上 下
88 / 155
ヌーッティの秘密・後編

5.呪われた小熊の妖精のうわさ

しおりを挟む
 ヌーッティはしれっとミエリッキの話半分が嘘であると言った。
 それを聞いたミエリッキの表情がやや強ばった。
「どういうこと?」
 トゥーリがヌーッティを見て、尋ねた。
「ミエリッキがヌーと遊んでくれなかったんだヌー」
 相も変わらずの口調でヌーッティは答えた。
 ヌーッティの話はこのようなものであった。
 記憶がはっきりしていときからのことしかわからないが、ヌーッティはミエリッキと共に暮らしていたという。
 いつも、いつも、いたずらやつまみ食いばかりするヌーッティにミエリッキは手を焼いていたという。
 そこで、ミエリッキは、三英傑のひとり不滅の賢者ワイナミョイネンにヌーッティの世話を任せたというのである。
 しばらくして、ワイナミョイネンは親友の不朽の匠イルマリネンからトゥーリを預かり、ヌーッティとトゥーリと旅をしていた。
 だがしかし、あの若い乙女の尻ばかり追い回している老賢者に、ヌーッティの面倒が看られるわけもなく、ワイナミョイネンは日本へ渡った際に、当時5歳のアキにヌーッティとトゥーリを託した、というのであった。
「だから、ミエリッキは本当のことを全部話してないヌー。ずるいヌー」
 頬を膨らませてヌーッティは怒った様相を呈した。
「まあ、ミエリッキの気持ちはわかるかな……」
 トゥーリが心底ミエリッキに同情を寄せた。
「そうね、このヌーッティの面倒を看るのは大変ですものね」
 イーリスがマイッキに顔を向けて言うと、マイッキは首を縦に振って応えた。
「本当に大変だったわ。しちゃいけないことはするし、つまみ食いはするし、目を離すとすぐいなくなっちゃうし……」
 ミエリッキは当時のことを振り返りつつ、重苦しい溜め息混じりに吐露した。
 ——そりゃ、ミエリッキも大変だっただろうに、とトゥーリとイーリスとマイッキは心の中で呟いた。
「まさか、ワイナミョイネンも誰かに託すとは考えていなかったわ。それはともかくとして、ヌーッティの母、私の親友シヴィが冥府トゥオネラに封印されているのは本当よ。それに、生きていたヌーッティが精霊と妖精の序列の最高位にいたことも。もっとも、ヌーッティには姉イーリスがいたから王位継承権を持っていても、森の王にはなれなかったの。生きていたら森の守護者になっていたはずよ」
 それを聞いたヌーッティの目が輝いた。
「やっぱりヌーは偉い小熊さんだヌー!」
「生きていたらって言ってたでしょ」
 いつものとおり、トゥーリが横からヌーッティに突っ込みを入れた。
「でも、どうしてヌーッティが呪われた小熊の妖精と呼ばれるようになってしまったの?」
 首を傾げながらマイッキがミエリッキに尋ねた。
 ミエリッキは右手の指で3を示した。
「理由は3つ考えられるわ。1つは、聖なる理由なしに射貫かれ殺されたからよ。本来、狩人は祭事以外に熊を屠ってはいけないのよ。それにもかかわらず、マルカハットゥが射貫いてしまったからよ」
「たしかに、人間たちは私たちを聖なる理由なしに屠ってはいけないことになっているわ。それで、2つ目は?」
 マイッキがミエリッキに訊いた。
「2つ目は、水蛇の毒で死んでしまったからよ。そして、3つ目、恐らくこれが一番の要因だと思うけれど、母であるシヴィの魂がトゥオネラに封印されていることね」
 トゥオネラ、その言葉が出され、トゥーリたちは押し黙った。ただひとり、
「どういうことかさっぱりだヌー」
 ヌーッティを除いて。
 トゥーリはヌーッティの両頬を引っ張ると、
「いい? トゥオネラは『行ってはいけない場所』なんだよ? あそこを支配するのは冥府トゥオネラの女主人、あの魂喰いの女王なんだよ? 前に、トゥオネラの女主人がアキの魂を狙ってきた事件忘れたの⁈」
「ほほへへるふー! ひひゃいふー!」
 言葉にならない返答を聞いたトゥーリは、一応、ヌーッティもトゥオネラ絡みの一件を覚えていたことを確認すると、ヌーッティの頬から手を離した。
「そうね、ヌーッティが呪われた小熊の妖精と噂されているのは、1つ目と3つ目の理由に依るんじゃないかしら」
 困った微笑を湛えてミエリッキが話をまとめた。
「それにしても、別の森にまで噂が広まってるなんて……」
「マイッキ、今はその話は置いておきましょう。それより先にヌーッティに訊かなきゃいけないことがあるわ」
 イーリスは視線をヌーッティに移すと、
「ヌーッティ。お母さんに会いたい?」
 ひたりとヌーッティを見据えて尋ねた。
 ヌーッティは戸惑いの表情を顔に浮かべた。
「わからないヌー」
 くるりと体の向きを変えたヌーッティはミエリッキを見つめた。
「おかーさんには会えないヌー?」
 ミエリッキは首を横に振った。
「今のままじゃ無理よ。妖精になる前のことを思い出せる?」
「ミエリッキが遊んでくれたことは覚えてるヌー。でも、それより前のことは思い出せないヌー」
 気落ちした様子でヌーッティは答えた。
「あなたがシヴィに会える条件はたったひとつ。生きていたときの記憶を取り戻すことなの。だから、思い出せていない今は会えないのよ」
 ミエリッキの言葉が静まり返った森に響いた。
 沈黙が訪れ、それを破ったのはトゥーリであった。
「ねえ、ヌーッティ。会ってみたい?」
 訊かれたヌーッティはこくりと頷いた。しかし、
「トゥオネラに行ったら、またアキが危なくなっちゃうヌー。アキがいなくなるのは嫌だヌー」
 瞳を潤ませながらヌーッティは絞り出すように答えた。
「アキ? もしかして、ワイナミョイネンの魔法を受け継いだ男の子のこと?」
 ミエリッキがトゥーリに向かって尋ねると、トゥーリは首を小さく縦に振った。
 それから、トゥーリは、ヌーッティとアキと出会ったこと、アキの魂がトゥオネラの女主人たちに狙われていることなど、これまでに起きたことを一つ一つミエリッキに話した。
 すべてを話し終えたのは空が夕焼け色に染まる頃であった。
「だから、今、ヌーがトゥオネラへ行くのはよくないんだヌー」
 ヌーッティはまぶたに溜まった涙を手の甲で拭いながら言った。
 そんなヌーッティを見ていたトゥーリは立ち上がると、ミエリッキの前に一歩、歩み出た。
「ミエリッキ! お願いがあるの!」
 いつになく真剣な表情でトゥーリは森の女主人ミエリッキを見据え、そう話を切り出した。
しおりを挟む

処理中です...