記録係は世界を旅する

花淵 菫

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01:ル・シエル班

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「本日をもって、記録係アイリスをル・シエル班に配属する」

「承知致しました」

 黄金色の長い髪を一つに束ねた、十代後半の少女は深々と頭を下げた。

 彼女は顔を上げると、振り返り、新たな仲間と向き合った。

「アイリスと申します」

「⋯⋯ナットだ。悪いが俺らは記録係とは馴れ合わない」

 剣士の青年が冷たい声色で告げても、アイリスは顔色一つ変えなかった。

「それがパーティーの方針でしたら、従います」

 記録係は、粛々と戦闘の記録を記し、王都の傭兵ギルドへ届ける事が主な仕事だ。報告を元に、パーティーの昇給や昇格が決まる。

 そしてもう一つ、何より重要な役割がある。傭兵が任務を完遂出来なかった場合、家族や恋人、友人に最後の言葉を届ける使命がある。

 故に生き残る事が最優先課題なのだ。

「足を引っ張るな。俺らはお前に構っている余裕なんて無い」

「ご心配無く。いざとなったら、全員見捨てて逃げます」

 アイリスの言葉に、ナット以外の仲間も顔を顰めた。

「言葉が足りませんでしたね。真っ先に敵に捕まったり、トラップに引っ掛かる記録係は二流です。私は──」

「お前!!」

 僧侶の役割を担っていた青年が、アイリスに掴み掛かった。慌てて魔法使いの少女が割って入った。

「やめなって! 悪気は無いんだよ!! 私たちの事情なんて、この子には関係ない!!」

「行くぞ」

 ナットが踵を返したので、僧侶もそれに続いた。

「行こう?」

 魔法の少女は、アイリスを促した。

 良く晴れていた。これから霊廟の攻略に行く予定が無ければ、心もスッキリ爽やかな気持ちで一日を過ごせるだろう。

「ごめんね、アイリス。本当は、ナットも分かっているの」

「お名前は?」

「ああ、私はセシル。魔法使いよ」

 セシルは茶色い髪を背中に流し、そばかすのある鼻を掻きながら苦笑した。

「⋯⋯私たちは、二年以上一緒にいる仲間なの。前任の記録係もそうだった。本当なら、あの子を逃さなきゃいけなかったのに、盾にしちゃったの。誰も、あの子の最期の言葉を聞いていなかった。二年以上一緒にいたのに、家族の事も、故郷の事も、何も知らなかった」

「イリス様、十八歳。赤髪、色白。故郷はローカム村」

「知り合いか?」

 ナットが足を止めて振り返った。アイリスは空色の瞳を彼に向けた。

「見習い時代、私が指導しました。B級に昇格するまで、共に旅をし、遺言は私が記録しております」

「指導?! あんた、今幾つなんだ?!」

「十八です」

 アイリスは余計な事を喋らなかった。それがナットの希望だから。

「⋯⋯イリスは⋯⋯いや」

 僧侶は目を伏せた。

「あんたが指導していたのは、俺たちと会う前だ。俺らが欲しい言葉なんて──」

「銀行に寄ってください。西部へ向かうのなら、途中アラバスターで補給をするでしょう。あの街出身の傭兵がいました。預金と、遺言を届けたいです」

「分かったよ。さっさと済ませてくれ」

 ナットは再び前を向いて歩き出した。

「ねえ、アイリス」

 セシルは遠慮がちに身を乗り出した。

「私は貴女と仲良くしたいよ。一人だけ仲間外れなんて、悲しい」

「私は悲しくありません。そういう方針のパーティーは沢山ありました」

「私が悲しいんだよ。ねえ、仲良くしよう? 好きな食べ物は?」

「⋯⋯リーダーの方針に従いましょう」

 アイリスは、頑なに首を横に振った。

「ナット様にも、お考えがあるのです。仲間を失う痛みを最小限にしたいのでしょう。私は、ただの付き添いだと認識してください」

「付き添いだって、失ったら悲しい。私は悲しいよ!」

 セシルはアイリスの腕にしがみついた。

「ほら! 腕を掴んじゃった! 触れ合った人がいなくなったら、私も悲しい!」

「やめろ、セシル。ソイツ、話が──」

 ナットは、振り返って口をつぐんだ。音も無く、肩を震わせる事もなく、アイリスが涙を流していたのだ。

「あわわわ!! ごめんね?! 私のせい?!」

 セシルは慌ててハンカチを取り出した。アイリスは歯を食いしばった。

「⋯⋯記録係は、大抵最後まで生き残ります。対人戦の場合、国際同業者組合の規範で、記録係を攻撃してはならないと定められております。私はあなた方と、運命を共に出来ない。何があっても、生き残らなければならないのです。時には、言葉にならなかった最期の思いを、汲み取って届ける必要があります。私情は、想いを汲み取る妨げとなります」

「生き残ってた理由はそれかよ」

 僧侶はアイリスの肩に手を置いた。

「あんた、”一流の記録係”なんだな。マントの下、弓を背負ってるだろう? 誰に教わった?」

「王立学院のヴァイオレット教授です」

「じゃあ、トップクラスの魔法使いか。なんで、記録係なんかやってんだ?」

「死ぬわけにはいかないからです。私には弟がいます。両親はいません。学費が必要です」

 アイリスは涙を拭うと、歩き出した。

「行きましょう」

「アイリス!」

 セシルは性懲りも無く、取り縋った。

「言葉に出来ない想いを汲み取るって、相手の事を知らなきゃ出来ないでしょう?」

「セシル、十七歳。A級魔法使い。ヴァイオレット教授に師事。家族とは死別。故郷に婚約者と、多数の兄弟がいます。血の繋がりはありませんね。特技は長距離魔法、トラップ解除は苦手。遺跡探索には向かないタイプ」

「よ⋯⋯良く知ってるね」

「ナット、二十歳。A級剣士。ヴィルト村出身。両親は指物師。五年前から連絡を取っていない。独学で──」

「もう良い」

 ナットはうんざりした様子で遮った。

「書類を暗記しただけで、俺たちが思ってもいない事を身内に伝えられたら迷惑だ。俺の事は、誰にも、何も言わないでくれ」

「行こう」

 僧侶がナットの肩を二回叩き、先導した。流石に、セシルもお喋りを続け様とはしなかった。

 銀行に着くと、店主はすぐにアイリスに気が付いた。

「やあ、しばらくぶり」

「7724ミラン、それから4276イリスの預金と遺言の開示請求をします」

 アイリスは型式に則り、S級傭兵の証である、銀の札を見せた。

 彼女は差し出された二つの箱の内、一個を布袋にしまい、もう一つを開封した。

「親愛なる私の勇者たちへ。私は、何処まで行けたのだろう──」

「待ってくれ!」

 ナットが遮った。

「それは⋯⋯それは、誰に宛てた手紙なんだ?!」

「イリス様が、所属した最後のパーティーメンバーに宛てて書いた物です」

 アイリスは、読み上げを続けた。

 ──親愛なる私の勇者たちへ。私は何処まで行けたのだろう。私は自由を求めていた。小さくくり抜かれた円に収まっていた風景が、視界いっぱいに拡がった幼い日、私は旅に出る事を決意した。

 父の手を借り、川を越えた。兄に励まされ、山を越えた。そして、君達と共に地平線の彼方を目指した。

 私は幸せだ。見渡す限りの雪原も、炎が揺らめく火山も、一人の力では目にする事は叶わなかった。

 ⋯⋯堅苦しい語り口はやめる。この手紙を書く事を勧めてくれた子が、アドバイスしてくれたから。私の言葉で、私の想いを伝える。

 大した目標があったわけじゃ無かったの。ただ、窓辺に大人しく座る、人形の様な生き方が嫌だっただけ。

 私、君たちの役に立てたかな? 本当は、剣士や魔法使いになりたかった。でも、才能も、学校に行くお金も無かったから、記録係になるしかなかったの。

 どうか気に病まないで。私は、したくない事をする性格じゃない。どんな結末になろうと、必ず納得している。

 私を、広い世界に導いてくれて、本当にありがとう。あなた達は、私の勇者よ。世界なんて救わなくても、私は色んな街を見て回って、幸せだった。私を幸せにしてくれたみんなには、何倍も幸せになって欲しい。

 それから

「⋯⋯続きは?」

 ナットは、探る様にアイリスを見据えた。彼女の手が、ほんの僅かに震えていた。

「それから、なんだよ?! 何が書いて──」

「それから⋯⋯それから、私の大切な仲間をお願い。不器用で⋯⋯言葉が足りなくて⋯⋯ちょっとうっかり者の先生は⋯⋯本当は、あなた達の事を、とても大切に思っている。心から、大切に思っているから⋯⋯どうか、仲良くしてね。イリスより」

 アイリスは、なんとか読み終えると、手紙をナットに差し出した。

「⋯⋯イリスの字だ」

 ナットが仲間達にそれを見せている間、アイリスは他の手紙を仕分けしてカバンのポケットにしまった。

(彼女も優秀な記録係だった。A級の記録係では、明らかにトップクラスだったのに。一体どうして⋯⋯)

「親方。ヴァイオレット教授から伝達事項はありますか?」

「今回の班編成について。人員整理の時期だから、特に気を付ける様に、と」

「心得ました。誰も死なせないとお伝えください」

 アイリスは、合点が行き、頷いた。一年に一度、全てのパーティーに実力以上の仕事が割り振られる。

 毎年、給料の良い傭兵を志願する者が大量に出るため、ある程度人数を減らす必要があるのだ。

(書類上、ナット、セシル、ミランはA級。記録係とはいえ、S級が入れば、禁足地への立ち入りも可能。だけど私は⋯⋯)

 アイリスは、第七霊廟の攻略に失敗していた。

「アイリス!」

 セシルは、アイリスの首に抱き付いた。

「ありがとう」

「西部方面へ届ける物は、他に無いのか?」

 ナットが手紙を大切そうにしまいながら問い掛けた。

「手紙、待ってる奴がいるだろう?」

「ですが──」

「どうせ、この時期の仕事は真面目にやるだけ無駄だ」

 ミランは眉をへの字に曲げながら呟いた。

「分かってるんだ。第六霊廟の攻略は身の丈に合わない。決まって毎年同じ時期に、難易度の高い仕事が来る。数を減らすためだろう。俺たちが生き残らなきゃ、またお前は新しいパーティーを探さなきゃならない」

「良いのですか? この仕事を上手くこなせば、昇級の可能性も──」

「今じゃないんだよ」

 セシルは、ニコリと笑った。

「私も知ってる。ヴァイオレットは、私の事、馬鹿だと思ってる。魔法仕掛けのダンジョン攻略は難しいって言われた。今は駄目だって、分かってるよ。でも、何時かきっと、出来る日が来ると思う。その日まで生きていなきゃ、話にならない!」

 彼女はアイリスの両手を握ってぶんぶん振り回した。

「手紙の方が大事だよ。だって魔物に襲われた子達のお墓は空っぽなんだよ? 届けてあげようよ」

「決まりだ」

 ナットは腰に手を当てて踏ん反り返った。

「よし! 今日は王都一の宿屋に泊まるぞ!! 食事付き。俺がヘソクリから出す!!」

「やった!!」

 セシルは満面の笑みで飛び上がった。

「ああ、アイリス」

 店主は立ち去り掛けた一行に手を伸ばした。

「弟さんからの手紙だ」

「ありがとうございます!」

 アイリスは、この日初めて笑みを浮かべた。

「おー、笑った!」

 セシルはすかさず、アイリスの頬を突いた。

「弟、何歳?」

「十二歳です。⋯⋯全く、あの子ったら、まだこんなに汚い字を書いて」

「良いなぁ、兄弟! 私も欲しかった!」

 他愛も無い、温もりのある会話が遠ざかって行くのを、親方はしばらく聞いていた。

(ヴァイオレット⋯⋯何時あの子に話すつもりなんだ⋯⋯)

「大きくなったなぁ⋯⋯」

 アイリスの背中に向けて呟いた言葉は、風に千切れて消えた。
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