闇喰

綺羅 なみま

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最後の砦

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振り向こうとした時、シャツの首元を思い切り引かれ後ろに倒れかける。

「え、なっ……」
「巻き込まれるぞ」
「どういう意味、」
「く、来るなっ、化け物……こっちに、来るなァっ」

柴田さんに引かれずるずると部屋の隅まで来てしまった。
村長は尻餅をついたまま片手を後ろにつき、何かに怯えたようにもう片方の手を顔の前に突き出しながら後退している。

村長は顔を真っ青にし、これでもかと言う程に目を見開いている。
恐怖一色に染まったその瞳には一体何が映っていると言うのか。

ボキボキボキッ……ボキッ……

「あがああぁぁぁっ」

部屋に鈍い音が響く。何かとても硬いものに力を加えた音だった。

まず最初に体の前側に投げ出されていた村長の右足がスーッと半円を描きながら体の後側にまっすぐ伸ばされた。
左足は足の裏がふくらはぎに付くよう折り畳まれ膝の関節がガゴっと音を出しながら180度回る。
両腕がだらんと肩から力なく垂れ下がると、二本は背中の後ろで交差した。

村長は涙を流して泡を吹きながらヒイヒイと叫んでいる。助けを乞う言葉ももう出てこない。
柴田さんは口元を押さえ目を背けている。
俺は目の前で何が起きているのか分からず呼吸を忘れて見入ってしまう。

「アアアッ……アア゛ッ」

ポロシャツの胸の辺りが赤黒く染まる。
体から血が吹き出している。赤はぶわっと一瞬で広がり、胸に張り付くはずのシャツが沈む。胸の中に沈んでいく。

あれは、体に大きな穴が空かなければ起きない現象だ。
この村でいつか見た変死体を思い出す。その体にも抉り取られたような穴が空いていた。

沈んだ部分がボコボコと波打ちながらポロシャツの裾から重量感のある、鮮血に塗れた何かがズルリと垂れた。
一瞬柔らかいホースかのようにも見える。ソコにあったはずの物が引きずり出されてしまったのか。

衣服からはみ出た四肢が黒く変色していく。
彼もまた黒い岩のようになっていった。

俺には見えないが、村長はきっと今化け物に成り果ててしまったお仙さんの姿を見ているに違いない。
旅の僧侶が定信に血を薄めないよう言ったのはこの為だろうか。

万が一封印が解けた時、条件に見合う女性がいなかった場合の最後の砦。
お仙さんに恨みを晴らさせ悪霊の力を弱らせる為。彼等もまた生贄に過ぎなかったのか。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァ」

バキバキバキィッ

村長は腰よりも上の部分で折り畳まれた。背中と太ももの裏側がくっつく。
折れた肋の骨が腹の表皮を突き破り、曝け出された。

首が歪な音を立て背中の方に折れると、ゴトンと重い音を立て、その上にあった物が床に転がった。

その目が、こちらを見ている。

「ヒッ」
「うわ、うわあぁぁぁぁっ」

目が合い、つい小さく叫ぶと、その俺の声に反応した柴田さんが背けていた目線を肉塊と化した村長へと向ける。

いや。村長と、彼に対峙する何かへと。

柴田さんは金属を引っ掻いたような声で叫ぶとその場から物凄いスピードで逃げ出す。

こんな所に一人で置いて行かれる訳にはいかないと、俺も急いであの箱を掴みその部屋を飛び出した。

「ちょっと、待ってっ」
「ハァッ……ハア゛ッ……」

お互いに体育会系ではない為かすぐに柴田さんに追い付いたものの、既に二人の息は上がっていた。
それでも柴田さんが足を止めないと言う事は、俺も止まれないと言う事だ。

「これ、どこに、向かってるのっ」
「わがんない゛っ! 追゛って来てるっ」
「追っ、追っ、!?」

後ろを振り返るがもちろん何が追って来ているかなど分かる訳もなかった。

「なんでっ、お前がいてっ、追われ、るんだよっ」
「そんな事言われてもっ」
「坊さん、なんだ、ろっ」

柴田さんは理不尽にキレていた。

「そこっ、そこ入るぞっ」
「は、はいっ」

彼女が指差した先の納屋にバタバタと駆け込む。
柴田さんは地面に手をつき四つん這いで息を整えた。
俺も深呼吸をしながら背を戸に付け、ズルズルと座り込む。

「ア゛ァァ! こんな、事なら、さっさと、村を出れば、良かっ、た」
「ハァ、ハァ……お互いに、な」

息を整えながら周りを見渡す。
薄暗い部屋。湿気った臭い。
奥に空間があるようだが、物らしき物は特にない。日当たりも悪く、地面はひんやりとしていた。

ガタガタガタガタガタ

「っっ、ぎゃああぁぁぁぁっ」

建物全体が小刻みに揺れ、大きな音が鳴る。二人とも顔を見合わせ同時に叫ぶと強く抱き合った。
死ぬ! 殺される!
心の中で記憶を絞り出して念仏を唱える。

何か助かる手段は……。
そこで、妙な既視感を覚える。
ここは初めて来たはずなのに、どうして。

「そうか。ねえ! 柴田さん、ねえ!」
「何、こんな時にっ」
「出来れば違ってて欲しいんだけど、ここ、お仙さんが殺された所じゃあ……」

あの過去の映像が鮮明に浮かび上がる。
お仙さんが刃物を向ける定信を見た場所。腹の中から黒い赤ん坊が産まれた場所。彼女が復讐を誓った場所。

彼女の最期の記憶は、ここだったはずだ。

柴田さんはぎゃあぎゃあ言っていたのをぴたりとやめ、視線を部屋中に巡らせた。

「……ぅわあああ当たりだ終わったこれは終わった」
「終わってない! 縁起でもないやめて!」
「もうこれは終わりだ」

俺達は涙目だった。
ガタガタ鳴っていた建物は急に静かになる。しんとした部屋で自分達の心臓の音だけがやけに騒がしい。

俺達もここで、彼女と同じこの場所で死んでしまうのか?
お仙さんはそれを望んでいるのだろうか。

「アアアアアッ! ア゛アアアアッ!」

柴田さんは俺に回していた手により力を入れ、首を左右に振りながら泣きながら狂ったかのように叫び出した。
半狂乱、これはこの時の為の言葉なのだろう。

何が起きたのかは察しが付くので聞きたくない。
彼女には何かがこの部屋に入って来たのが視えているに違いないのだから。

柴田さんは恐怖心を隠す事なく叫び声に表していたかと思うと、急に大人しくなった。
息も荒く、体は小刻みに震えている。

「アアァ……ウゥ……」
「まって、柴田さん」

柴田さんの様子がおかしい。おかしい。おかしい。ふざけるな、こんな事あるのか。

「グゥゥゥ……」
「そんな、最悪だ」
「ぜん、イン、殺しテ、やる……ギィイイイッ」

威嚇するように叫ぶと柴田さんは両手を自分の首に回し、白目を剥いて苦しみ出した。
この部屋に侵入したお仙さんが視えていただけでなく、柴田さんは体を乗っ取られてしまったようだった。

「ゴボッ……ウエェ゛……オッ……ウエェ」
「うわあァァっ」

黒い液体を吐きかけられた。
体中が拒否反応を起こし、気持ちが悪い。全身に虫が這うような感覚。
俺は体裁も捨て泣き叫んだ。

どうすればいいのか、全く思い浮かばない。こんな事、親父もじいさんも曾じいさんも言ってはいなかった。
無闇に部屋に人形を並べたりせず、知人が悪霊に乗っ取られた時の事を教えて欲しかった。

「ちゃんと……考えろ……」

泣きながら柴田さんの両腕を押さえた。物凄い力だ。この細いへろへろの腕の何処にそんな力があるんだ。
この腕を離せば自分の首を締めてしまう。お仙さんは柴田さんを連れて行く気だ。
柴田さんまで死なせはしない。

ここには塩もない。日本酒もない。まともに除霊出来るだけの道具が何もない。それに加えて本体の亡くなった場所。霊力は高まっているだろう。

部屋の隅に置かれた斧が目に入った。
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