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ヌーッティの秘密・前編

9.ヌーッティvs.ヘルマンニ

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 目覚めたヌーッティの瞳に記憶をヘルマンニに食べられているトゥーリの姿が映った。
 ヌーッティは反射的に詩を口ずさんだ。

   MielusミエルスMetsolanメツォラン emäntäエマンタ,
   Nuunヌーン rukoustaルコウスタ kuuleクーレ!
   Voimaasiヴォイマーシ Nuulleヌーッレ annaアンナ!
   Haluanハルアン suojataスオヤタ ystäväniユスタヴァニ!
   ——ミエルス、メツォラの女主人
     ヌーのお願いを聞いてだヌー!
     ヌーにミエリッキの力を分けてだヌー!
     ヌーはお友だちを助けたいヌー!

 歌に呼応するかのように木々の葉が乾いた音を立てた。
 ヌーッティはヘルマンニを睨むと、囁くように詩歌の続きを歌う。

   Karhuカルフ laulaaラウラー minunミヌン runoaルノア
   Karhuカルフ sanooサノー viholliselleヴィホッリセッレ
   Kutsuクツ Nuutiksiヌーティクシ minuaミヌア!
   ——くまは歌う、自分の詩を
     くまは言う、あいつに向かって
     ヌーッティと呼ぶヌー!

 歌い終えてヌーッティはヘルマンニを指さしつつ、
「ヘルマンニ! ここにいるレンポを倒す偉大な小熊の妖精の名前を覚えているヌー⁈」
 力強い口調で叫んだ。
 呼ばれたヘルマンニの頭部がわずかに動いた。
 ヘルマンニはヌーッティを見やることなくため息をつくと、
「うるさいなあ、ヌーッティは。すぐに食べて……」
 そこで言葉が切れた。
 ヘルマンニがヌーッティの名を口にした。
 それだけで充分であった。
 ヌーッティの魔術が効力を発揮するには。
 突如、ヘルマンニの体が震えだした。
 けいれんを起こしたかのようなヘルマンニはトゥーリの目から視線を外し、首を回すとヌーッティを見やった。
 堂々とヘルマンニと対峙するヌーッティは、魔物レンポを指さした。
「食べたみんなの記憶を返すヌー!」
 同時に、ヘルマンニの口から勢いよく白いもやが吐き出された。
「な……何をした……?」
 問われたヌーッティはただじっとヘルマンニを見据えていた。
 ヌーッティは大きく息を吸い、
「どっか行っちゃうヌー!」
 ヌーッティの命令を聞いたヘルマンニは勢いよくその場に卒倒した。
 一陣の風がその場に吹き荒れた。
 突風はヘルマンニの体を揺らすと、一瞬でその姿を空間に溶かした。
 もう、どこにも魔物レンポの姿や気配はなかった。
 ヌーッティは急いでぼうっとしているトゥーリのもとへ駆け寄った。
 屈んでヌーッティはトゥーリの両頬をぺんぺん叩いた。
 虚ろな目差しのトゥーリの瞳に光が戻った。
「トゥーリ! 大丈夫ヌー⁈」
 名前を呼ばれたトゥーリがはっとした顔つきになった。
「レンポは⁈」
 意識がはっきりとしたトゥーリは警戒しつつ、周囲を見回した。
「ヌーが退治したヌー! もう大丈夫だヌー!」
 言い終えるが早いか、安堵した面持ちのヌーッティはトゥーリを力いっぱい抱きしめた。
「痛っ!」
 トゥーリの呻きでヌーッティはすぐさま体を離した。
「ごめんだヌー。痛かったヌー?」
「そうじゃないよ。ヌーッティに抱っこされて痛いんじゃなくて……」
 トゥーリは自身の身体を見た。
 茜色のワンピースは焼け焦げており、肌が出ていた腕には火傷の痕があった。
「ちょっと痛いけど、大丈夫。助けてくれてありがとう、ヌーッティ」
 トゥーリは穏やかな微笑を浮かべると、ヌーッティへ感謝の思いを伝えた。
「ちょっとじゃないヌー! いっぱい火傷してるヌー! ほら、こっちもだヌー! ヌーがすぐに治してあげるヌー!」
 不安な表情を湛えながらヌーッティは柔らかな声で詩を歌う。

   Kysynキュシュン iäisenイアイセン laulajaltaラウラヤルタ
   mitenミテン voisinヴォイシン parantaaパランター häntäハンタ
   Anteroアンテロ Vipunenビプネン vastaaヴァスター Nuulleヌーッレ
   Kuuntelenクーンテレン hänenハネン sanojaサノヤ
   ——ヌーは昔むかしの歌い手に尋ねるヌー
     どのようにトゥーリを癒やせばいいのかを
     博識なる魔術師アンテロ・ビプネンはヌーに教えてくれるヌー
     ヌーはビプネンのお話を聞くヌー

 ヌーッティの小さな2つの耳がぴくりと動いた。
「わかったヌー!」
 そう言ってヌーッティは、赤く腫れたトゥーリの両手の上に、自身の手をそっと重ねた。
 軽く息を吸ってヌーッティは、別の詩を、アンテロ・ビプネンが教えてくれた詩を歌う。

   Rukoilenルコイレン Tellervolleテッレルヴォ
   Tellervoテッレルヴォannaアンナ tuultaトゥールタ maalleマーッレ
   Tuuliトゥーリ parantaaパランター ruhjeitasiルフイェイタシ
   ——ヌーは祈る、森に住まうタピオの乙女へ
     テッレルヴォ、タピオの乙女よ、ここに風を吹かせるヌー
     風は治す、トゥーリの傷を

 穏やかで暖かく、柔い風がトゥーリとヌーッティをふわりと包み込んだ。
 風は優しくトゥーリの傷を撫でた。
 ひと撫でで、火傷の痕が消えた。
 ふた撫でで、傷の痛みが引いた。
 緩やかな時間ときが収まる頃には、トゥーリの怪我はすべて癒されていた。
「どうだヌー? もう痛いとこはないヌー?」
 ヌーッティに尋ねられてトゥーリは自分自身の身体を確認した。
「うん。もうどこも痛くない。ありがとう、ヌーッティ!」
 トゥーリはヌーッティをぎゅっと抱きしめた。
 そこへ、
「よかった、無事で」
 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 トゥーリとヌーッティは身体を少し離した。
 二人は警戒した面持ちで、声のした茂みの方を見つめた。
 すると、がさがさと音を立てて、茂みの奥から1匹の赤毛色をしたキツネが現れた。
 トゥーリとヌーッティを罠にはめた火の精霊エルノであった。
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