ。
あと、風呂入ってないのはサラだけなんで」
汚れた服はかごに、と言ってワトーはジュリアの隣のベッドにもぐりこんでしまった。
余程疲れていたのだろう、すぐに寝息を立て始めたワトーとすでに眠っているジュリアを起こさないように足音を小さくする。サッと汗を流してすっきりした後、空いていた入り口側の一番端のベッドに寝っ転がった。
サラは天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。
初めてまともにカロラの町を見て回ったり、ジュリアたちを含め多くの人と話して思ったこと。
それは自分の無知さだ。
ワトーの指摘で何故もやもやしたのか、パロマと話す中で感じたことを当てはめれば答えは簡単だった。
自分が知っていた世界はあまりにも小さすぎた。
カロラに来ただけでこの情報量の多さ。
もっと世界を知れば自ずと問題の解決にも繋がるのかもしれない。
だが、グズグズはしていられない。明日になったら、ジュリア達にエデンの異変を伝えなくては。
ジュリアはサラより間違いなく知識人だし、もしかしたら国を覆っている水晶について何か知っているかもしれない。
そして、今後どうするかを話し合おう。
「まっててな、おにいちゃ…みあ…」
久しぶりにたくさん考え事をしたせいか、サラは自分でも気づかぬうちに眠りに落ちた。
深い眠りの中でサラは夢を見た。
エデンの町を歩く。みんな笑顔で活気に満ち溢れた魔法の町。大聖堂にはじいじも居て、サラの頭を撫でてくれる。
入口の方がにぎやかだなと振り返れば、オズワルドとジェフさんがまた口喧嘩していた。
じいじが止めに入ろうとしたら、丁度ミアとフェリも来たせいで話がこじれてわちゃわちゃしている。
その光景は見ていておかしくて、口を開けて大きく笑った。
サラが笑っていると、大聖堂にいた全員が一斉にサラを見る。
そして口々にこう言い放つ。
『どうしてお前さんが生き残ったのじゃ』
『オズワルドならよかったのに』
『姉さんに救えるわけがない』
『コントロールすらままならないくせに』
『いっそ全員石になれば楽だったでしょうね』
四方八方から責め立てられ、サラはたまらず耳を塞いでその場にうずくまる。
自分でなく兄ならばすぐにみんなを元に戻せたかもしれない。
それくらい信頼できる力を兄は持っていた。
サラには無い。それに兄は連れ去られてしまった。
いない人を頼りにはできない。
ないものは無いなりに別の方法を探すしかないのだ。
『だってしゃあないやん!
私しか元に戻せる人がおらんねんもん!
私がやるしかないんよ!』
『杖をジュリアに託して待っていればよかったのよ』
『あかん!杖はじいじが私にって渡してくれたんやもん!』
『でも杖は使い物にならないじゃあないか。
今更何をしたって無駄だ』
確かに今のままではどうすることもできない。
杖の魔石が存在するかもわからない。探したって、無駄かもしれない。
でも可能性がほんのひと握りでもあるのなら、それにかけてみたい。
そう簡単に諦めたくはない。
《失敗は成功のもと》なんだから。何度でも成功する道を探してやる。
『私は…私、がんばるから!絶対助けるから!』
『またそうやって口先だけ。
結局周りの人を巻き込むんでしょ?』
『ち、ちがう!今度は自分で考えて行動するって決めたもん!エデンを出るって決めたのも自分で考えたし!』
『本当にそうかのう?己で最初に言っておったぞ?』
『自分以外に人が居なかったから』
『仕方がなかったから動いたんだ。
ほかに誰かいてもお前は動いたのかい?』
『そ、れは…』
まさか。本当は、心の奥底でそう思っていた?
もしお兄ちゃんがいたら、もしミアがいたら、もし、誰かいたら私はどうしていた?
思考が固まる。だって、図星だから。
助けたい気持ちは本物なのに、誰かに寄りかかろうとする甘えがある事も事実だった。
何も言い返せないサラを見て、彼らは騒ぎ出す。
『ほら、やっぱり。お前じゃだめだ』
『結局流れに身を任せているだけで、自己の意思が薄いのじゃよ』
『エデンの人は優しかったものね?
困っている素振りを見せれば、誰か手伝ってくれたもの』
『君ひとりじゃあ、何もできないよ』
『姉さんが兄さんにかなうはずないでしょ』
『う…るさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっっ!!!!』
聞きたくない、ここに居たくない。
夢なら覚めてくれと願った瞬間、ばちりと瞼が開いた。
「はっ、は……」
宿の枕をこれでもかと握りしめていた。
首の後ろから背中にかけてしっとりと寝汗をかき、息が乱れるほどの悪夢。
「ふー…」
ゆっくりと深呼吸して心臓を落ち着かせる。
寝るためにほどいていた髪が暑苦しく、手首に引っ掛けていた髪紐で手早くまとめた。
酷い夢だった。
大切な人たちの形を介して発せられたサラの深層心理。
言われたことはすべて、目を逸らしてきた負の感情。
自分でもわかっていたことだ。
知っていて見ないふりをしてきた事が、いつの間にか心の重りになっていたらしい。
この数日でサラの心は疲弊していたのだ。
当たり前のことだが。
「あつ…」
窓もカーテンも閉め切った部屋の空気は淀んでいた。むわりと湿気ていて、ワトーなんか掛け布団を蹴飛ばしている。
もう真夜中であるし、少しくらい窓を開けてもいいだろう。
サラは夜風を求めてカーテンを引いた。
するとやけに明るいのだ。
改めて部屋にある壁時計を見ると、短針は2を指していた。
こんなに明るい時間帯ではない。
カロラは街灯を真夜中でも焚いているのか?
不思議に思ったサラは窓の外を覗き込む。
「えっ!?」
遠目でもわかる火の手。
そう、妙に明るかったのは火災が起きていたからだった。
こうこうと燃えるカロラ城。
サラは急いで二人を叩き起こしにかかった。
「ジュリア!ワトー!起きて!!大変やねん!お城が!!」
「んん…、ワイアー、っすよ…サラ…」
「ワトー!お城!お城が火事やねん!!」
「……なんだって?」
「だから!お城が火事!!」
「私がそこの眠り姫をたたき起こすんで、サラは身支度!」
この人なっかなか起きないんすよね~と言ってワトーは豪快にジュリアのかけ布団を剥いだ。
急に温かさを失ったジュリアは両足を丸めて縮こまる。
布団を自分のベッドに放り投げたワトーが猫のように丸くなっているお嬢様の前に立ち、うねうねと動かしまわる指をジュリアの体に這わせた。
くすぐり定番の脇の下や横腹、足の裏。
ジュリアの体中をワトーの長い指がちょろちょろと動き回る。
くすぐり始めてものの3秒で、ジュリアはびくりと体を震わせた。どうやらくすぐったがりのようだ。
「ひあっ、ん!ふふっ、あはははははっ!!
や、やめ、やめなさっ!!ふあ、ひいいっ!
起きた!起きたわよ!!
だからやめ、もうっ!ノアったら!」
「ようし、お目覚めっすね」
あられもない声を上げて覚醒したジュリアを見て、ワトーはテキパキと主人の着替えを用意する。
サラと目が合ったジュリアはすぐさま顔を背け、上唇をとがらせる。白い肌がほんのりと桃色に染まっていた。
「あ、あなたねえ…くすぐるのは止めなさいって何度言ったらわかるの」
「お嬢様、カロラ城で火災っす。逃げましょう」
「っ!そういうことは早く言いなさい!」
荷物はまとめているわね、と言いつつジュリアは身支度をする。
状況判断が早いなあと感心して突っ立っていたサラのアホ毛に、ワトーの言葉が引っかかった。
「え、ちょ、待って!逃げんの?!」
「そうね…ヒュブリスの件もあるし、確認くらいはしておいてもいいでしょう」
「確認って…、お城の人たち助けに行かへんの?!
絶対困ってる人おるで!」
「そういうことはカロラの兵士がやるの。
私たちの出る幕ではないわ」
「で、でも!ミネルヴァとかは?!話したいんちゃうん?!」
「王族なら、緊急避難通路から脱出できるわ。
私の国ですらあるのだから、カロラもあるでしょう。
生きてさえいれば何処かでお話しできるもの」
「お嬢様の言う通りっす。大体カーバンクルがいるかもしれない国に長居する必要はないっすね」
「そんな…」
ジュリアなら助けに行こうと言えば、即答してくれると思い込んでいた。エデンで殆ど初対面のサラを庇ったりしてくれたから、誰にでも分け隔てなく優しい人なのだと思っていたのに。
実際はどうだ?
真逆の回答を受け、サラは戸惑いを隠せない。
どうして?
困っている人がいれば助けに行くのは当然だと、それが正義だと、小さいころから教皇様に教わってきた。
エデンの人たちはみんなサラと同じような思想だったから、世間一般的にそういうものなのだと思っていたのに。
エルフは違うのか?いや、王族が違うのか?
どうして人を見殺しにするような選択ができるのだろう?
確かに兵士が率先して救助に向かうかもしれない。
ミネルヴァはもう避難しているかもしれない。
それでも、人手は多い方がいいに決まってる。
誰かが困っている事実は変わらないのだから、そこに手を差し伸べるのは間違いではないだろう。
サラがうつむいて思案していると、心に渦巻くものを切り捨てるようにジュリアがサラに指示を下す。
「サラ、身支度ができたら外の様子を見ておいて。
何か異変があればすぐに報告してちょうだい」
「わかった…」
もやもやとした感情を抱えながらも、手早く身支度を終えたサラは窓の外を見つめる。
見つけた時よりも火の手が広がっている。
広場や住宅地の方もざわざわと騒がしい。
みんな逃げ出そうとしているのかと思いきや、どうも人の流れがおかしい。結託して城の方に向かっているグループが複数ある。
「え?なんで?」
「どうかしたの?」
「い、いやあ…大したことやないねんけど、町の人たちがお城に向かってて…」
「愚かね…ミネルヴァ様は何をしているのかしら。
民に避難命令を出せばいいものを」
ジュリアのその言葉は、今のサラを簡単に激情させられる潤滑油であった。
「なんでそんなこと言えるん?!
こんな大変な時に王族も市民も関係ないやろ!?
町の人はお城を心配して向かってるだけやん!」
「そのお節介が愚かだと言っているのよ!
民は守られる立場で、王族は民と国を守るもの。
民が下手に動いて二次災害を起こすかもしれないでしょう?
そうならないために軍があるし衛兵もいるの。
兵を動かし国を動かす役目を担った王族がいち早く指示しないといけない。
なのに民が動いている現状は、王族の落ち度だわ。
よって、私たちが救助に加勢する必要はないの!」
「それはジュリアの考えやろ!
ミネルヴァは違うんかもしれん!
私お城に行く。行って困ってる人助ける!」
サラがそう強く言うと、ジュリアは眉根を寄せて悲痛な表情を作った。
まるでその言葉に何度も傷つけられてきたかのような、被害者の顔だった。
「ちがう、違うわ!
これは、帝王学の本に記載されていて、だから…!」
「じゃあジュリアはどう思ってるんよ!!
その本の通りにした方がいいと思ってんの?!」
「そ、れは…」
押し黙るジュリアに付き合っている暇はないと、サラはローブを翻して部屋の扉を開く。
「私、先にお城行くから。
ジュリアたちは好きにしたらええよ」
「待って、待ちなさいサラ!どうやって行こうというの!?」
「あの人混みじゃあ正門からは入れないっすよ!」
「大丈夫!パロマがおるから!」
「まって、サラ!おねがいよ!」
引き留める声にサラが振り向くことは無い。
すぐさま1階へ降り、パロマの部屋の扉をどんどんと無遠慮に叩き続けた。
「パロマ!起きて!パロマ!」
「うっるさいなあ~…今何時だと思ってんのさ…」
太鼓の達人も真っ青なほど高速でドアを叩いたおかげか、髪で鳥の巣を3つ作ったパロマが寝ぼけ眼をこすりながら扉を開けて出てきた。遅くまで絵を描いていたのだろうか、頬や手に絵の具が付着しており、服も最後に会った時のまま。
これは好都合。少し汗臭いのに目をつむっておけば、すぐに外出できる服装なのだから。
のんきに欠伸をかますパロマの問いにサラは元気よく答える。
「だいたい2時過ぎ!」
「マジで夜中じゃん…勘弁してよ~…。
…ん?なんか外、騒がしくない?気のせい?」
「お城が火事やねん!パロマ抜け道知ってるんやろ!?
一緒に来て!」
「か、え?ハアア~?!」
城が火事と聞いてパロマは一気に覚醒したらしく、大きな声を出していた口をパッと手で押さえる。
そういえばパロマの部屋へ来るまでの扉の一つにカーヤと札がかかっていた。
近くの部屋で眠るカーヤに配慮したのだろうと気付いたサラも、小声でパロマをせっつく。
「はよ準備して!もうかなり火の手が回ってんねん!」
「それ先に言えし!城がピンチとか行くしかないっしょ!」
すぐに済ませると言ってパロマは再び自室へと消えた。
数分後。
がさがさと小さな物音を立てていた部屋から出てきたパロマはお決まりの麦わら帽子を被り、いつぞやの馬鹿でかいリュックではなく斜め掛けの革の鞄をぶら下げていた。
「よっしお待た!」
「どうやって行くん?」
「あ、ちょい待ち」
そう言ったパロマはポケットから四つ折りの紙をカーヤの部屋の扉下に滑り込ませる。
「何してんの?」
「カーヤには大人しくしてて欲しいからさ~。
あたし、この人には笑っといて欲しいし」
そう言ってはにかんで頬を掻くパロマの横顔には見覚えがあった。
サラはクスリと笑い、パロマの左肩を軽くたたく。
「なーんや、天涯孤独ちゃうやん」
「は?」
「だってカーヤさんの事、大切なんやろ?
お母さんって呼んであげたら?」
「う、るっさいなあ~。ホラ、さっさと行くよ~!」
サラがニヤニヤしながら言ったことが当たっていたのか、パロマは首後ろをガシガシと荒々しく掻いた。
2人が足早に受付の横を通り、宿の正面扉に手をかけたその時。
階段を駆け下りる音と共に鈴の転がるような声が響いた。
「待って!」
「…ジュリア?」
追いかけてきたのはジュリアとその後ろに控えるワトーであった。
先ほど喧嘩別れのような形になってしまったため、少し気まずく思ったサラは目線を泳がせる。
それでもなお、ジュリアは凛とした姿勢を崩さずサラの方を向いていた。
「私も行くわ。連れて行ってちょうだい」
「…ほんまにええの?
ジュリアが考えてることとは違うことするで、私」
ジュリアは火災の原因がヒュブリスの仕業かどうかを突き止めるだけ。
サラもヒュブリスのことは赦せないので、奴がいれば杖を抜くだろう。
だが、ヒュブリスが居る居ないに関係なく、サラは城内の人命救助に向かう。それが正義だと信じているから。
自分で考えて行動すると決めたから。
サラはさまよわせていた目線をジュリアの瞳の中に落とし込み、口元にきゅっと力を入れる。
ジュリアとサラの視線が絡み合った時、ジュリアはふわりと柔らかく微笑む。
「好きになさい。その代わり、本当に危険だと判断したら無理やりにでもあなたを連れて逃げるわ」
「わかった、ありがとう!じゃあこれでお相子やな!」
「おあいこ?」
「仲直りってこと!」
「…ええ!」
サラが差し出した右手がしっかり握り返されると、二人は目を細めて笑いあった。
「そんじゃあ~丸く収まったところで、もう行ってもオーケイ?」
「うん、行こう!カロラ城へ!」
こうしてサラ達はパロマの案内で赤く燃える城へと急ぐのだった。
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