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エンマとトゥーリ Emma ja Tuuli
1.エンマとトゥーリ <Emma näkee tonttu Tuuli>
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それは予期しない出来事であった。
ある夏の日のお昼過ぎ——フィンランド南東部の端にある小さな町パリッカラ。
子ども部屋でお絵描きを楽しんでいた幼い少女エンマの耳に、ガタガタと物がぶつかり合う音が届いた。不思議に思ったエンマは絵を描く手を止めて耳を澄ませる。その音はキッチンのほうから聞こえてきた。
ガタガタ、ドンドン、カンカンカン。
エンマは手にしていたクレヨンをテーブルに置いて立ち上がると、部屋のドアから顔を出し、もう一度、注意深く耳を澄ます。
ゴトン、バタン、カランカラン。
物音は、確かにキッチンから廊下に響き、エンマのいる部屋まで届いている。
エンマは、最初、兄のアッテがキッチンにいるのかと思ったが、庭からアッテの元気な声が聞こえてきたので、キッチンにいるのは彼ではないと確かめられた。次に、弟のヨンネかと考えたが、エンマより小さい身体の弟が、キッチンで何かいたずらをするとは考えにくかった。
エンマが考えを巡らせている間も、間断なくキッチンから物音が鳴り響いていた。
小さな両手をぎゅっと握りしめると、エンマは意を決し、謎の物音が聞こえてくるキッチンへ行ってみることにした。
そろりそろり、物音が掻き消えないように、物音の主に気づかれないように足音を立てず、そぉっとキッチンへ向かった。
キッチンに着いたエンマは、開けっ放しのドアから顔を半分だけ覗かせ、キッチンの中へ目をやる。
すると、突然、上の棚のドアが開いた。
同時に、小さな影が棚の中からひょこっと現れた。
その小さな影は棚からシンクのある天板へと颯爽と降り立った。
くるんとした亜麻色の髪を肩で切り揃え、鮮やかな赤い色の服を身にまとった小人の女の子がエンマの瞳に映った。
小人の女の子はエンマに気づいておらず、右手をあごに当てて唸っている。
「もう、どこにいっちゃったの」
小人の女の子の愛らしい小さな独り言がキッチンにこだました。
その小人が身体を捻り後ろを向くと、小人の目に驚きと好奇の面持ちを湛えた表情のエンマの姿が飛び込んできた。
キッチンの入り口で立ち尽くしているエンマは小人の女の子をひたりと見据え、
「あなたは、だぁれ?」
大きく見開いた瞳で訊ねた。
小人が一歩、後退ると、後ろに置いてあったステンレス製のボウルに小人の足が当たって、甲高い音がキッチンに響いた。
小人の頰に浮かぶ一粒の冷たい汗が、ふっくらとした頰の曲線を伝い、洋服の上に落ちた。
エンマはゆっくりとした動きで一歩キッチンに足を踏み入れた。
「小人さんなの?」
エンマの声は大きくもなく小さくもなかった。けれども、小人が肩をびくりと震わせるには充分であった。それというのも、小人や精霊、そして妖精たちには「人間に姿を見られてはいけない」という決まりがあるからであった。
小人の女の子は酷く困惑した面持ちでエンマを見つめていた。
エンマも、突然、目の前に現れた小人から目を逸らせないでいた。
そこへ、カタカタと窓枠が軋む音がした。
エンマがわずかに開いている窓へ目を向けると、一匹の真っ白な毛色のオコジョがするりと体を滑らせるように窓のわずかな隙間をくぐり抜け、入ってきた。
綿のようにもこもこの襟が付いたラベンダー色のポンチョを羽織っているオコジョは、小人のところへ行くと、
「トゥーリさま。二階にはいませんでした」
小人の女の子に向かって、そう話した。
トゥーリと呼ばれた小人の女の子はエンマを指さしつつ、オコジョに向かって首を横に振って見せた。オコジョは首を傾げつつ、トゥーリの指の指し示す先、エンマのほうを見た。
「あら! ついうっかり」
オコジョは口を突いて出てきた言葉を押し留めるように手を口に当てた。
その時、ガタンと音を立てて、窓が勢いよく開いた。
「おーい。トゥーリ、リュリュ。周りの茂みにはいなかったよ」
片手に深い紫色のブルーベリーを持った赤リスが、ひらりと白い外套を翻し、窓を通って、中へと入ってきた。赤リスはもしゃもしゃとブルーベリーを頬ばりながら空中を漂っている。
トゥーリとオコジョのリュリュは人差し指を立て、口に当てながら「しーっ!」と赤リスに訴えていた。
赤リスはキッチンのドアに佇むエンマの存在に気づくと、口に含んでいたブルーベリーを飲み込み、むせた。
小人とオコジョ、赤リスのやり取りを見ていたエンマは、はっとすると、
「ママ! 大変!」
言うが早いか、キッチンを後にして母のいる二階の部屋へ駆け足で向かった。
二階の部屋で弟のヨンネを寝かしつけ作業をしている母のもとへ着いたエンマは呼吸を整えることすらせずに、
「ママ! オコジョと赤リスが喋った!」
まくし立てるように母へキッチンでの出来事を話し始めた。
その話を聞いたエンマの母は困った表情を浮かべた。
「アッテが言ったの?」
母の言葉を聞いたエンマは、兄のアッテではないと首を横に振って答えた。
「小人もいたよ! 女の子だったの!」
目を輝かせながら話すエンマを見て、エンマの母は溜め息をひとつ吐いた。そして、窓から、庭で遊んでいるアッテの姿を見つけたエンマの母は、アッテを二階へと呼び寄せると、
「また、エンマをからかったの?」
そう訊ねた。けれども、まったくの濡れ衣を着せられたアッテはエンマをからかっていないと主張した。
二人の母は怪訝な表情を浮かべたまま、誰かをからかって遊ぶのはよくないと二人に諭した。
「今日のおやつはお母さんが作ったビスケットよ。おやつの時間まで遊んでいなさい」
その言葉を聞いたアッテは「わかった」と返事をして、庭へと戻っていった。
一方、エンマはというと、腑に落ちない顔のまま母のいる部屋を後にし、階段を下りようとしていた。そこへ、キッチンから金物の鳴る音が聞こえてきた。
エンマは足早にキッチンへ行くと、中を覗き見た。
先程までいた小人とオコジョ、赤リスたちの姿は見当たらなかった。けれども、何かあると直感したエンマはキッチンへと足を踏み入れ、目をよく凝らし、キッチンを隅々まで見回した。
そして、一つの変化に気がついた。天板の上に置かれていたステンレス製のボウルがひっくり返っていたのである。しかも、そのボウルから赤い布がはみ出していた。
エンマは緊張した面持ちで裏返しになっているボウルをそっと両手で持ち上げた。
すると、そこには先の小人の女の子が一人ちょこんと座っていたのである。
エンマは小人の瞳をじぃっと見つめ、
「わたしはエンマ。あなたは?」
ゆっくりとした口調で訊ねた。
人間の女の子に見据えられた小人の女の子はすぐに返答しなかった。
だが、ややあって口を開いた。
「……トゥーリ。小人のトゥーリ」
返答を聞いたエンマは好奇と嬉しさに溢れた笑顔をトゥーリに向ける。
「はじめまして、小人のトゥーリ!」
こうして、エンマとトゥーリの物語が始まったのである。
ある夏の日のお昼過ぎ——フィンランド南東部の端にある小さな町パリッカラ。
子ども部屋でお絵描きを楽しんでいた幼い少女エンマの耳に、ガタガタと物がぶつかり合う音が届いた。不思議に思ったエンマは絵を描く手を止めて耳を澄ませる。その音はキッチンのほうから聞こえてきた。
ガタガタ、ドンドン、カンカンカン。
エンマは手にしていたクレヨンをテーブルに置いて立ち上がると、部屋のドアから顔を出し、もう一度、注意深く耳を澄ます。
ゴトン、バタン、カランカラン。
物音は、確かにキッチンから廊下に響き、エンマのいる部屋まで届いている。
エンマは、最初、兄のアッテがキッチンにいるのかと思ったが、庭からアッテの元気な声が聞こえてきたので、キッチンにいるのは彼ではないと確かめられた。次に、弟のヨンネかと考えたが、エンマより小さい身体の弟が、キッチンで何かいたずらをするとは考えにくかった。
エンマが考えを巡らせている間も、間断なくキッチンから物音が鳴り響いていた。
小さな両手をぎゅっと握りしめると、エンマは意を決し、謎の物音が聞こえてくるキッチンへ行ってみることにした。
そろりそろり、物音が掻き消えないように、物音の主に気づかれないように足音を立てず、そぉっとキッチンへ向かった。
キッチンに着いたエンマは、開けっ放しのドアから顔を半分だけ覗かせ、キッチンの中へ目をやる。
すると、突然、上の棚のドアが開いた。
同時に、小さな影が棚の中からひょこっと現れた。
その小さな影は棚からシンクのある天板へと颯爽と降り立った。
くるんとした亜麻色の髪を肩で切り揃え、鮮やかな赤い色の服を身にまとった小人の女の子がエンマの瞳に映った。
小人の女の子はエンマに気づいておらず、右手をあごに当てて唸っている。
「もう、どこにいっちゃったの」
小人の女の子の愛らしい小さな独り言がキッチンにこだました。
その小人が身体を捻り後ろを向くと、小人の目に驚きと好奇の面持ちを湛えた表情のエンマの姿が飛び込んできた。
キッチンの入り口で立ち尽くしているエンマは小人の女の子をひたりと見据え、
「あなたは、だぁれ?」
大きく見開いた瞳で訊ねた。
小人が一歩、後退ると、後ろに置いてあったステンレス製のボウルに小人の足が当たって、甲高い音がキッチンに響いた。
小人の頰に浮かぶ一粒の冷たい汗が、ふっくらとした頰の曲線を伝い、洋服の上に落ちた。
エンマはゆっくりとした動きで一歩キッチンに足を踏み入れた。
「小人さんなの?」
エンマの声は大きくもなく小さくもなかった。けれども、小人が肩をびくりと震わせるには充分であった。それというのも、小人や精霊、そして妖精たちには「人間に姿を見られてはいけない」という決まりがあるからであった。
小人の女の子は酷く困惑した面持ちでエンマを見つめていた。
エンマも、突然、目の前に現れた小人から目を逸らせないでいた。
そこへ、カタカタと窓枠が軋む音がした。
エンマがわずかに開いている窓へ目を向けると、一匹の真っ白な毛色のオコジョがするりと体を滑らせるように窓のわずかな隙間をくぐり抜け、入ってきた。
綿のようにもこもこの襟が付いたラベンダー色のポンチョを羽織っているオコジョは、小人のところへ行くと、
「トゥーリさま。二階にはいませんでした」
小人の女の子に向かって、そう話した。
トゥーリと呼ばれた小人の女の子はエンマを指さしつつ、オコジョに向かって首を横に振って見せた。オコジョは首を傾げつつ、トゥーリの指の指し示す先、エンマのほうを見た。
「あら! ついうっかり」
オコジョは口を突いて出てきた言葉を押し留めるように手を口に当てた。
その時、ガタンと音を立てて、窓が勢いよく開いた。
「おーい。トゥーリ、リュリュ。周りの茂みにはいなかったよ」
片手に深い紫色のブルーベリーを持った赤リスが、ひらりと白い外套を翻し、窓を通って、中へと入ってきた。赤リスはもしゃもしゃとブルーベリーを頬ばりながら空中を漂っている。
トゥーリとオコジョのリュリュは人差し指を立て、口に当てながら「しーっ!」と赤リスに訴えていた。
赤リスはキッチンのドアに佇むエンマの存在に気づくと、口に含んでいたブルーベリーを飲み込み、むせた。
小人とオコジョ、赤リスのやり取りを見ていたエンマは、はっとすると、
「ママ! 大変!」
言うが早いか、キッチンを後にして母のいる二階の部屋へ駆け足で向かった。
二階の部屋で弟のヨンネを寝かしつけ作業をしている母のもとへ着いたエンマは呼吸を整えることすらせずに、
「ママ! オコジョと赤リスが喋った!」
まくし立てるように母へキッチンでの出来事を話し始めた。
その話を聞いたエンマの母は困った表情を浮かべた。
「アッテが言ったの?」
母の言葉を聞いたエンマは、兄のアッテではないと首を横に振って答えた。
「小人もいたよ! 女の子だったの!」
目を輝かせながら話すエンマを見て、エンマの母は溜め息をひとつ吐いた。そして、窓から、庭で遊んでいるアッテの姿を見つけたエンマの母は、アッテを二階へと呼び寄せると、
「また、エンマをからかったの?」
そう訊ねた。けれども、まったくの濡れ衣を着せられたアッテはエンマをからかっていないと主張した。
二人の母は怪訝な表情を浮かべたまま、誰かをからかって遊ぶのはよくないと二人に諭した。
「今日のおやつはお母さんが作ったビスケットよ。おやつの時間まで遊んでいなさい」
その言葉を聞いたアッテは「わかった」と返事をして、庭へと戻っていった。
一方、エンマはというと、腑に落ちない顔のまま母のいる部屋を後にし、階段を下りようとしていた。そこへ、キッチンから金物の鳴る音が聞こえてきた。
エンマは足早にキッチンへ行くと、中を覗き見た。
先程までいた小人とオコジョ、赤リスたちの姿は見当たらなかった。けれども、何かあると直感したエンマはキッチンへと足を踏み入れ、目をよく凝らし、キッチンを隅々まで見回した。
そして、一つの変化に気がついた。天板の上に置かれていたステンレス製のボウルがひっくり返っていたのである。しかも、そのボウルから赤い布がはみ出していた。
エンマは緊張した面持ちで裏返しになっているボウルをそっと両手で持ち上げた。
すると、そこには先の小人の女の子が一人ちょこんと座っていたのである。
エンマは小人の瞳をじぃっと見つめ、
「わたしはエンマ。あなたは?」
ゆっくりとした口調で訊ねた。
人間の女の子に見据えられた小人の女の子はすぐに返答しなかった。
だが、ややあって口を開いた。
「……トゥーリ。小人のトゥーリ」
返答を聞いたエンマは好奇と嬉しさに溢れた笑顔をトゥーリに向ける。
「はじめまして、小人のトゥーリ!」
こうして、エンマとトゥーリの物語が始まったのである。
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