117 / 233
第二部: 君の面影を求め往く - 第一章: 南の端の開拓村にて
第三話: 取り替え子と朝の仕事
しおりを挟む
ほんの悪戯心だったのだが、ファルと二人、すっかり泥だらけになってしまった。
水が極めて貴重なこの村では、水場はある種の聖地のような扱いとなっており、たとえ雨季の最中であろうとも、こんな風に遊びで水を浴びたりすることは滅多にない。
たとえば、日本の子どものように水面に向かって石を投げたり、飛び込んで泳いだりしているところを大人たちに見られようものなら只では済まない……そういうレベルだ。
スプリンクラーごっこの痕跡はしっかり消しておく必要があるだろう。
ファルの方は、まだ涼しい朝方なので比較的薄着をしており、そのまま水の精霊術【洗浄】を掛けてやれば、余分な湿気と共に汚れをすべて吹き飛ばすことができた。
僕の方は少し面倒だが、一旦、肌着以外の衣服を脱ぎ、身体と一緒に【洗浄】を掛ける。
「水の精霊に我は請う、身を浄めて」
請願に応じ、虚空から湧き出た純水が、僕の全身と手に持つ衣服の表面を高速で流れていった。
微かにくすぐったいような感触が一瞬で消え去ると、塵や埃《ほこり》、爪の垢まで綺麗に洗い流されたさっぱり感だけが後に残される。
水気は元からあった分もある程度まとめて蒸発するため、もう湿っぽさも感じられない。
「白ぼっちゃん! 今の、おどろいちゃったけど、ちょっと気持ちよかったかも!」
「そう言えば、これをファルに使ったのは初めてだったかな?」
「うん! 水汲みのやり方も変わってるし、白ぼっちゃんは変わってるね! 白いからなの?」
「肌の白さは関係ないかなぁ……」
この子とこんな風に二人っきりで話すのは、もしかしたら初めてかも知れない。
遠間からこっちを見ているか、他の子たちと一緒に遊ぶか、いつもそんな感じだったからな。
なんだか、今は距離感もやけに近い気がするけれど。
この村では数少ない子どもの一人であり、僕にとっては唯一の同年代となるのがファルだ。
今年五歳になった僕たちだが、村の年上はみんな十歳以上、年下には赤ん坊しかいない。
その辺りは、まだ出来て三年しか経っていない開拓村なので仕方ないところである。
幼児を連れての移住、先が見えない状況での妊娠出産、どっちも難しいよな……という話だ。
と、それはさておき。
地の精霊へ願い、水を汲み終えた三つの大きな樽を村の中央までゴロゴロ転がしていく。
手ぶらで歩く僕の後ろには、何故かファルもちょこちょこと付いてきていた。
「変わってるって言えばファルだって変わってるじゃないか」
以前、軽く触れたかと思うが、この子――ファルの本名はファルーラと言う。
ファルというのはあくまで愛称で、基本的には子どもか親密な関係の相手しか使うことはない。
襟足で結んで二本のお下げにした栗色の髪と淡い褐色の肌を持つ幼い女の子だ。
くりくりとして大きな翠色の瞳がよく動く。
しかし、一際目に付く特徴は、頭の左右にピンと伸びた長めの耳だろう。
幅広で先端が尖ったその形は大きな笹の葉……もっと言えば日本の武器・笹穂槍を思わせる。
それは、この世界でよく見られる身体的特徴の一つ……などというわけでは、勿論ない。
村の住人で似たような耳を持つ者は一人もおらず、彼女を生んだ実の両親さえ例外ではない。
「そっか、じゃあファルと白ぼっちゃん、おんなじだね!」
「うん、まぁ、変わり者同士だね。同じくらい変わってるんじゃないかな」
「おんなじ! うれしい!」
どうやら、ファルは【妖精の取り替え子】と呼ばれる存在らしい。
この世界の人間は、僕の知る地球人類とほとんど違いが分からないほど似通っているのだが、実は、こちらの“人類”は単一種族ではなく、他のいくつかの異種族を含めた総称なのだと言う。
ただし、人口の上では人間が圧倒的に多いため、普通に暮らす限り、他の種族に出逢うことは、そうそうあることではないようだ。
実際、僕はこれまで一度も――ファルを除けば――見たことはないし、ここみたいな田舎だと異種族はお伽噺と変わらない調子で語られていたりする。
そんな異種族の一つに【妖精】というものがいる。
曰く、見た目は人間に似ているが、尖った長い耳を除けば、容姿は非常に美しい。
曰く、その肉体は老いることなく、若々しいまま長い時を生きていく。
曰く、不思議な力で自分の姿を隠し、人間の住む場所に忍び込んできては様々な悪戯をする。
そして、彼らの最も好む悪戯が、自分たちの赤子と人間の赤子をこっそり取り替えていくことなんだとか……。
いや、そんな話がどこまで事実に即しているかは、とりあえず措いておくとして。
この世界では、昔からごく稀に普通の人間を両親としてエルフの赤子が生まれることがあり、それをエルフに取り替えられてしまった子――チェンジリングと呼び習わしているのだ。
たぶん、ただの隔世遺伝の先祖返りか何かだろうと言いたくなってしまうが。
その美しい容貌のお蔭もあり、チェンジリングは特に忌み嫌われる存在というわけではない。
とは言え、やはり奇異な目に晒されることは避けられない。
ファルが生まれたことで一家は住んでいた町に居づらくなってしまい、うちの開拓に参加する領民募集に申し込んできたのだと聞いている。
「よーし! こっちの柵も問題なし。ファル、そっちはどうだい?」
「あのね、あっちにミーアキャットがいたよ」
「うん、柵はまだ見てないんだね」
「つかまえられないかなぁ」
「絶対、柵の外には出ちゃ駄目だよ? またザコオニにさらわれちゃうといけないから」
「白ぼっちゃん、つかまえられる?」
「……ミーアキャットなら今度つかまえてあげるから、今はちゃんと僕に付いてきてね」
水汲みを済ませた後、なんとなく流れでファルと一緒に仕事をすることになっていた。
正直なところ、ほとんど戦力になってはいないのだが、五歳と言ったら、まだ幼稚園児である。猫の手も借りたい開拓村であっても、流石に労働を強制するのは忍びなく思う。大人としては。
というわけで、簡単な仕事だけを任せ、ある程度は自由に遊んでもらっている。
なんだか、前世で施設の小さな子たちを面倒見ていたことが思い出されるな。
「柵の点検は終わり! じゃあ、次は採集に行くよ」
「うん! ファル、ハーブつむの上手だよ?」
「そうなんだ? ならハーブを集めるのは任せちゃおうかな。僕はその間に――」
「なんだぁ? あんなとこに耳長がいるじゃねえか!」
その声は、柵の外、二十メートルは向こうに広がる草むらの方から聞こえた。
ニタリ……と口元に笑みを浮かべ、大きな鎌を持った見慣れぬ男が一人、そこに立っていた。
そして、奥からは彼と同じような雰囲気をまとった数人の男たちがゆっくり近付いてきている。
「おじちゃんたち、だぁれ?」
水が極めて貴重なこの村では、水場はある種の聖地のような扱いとなっており、たとえ雨季の最中であろうとも、こんな風に遊びで水を浴びたりすることは滅多にない。
たとえば、日本の子どものように水面に向かって石を投げたり、飛び込んで泳いだりしているところを大人たちに見られようものなら只では済まない……そういうレベルだ。
スプリンクラーごっこの痕跡はしっかり消しておく必要があるだろう。
ファルの方は、まだ涼しい朝方なので比較的薄着をしており、そのまま水の精霊術【洗浄】を掛けてやれば、余分な湿気と共に汚れをすべて吹き飛ばすことができた。
僕の方は少し面倒だが、一旦、肌着以外の衣服を脱ぎ、身体と一緒に【洗浄】を掛ける。
「水の精霊に我は請う、身を浄めて」
請願に応じ、虚空から湧き出た純水が、僕の全身と手に持つ衣服の表面を高速で流れていった。
微かにくすぐったいような感触が一瞬で消え去ると、塵や埃《ほこり》、爪の垢まで綺麗に洗い流されたさっぱり感だけが後に残される。
水気は元からあった分もある程度まとめて蒸発するため、もう湿っぽさも感じられない。
「白ぼっちゃん! 今の、おどろいちゃったけど、ちょっと気持ちよかったかも!」
「そう言えば、これをファルに使ったのは初めてだったかな?」
「うん! 水汲みのやり方も変わってるし、白ぼっちゃんは変わってるね! 白いからなの?」
「肌の白さは関係ないかなぁ……」
この子とこんな風に二人っきりで話すのは、もしかしたら初めてかも知れない。
遠間からこっちを見ているか、他の子たちと一緒に遊ぶか、いつもそんな感じだったからな。
なんだか、今は距離感もやけに近い気がするけれど。
この村では数少ない子どもの一人であり、僕にとっては唯一の同年代となるのがファルだ。
今年五歳になった僕たちだが、村の年上はみんな十歳以上、年下には赤ん坊しかいない。
その辺りは、まだ出来て三年しか経っていない開拓村なので仕方ないところである。
幼児を連れての移住、先が見えない状況での妊娠出産、どっちも難しいよな……という話だ。
と、それはさておき。
地の精霊へ願い、水を汲み終えた三つの大きな樽を村の中央までゴロゴロ転がしていく。
手ぶらで歩く僕の後ろには、何故かファルもちょこちょこと付いてきていた。
「変わってるって言えばファルだって変わってるじゃないか」
以前、軽く触れたかと思うが、この子――ファルの本名はファルーラと言う。
ファルというのはあくまで愛称で、基本的には子どもか親密な関係の相手しか使うことはない。
襟足で結んで二本のお下げにした栗色の髪と淡い褐色の肌を持つ幼い女の子だ。
くりくりとして大きな翠色の瞳がよく動く。
しかし、一際目に付く特徴は、頭の左右にピンと伸びた長めの耳だろう。
幅広で先端が尖ったその形は大きな笹の葉……もっと言えば日本の武器・笹穂槍を思わせる。
それは、この世界でよく見られる身体的特徴の一つ……などというわけでは、勿論ない。
村の住人で似たような耳を持つ者は一人もおらず、彼女を生んだ実の両親さえ例外ではない。
「そっか、じゃあファルと白ぼっちゃん、おんなじだね!」
「うん、まぁ、変わり者同士だね。同じくらい変わってるんじゃないかな」
「おんなじ! うれしい!」
どうやら、ファルは【妖精の取り替え子】と呼ばれる存在らしい。
この世界の人間は、僕の知る地球人類とほとんど違いが分からないほど似通っているのだが、実は、こちらの“人類”は単一種族ではなく、他のいくつかの異種族を含めた総称なのだと言う。
ただし、人口の上では人間が圧倒的に多いため、普通に暮らす限り、他の種族に出逢うことは、そうそうあることではないようだ。
実際、僕はこれまで一度も――ファルを除けば――見たことはないし、ここみたいな田舎だと異種族はお伽噺と変わらない調子で語られていたりする。
そんな異種族の一つに【妖精】というものがいる。
曰く、見た目は人間に似ているが、尖った長い耳を除けば、容姿は非常に美しい。
曰く、その肉体は老いることなく、若々しいまま長い時を生きていく。
曰く、不思議な力で自分の姿を隠し、人間の住む場所に忍び込んできては様々な悪戯をする。
そして、彼らの最も好む悪戯が、自分たちの赤子と人間の赤子をこっそり取り替えていくことなんだとか……。
いや、そんな話がどこまで事実に即しているかは、とりあえず措いておくとして。
この世界では、昔からごく稀に普通の人間を両親としてエルフの赤子が生まれることがあり、それをエルフに取り替えられてしまった子――チェンジリングと呼び習わしているのだ。
たぶん、ただの隔世遺伝の先祖返りか何かだろうと言いたくなってしまうが。
その美しい容貌のお蔭もあり、チェンジリングは特に忌み嫌われる存在というわけではない。
とは言え、やはり奇異な目に晒されることは避けられない。
ファルが生まれたことで一家は住んでいた町に居づらくなってしまい、うちの開拓に参加する領民募集に申し込んできたのだと聞いている。
「よーし! こっちの柵も問題なし。ファル、そっちはどうだい?」
「あのね、あっちにミーアキャットがいたよ」
「うん、柵はまだ見てないんだね」
「つかまえられないかなぁ」
「絶対、柵の外には出ちゃ駄目だよ? またザコオニにさらわれちゃうといけないから」
「白ぼっちゃん、つかまえられる?」
「……ミーアキャットなら今度つかまえてあげるから、今はちゃんと僕に付いてきてね」
水汲みを済ませた後、なんとなく流れでファルと一緒に仕事をすることになっていた。
正直なところ、ほとんど戦力になってはいないのだが、五歳と言ったら、まだ幼稚園児である。猫の手も借りたい開拓村であっても、流石に労働を強制するのは忍びなく思う。大人としては。
というわけで、簡単な仕事だけを任せ、ある程度は自由に遊んでもらっている。
なんだか、前世で施設の小さな子たちを面倒見ていたことが思い出されるな。
「柵の点検は終わり! じゃあ、次は採集に行くよ」
「うん! ファル、ハーブつむの上手だよ?」
「そうなんだ? ならハーブを集めるのは任せちゃおうかな。僕はその間に――」
「なんだぁ? あんなとこに耳長がいるじゃねえか!」
その声は、柵の外、二十メートルは向こうに広がる草むらの方から聞こえた。
ニタリ……と口元に笑みを浮かべ、大きな鎌を持った見慣れぬ男が一人、そこに立っていた。
そして、奥からは彼と同じような雰囲気をまとった数人の男たちがゆっくり近付いてきている。
「おじちゃんたち、だぁれ?」
1
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説


冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

籠の鳥
桜 あぴ子(旧名:あぴ子)
恋愛
幼い頃、とても美しい生き物に出会った。お父様のお気に入りで、でも決して懐くことはない孤高の生き物。お父様に内緒でいつも隠れて遠いところから見つめるだけだったけど、日に日に弱っていく姿を見て、逃がしてあげることにした。
籠の鳥は逃げて晴れて自由の身。
では、今籠の中には誰がいるのだろう?
2019年1月21日に完結いたしました!

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる