闇喰

綺羅 なみま

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誰がそれを咎められるのか

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「いやぁぁぁぁっ」
一室に甲高い悲痛な声が響く。
女は汗で張り付いた髪を振り乱し、男の腰元に縋りついた。
先程産声を上げたばかりの赤ん坊が男の腕で元気に泣いている。
「うるせぇな、お前にも分けてやるよ」
男はそう吐き捨てると女を振りほどいて赤ん坊を連れて行った。

ここにいる女性達は自分の腹にいる子が食べられる為に大きくなっていっている事を分かっている。
しかし一度産めば自らの子を食糧として大人しく差し出す事は出来ない。日に日に大きくなっていく我が子に愛情が芽生えてしまうのだろう。

残酷な事に、数十分後にはその肉が振る舞われる。
男達によってぶつ切りにされた産まれたての肉が部屋に持ち込まれると虚ろだった女達の目に光が灯る。彼女達は皆この瞬間の為にここにいる。
子を産んだ女は声も出さずに壁にもたれて一点を見つめたままぽろぽろと涙を流すだけだった。
八重子はそれを見ながら無意識に自分の腹を擦る。

「ほら、食いな」
静かに泣いたままのその女に椀が差し出された。
彼女が産んだ子の骨から出汁を取り、肉を煮込んだ汁だ。
女は椀を受け取ろうとはしなかった。
「あんたもこの為に頑張ったんだろ。この子だってせめてあんたに食べて欲しいはずだ」
そんなことはないだろう。きっとその子は食べられたくなかったはずだ。と八重子は思ったが、彼女は再び嗚咽おえつを漏らすとそっと椀を受け取った。
八重子はその汁を食べる事は出来なかった。

「この村、どんどん外から子供が連れて来られてるみたいだよ」
隣の女がこっそりと八重子に耳打ちした。
赤ん坊が生まれるのに10月程掛かる。やはり足りないのだろう。
かと言って子供をさらってきていると言うのか。
子供を産ませて本人に食べさせている事に比べれば驚きはしないが、欲に溺れた人間は何をするか分からない。

お仙と定史は無事にやっているだろうか。定信はどうしているのか。
頼むから早く産まれて来てくれ。腹の子に祈る。早く家に戻って家族を連れて逃げなければ。いっそ自分を置いて逃げてくれていたら良いが、あの子達にそんな事は出来ないだろう。

泣きながら汁をすする母親になったばかりであった女を視界の端に入れ、八重子は胃の底から湧き上がる物をぐっと堪えた。

その内、八重子と同じ家にいた半数の女は子を産みどこかへ行ってしまった。男達が外へ連れて行った。八重子はどこに行ったか知らなかったが、女達は再び身籠っていない女性の部屋に入れられる。しばらくしてまたその身に赤ん坊を宿せばここに連れて来られてるだろう。
そして新しくお腹を大きくした女性達が連れて来られた。
彼女達もまた子を産み食べるのだろう。

何人も見送り自分もそろそろだろうかと、何度目か分からない謝罪の言葉を腹の子に呟いた。

八重子に陣痛が始まると、女達が目を輝かせて身の回りを整えた。
力む時に掴む紐やお湯など重い腹を抱えて用意した。
この子を食う為にみんな必死やね。八重子はそんな女達をいつしか冷めた目で見るようになっていた。

無事に産声が聞こえてきたが、その赤ん坊を抱く気にはなれなかった。
目を背け、ごめんね、ごめんね、と届かぬ声で謝り続ける。何度謝ろうともこの罪は償えない。

部屋に男が入ってくるといつものように産まれたばかりの赤ん坊を連れて行く。
赤ん坊は一度も母親に見てもらえぬまま殺されてしまった。
次に再会した時にはおみおつけの具材になっていたが、その汁を見る事も嬉々として啜る女達を見る事も耐えられない。
周りから聞こえる「おいしい、おいしい、」という声が聞こえぬよう耳を塞ぎ夜を明かした。

「子供は無事に産みました。家に帰っても宜しいでしょうか」
翌日やって来た男に尋ねると怪訝な顔をされる。どこかに逃げる気かと疑われているのであろう。
「知らない人ばかりで気が病んでしまいました。次の子を元気に産む為に、一度我が家へ帰りたいのです」
そう言うと「次の子を産む為」という言葉に気を良くしたのか、すぐに帰された。
産後一晩しか経っていない。そんな体で外を出歩くのは負担になったが、とにかく早く家族の顔が見たかった。安心したかったのだ。

家の戸を叩く音がしてお仙はいつものように物陰に隠れる。隠れた事を確認した定史が戸を少し開けた。

「母ちゃん!」
すっかりやつれた母の姿にぎょっとしながらもその身でどうにか家に帰って来てくれた事に安堵し、戸を開け八重子を中に入れると素早く衝立ついたてをする。
「母ちゃん……良かった……」
定史の声を聞き物陰から玄関を覗いたお仙が八重子の姿を目に留めて駆け寄った。
「定史、お仙、」
待ちに待った再会に、親子はきつく抱きしめ合いお互いの無事を喜んだ。

「お腹の子は、」
と聞きたかったが、八重子の様子を見れば赤ん坊は無事ではないと分かり尋ねる事が出来ない。
「二人共本当によく無事やったね」
「村の事は定史から聞いた、こんな村はよ逃げんと」
お仙はそう言いながら母の体を支える。定史は急いで火を起こした。
「母ちゃん、こんなに痩せてまって。まずはちゃんと食べんと」
八重子を座らせるとお仙は食事の用意を始めた。

姉弟は八重子がいなくなってからの事を次々に話した。
定史は村の男達がどのように行動しているかよく知っていた為時間を見計らい、外に出るのは彼等が行動しない深夜に限定していた。
川で魚を取ったり、大声では言えないが周りの畑から野菜を少しずつくすねたりした。
それを話すと八重子は目を大きく開いて、二人は「叱られる」と目を瞑ったが八重子は声を出して笑うだけだった。
八重子は「こんな村の畑なんてどうしても良い」と思ったが、子供達に言うのには少し品がないと口をつぐんだ。

「ここには男達は来んかった?」
「来たけど、定史が」
その時の事を思い出したのか、お仙は口元に手を当てくすくすと笑った。
「姉ちゃん、笑わんで良いやろ!ああ言わな仕方なかったんじゃ!」
「分かっとる分かっとる、分かっとるけど、ふふっ」
お仙は笑いを堪えきれない様子で、中々話が進まなかった。

「そんな面白い事があったんか」
「私を訪ねて来た男の人達に、オレの姉ちゃんを殺したのはお前らじゃ!上手い上手いて食うたじゃろ、忘れたんか!って泣きわめきながら棒っきれを振り回して……ああだめ」
笑いを必死に堪えながら話したお仙だったが、言い終わるとその場に転げて腹を抱えて笑った。
それを聞き八重子もくすくすと笑う。
「定史は演者さんになれるねぇ」
「母ちゃんまで」
定史はお仙が狙われないよう村人に食べられた事にしてしまったのだ。村人達は定史の半狂乱っぷりに騙され、二度は訪ねて来なかった。
お仙は思い出して腹を抱え笑っているが、結果として定史のやった事は正しかった。

この日三人は久しぶりに心から笑った。
思えばこれが最後の団欒だんらんだったのかもしれない。

10日程が経ち、八重子はそろそろ村を出るかと話を持ち出した。
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