異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

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第二部: 君の面影を求め往く - 第一章: 南の端の開拓村にて

第七話: 僕の身体と名前

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 空に日が昇り、急激に気温が高まっていく熱帯の朝、一通りの仕事を終えて朝食を待つ間に、僕はひたすら剣を振っていた。
 剣と言っても、僕の体格に合わせた小さなものであり、形状はシンプル、材質は木だ。

 意外と重さはあり、金属で出来た本物の剣とは比較にならなくとも、まだ筋肉が付いていない五歳の身体からだでは、上下に二十回も振り回せば、腕に力が入らなくなってきてしまうのだが……。

「シェガロ! 振りが小さくなっているぞ!」

 バシィ!と僕の背中に木製の棍棒――べんが叩きつけられた。

「いっ! つぅ……!」

 児童虐待なんて概念は、この世界の育児には一切存在していない。
 幼児相手であることなどお構いなし、かたわらに立つ父親がバシバシと鞭打ってくる。

 僕との血縁関係を容易にうかがえる灰色の髪をした彼は、筋骨隆々の大男だ。
 本気で叩いているわけではないにしても、鞭の一発一発が幼い身体の芯まで響く。

「もっと頑張れ! パパはお前くらいの年には百回ぐらい軽く振ってたもんだ」
「それは絶対ウソだぁ……」
「このパパの自慢の息子が半分の五十回も振れんでどうする……そら! 握りが甘い!」

――ゴス! ……カランカランっ。

 振り上げようとした木剣ぼっけんを上から叩かれ、衝撃で緩んだ手がそれを取り落としてしまう。

「はぁ、はぁ……」
「さっさと剣を拾え、まだ休んで良いとは言ってないぞ!」

 ああ、しんどい。
 自分の意志では指一本すら動かせない今の僕だが、五感が得た情報は痛みや疲労などまで含め、すべて感じられてしまう。当然、不要な感覚だけ遮断しゃだんするなんて器用な真似はできやしない。
 意識だけしかないのにどういう理屈なのか、たまに揺れる視界で酔いそうになったりもするし。

『おい、楽天家。あと少しなんだから気を抜かないでくれ。こうも叩かれてちゃ身が持たない』

「……分かってるってば」
「んん? まだ口答えする元気があるのか?」
「うわぁ! ちがう、ちがう、パパに言ったんじゃないから!」

 慌てて地面に転がっている木剣ぼっけんを拾い上げ、素振りを再開する僕だった。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 僕とファルが冒険者たちと共に草原サバナへ出て叱られたあの日から、既に数日が経過している。

 両親の手によって真っ赤になるまで叩かれた尻は翌日には癒えたものの、罰の一環であろう、新たに父親から朝の鍛錬を課せられることとなり、僕はこうして連日しごかれ続けていた。

「いや、パパは罰のつもりなんてなく、純粋に僕を鍛えたいだけなんだろうけどね」

 現在の僕の父……名をマティオロ・ベオ・エルキルと言う。
 マティオロが名前、エルキルが家名、真ん中は貴族の身分を表している。
 “ベオ”は最下級の爵位であり、おそらく男爵相当と考えておけば間違いはないかと思われる。

 エルキル男爵のマティオロ様……とでも言えば分かりやすいかな?

 ついでに、シェガロ・ベイン・エルキルが僕のフルネームだ。
 男爵の血族ということでベイン・エルキルという名乗りを許されている。

 エルキル男爵家のシェガロくんである。

 と、そう言えば、この世界の名前や呼称に関しては、まだ説明できていなかったかも知れない。
 割りと長くなってしまいそうだが、ここいらで一旦まとめておこう。

 まず、基本的に平民は姓を持たず、当然ながらミドルネームなども無い。
 名前は一人につき一つだけ、例えば“ファルーラ”だな。僕の名では“シェガロ”に当たる。

 ここまでは良いだろう。
 困るのは、この世界、とにかく渾名あだなが多用されるということだ。

 僕自身がまだ幼児だということもあり、最も馴染なじみ深いのは愛称である。

 幼い子どもや親密な関係の間でのみ使われる呼称で、クリスタ=クリス、ファルーラ=ファル、ノブロゴ=ノブ……など、大抵は名前を短縮しただけで分かりやすいのだが、これには決まった命名則が無いため、ときには本名とかけ離れた愛称で呼ばれる者もいたりする。
 身の回りにも、ハイナルカ=イヌオ、カザルプ=サルフ、コシャル=キジィなんて連中がおり、ややもすれば本名を忘れそうになってしまうことも少なくない。

 まぁ、これに関しては、僕も人のことをとやかく言える立場ではないのだが。
 シェガロ=ショーゴというのも連想しづらさでは決して他に負けてはいないだろう。

 お察しの通り、この愛称は僕の前世の名前である松悟しょうごから来ているものの、家族がその事実を知って付けたなどというわけではないのが、混乱に拍車を掛けている。
 まだこの世界の言葉が覚束おぼつかなかった頃、僕は初対面の人に対し、『ショウゴ』と名乗っていた。
 それが『舌っ足らずで可愛い』と受け、家族の間ですっかり定着してしまったのだ。

 ……このように愛称は言ったもん勝ちでひどく適当に付けられてしまう。

 それとは別に、容姿、職能、出身地……などから付けられる普通の渾名あだなを耳にすること自体、前世の現代社会で生きてきた僕の感覚からすると非常に多い。
 冒険者などは、お互いを“戦士”や“魔術師”といった役割で呼び合うのが不文律ふぶんりつらしい。

 たとえば、僕の渾名“白坊ちゃん”だ。
 北方出身の僕たち家族は、この辺りの人種と比べると肌が白く、髪も白っぽい色をしている。
 よって、付いたあだ名が“白”である。

 とらえようによっては人種差別的に聞こえてしまうかも知れない。

 しかし、父を“白旦那”、母を“真白まっしろ奥さま”、姉を“真白お嬢さま”……といった具合に、村人たちは何ら悪気なく僕ら家族のことを渾名で呼び、言われるこちらも特に気にせずそのまま受け入れている。
 むしろ、母や姉は白い白いと言われることを喜んでさえいる。

 ド田舎の成り上がりとは言え、仮にも貴族に対してさえ、こんな調子なのだ。
 果ては、長い耳を持つ異種族のエルフを“耳長”なんて呼びながらでる連中までいる始末。

 なんとも大らかな世界である。

 もちろん、ハゲ、ブス、団子鼻……といったストレートな侮蔑ぶべつはその限りではない、要注意だ!

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ……ところで、何故、僕は延々と名前のことなんて説明していたんだったかな?

「このヘタレ……。僕が、へとへとになってる裏で……呑気に考え事なんて……ずるいぞ……」

『いや、楽天家。その疲れは僕もまったく同じように感じてるんだって』

 余裕があるように見えるだろうけど、身体からだが勝手に動き続けるのはなかなかに酷い拷問ごうもんだ。
 思索に没頭でもしなきゃ、とてもやってられないのである。
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