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第二部: 君の面影を求め往く - 第二章: 新進気鋭の男爵家にて
第一話: 騒動の渦、鎮静の声
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朝の見回りがてら、僕は一人、ぶらぶらと通りを歩いている。
「もうすっかり乾期の風景だなぁ」
『早いもんだ。やれるだけの準備はしてきたが、今年はどうなることやら』
目の前に広がる溜池は大幅に水位を下げ、川の水を引き込むための水路も渇ききっていた。
開拓村を囲む外壁の向こうには、草木が枯れ果てて茶色く染まった大草原が広がっている。
乾燥した風が強く吹き抜け、大量の砂埃がその景色を一層茶色く霞ませていく。
なんとなし辺りを眺めながら歩いていれば、多くの建物が並ぶ村の中心地が近付いてくる。
すると、こちらへ向かって小路を駆けてくるファルーラとナイコーンさまが目に入った。
「――ぼっちゃーん! 白ぼっちゃん!」
「あたま、あたま、あたまさわって?」
あの子には朝仕事の片付けをしてもらっていたのだが、ようやく終わらせてきたようだ。
『……って、うん? なんだか、やけに慌てた様子じゃないか?』
「白ぼっちゃん、たいへん! たいへん!」
「どうしたの、ファル? 君が変なのはいつものことだけどさ」
「え、ファル、もうそんなに変じゃないよう?」
上に挙げた両手をぶんぶん振り回し、長く尖った両耳もふりふり、おまけに何やら叫びながら走ってきた|妖精の取り替え子のファルーラを軽くからかいつつ迎える。
丸々とした毛玉――角無しウサギのナイコーンさまも到着し、僕の脚に頭を擦りつけてきた。
「まぁ、それはともかく、何があったんだい?」
「そうだった! たいへんなの! あっちでまたケンカしてる!」
「ああ、またかぁ……。パパたちがいないとすぐこれだ」
ここ最近では、我が領も大分人が増えてきた。
それは結構なことだと言えるものの、同時に揉め事の種まで増えてしまったのは悩ましい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ファルーラの案内に従い、辿り着いたのは、多くの建物が並ぶ村の中心地だった。
現場へ駆けつけてみれば、既に十人以上の取っ組み合いに発展している。
「ンだと、てめえ! 誰に断って――」
「お前らに関係あるかっ! ンの――」
「痛っ! やめっ! やめろってんだよ――」
「ちと落ち着けって! くそっ、従士はまだ来ねえのか――」
「オラあっ! 邪魔だ、どけ! いいからあいつらの、こっちにも――」
遠間からだと事情までは分からないが、幾人かは頭に血が上ってキレる寸前ではなかろうか。
野次馬も随分と集まってきており、危うい熱気が更に広がってゆきそうな気配さえある。
『あれはいかんな。ひとまず全員まとめて頭を冷やしてもらおう』
「だね! 火の精霊に我は請う、凍てつ――」
と、精霊術の請願を発しようとしたとき。
「――心に平穏あらんことを。確と聖覧あれ!」
僕の声に被せるかのように、高らかな神聖術の祈念が響き渡った。
その落ち着いたバリトンボイスは、喧騒の中でも思わず耳を傾けてしまう魅力を持っていたが、一瞬で場の空気が穏やかに弛緩したのは間違いなく奇跡的なその効果によるものだろう。
喧嘩の当事者たちは今し方までの威勢を忘れ、不思議そうにパチパチと瞬きしながらお互いの顔を見交わし、仲裁や野次馬をしていた人々も軽く呆然とした表情を浮かべている。
そこに先の神聖術の使い手であろう人物――目を惹く風体の青年が姿を現す。
「フ……これは女神の御前に相応しくありませんね。『蝸角の争い』というものですよ、皆さん」
「「「ほぅ……アドニス様……」」」
純白の表装布をローブ風にまとい、頭から足下まで覆っているため、身体の線は分かりづらい。
しかし、よく見れば長身の体躯は均整が取れ、意外なほど鍛えられていることが窺える。
そして、光沢によって桃色がかって見える赤銅色の長い髪は布の隙間からサラサラとなびき、男としては並外れて整った顔に至っては何にも遮られることなく顕わとされていた。
愉快な感情を浮かべず一同を見回す切れ長の目さえ、魅惑的な笑みの形に見えてくる。
舞台上の役者を思わせる大袈裟な手振りと口上、それらが様になるほどの美青年だった。
彼の名はアドニス。
ちょうど一年ほど前に赴任してきた我が村の司祭である。
忘れもしないあの蝗害と大飢饉より早二年、我がエルキル男爵領の体制は様変わりしている。
僕も数え年で九歳となり、名実共に貴族家の嫡男と見なされるようになってきた。
未だ幼い身ながら、既に領内であれば多少の裁量は利かせられる立場も得ているのだ。
『とにかく、アドニス司祭のお蔭で手間が省けた。早くこの場を収めてしまおう』
「うん、状況確認は後回し……そこまで! 全員そのまま!」
ファルーラとナイコーンさまを連れた僕は、声を張り上げながら群衆の前へ飛び出すのだった。
「もうすっかり乾期の風景だなぁ」
『早いもんだ。やれるだけの準備はしてきたが、今年はどうなることやら』
目の前に広がる溜池は大幅に水位を下げ、川の水を引き込むための水路も渇ききっていた。
開拓村を囲む外壁の向こうには、草木が枯れ果てて茶色く染まった大草原が広がっている。
乾燥した風が強く吹き抜け、大量の砂埃がその景色を一層茶色く霞ませていく。
なんとなし辺りを眺めながら歩いていれば、多くの建物が並ぶ村の中心地が近付いてくる。
すると、こちらへ向かって小路を駆けてくるファルーラとナイコーンさまが目に入った。
「――ぼっちゃーん! 白ぼっちゃん!」
「あたま、あたま、あたまさわって?」
あの子には朝仕事の片付けをしてもらっていたのだが、ようやく終わらせてきたようだ。
『……って、うん? なんだか、やけに慌てた様子じゃないか?』
「白ぼっちゃん、たいへん! たいへん!」
「どうしたの、ファル? 君が変なのはいつものことだけどさ」
「え、ファル、もうそんなに変じゃないよう?」
上に挙げた両手をぶんぶん振り回し、長く尖った両耳もふりふり、おまけに何やら叫びながら走ってきた|妖精の取り替え子のファルーラを軽くからかいつつ迎える。
丸々とした毛玉――角無しウサギのナイコーンさまも到着し、僕の脚に頭を擦りつけてきた。
「まぁ、それはともかく、何があったんだい?」
「そうだった! たいへんなの! あっちでまたケンカしてる!」
「ああ、またかぁ……。パパたちがいないとすぐこれだ」
ここ最近では、我が領も大分人が増えてきた。
それは結構なことだと言えるものの、同時に揉め事の種まで増えてしまったのは悩ましい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ファルーラの案内に従い、辿り着いたのは、多くの建物が並ぶ村の中心地だった。
現場へ駆けつけてみれば、既に十人以上の取っ組み合いに発展している。
「ンだと、てめえ! 誰に断って――」
「お前らに関係あるかっ! ンの――」
「痛っ! やめっ! やめろってんだよ――」
「ちと落ち着けって! くそっ、従士はまだ来ねえのか――」
「オラあっ! 邪魔だ、どけ! いいからあいつらの、こっちにも――」
遠間からだと事情までは分からないが、幾人かは頭に血が上ってキレる寸前ではなかろうか。
野次馬も随分と集まってきており、危うい熱気が更に広がってゆきそうな気配さえある。
『あれはいかんな。ひとまず全員まとめて頭を冷やしてもらおう』
「だね! 火の精霊に我は請う、凍てつ――」
と、精霊術の請願を発しようとしたとき。
「――心に平穏あらんことを。確と聖覧あれ!」
僕の声に被せるかのように、高らかな神聖術の祈念が響き渡った。
その落ち着いたバリトンボイスは、喧騒の中でも思わず耳を傾けてしまう魅力を持っていたが、一瞬で場の空気が穏やかに弛緩したのは間違いなく奇跡的なその効果によるものだろう。
喧嘩の当事者たちは今し方までの威勢を忘れ、不思議そうにパチパチと瞬きしながらお互いの顔を見交わし、仲裁や野次馬をしていた人々も軽く呆然とした表情を浮かべている。
そこに先の神聖術の使い手であろう人物――目を惹く風体の青年が姿を現す。
「フ……これは女神の御前に相応しくありませんね。『蝸角の争い』というものですよ、皆さん」
「「「ほぅ……アドニス様……」」」
純白の表装布をローブ風にまとい、頭から足下まで覆っているため、身体の線は分かりづらい。
しかし、よく見れば長身の体躯は均整が取れ、意外なほど鍛えられていることが窺える。
そして、光沢によって桃色がかって見える赤銅色の長い髪は布の隙間からサラサラとなびき、男としては並外れて整った顔に至っては何にも遮られることなく顕わとされていた。
愉快な感情を浮かべず一同を見回す切れ長の目さえ、魅惑的な笑みの形に見えてくる。
舞台上の役者を思わせる大袈裟な手振りと口上、それらが様になるほどの美青年だった。
彼の名はアドニス。
ちょうど一年ほど前に赴任してきた我が村の司祭である。
忘れもしないあの蝗害と大飢饉より早二年、我がエルキル男爵領の体制は様変わりしている。
僕も数え年で九歳となり、名実共に貴族家の嫡男と見なされるようになってきた。
未だ幼い身ながら、既に領内であれば多少の裁量は利かせられる立場も得ているのだ。
『とにかく、アドニス司祭のお蔭で手間が省けた。早くこの場を収めてしまおう』
「うん、状況確認は後回し……そこまで! 全員そのまま!」
ファルーラとナイコーンさまを連れた僕は、声を張り上げながら群衆の前へ飛び出すのだった。
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