闇喰

綺羅 なみま

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この子が食べたいと腹を擦る

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近くから複数の男の人の足音が聞こえてきた。
「あいつら、また」
お仙が苦々しくそう漏らすと、八重子はお仙を大きな樽の中に押し込んだ。
「耳も目も塞ぐんだよ、私が声を掛けるまでけしてそこから出ないで」
お仙は泣きそうになるのをぐっとこらえて、八重子の言葉に頷いた。

しばらくすると入り口の戸が開くのが聞こえた。お仙は言われた通りに耳を防ぐが、無音になどならない。
お仙の手をすり抜け入ってくる音や声が堪らなく気持ち悪く、また自分が母を助けに行く事が出来たらいいのにと考えれば歯痒くて人目もないので声を押し殺して涙を流した。

あれから男達は何度も八重子の元を訪れた。その度にお仙を隠し、八重子はその屈辱を一身で受け止めた。
頻繁なことで八重子も疲弊していた。何の為にこんなことをしているのか、暇を持て余しているのか男の欲を吐き出す場所が他にはないのだろうか。

弟達もたまに顔を見せてはすぐにどこかへ行ってしまう。その度に二人の顔つきは変わっていく。定信は男らしく自信に満ち溢れていくようだった。反対に定史は段々と表情が暗くなっていて、お仙が心配し尋ねても何も答えない。

母に対する卑劣な行為に、この弟達も何か関係しているかもしれない。
お仙はうっすらとそう感じていた。
そう考えると、八重子に起きていることを弟達に相談する事は出来なかった。

幾月も流れ母の腹が膨らんでくると、やって来ていた男達は手を叩いて喜んだ。何がそんなに嬉しいと言うのか。
母はその胎内に宿してしまった。誰の子とも分からない。
お仙は影からこっそりとその様子を盗み見ながら、ふとある日見た女達のいる部屋を思い出す。
まさかこうして女達を身籠らせてはあの部屋に集めているとでもいうのか?
何故そんな事を。

だがこのままでは母もあの部屋に連れて行かれてしまうだろうか。
あの部屋に連れて行かれて、どうなってしまうのだろう。
そう思案していると、男達は八重子の手を引き家の外へと連れ出そうとした。
ハッとしたお仙が物陰から出て行こうかとしたその時、後ろから手を引かれた。

私も連れて行かれる。驚いて声を出しそうになったが、それも口を覆われ叶わず後ろから「静かに」と小さな声が聞こえる。
お仙が言われた通りに黙ると彼女を掴んでいた力は弱まり、振り返れば背後には定史がいた。

「定史離して、母ちゃんが」
弟に構っている場合ではない。身重の母が連れて行かれてしまう。
「しっ。母ちゃんはとりあえず大丈夫だから」
「やっぱり定史も何が起きとるか知っとるんやな」
今度はお仙が定史の着物を掴んだ。
「ちゃんと言うから、言うから静かにして」
定史は村の男達がこちらに気付いてしまうのではないかとヒヤヒヤしたが、男達は母を連れて家を出て行った。
母が身籠っている間は少なくとも危害は加えられないはずだ。身籠っている理由を考えると男達を今すぐに殴りたいくらいだが、出ていった所で好きなだけ殴られて終わりだろう。
今はお仙を静かにさせる事だけで精一杯だった。

「どこに行くんですか」
男達に連れ出された八重子が尋ねる。お仙が見付かりませんようにとそっと見やった際、彼女を守るように定史が帰って来ていたのが目に入り抵抗せず男達に付いてきた。
しかし体が重い。こんな時にどこに連れて行こうと言うのか。

「ここだ」
「おい、丁重に扱わねぇか。元気な子供を産んでもらわないと困るだろ」
目的はお腹の子なのか?
促されて家に入ると中には自分と同じように腹を大きくした女性達がいた。皆一様に顔色が悪く、とても元気な子が産めそうには見えない。

「子供が産まれるまでここで暮らしてもらう」
そう言い残して男達が去っていくと、どこからかほっとしたような溜め息が聞こえてきた。

「あんた、この村の人じゃないね?」
近くにいた一人の女性が八重子に話し掛けた。
「ええ、一年くらい前に家を失くしてこちらに」
「馬鹿だねぇ、なんでこんな村なんかに」
「こんな村……一体、」
会話の様子を窺っていた他の女性達も二人に加わってくる。
「一年もいておかしいと思わんかった?年寄りや子供が一人もおらんじゃろ」
「こんな寂れた村で、毎晩毎晩肉が食えとったのは何でじゃと思う」

確かに村では働き盛りの男性ばかりを見掛けていた。ここに来るまで、女性がこんなにもいるという事すら知らなかった。
高級な肉も度々定信達が持ち帰って来ていた為に頻繁に食していた。

「まさか、そんな」
女性達の言わんとする事が分かってしまった気がして八重子は口元を押さえた。
「食べ、食べてしまった……」
自分が火を通し、喉を通したあの味を思い出してしまう。

「そう。あんたが食べてたのは、この村の、人間の、肉だ」
「そういう私達も食べとるやろ」
「一度食べてしまえばあの味は忘れられん」
女性達は口々にそうだそうだと言い始める。
「あんたのお腹の子も旦那の子じゃないやろ。私達もおんなじ」
ある女性が腹をさすりながら目を伏せた。
「あいつらが私達に子を産ませるんは、肉が欲しいからじゃ」
「産まれてくる赤ん坊を食べる為に?」
「そう」

八重子は頭が真っ白になった。そんな事があるのだろうか。
自分が昨日まで食べていた肉が村人の肉で、今腹の中に子供がいるのは食べられる為で。人間はそんな非道な事が出来てしまう生き物なのか。

「この中にはね、二度目の人もおるんよ。それ位あの肉は忘れられん」
「二度目?」
「大雨で食うもんが無くなった時辺りに腹の中におった赤ん坊を産んだ人はその子を食べとる」
女性達はどこか自嘲気味に、そして諦めたかのように話す。
「また食べたいという一心で自ら身籠った人もおるっちゅう事」
「そうでなくてもほとんど全員が、家におった年寄りや年端もいかん子供を食べとる」

ここにいる普通に見える人達が?
周りを見渡す。

「普段は肉なんて高くて食えんやろ。例えば鶏の肉が簡単に手に入ればもちろんそれを食べる。育てて増やし、また食べる。それと一緒」

だから腹にいる子を食べると言うのか。自分達が家畜と同様だと言うのか。

この村を出なければ。
八重子は思った。
何故もっと早くこの村のおかしな事に気が付かなかったのか。愚かな自分を責める。
お仙は無事だろうか。きっと定史は全て知っている。きっとお仙を守ってくれる。

そもそも今はたまたま赤ん坊食材が尽きていないだけで、こんな人数の村人達の腹をいつまでも満たせる訳がない。
年寄りや小さな子供達を食して、いなくなって、そして赤ん坊を食べるようになった人達だ。それも尽きれば今度はきっと私達が食べられてしまう。
ここにいる女性達も残った男達に食べられてしまう可能性がある事に、この人達は気が付いていないのだろうか。

この大きなお腹を抱えていては逃げる事も容易ではない。
この子が産まれて来てから逃げるのが良いだろうか。この子を助ける事は難しいかもしれないが、あとの三人の子供達だけでも無事に逃さねば。
八重子はそっと目を閉じ、今は亡き夫に祈りを告げる。どうか子供達が無事でありますようにと。
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