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ヌーッティ、日本へ行く!<後編>

5.本当の危機

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 日が傾き始めた頃、小春のゼミはようやく終了となった。
 ゼミ生たちとの懇談も終え、アキが大学をあとにしたのは、太陽が山並みに沈んでからであった。
 母より一足先に帰路についたアキは、車中、ぼーっと窓から外の風景を眺めていた。
 帰宅ラッシュに巻き込まれるかと思ったアキであったが、同じ車両に乗っているひとは誰もいなかった。
「早く帰ってトゥーリに報告するヌー! ヌーが活躍したって自慢するヌー! 約束は守ったヌー! お菓子もいっぱいだヌー!」
 ヌーッティはそわそわと体を横に揺らしながら、車窓に張りついていた。
「報告してもいいけど、トゥーリに怒られるんじゃないのか?」
 アキのひとことで、ヌーッティはびくりと体を震わせた。そして、くるりとアキのほうへ青ざめた顔を向ける。
「た、大変だヌー。トゥーリにてんりゅういなごろしをかけられちゃうヌー」
 技名が間違っていたが、言葉端からヌーッティがひどく怯えていることがアキへ伝わった。
「まあ、多少はフォロー入れるけど、ヌーッティ次第かな?」
 アキは、頭を抱えて、うろたえているヌーッティを、楽しそうな眼差しで見守った。
 そのときであった。
 ヌーッティとアキは強い悪寒を背中に感じた。
 ふたりは周囲を見回した。
 誰もいない車両。駆け足で過ぎ去っていく風景。いつもの電車の中であった。
 だが、違和があった。
 感覚としてしかわからない異質な気配を、ヌーッティとアキは感じていた。
「ヌーッティ。いる……よな?」
 アキは視線をヌーッティに移さず、周囲を警戒しつつ尋ねた。
「……いるヌー。でも、この中にはいないヌー。どちらかというと、ヌーたちが中にいる感じだヌー」
 ヌーッティは顔を上げて、窓から外を見ようと視線を移した。
 そこで、かち合った。
 ヌーッティの瞳に、緑色の大きなひとつの目が映し出された。
 同時に、低い唸り声が電車を包み込むように轟いた。
「な、何だ?!」
 アキは振り返って窓を見た。
 すると、緑色の粘着なゲル状の何かが窓一面にへばり付いていた。
 緑目の、緑色のゲル状の何かが、口だと思わしき部位を開いた。
 低い唸り声がアキとヌーッティの耳に入ってきた。
 体内を這いずり回るような唸り声に、気持ちの悪さを感じたが、アキとヌーッティは臨戦態勢に入っていた。
「詩を歌って――」
 そのとき、アキが膝を折るように倒れ込んだ。
「アキ!」
 ヌーッティは倒れたアキの顔の前に立つと、アキの口に手をかざした。呼吸が早くなっているものの、息はあった。
 今度は、いつもトゥーリがするように、見様見真似で首筋に手を当てて、脈を測った。
「どくどくいってるヌー……」
 不安な面持ちのヌーッティは、どうしたらいいのか考えあぐねて、うろたえた。
「……ヌーッティ、逃げるんだ」
 絞り出すかのように言ったアキのひとことが、ヌーッティの行動に指針を与えた。
 ヌーッティはぐっと両手を握りしめた。
「これが神の言っていた危機だヌー。それなら……」
 ヌーッティは覚悟を決めた。
「ヌーが悪い妖精さんを退治して、アキをお助けするヌー!」
 つぶらな瞳に力強い火が灯った。
 ヌーッティは、車両を覆う、緑色でゲル状の悪い妖精と戦うことを決意したのであった。
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