異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

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第二部: 君の面影を求め往く - 第一章: 南の端の開拓村にて

第十七話: 真夜中の夢と雷鳴

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「■■■■、■■■■■」

 ああ、良かった……今夜も会えたね。
 こうして君と会えるのはもう夢の中だけになってしまった。

 夢? そう、夢だ。

 今の僕に睡眠などという生理現象はないのだが、楽天家……シェガロの肉体が眠ってしまえば、すべての感覚が遮断され、ほぼ寝ているのと変わらない状態へと陥ってしまう。
 それでも思考だけはできる……いや、正しくは『思考をやめることはできない』というべきか。ともかく、五感に邪魔されることがなくなった純粋な思考だけの世界は、もう夢を見ているのと大して変わりはしない。

「■■■、■■■■■■■■■■■」

 ははっ、言葉や声は聞こえないんだよ。
 何か言ってくれていることは分かるんだけどな。
 まぁ、あくまで僕の想像の産物なのだから、適当に当てレコでもしてあげれば良いんだろう。
 ただ……君に対してそれをするのはどうにもはばかられる。

「■■■、■■■■■■、■■■■」

 前世で誰からか、こんな話を聞いた覚えがある。
 目に映る物が何一つ無い真っ白な部屋に人間を閉じ込めておくと、外部刺激の少なさにより、あっという間に気が狂ってしまうらしい。
 とすると、外部刺激どころか全感覚を失った今の僕は、もうとっくに頭がおかしくなっているのかも知れない。

 この世界に生まれ変わってからの五年間、ほぼ毎日、僕はこんな風に長い夜を過ごしてきた。
 幾度となく、記憶の中にある彼女との思い出を追想しながら……。

 まだ、たったの五年、しかし、意識だけで異世界を生きる僕にとって五年は長すぎた。
 大切な思い出が日に日に薄れてきていることを感じる。

「……■■■■■■■」

『すまない、僕にはもう君の声が思い出せないんだ』

 いつだって君を想っているはずなのに、どうして記憶がこぼれ落ちていってしまうのだろうな。
 ……いいや、まだ大丈夫だ。この気持ちは忘れていない。

『つきこ、愛している』

 イメージによって構築された世界で愛を告げる。
 相手は、かろうじて少女のものだと分かる、ぼんやりとした人影だ。
 底なしの空洞の如く虚ろに塗りつぶされたそのかおへ、僕の言葉は吸い込まれていった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 パチリ!と目を開く。

 土砂降どしゃぶりの雨、強い風、雷鳴……激しいスコールの音が鳴り響く真夜中に僕は目を覚ました。
 同室で眠る姉妹きょうだいたちを起こさないように、こっそりと寝床を抜け出していく。

 時刻はおそらく深夜一時頃だろう。
 人が眠りのとこく日没(午後八時頃)を一日の始まり【森ノ刻】とし、およそ二時間ごとに時を刻むこの世界において【森ノ三刻】と呼ばれる時間帯だ。

 ちなみに、【森ノ三刻】の次は【山ノ一刻】となり、【山ノ三刻】が過ぎれば【火ノ一刻】、最後は【海ノ三刻】で一日が終わる。
 夜が、朝が、昼が、夕が、それぞれ三刻(約六時間)、一日は十二刻(約二十四時間)というわけだ。もちろん、秒単位で計ったわけではなく、体感的な時間に過ぎないのだが。

 つまり、今は『草木も眠る森三刻もりみつどき』といったところか。

 子ども部屋の外、廊下を挟んだ向かい部屋の両親もそろそろ熟睡している頃だろう。
 とは言え、階下のリビングでは、従士のノブさんが不寝番をしているはずなので、万が一にも気付かれないよう、まずは風の精霊術【静寂サイレンス】によって周囲の音を消す。
 そして、闇の中での行動に必須となる光と闇の精霊術【暗視ダークビジョン】を掛ける。
 熱帯気候にもかかわらず、サバナの夜はかなり冷え込むため、火の精霊術【加熱ヒート】も欠かせない。

 最後に、風の精霊術【風浪の帆ホバーセイル】で空中へ浮き上がり、水の精霊術【泡の壁バブルシェル】をまとった後、僕は子ども部屋の小さな窓を潜り抜け、台風じみたスコールに見舞われている外へと飛び出した。



 この強風の中、【風浪の帆ホバーセイル】で空中を飛ぶのには、かなりの集中力が必要となる。
 流水の厚い膜によって豪雨を防ぐ【泡の壁バブルシェル】を維持するのも楽ではない。
 地面近くを慎重にゆっくり進み、ようやく目的地へと到着した。

 ここは、我が家の周囲にひらかれた領主直営農園の一画、秋蒔あきまきを待つ休耕地だ。

『よし! 今晩もいっちょやるか!』

「オー! ストレス解消……じゃなかった。我らが領地のために!」

 これよりすは、あまりにも派手なので人前ではちょっとやりたくない。理由を説明するのも非常に大変。ということで、皆が寝静まった真夜中に行っている内緒の個人事業である。

火の精霊と風の精デザイアファイア霊に我は請うアンドエアー、落ちろ、稲妻いなづま! 霹靂へきれきがならせ地を穿うがて! 雷霆招来コールライトニング

 瞬間! 視界が真っ白に染まり、周囲から全ての音が消えた――。
 かと思ったときには、鼓膜が破れんばかりの凄まじい轟音と、全身の皮膚が波打つかのような衝撃が襲い来た。目の中には、紫色っぽい光が焼き付き、星がまたたくかのような無数の小さな光を弾けさせている。

 僕の請願せいがんにより、ほんの十数メートル先に広がっている畑のど真ん中へ雷が落とされたのだ。

「あはははは! どんどん行ってみよう!」

『いいぞ! 落とせ! 落とせ! ははははは!』

 うん? ああ、何をしているのかって?
 ん、んんっ、ちょっと楽しそうに見えるかも知れないが、別に遊んでいるわけじゃないんだ。

 これは、畑の収穫量を上げるために肥料をく行為に近い。

 この草原サバナの土壌は、煉瓦れんがを砕いたかのような赤っぽい土で構成されており、栄養状態が非常に悪いため、農業をやるにはまず土作りから始める必要があった。

 と言っても、化学肥料なんて便利な物は当然ありはしない。
 地中深くにある比較的マシな土を掘り返し、伐採した草木を焼いた灰を混ぜ、やや北方の森でれる巨大陸貝――言うまでもなくモンスターのたぐいだ――のからを細かくり潰してく。
 そうすることで農耕に適した土とすべく徐々に肥やしていった。

 しかし、まだ足りない。

 植物の生育に最も必要なある栄養素が決定的に足りていないのである。

 話は変わるが、雷のことを稲妻いなづまと呼ぶのは何故なのかご存じだろうか?
 稲の妻……なんともロマンチックな響きだが、日本で稲を始めとする作物が実りを迎える秋、それは雷の多い時期でもある。
 古来、稲は雷を受けることで実を結び、それが激しいほど豊作になると信じられていたのだ。
 雷は稲と切り離せない仲……それ故に“稲妻”と呼ぶ。

 さて、ここからが本題だ。
 実は、その話は単なる迷信とは言いきれなかったりする。

 激しい放電現象により、雷は空気中で化学反応を起こし、大量の窒素ちっそ化合物を生み出す。
 それらは落雷という形で地上へともたらされ、植物の育成を助ける天然の肥料とでも呼ぶべき役割を担うことになるのだ。
 窒素……それが植物を大きく成長させるために最も必要な栄養素なのである。

 雷が多い年は作物が良く実り、雷が落ちた田畑は豊作になる。

 そんな説にも、にわかに説得力がいてきたのではないだろうか?

「いっけえええ! 雷霆招来コールライトニング!」

『なぁ、今度はあの岩を狙って落としてみようぜ』

 そう、だからこれは遊んでいるわけではないのだ。
 どうか信じてほしい。

 突風と雷鳴を伴いながらザアアっと滝のような豪雨が降り注いだかと思えば、あっという間に止んでしまう夜中のスコールに紛れ、僕は休耕中の畑に次々と稲妻を叩き込んでいった。
 見聞きしている者など誰もいやしない、時間にすればわずか半刻ほどにも満たない。

 ま、この時間が、色々なもやもやヽヽヽヽを吹き飛ばす気分転換を兼ねていることは否定しないけどな。
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