闇喰

綺羅 なみま

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種を蒔き十月十日待ちわびて

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八重子が二人を見送った頃、お仙は一人川原へやって来ていた。

お仙は、兄弟が家に戻ってから時折向けられる視線の不自然さに気が付いていた。今まで仲の良かった兄弟達と距離が出来たように感じ、また自ら距離を取ろうとした。

彼らが自分を通して何を思い出しているのかなど考えたくもない。じゃれるように後ろから抱き着いてきた定史が小袖の重ねから手の忍ばせて来ようとしたのは何故なのか、何がしたかったのか、想像するのも気持ちが悪かった。
引っ叩いた手の痛みを思い出し、お仙は深いため息をつく。
二人は変わってしまった。村の手伝いに出てからすっかりおかしくなってしまった。姉の私をあんな目で見るなど、何か頭がおかしくなる物でも食わされたか?
冷たい川水を桶に汲み、再びため息をついた。

帰り道ふと遠回りをしてみたくなった。いつもと違う道を通る。
この村は思っていたより広いのかもしれない。建物に沿ってずっと歩いてみる。
「やめて!返してくれ!」
一軒の家から女の人の大きな声が聞こえてきて、お仙は肩を跳ねさせた。咄嗟に口を手で覆った。すんでのところで大声を出さずに済んだ。

中で何か大変なことが起きているに違いない。刃物でも突き立てられているかも。
「誰か、助けてくれる人は、」
そう無意識に呟きながらキョロキョロと周りを見渡したが、人は見当たらず茅葺き屋根の古びた家が建ち並ぶだけだった。

叫んでる人が誰かも知らない。放っておこうか。私には何も出来ない。
弱気な心が顔を出し、きびすを返してしまおうかと足が行ったり来たり彷徨さまよう。
こんなに大きな声を出しているんだ、私が助けたりしなくても誰か来てくれるのでは、そうも思ったが人が来る気配はなかった。

お仙はどうするか答えが決まらぬまま、声のした家へと近寄るとかかとをぐいと伸ばし爪先立ちで雨戸の隙間から中を覗き見た。
若い女の人が嫌だと泣き叫びながら男の人の足にすがり付いている。
良かった、殺されている訳ではなかった。そう思いホッとしたお仙は中の様子をまじまじと観察した。

中には年頃の女性が何人かいた。女の人、いるじゃないか。この村は男性のほうがずっと多いと思っていたが、女性はこんな所にいたのか。
どの人もお腹を大きくしている。ここは妊婦が集まる所なのだろうか。

ではあの男は旦那か?
足元に縋り付く女を足蹴にし、生まれたばかりであろう赤ん坊を抱いていた。
きっとあれは先程の声の持ち主が産んだのだ。それを取り上げられそうになり泣き叫んでいるのだろうか。
もしや産まれてきたと同時に亡くなってしまったのか。前にいた村でもそういうことは少なくはなかった。

少し見ていると、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。そうか、生きているのか。では何故あんなにもお母さんは泣き叫んでいるのだろう。

他の妊婦の中には一緒に泣いている者もいれば縋る女を引き止めている者もいる。
あの赤ん坊とお母さんが再び会うことは出来るのか?あまりにも大きな声で泣き続ける女性の姿に、もう彼女らが会うことはないのではないか、とまで考えてしまう。
そんなはずはないのに。そんなはずは。

赤ん坊を抱いた男性がこちらへ向かってくる。すぐ近くに玄関の戸がある。外に出てくるのだ。
なんとなく「見付かったらいけない」そう思ったお仙は元来た道を駆けた。いつもより心臓は大きく脈打ち、汗を大量にかく。
もう見えないだろうという所までやってくると足を止め、ぜえぜえと深く呼吸した。

はー、と声に出し呼吸を整えた。
泣き叫ぶ女性の顔が頭から離れなかった。
早く母ちゃんに会いたい。途端にそんな気分になり、家路を急ぐ。
走っている内に川の近くまで戻っていた。最初からいつも通りの未道を通れば良かったんだ。そう言い聞かせ今走ってきた道とは反対に歩き出す。

家が見えてくる。男が三人歩いてきた。うちから出て来たのだろうか?三人も連立って一体何の用があったというのだろう。
また弟達を連れに来たのか。三人も?何故だ。

自然と足が早く前に出てしまう。はやく、はやく。気持ちだけが急いて足がもつれそうになる。
何度も転げそうになりながら、やっとのことで戸を掴んだ。
ーースパンッ
「母ちゃんっ」
中には肩をはだけさせ座り込む八重子がいた。

八重子はお仙を認めると、ゆったりとした口取りで「お仙、」と発した。

お仙は慌てて駆け寄り八重子の乱れた小袖を引き寄せ肌を隠す。
「何があったん」
肩を揺すり尋ねる。八重子は答えない。
「何があったん」
先程よりも大きな声で問い質す。
八重子はまたもや答えることはなくただお仙をきつく抱き締めた。
「おかえり、おかえり」
同じ言葉を繰り返す八重子に、母もおかしくなってしまったと思った。

「無事に帰って来てくれて良かった」
やっと別の言葉を発した八重子に、母はおかしくなっていなかったと安心すると共に「無事に帰って来てくれて良かった」と言う意味が分かってしまい背筋がゾッとする。
さっきの男達はやはり自分達の家に来ていたのだ。お仙が帰るのと殆ど変わらない時刻に入れ違いになった。もし鉢合わせになってしまっていたら、どうなっていただろうか。

「定信達は」
このような時に何故いないのだ。二人がいれば母はこうはならなかったかもしれない。家の中を見渡すが姿が見えなかった。
「あの子達はどこ行ったん」
「村の手伝いに」
「手伝い?あんなに嫌がってたやろ」
お仙は苛立ちを抑えきれなかった。私らが他のとこから来たからこんなことされないかんのか?余所者やったら何してもいいんか。そんな思いがふつふつと沸いてきてつい口調が強くなる。
「さっき急に行きたがって、自分達で決めて行ったんよ 」
そのあと三人の男達がやってきたのだろう。
親子は泣きながらひしと抱き締め合った。

「ほら、まずはこれ食え。お前ら食い足りてないんじゃねえか?」
「ありがとうございます」
「いただきます」
定信、定史は村の西の方にある少し広い家で囲炉裏を囲む男達に紛れていた。
「こないだはびっくりしたやろ」
「ああ、はい」
「次の日見に行ったら酷い顔しとったもんなあ」
ある日二人を訪ねてきた男性もその輪の中で笑っている。
談笑をしながらすするのは、あの肉を使った汁だ。
「少し前のを取っといたんだ。新鮮なやつより味は落ちるが、まあまあいけるだろ」

定史はこの匂いを嗅ぐとまだうっと胸がつっかえたように感じる。何かが瞳から溢れてしまいそうになる。
それでも瞳より先に喉から手が出てしまいそうなほど、この肉を食べたいと思ってしまう。

「今日もこの後は、分かってるだろ?」
男がニヤニヤと定信を覗き混んだ。定信は気まずさに顔を反らす。
「罪悪感よりヤリたいって思いが勝ったから、今日は来たんだろう」
事実そうなのだが、そう言われてしまうと己の欲望を抑えきれなかった事に羞恥を覚える。

「やめてやれよ、まだ子供なんだぞ」
そう言いながら大人達はゲラゲラと笑っていた。
この村に自分達の年齢の子供たちはいない。この大人達にも自分の子供はいたはずなのに、何故こんなに笑っていられるんだろう。自分もこうなってしまうのでは。
「こないだはいきなりでびっくりしただろうが、お前達がここに来て食べていたのはずぅーっとアレだ」
「とにかくうめぇだろ」
「でも自分達がやったやつだと格段に良かったろ?どうだ?」
どうだ、と聞かれて二人の心臓はビクンと大きく跳ねた。
自分達がやったやつ・・・・・・・・・
そうだ、あの日持ち帰った肉はオレ達が。

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