闇喰

綺羅 なみま

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八重子の最期

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地獄のような日々が続く。

村で一番若いお仙を男達は好んで汚した。
最初に肌を晒す羞恥を失くした。
その次にあの刺すような痛みを失くした。
そして、抵抗する気を失くした。

暴れた所で逃がしてはもらえない。優しくされる訳でもない。時間が長引くだけだと悟った。
最初は夜だけ耐えれば良かった。次第に時間など関係なくなった。

名目は子作りなのだ。子が出来ればきっとこの辛い日々は終わる。
そう信じて死にたくなるような毎日に耐える。

先に八重子が子を身籠った。
気力がないのか上手く嘔吐する事が出来ず、八重子は虚ろな目で空間を見つめ地面に横たわったまま口元から嘔吐物を垂れ流す。

男達は嫌な顔をするだけで、蔵に垂れ流された嘔吐物を処理する事もない。
もうずっと湯浴みにも行かせて貰えず、二人が閉じ込められた蔵には臭気が漂う。
簡易的な便所が用意されていたが、八重子は動けず糞尿を垂れ流している。
彼等は時折臭いと言っては八重子を足蹴にしたし、お仙も自身の臭いが強くなってくると益々自分が家畜になったかのようだと感じた。

男達はお構いなしにお仙と交わるが、中々懐妊しないまま八重子の腹だけが膨らんできた。
仰向けに転び手足を広げて一点を見つめるだけの八重子を見ると、お仙は堪らず夜中にひっそりと涙を流す。

もう母と話せる日は来ないのではないか。何日も誰とも会話していない。この蔵にはもちろん男達以外やって来ない。その男達と話す気にはなれなかった。

足首のあの傷も随分悪化してしまった。ほぼ身動きを取らぬ母の傷口には虫が集る。くねくねと動き日に日に大きくなっていく蛆虫うじむしを直視出来ない。
母の傷口を糧に段々と成長していく虫と、徐々に大きくなっていく母の腹が何だか似ている。彼等も自分が生きる為に母から栄養を摂取しているのだ。
八重子は精神をむしばまれ人形のようになってしまったが、そうでなくてもこの怪我の状態ではもう二度と歩く事は出来ないだろう。

八重子の体はげっそりと痩せ細り、見るからに生気がない。お仙は「母の体はこの出産に耐えられないだろう」と八重子の死を覚悟した。
死ぬ前にせめて一度言葉を交わしたい。それもきっと難しいだろう。

自分がいつまで生きていられるかも自信がなかった。
衛生環境が悪く、食事もまともに摂れていない。彼等はわざと食肉を与えようとした。
空腹に耐え兼ねて一気に掻き込んだ事もあった。しかし弟を思い出し戻してしまう。
お仙は肉を退けて汁だけを啜っていた。

八重子の腹がすっかり大きくなったある日。
もう産まれて来ても良い頃なのだろうか。あれからどれくらい経ったのか、お仙には分からなかった。

「もうこの女はどうせ死ぬじゃろう」
久しぶりに男共がぞろぞろとやって来たかと思うと前触れもなくそう言った。
お仙は何か言う気にもなれず、下を向いたまま心の中だけで悪態をつく。
「俺達なぁ、もう食べる物が減ってきて困っとるんじゃ」
そんな事は分かっていた。そのせいで自分達が家畜のような扱いを受けている事も知っている。
お仙には男達の言いたい事が理解出来ない。

何が言いたいのかと、そう聞こうとして顔を上げる。
男達は物騒な物を手に母娘を見下ろしていて、お仙は思わず小さな悲鳴を上げる。

「すまねぇ、驚いたか」
「嬢ちゃんはまだ元気そうだからな」
「私は、まだ……?」
含みのある物言いにお仙は顔を顰めた。
「だが、母ちゃんの方はどうだ?もう口も利きやしねぇ。足も、こんなになっちまって」
男は汚い物を触るように、八重子の足を爪先でつついた。

「何が、言いたいんですか」
お仙は返ってくるであろう答えを想像して声が震えた。
「もう母ちゃんは食っちまおうと思うんじゃ」
「定信、」
すっかり偉そうにしている定信が平坦な調子でそう言うと、お仙の頭にかっと血が上る。
「もうどの道長くない。衰弱して死ぬより先に食った方が少しは良いじゃろ。今でももうこんなにガリガリになってもうて。これ以上放っといたら食うとこなくなっちまうじゃろ」
「お前……何言うとるか分かっとるんか」
定信は余りにも当たり前の事のように話す。お仙は怒りで震える声を必死に抑えた。
「よう分かっとるよ。お腹の子はちゃんと取り出すで安心して」

男から斧を受け取るとその刃先を八重子の怪我した足に向けた。
「姉ちゃんも考えてみ。こんなん付いててももう歩けんやろ」
「定信、いかん」
お仙はふらつきながら立ち上がり、定信の斧を持つ手を掴んだ。しかし体に殆ど力が入らずその手は弱々しい。

定信は斧を足の付け根に添える。
「邪魔じゃから、切り落とさんと」
斧を思い切り振り上げ体重を乗せて振り下ろした。
「だめっ」
「あああぁぁぁ゛っ」
お仙の制止する声は届かず斧は八重子の腿に突き刺さった。
久しぶりに母の大きな声を聞いた。とは言っても叫び声よりは小さく、夜中に聞こえる獣のような声で唸るだけだ。

一度では切り落とせず小袖越しに斧が刺さった肉からぶわりと血が吹き出し、布に染み込んでいく。
「あっ、ああっ、母ちゃん」
「一回で切るのはね、難しいんよ」

定信は斧の柄の部分に足を乗せ、ぐりぐりと体重をかける。
「定信っ! いい加減にせえ、足を退けんか!」
唸り声を出しながら体を揺らす八重子の手を握り、定信の足を押し退けようとする。
 布は血を吸い込みきれず、地面に溢れ出した。

ガツッと斧が地面に当たる。
「これ食って平気なのか?」
ズリ、と足を引きずり出した男が傷口を見ながら言った。
「なんて、ことを、」
お仙は呆然として地面にぺたりと座り、体を震わせた。

「片足じゃ立てんなぁ。均等にせんと」
「何を……もう、やめ、」
「う゛、ぐおおぉぉ」
お仙が止めるより先にもう片方の足に斧が突き刺さる。
「こっちも、切り落とさんと、まっすぐ、立っとれんでね」
グイッ、グイッと柄を踏み体重をかける。
「かはっ」
両足が切断され、血液が上手く循環しない。八重子の肺に血液が溜まり、噎せて血を吐き出した。

「母ちゃん、嫌だっ」
お仙は八重子の体に縋り付いた。
そちらの足も定信が何度か体重をかけると体から離された。
「お仙、汚れるよ。後で食わすから」
「いらんっ」
「いらんのか」
定信は意外そうな顔をした。

「おい、定信。はよせんと子が死ぬぞ」
「そうじゃな」
「なに、ねぇ、なに」
定信は混乱するお仙を宥めるように頭に手を乗せる。
「赤ちゃん、産まんといかんやろ」
大きくなった八重子の腹部が見えるようにと斧を器用に使いながら小袖をはだけさせる。

お仙は今まで見たどの光景よりも、目の前で起きている事が信じられなかった。
定信は斧を男に渡しそれと引き換えに出刃を受け取る。両足のあった部分から大量の血を溢れさせながら、八重子の腹は胸の下から臍の下まで出刃でさっくりと開かれた。
八重子はもう唸り声すら上げず、ピクピクと痙攣している。

男の一人が「おお、出た出た」と腹に手を突っ込み肉の塊を引きずり出す。肉塊に酸素が取り込まれ産声を上げる。

「これは大きくしてから食うんじゃ」
皆腹を空かしている。赤ん坊が育つまで待てるだろうか。
八重子は腹を開かれ血を流し、見るに耐えない。お仙は思わず目を背けた。

男達は満足したのか二本の脚と、赤ん坊を抱えて蔵を後にした。
体臭に加えて血液の匂いが満ちたこの場所に、すっかり呼吸を止めてしまった母の上半身と二人きりにされる。
お仙は口を押さえて蔵の隅によたよたと歩くと、壁に辿り着くより先に空の胃から嘔吐した。

こんな大きな亡骸を埋めるだけの穴は掘ることは出来ない。
「あの時は小さくなっていたから」と、もう一人の弟である定史の墓を撫でた。
いっそ全身持って行ってくれたらどれだけ良かっただろう。
無残に殺された母と目が合う。思い出されるのは最後に搾り出された唸り声だった。

まだ体温の残る八重子の手をもう一度握り、目を閉じて一生懸命元気だった頃の母を思い出そうとした。
この村に来るまでは、裕福でなくても幸せな毎日を送っていたのに。
どうして定史が、どうして母が。どうして私がこんな思いをしなくてはならないのか。

八重子は段々と温かさと柔らかさを失っていく。
お仙は少し冷えてきた手を縋るように握り、大きくなっていく憎しみを抱えて夜を明かした。
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