冬の夢

阿良々木五男

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1, 迷う女

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 酒井 真理は迷っていた。それは今日の晩御飯のメニューや、これからの将来のことなどではない。物理的に、道に迷っていたのだ。朝から満員電車に揺られ、好きでもないスーツに身を包み会社に出勤。これまた好きでもない仕事をこなし、ほんの少しの休憩を終えて業務に戻る。そんなこんなであっという間に一日が過ぎ、夜の九時。随分冷えると思いながら外に出た真理は唖然とした。辺り一面、雪に包まれている。

「うっそぉ」

 この東京にこんなに雪が降ることは珍しい。駐車場に停められた車は雪で覆われ、フォルムだけで自分が車であると主張している。道路にも雪は降り積もり、車が通った跡がくっきりと残っていた。だが流石にこの雪の中をノーマルタイヤで走る猛者は居ないらしく、いつもなら車通りの多い向かいの道路もシンと静まり返っていた。車両用の信号がパチパチ点滅して赤に変わる。車も居ないのに虚しく仕事をするその様が、なんだか自分と重なった。

「はぁ……帰ろ」

 とにかく駅まで向かおう。電車は止まっているかもしれないが、地下鉄ならまだ望みがある。できるだけ家の近くまで向かって、そこからタクシーでも拾おう。ところでタクシーはスタッドレスタイヤを装着しているのだろうか? そもそも、こんな大雪の時はチェーンじゃないと無理そうだが。

 真理はビルの軒下から一歩踏み出した。冷たい風がびゅうと吹く。大粒の雪が吹き付けた。冷たいを通り越して痛かった。その痛みに耐えながら、一歩ずつゆっくり歩く。車が居ない道路の前で立ち止まり、歩行者用の信号が青になるのを待った。再び歩き出す頃には、すでに肩に薄く雪が積もっていた。それを手で払い落す。

 街はいつもより静かだった。これだけ雪が降って居れば人通りも少ない。車も走っていない。しかも雪が音を吸収して、東京の街が今夜だけは大人しい。いつもこうなら良いのに、と考えながら、真理は歩く。吐いた息が真っ白に染まる。自分の呼吸の音と、足で雪を踏んだ時の音だけが聞こえる。まるで世界に取り残されたような気分だ。

「早く帰って、お酒でも飲もう」

 思わずつぶやいた。それは孤独を隠す為だった。いつも通る帰り道なのに、今夜だけは少し心細かった。
 会社から最寄り駅までは、歩いて十分程度の距離だった。今日は雪のせいで足元が悪く、いつもよりずっと時間が掛っていた。それを彼女が自覚していたからこそ、いつもと違う事に気が付かなかった。彼女がそれに気が付いたのは、会社から三十分ほど歩いた時だった。会社の向かいの道路を真っすぐ進み、左に曲がる。それからまたちょっと歩いて右に曲がれば駅があるはずなのだ。それなのに、どこにも駅が見えない。それどころか周囲には見慣れないビルや公園ばかり。

「あ、あれ? 私今どこに居るんだろう」

 真理はポケットからスマホを取り出して地図アプリを開いたが、GPSの情報では自分はまだ会社にいることになっていた。

「ちょっと、雪で調子悪いの? 勘弁してよ……困ったなぁ」

 そう言っている間にも手足は冷え、体の芯から凍えていく。せめてコンビニでもあればいいのだが、辺りを見渡す限り店一つ無い。とにかく前に進むしかない、と真理は歩き出す。だが前に進めば進む程、周囲は閑散とした風景になっていった。
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