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第二部: 君の面影を求め往く - 第二章: 新進気鋭の男爵家にて
第三話: 乾期に芽吹く不和の種
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「さて……と、固い話で疲れちゃったね。お待たせ」
「あたまさわって?」
「かばでぃ! かばでぃ! かば……白ぼっちゃん、もう終わったの?」
方々に散っていく野次馬たちを尻目に、やや離れたところで遊ぶファルーラの下へ向かう。
つまらない喧嘩とは言え、怒気に当てられて少しばかり気疲れしてしまった。
幸い、ここは食事処だし、お茶でも飲んで休憩するとしようか――。
「いたいた! 坊! また俺たちが来るのを待たずに争い事に首突っ込んで!」
肩を怒らせ、ずんずんとこちらへ歩いてくるのは、領内の治安維持を担当する従士だった。
現在のエルキル家は、ノブロゴを筆頭に六人の従士――家臣を雇うことができている。
彼はその中の一人、かつての蝗害やダンジョン探索でも僕らと行動を共にした叩き上げだ。
村の元気な連中を集めた自警団のリーダーを務め、毎日、朝から晩まで領内を見回っている。
「一昨日も言いましたよね、俺! 揉め事のときは待っててくれって! 言いましたよね?」
「あー、うん……言われた……かなぁ?」
「言いましたよ! 確かに坊ならチンピラの喧嘩くらい解決できることは知ってますけどね! こっちの仕事を取られるのも、それで危ない目に遭われちまうのも、いろいろと困るんですよ。白旦那やノブロゴ爺にも一人で先走るなっていつも言われてるでしょうが」
「いや、えっと……あ! ほら、今日は司祭殿がいたから一人じゃなかったし?」
視線を泳がせていると、相変わらず寛ぎモードの美青年司祭が目に入った。
従士の剣幕にたじろぎ、思わず藁を掴むつもりで話を振ってみるも。
「フッ……私を頭数に入れられては困りますよ、シェガロ様。『祈る者は戦う者にあらず』です」
「でも、アドニス司祭、神聖術で皆を落ち着かせてくれたじゃない……あれは……?」
「あのまま目の前で暴れられてはカフェが台無しでしたからねえ」
「……そうですか」
この世界の聖職者は、彼のような俗世に対し一本しっかりと線を引いている者が少なくない。
なにせ神が実在し、神聖術という形で明らかな奇跡を起こすことさえできるため、布教活動を躍起になってせずとも、祈りや教義に打ち込めるだけの社会的地位を得られるのだ。
神殿を維持管理して訪れる人々を安撫し、日々の時と暦を司り、様々な祭祀を執り行うという重要な役割こそあるものの、大抵の神官は共同体の運営参画などには積極的でないようだ。
まぁ、うちの場合は領主の直轄地であり、母トゥーニヤという司祭相当の先任神官までいる。
考えてみれば、尚更と言うべきなのかも知れない。
「女神レエンパエマはこう仰っています。『不要に手を差し伸べることなかれ。なし得ることは自身にさせよ。成長フラグ折るべからず』と。物事の最善手が常に同じだとは限りませんよ」
「ああ、『天は自ら助くる者を助く』とか言うしねぇ」
「ほほぉ、いつもながら上手く要点をまとめられますね、シェガロ様。……やはり面白い!」
その美貌に喜色を浮かべ、席から立ち上がるやいなやアドニス司祭がずずいっと迫ってきた。
「きゅ、急に迫ってこないでもらえます、司祭殿?」
『近い! 近い! いくら綺麗でも男の顔はアップで見たくない』
顔の前で両手を広げながら、僕は斜めに背を仰け反らせていく。
そんな間抜けな光景をファルーラは「なかよしだねー」などと言って笑いながら眺めていた。
従士はと言えば、ゆるい空気に毒気を抜かれた様子で頭をガシガシ掻いている。
気が付けば、しばらくテーブルを囲んでわいわいと騒いでしまっていたらしい。
もう暴徒たちはそれぞれ処分を下されたのだろう、近くには縛り上げられた数名を残すのみだ。
自警団の団員たちは各々が乗ってきた騎羽を呼び集め、引き上げ準備に移っていた。
「親父!」
と、一人の青年が、渦中を脱した農奴へ声を掛けていく様子が見るともなく目に入る。
「大丈夫だったかよ?」
「あ、ああ、すまねえなぁ。またオラのせいで巻き込んじまってよぉ」
「謝んなって。親父は別に悪くなかっただろうが」
先ほどの騒動、絡まれていた側である三人の農奴たちは軽微な罰で放免されたが、彼の青年もお咎めなしで済んだ関係者の中の一人――喧嘩を止めようとしていた善意の者だった。
青年は二十歳前後、父親と呼ばれた農奴は前世の僕よりもやや年上……四十歳ほどだろうか。
確かに二人の外見はよく似ており、言われずとも容易に父子関係が窺えた。
元からこの辺りの土地に暮らす異民族の出であることを如実に表している黒髪に黒褐色の肌、スマートでありながら筋肉質のアスリート体型も共通している。
しかし、青年には、それ以上に明らかな特徴も見て取れた。
頭から被った表装布と長く伸ばされた前髪によって隠していても隠しきれないほど、彼の顔の右半面は、無惨にただれた火傷痕で覆い尽くされているのだ。
無傷の左半面と比べるまでもなく、顔立ちは彫りの深いハンサムであるだけに一層痛々しい。
更に言えば、父親の首回りに刻まれている奴隷の証【隷属紋】が彼には無いということも一つ。
そう、青年自身は奴隷に非ず、ごく普通の自由民なのである。
「ユゼク……」
思わず漏れた僕の小さな声に反応し、彼はこちらへ顔を向ける。
だが、すぐさま険しく眉をひそめたかと思えば目を逸らし、そのまま一言も発することなく、父親と連れ立ち、その場から足早に立ち去っていってしまった。
『相変わらず嫌われてるなぁ』
「うん、無理もないとは思うけど」
「白ぼっちゃん、ジックにぃたのこと怒らせちゃったの? ずっと無視されてる」
「そうなんだ。ジックとは、前にちょっと……いろいろあってね」
「ふーん、仲直りできるといいねえ」
ユゼクというのは、あの青年の名前だ。
愛称のジックで呼んでいることからお察しの通り、僕とファルーラは彼を知っている。
三人共、この開拓村の最初期メンバーのため、幼い頃はよく面倒を見てもらったものだ……が。
「フ……そろそろ一服しては如何か? お疲れのご様子。貴方もカフェを楽しまれるとよろしい」
「そう言えば、そうしようと思ってたんでした。ファルもこっちおいで」
「やったー! 白ぼっちゃんのおごりだー!」
ナイコーンさまの背に跨ってテーブルに着くファルーラを僅かな癒やしとする僕だった。
「あたまさわって?」
「かばでぃ! かばでぃ! かば……白ぼっちゃん、もう終わったの?」
方々に散っていく野次馬たちを尻目に、やや離れたところで遊ぶファルーラの下へ向かう。
つまらない喧嘩とは言え、怒気に当てられて少しばかり気疲れしてしまった。
幸い、ここは食事処だし、お茶でも飲んで休憩するとしようか――。
「いたいた! 坊! また俺たちが来るのを待たずに争い事に首突っ込んで!」
肩を怒らせ、ずんずんとこちらへ歩いてくるのは、領内の治安維持を担当する従士だった。
現在のエルキル家は、ノブロゴを筆頭に六人の従士――家臣を雇うことができている。
彼はその中の一人、かつての蝗害やダンジョン探索でも僕らと行動を共にした叩き上げだ。
村の元気な連中を集めた自警団のリーダーを務め、毎日、朝から晩まで領内を見回っている。
「一昨日も言いましたよね、俺! 揉め事のときは待っててくれって! 言いましたよね?」
「あー、うん……言われた……かなぁ?」
「言いましたよ! 確かに坊ならチンピラの喧嘩くらい解決できることは知ってますけどね! こっちの仕事を取られるのも、それで危ない目に遭われちまうのも、いろいろと困るんですよ。白旦那やノブロゴ爺にも一人で先走るなっていつも言われてるでしょうが」
「いや、えっと……あ! ほら、今日は司祭殿がいたから一人じゃなかったし?」
視線を泳がせていると、相変わらず寛ぎモードの美青年司祭が目に入った。
従士の剣幕にたじろぎ、思わず藁を掴むつもりで話を振ってみるも。
「フッ……私を頭数に入れられては困りますよ、シェガロ様。『祈る者は戦う者にあらず』です」
「でも、アドニス司祭、神聖術で皆を落ち着かせてくれたじゃない……あれは……?」
「あのまま目の前で暴れられてはカフェが台無しでしたからねえ」
「……そうですか」
この世界の聖職者は、彼のような俗世に対し一本しっかりと線を引いている者が少なくない。
なにせ神が実在し、神聖術という形で明らかな奇跡を起こすことさえできるため、布教活動を躍起になってせずとも、祈りや教義に打ち込めるだけの社会的地位を得られるのだ。
神殿を維持管理して訪れる人々を安撫し、日々の時と暦を司り、様々な祭祀を執り行うという重要な役割こそあるものの、大抵の神官は共同体の運営参画などには積極的でないようだ。
まぁ、うちの場合は領主の直轄地であり、母トゥーニヤという司祭相当の先任神官までいる。
考えてみれば、尚更と言うべきなのかも知れない。
「女神レエンパエマはこう仰っています。『不要に手を差し伸べることなかれ。なし得ることは自身にさせよ。成長フラグ折るべからず』と。物事の最善手が常に同じだとは限りませんよ」
「ああ、『天は自ら助くる者を助く』とか言うしねぇ」
「ほほぉ、いつもながら上手く要点をまとめられますね、シェガロ様。……やはり面白い!」
その美貌に喜色を浮かべ、席から立ち上がるやいなやアドニス司祭がずずいっと迫ってきた。
「きゅ、急に迫ってこないでもらえます、司祭殿?」
『近い! 近い! いくら綺麗でも男の顔はアップで見たくない』
顔の前で両手を広げながら、僕は斜めに背を仰け反らせていく。
そんな間抜けな光景をファルーラは「なかよしだねー」などと言って笑いながら眺めていた。
従士はと言えば、ゆるい空気に毒気を抜かれた様子で頭をガシガシ掻いている。
気が付けば、しばらくテーブルを囲んでわいわいと騒いでしまっていたらしい。
もう暴徒たちはそれぞれ処分を下されたのだろう、近くには縛り上げられた数名を残すのみだ。
自警団の団員たちは各々が乗ってきた騎羽を呼び集め、引き上げ準備に移っていた。
「親父!」
と、一人の青年が、渦中を脱した農奴へ声を掛けていく様子が見るともなく目に入る。
「大丈夫だったかよ?」
「あ、ああ、すまねえなぁ。またオラのせいで巻き込んじまってよぉ」
「謝んなって。親父は別に悪くなかっただろうが」
先ほどの騒動、絡まれていた側である三人の農奴たちは軽微な罰で放免されたが、彼の青年もお咎めなしで済んだ関係者の中の一人――喧嘩を止めようとしていた善意の者だった。
青年は二十歳前後、父親と呼ばれた農奴は前世の僕よりもやや年上……四十歳ほどだろうか。
確かに二人の外見はよく似ており、言われずとも容易に父子関係が窺えた。
元からこの辺りの土地に暮らす異民族の出であることを如実に表している黒髪に黒褐色の肌、スマートでありながら筋肉質のアスリート体型も共通している。
しかし、青年には、それ以上に明らかな特徴も見て取れた。
頭から被った表装布と長く伸ばされた前髪によって隠していても隠しきれないほど、彼の顔の右半面は、無惨にただれた火傷痕で覆い尽くされているのだ。
無傷の左半面と比べるまでもなく、顔立ちは彫りの深いハンサムであるだけに一層痛々しい。
更に言えば、父親の首回りに刻まれている奴隷の証【隷属紋】が彼には無いということも一つ。
そう、青年自身は奴隷に非ず、ごく普通の自由民なのである。
「ユゼク……」
思わず漏れた僕の小さな声に反応し、彼はこちらへ顔を向ける。
だが、すぐさま険しく眉をひそめたかと思えば目を逸らし、そのまま一言も発することなく、父親と連れ立ち、その場から足早に立ち去っていってしまった。
『相変わらず嫌われてるなぁ』
「うん、無理もないとは思うけど」
「白ぼっちゃん、ジックにぃたのこと怒らせちゃったの? ずっと無視されてる」
「そうなんだ。ジックとは、前にちょっと……いろいろあってね」
「ふーん、仲直りできるといいねえ」
ユゼクというのは、あの青年の名前だ。
愛称のジックで呼んでいることからお察しの通り、僕とファルーラは彼を知っている。
三人共、この開拓村の最初期メンバーのため、幼い頃はよく面倒を見てもらったものだ……が。
「フ……そろそろ一服しては如何か? お疲れのご様子。貴方もカフェを楽しまれるとよろしい」
「そう言えば、そうしようと思ってたんでした。ファルもこっちおいで」
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