異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

文字の大きさ
上 下
121 / 227
第二部: 君の面影を求め往く - 第一章: 南の端の開拓村にて

第七話: 僕の身体と名前

しおりを挟む
 空に日が昇り、急激に気温が高まっていく熱帯の朝、一通りの仕事を終えて朝食を待つ間に、僕はひたすら剣を振っていた。
 剣と言っても、僕の体格に合わせた小さなものであり、形状はシンプル、材質は木だ。

 意外と重さはあり、金属で出来た本物の剣とは比較にならなくとも、まだ筋肉が付いていない五歳の身体からだでは、上下に二十回も振り回せば、腕に力が入らなくなってきてしまうのだが……。

「シェガロ! 振りが小さくなっているぞ!」

 バシィ!と僕の背中に木製の棍棒――べんが叩きつけられた。

「いっ! つぅ……!」

 児童虐待なんて概念は、この世界の育児には一切存在していない。
 幼児相手であることなどお構いなし、かたわらに立つ父親がバシバシと鞭打ってくる。

 僕との血縁関係を容易にうかがえる灰色の髪をした彼は、筋骨隆々の大男だ。
 本気で叩いているわけではないにしても、鞭の一発一発が幼い身体の芯まで響く。

「もっと頑張れ! パパはお前くらいの年には百回ぐらい軽く振ってたもんだ」
「それは絶対ウソだぁ……」
「このパパの自慢の息子が半分の五十回も振れんでどうする……そら! 握りが甘い!」

――ゴス! ……カランカランっ。

 振り上げようとした木剣ぼっけんを上から叩かれ、衝撃で緩んだ手がそれを取り落としてしまう。

「はぁ、はぁ……」
「さっさと剣を拾え、まだ休んで良いとは言ってないぞ!」

 ああ、しんどい。
 自分の意志では指一本すら動かせない今の僕だが、五感が得た情報は痛みや疲労などまで含め、すべて感じられてしまう。当然、不要な感覚だけ遮断しゃだんするなんて器用な真似はできやしない。
 意識だけしかないのにどういう理屈なのか、たまに揺れる視界で酔いそうになったりもするし。

『おい、楽天家。あと少しなんだから気を抜かないでくれ。こうも叩かれてちゃ身が持たない』

「……分かってるってば」
「んん? まだ口答えする元気があるのか?」
「うわぁ! ちがう、ちがう、パパに言ったんじゃないから!」

 慌てて地面に転がっている木剣ぼっけんを拾い上げ、素振りを再開する僕だった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 僕とファルが冒険者たちと共に草原サバナへ出て叱られたあの日から、既に数日が経過している。

 両親の手によって真っ赤になるまで叩かれた尻は翌日には癒えたものの、罰の一環であろう、新たに父親から朝の鍛錬を課せられることとなり、僕はこうして連日しごかれ続けていた。

「いや、パパは罰のつもりなんてなく、純粋に僕を鍛えたいだけなんだろうけどね」

 現在の僕の父……名をマティオロ・ベオ・エルキルと言う。
 マティオロが名前、エルキルが家名、真ん中は貴族の身分を表している。
 “ベオ”は最下級の爵位であり、おそらく男爵相当と考えておけば間違いはないかと思われる。

 エルキル男爵のマティオロ様……とでも言えば分かりやすいかな?

 ついでに、シェガロ・ベイン・エルキルが僕のフルネームだ。
 男爵の血族ということでベイン・エルキルという名乗りを許されている。

 エルキル男爵家のシェガロくんである。

 と、そう言えば、この世界の名前や呼称に関しては、まだ説明できていなかったかも知れない。
 割りと長くなってしまいそうだが、ここいらで一旦まとめておこう。

 まず、基本的に平民は姓を持たず、当然ながらミドルネームなども無い。
 名前は一人につき一つだけ、例えば“ファルーラ”だな。僕の名では“シェガロ”に当たる。

 ここまでは良いだろう。
 困るのは、この世界、とにかく渾名あだなが多用されるということだ。

 僕自身がまだ幼児だということもあり、最も馴染なじみ深いのは愛称である。

 幼い子どもや親密な関係の間でのみ使われる呼称で、クリスタ=クリス、ファルーラ=ファル、ノブロゴ=ノブ……など、大抵は名前を短縮しただけで分かりやすいのだが、これには決まった命名則が無いため、ときには本名とかけ離れた愛称で呼ばれる者もいたりする。
 身の回りにも、ハイナルカ=イヌオ、カザルプ=サルフ、コシャル=キジィなんて連中がおり、ややもすれば本名を忘れそうになってしまうことも少なくない。

 まぁ、これに関しては、僕も人のことをとやかく言える立場ではないのだが。
 シェガロ=ショーゴというのも連想しづらさでは決して他に負けてはいないだろう。

 お察しの通り、この愛称は僕の前世の名前である松悟しょうごから来ているものの、家族がその事実を知って付けたなどというわけではないのが、混乱に拍車を掛けている。
 まだこの世界の言葉が覚束おぼつかなかった頃、僕は初対面の人に対し、『ショウゴ』と名乗っていた。
 それが『舌っ足らずで可愛い』と受け、家族の間ですっかり定着してしまったのだ。

 ……このように愛称は言ったもん勝ちでひどく適当に付けられてしまう。

 それとは別に、容姿、職能、出身地……などから付けられる普通の渾名あだなを耳にすること自体、前世の現代社会で生きてきた僕の感覚からすると非常に多い。
 冒険者などは、お互いを“戦士”や“魔術師”といった役割で呼び合うのが不文律ふぶんりつらしい。

 たとえば、僕の渾名“白坊ちゃん”だ。
 北方出身の僕たち家族は、この辺りの人種と比べると肌が白く、髪も白っぽい色をしている。
 よって、付いたあだ名が“白”である。

 とらえようによっては人種差別的に聞こえてしまうかも知れない。

 しかし、父を“白旦那”、母を“真白まっしろ奥さま”、姉を“真白お嬢さま”……といった具合に、村人たちは何ら悪気なく僕ら家族のことを渾名で呼び、言われるこちらも特に気にせずそのまま受け入れている。
 むしろ、母や姉は白い白いと言われることを喜んでさえいる。

 ド田舎の成り上がりとは言え、仮にも貴族に対してさえ、こんな調子なのだ。
 果ては、長い耳を持つ異種族のエルフを“耳長”なんて呼びながらでる連中までいる始末。

 なんとも大らかな世界である。

 もちろん、ハゲ、ブス、団子鼻……といったストレートな侮蔑ぶべつはその限りではない、要注意だ!

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ……ところで、何故、僕は延々と名前のことなんて説明していたんだったかな?

「このヘタレ……。僕が、へとへとになってる裏で……呑気に考え事なんて……ずるいぞ……」

『いや、楽天家。その疲れは僕もまったく同じように感じてるんだって』

 余裕があるように見えるだろうけど、身体からだが勝手に動き続けるのはなかなかに酷い拷問ごうもんだ。
 思索に没頭でもしなきゃ、とてもやってられないのである。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

もう尽くして耐えるのは辞めます!!

月居 結深
恋愛
 国のために決められた婚約者。私は彼のことが好きだったけど、彼が恋したのは第二皇女殿下。振り向いて欲しくて努力したけど、無駄だったみたい。  婚約者に蔑ろにされて、それを令嬢達に蔑まれて。もう耐えられない。私は我慢してきた。国のため、身を粉にしてきた。  こんなにも報われないのなら、自由になってもいいでしょう?  小説家になろうの方でも公開しています。 2024/08/27  なろうと合わせるために、ちょこちょこいじりました。大筋は変わっていません。

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

妹に婚約者を奪われたので妹の服を全部売りさばくことに決めました

常野夏子
恋愛
婚約者フレデリックを妹ジェシカに奪われたクラリッサ。 裏切りに打ちひしがれるも、やがて復讐を決意する。 ジェシカが莫大な資金を投じて集めた高級服の数々――それを全て売りさばき、彼女の誇りを粉々に砕くのだ。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...