異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

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第二部: 君の面影を求め往く - 第二章: 新進気鋭の男爵家にて

第三十八話: 手強い侍女の刺す視線

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 腹に据えかねるといった具合に顔を真っ赤に染めたトンヅ男爵令息――ディブリム少年の頭を背後からガッシリ片手で鷲掴わしづかみにしたのは、そばに控えたメイドないし侍女と思われる女性だった。
 ひょっとすると護衛も兼ねているのか、近くで主同様ワナワナと怒りに震えている御者よりもよほど落ち着いており、身のこなしに隙のない、二十代半ばほどの若い女性だ。

「何故、止めるか!」
「それは、止めますよ。当家の置かれた状況で神殿や冒険者組合ギルドと揉めるわけには参りません。ここはどうか抑えてください、お坊ちゃま」
「いた……痛いっ、ふんぎー、離せー! ぶひい!」
「えいっ!」

 なおもわめき暴れるディブリム少年を軽々と馬車の中に放り込むと、侍女はこちらへ向き直り、濃茶色ブルネットの髪をゆらりヽヽヽと振りながら慇懃いんぎんに一礼して告げる。

「さて、僭越せんえつながら申し上げます。皆さま、此度こたびの件は互いに忘れることといたしましょう」
「フッ……無礼をすべて無かったことにしようと?」
「そりゃ虫が良すぎるんじゃないかい!? まんまるボンからびの一つくらいは聞きたいねえ!」
「おや、大女神レエンパエマの使徒、それに名高い大鎌おおがまジェルザとは、年若き少年にしか些末さまつはずかしめをお望みになる狭量でありましたか?」
「……ッハ!」
「でしたら、こっちを矮人ピグミー呼ばわりしたのはどうです? 訂正の一つもしちゃくれませんかね。吐いたのが坊やの口だろうと、あたしと早足族ナピアにとっちゃ安い言葉じゃあないんですけど」

「僕とイーソーに対する暴言もだ――」と声を上げようとする楽天家をなだめながら成り行きを見守っていれば……。

「それは、当家への侮辱と……そちらのお坊ちゃまについて不問にさせていただくということで」

 突然、侍女の視線が冷たい笑みを伴って向けられてきた。

『ああ、僕の顔を知っているのか。せっかくジェルザとアドニスが矢面やおもてに立ってくれていたのに』

目敏めざといね! 気付いていたのかい!?」
「ええ、どうなさいますか? まだ坊ちゃまと御者は気付いておりません。くの如く下らない揉め事、たっときお家の間でいさかいの種とする必要などないかと、私めは愚考いたします」

 こんな衆人環視の中での騒ぎを無かったことにできるわけがない……が、ここで収めておけばベイン・トンヅが馬車を暴走させて神殿関係者や冒険者にとがめられたというだけだ。

 せいぜいが、男爵家の不出来なお坊ちゃんとして数日ばかり市井しせいの笑い話にのぼるくらいか。
 トンヅ男爵家としては十分な醜聞しゅうぶんにしても、これ以上、揉め事が大きくなるよりマシなはずだ。

 逆にこちらとしても、事を大きくするのに得などありはしない。
 受けた侮辱に業腹ごうはらとは言え、あの調子でディブリム少年に謝罪させたところで上辺うわべだけだろう。
 びとして金品を求めるほどではなし、無用な恨みを買うだけに終わる。

 最悪なのは、この侍女が言うように、こちらをエルキル男爵家一行として扱われることである。
 そうなると原因や非の所在など関係なく、貴族家同士の関係に禍根かこんを残しかねない。

『相手は子ども。馬車も事故を起こしたわけじゃない。僕らが暴言を聞き流せば終わる話か』

「ふん! アタシは元から腹を立てちゃいないさ! お前たちもいいね!?」

 振り返ってジェルザがユゼクや絆たちへ了承を促し……。

巫女みこミャアマ、貴女あなたもここは『三方一両損さんぼういちりょうぞん』とすべきところですよ」
「そりゃ何か違いやしませんか? まぁ、小童しょうどうの失言ってことで今だけは大目に見ときましょう」

 アドニス司祭の勧めでミャアマも渋々ながら納得した様子を見せる。

「皆さまの寛大なお心に感服いたしました。それでは、失礼させていただきます」
「おい! オレはまだ納得しては――ぴぎひぃ!」
「まぁ、寝付きのよろしいこと。御者、何をもたもたしているの? さっさと馬車を出しなさい」
「おま……ぼっちゃまを……う、うむ」

 馬車の中から何か……屠殺とさつされる獣じみた鳴き声が聞こえたが、ともかく、トンヅ家一行は、現れたときとは異なり、馬車でゆっくり大広場を通り抜けていった。

「え? 僕もまだ納得していないんだけど? 可愛いイーソーを臭くて汚い害鳥だなんてののしったあの小僧をまったく許していないんだけど?」

『いや、そこまでは言っていなかったぞ。クリスタ嬢や絆の三人組と大して変わらない子どもの雑言ぞうごん一つ、いい大人があんまりムキになるなって』

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 つまらないことにいつまでも気をわずらわせているなど不毛でしかない。
 まだ石畳の上にうずくったままでいた暴走馬(元)をなだめたジェルザが、その馬主の姿を探せば、遠巻きにこちらの様子をうかがっている大道芸人たちが見えた。

「あの、馬は……お、お返しいただけるんで?」
「お貴族さまの馬車を邪魔したんで、てっきりそいつは殺されちまうんじゃねえかと」
「そんな程度で殺したりするもんかい! だけど、人混みなんだから馬の扱いには注意しな! 怪我人けがにんが出てれば責めは馬主のアンタらに及ぶところだよ!」
「どうも、ご迷惑をお掛けしました。普段は大人しい馬なんですがね。……どうも、見慣れないモントリーに驚いてしまったみたいで……ごにょごにょ」

 遠くへ吹き飛ばされていたヒッポグリフの被り物を拾ってきて抱える軽業師かるわざしは、派手派手しい衣装に身を包んだ楽士と目配せしつつ、小声で言い訳めいたことを口にする。

「……ん? 今、誰か、モントリーの悪口――」

『あー、あー、馬のことはもういいだろう。ほら、そんなことより楽しい買い物の続きだ』

「ああ、うん、それもそうだね」
「白ぼっちゃん! 早く! 早く、お店、いこ!」

 芸人たちと別れた僕ら一行は、野次馬やじうまたちを散らしながら隊列を整え、羽車ばしゃを再出発させた。
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