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第二部: 君の面影を求め往く - 第二章: 新進気鋭の男爵家にて
第十五話: 子どもたちと猛牛
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体格のいいハイナルカ少年やアドニス司祭を以てしても見上げるほどの巨体を誇るサバナ牛。
特徴的な二本の頭角はバッファローなどの牛種よりもヒツジ種を連想させる渦巻き型を成すが、鋭い先端は前方長く突き出し、暴走ワゴン車に匹敵する速度と勢いを以て触れられようものなら、人間の身体など容易く引き裂かれてしまいそうだ。
「……っと、ただいま戻りました」
「司祭さま、ただいまー」
「ほう、流石はシェガロ様、お早いお戻りで。ファルーラも怪我はないようですね」
「こっちはまだ動きなしですか」
後方の小川より接近中だった猛獣を捕獲した――イヌマンは解放済み――僕とファルーラは、半ば干上がって段丘状を成す川岸を数メートルほど上り、姉クリスタらの下へと戻ってきた。
そして、観戦を決め込んでいるアドニス司祭より、場を離れていた数分ばかりの進展を伺う。
「ええ、私の出る幕さえもありません。フ……なかなかどうして、クリスタ様もやりなさる」
戻る間に上空から周囲を見渡したところ、引率の大人たちは既にこちらを目指しつつあった。
もう十分もせぬうちに彼らが到着し、このサバナ牛を仕留めてくれることだろう。
僕としては、それまで子どもたちが無事でいさえすれば構わないが、やる気になっている皆を応援したい気持ちがあるのも否定はしない。
余計な手出しは控えつつ、いつでもフォローできるよう、このまま見守らせてもらおうかな。
「サルフ、正面に立つな! 斜めでもヤバイ! 気を付けろ!」
「そう言うイヌオも前に出すぎだってば!」
二人組の少年――カザルプとコシャルが、石を挟んだ投石紐をぐるぐる振り回しながら左右に散開し、ちょこまかと動き回ってサバナ牛の気を引いている。
木の盾と鉞を手にしたハイナルカは、対照的にどっしりと構え、攻撃の隙を窺っていた。
最後方、大柄なハイナルカを壁にするような位置に付くのが姉クリスタだ。
「真白おじょうさま、上手に兄ちゃんのこと盾にしてるよねー」
「う、うん、それは間違ってないんだけど、ちょっと人聞きが悪いなぁ」
いくらクリスタと言えど、仲間たちに戦わせて一人だけこそこそ隠れているわけではない。
「二十秒で仕掛けますわ! しばらく、どかしといて!」
「ホイきた! 一発入れるよっ……とりゃ!」
「上手い、キジィ! 後も抜かるな!」
クリスタの声に合わせてコシャルの投石が放たれ、サバナ牛の角に命中する。
ぶもおおお!という怒りの声と共に反撃の突進が繰り出され、凄まじい勢いで進路上にある物すべてを弾き飛ばし、圧し潰していく……が、その中に小さな少年の姿は見当たらない。
立ち木や岩を利用してぴょんぴょん飛び回り、疾うに攻撃範囲から離脱を果たしていた。
「よし! 真白お嬢さま、今だ!」
ファルーラの実の兄であるハイナルカは、アドニス司祭を除けばこの場の最年長であり、既に従士見習いとして訓練も受けているため、一際がっしりと大きな体格をしている。
サバナ牛の死角となるその広い背に隠れ、クリスタは舞踏めいた繊細な身振りと足取りを表す。
同時に、両手で掲げた長い杖が、虚空へ複雑な文字を描くかのように小刻みに振るわれ……。
「オーキヒ・ピリビ! 創世の理を知る唄い手の声を聞き給ふ。来たれ、微睡みの雲。彼の者を安らかな眠りの淵へと誘わん」
魔法術【睡の雲】の詠唱が為された。
その効果は、四五十メートルも先にいるサバナ牛の鼻先に水色の煙として顕現する。
包み込んだ者を即座に眠らせてしまう魔法のガスだ。
『むっ、残念だが、抵抗されてしまったんじゃないか?』
見習い魔術師クリスタの力不足か、あるいはモンスターが有する膨大な魔素に阻害されたか。
ふらふらとした千鳥足にはなるものの、どうやらサバナ牛が眠りに就く様子はなさそうだ。
いいや、だとしても明らかな隙、たとえ子どもであろうと見逃す道理は無し。
すかさず駆け込んでいったカザルプとコシャルが頭上で振り回していた投石紐から石を放つと、大きな肩口と土手っ腹に二連発、強烈な弾丸が撃ち込まれた。
再度、怒りの声を上げ、反射的にサバナ牛は突進を繰り出そうとする。
と、そのときだ。
虚空から湧き出るかのように、ひらひらとした何かが出現し、猛牛へまとわりついていった。
「シェガロ!? だから、横槍はいらないって言ってんでしょ――」
「デザイア! もっとあそぼ、お水のちょうちょ!」
「なんだ、ファルでしたの。じゃあ、いいですわ」
いつの間にかクリスタの傍らに進み出ていたファルーラが、小さなチョウの群れを喚んでいる……いや、僕としては、あれはガだと主張したいところなんだけどな。
青白い翅を持つ妖艶なガ――オオミズアオの姿を象ったそれらは水の精霊たちであるらしい。
十匹以上の精霊たちが撒き散らす鱗粉めいた水粒は、霧と化してサバナ牛の視界を塞ぐ。
睡魔と目眩ましにより方向を見失いながら、怒りに任せた突撃が敢行されるも……。
それは、子どもたちの誘導によって狙い通りの結果をもたらした。
暴走する勢いのまま踏み出した前足が虚空を踏む!
川岸を越えて空中へ飛び出したサバナ牛は、四メートルほどの高さがある坂の下に転がり落ち、ぬかるんだ泥の中で巨体を横倒しとするのだった。
特徴的な二本の頭角はバッファローなどの牛種よりもヒツジ種を連想させる渦巻き型を成すが、鋭い先端は前方長く突き出し、暴走ワゴン車に匹敵する速度と勢いを以て触れられようものなら、人間の身体など容易く引き裂かれてしまいそうだ。
「……っと、ただいま戻りました」
「司祭さま、ただいまー」
「ほう、流石はシェガロ様、お早いお戻りで。ファルーラも怪我はないようですね」
「こっちはまだ動きなしですか」
後方の小川より接近中だった猛獣を捕獲した――イヌマンは解放済み――僕とファルーラは、半ば干上がって段丘状を成す川岸を数メートルほど上り、姉クリスタらの下へと戻ってきた。
そして、観戦を決め込んでいるアドニス司祭より、場を離れていた数分ばかりの進展を伺う。
「ええ、私の出る幕さえもありません。フ……なかなかどうして、クリスタ様もやりなさる」
戻る間に上空から周囲を見渡したところ、引率の大人たちは既にこちらを目指しつつあった。
もう十分もせぬうちに彼らが到着し、このサバナ牛を仕留めてくれることだろう。
僕としては、それまで子どもたちが無事でいさえすれば構わないが、やる気になっている皆を応援したい気持ちがあるのも否定はしない。
余計な手出しは控えつつ、いつでもフォローできるよう、このまま見守らせてもらおうかな。
「サルフ、正面に立つな! 斜めでもヤバイ! 気を付けろ!」
「そう言うイヌオも前に出すぎだってば!」
二人組の少年――カザルプとコシャルが、石を挟んだ投石紐をぐるぐる振り回しながら左右に散開し、ちょこまかと動き回ってサバナ牛の気を引いている。
木の盾と鉞を手にしたハイナルカは、対照的にどっしりと構え、攻撃の隙を窺っていた。
最後方、大柄なハイナルカを壁にするような位置に付くのが姉クリスタだ。
「真白おじょうさま、上手に兄ちゃんのこと盾にしてるよねー」
「う、うん、それは間違ってないんだけど、ちょっと人聞きが悪いなぁ」
いくらクリスタと言えど、仲間たちに戦わせて一人だけこそこそ隠れているわけではない。
「二十秒で仕掛けますわ! しばらく、どかしといて!」
「ホイきた! 一発入れるよっ……とりゃ!」
「上手い、キジィ! 後も抜かるな!」
クリスタの声に合わせてコシャルの投石が放たれ、サバナ牛の角に命中する。
ぶもおおお!という怒りの声と共に反撃の突進が繰り出され、凄まじい勢いで進路上にある物すべてを弾き飛ばし、圧し潰していく……が、その中に小さな少年の姿は見当たらない。
立ち木や岩を利用してぴょんぴょん飛び回り、疾うに攻撃範囲から離脱を果たしていた。
「よし! 真白お嬢さま、今だ!」
ファルーラの実の兄であるハイナルカは、アドニス司祭を除けばこの場の最年長であり、既に従士見習いとして訓練も受けているため、一際がっしりと大きな体格をしている。
サバナ牛の死角となるその広い背に隠れ、クリスタは舞踏めいた繊細な身振りと足取りを表す。
同時に、両手で掲げた長い杖が、虚空へ複雑な文字を描くかのように小刻みに振るわれ……。
「オーキヒ・ピリビ! 創世の理を知る唄い手の声を聞き給ふ。来たれ、微睡みの雲。彼の者を安らかな眠りの淵へと誘わん」
魔法術【睡の雲】の詠唱が為された。
その効果は、四五十メートルも先にいるサバナ牛の鼻先に水色の煙として顕現する。
包み込んだ者を即座に眠らせてしまう魔法のガスだ。
『むっ、残念だが、抵抗されてしまったんじゃないか?』
見習い魔術師クリスタの力不足か、あるいはモンスターが有する膨大な魔素に阻害されたか。
ふらふらとした千鳥足にはなるものの、どうやらサバナ牛が眠りに就く様子はなさそうだ。
いいや、だとしても明らかな隙、たとえ子どもであろうと見逃す道理は無し。
すかさず駆け込んでいったカザルプとコシャルが頭上で振り回していた投石紐から石を放つと、大きな肩口と土手っ腹に二連発、強烈な弾丸が撃ち込まれた。
再度、怒りの声を上げ、反射的にサバナ牛は突進を繰り出そうとする。
と、そのときだ。
虚空から湧き出るかのように、ひらひらとした何かが出現し、猛牛へまとわりついていった。
「シェガロ!? だから、横槍はいらないって言ってんでしょ――」
「デザイア! もっとあそぼ、お水のちょうちょ!」
「なんだ、ファルでしたの。じゃあ、いいですわ」
いつの間にかクリスタの傍らに進み出ていたファルーラが、小さなチョウの群れを喚んでいる……いや、僕としては、あれはガだと主張したいところなんだけどな。
青白い翅を持つ妖艶なガ――オオミズアオの姿を象ったそれらは水の精霊たちであるらしい。
十匹以上の精霊たちが撒き散らす鱗粉めいた水粒は、霧と化してサバナ牛の視界を塞ぐ。
睡魔と目眩ましにより方向を見失いながら、怒りに任せた突撃が敢行されるも……。
それは、子どもたちの誘導によって狙い通りの結果をもたらした。
暴走する勢いのまま踏み出した前足が虚空を踏む!
川岸を越えて空中へ飛び出したサバナ牛は、四メートルほどの高さがある坂の下に転がり落ち、ぬかるんだ泥の中で巨体を横倒しとするのだった。
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