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第二部: 君の面影を求め往く - 第一章: 南の端の開拓村にて
第二話: 水汲みと幼女と悪戯
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領主屋敷……ごめん、ちょっと見栄を張った。こぢんまりとした二階建てログハウスから外へ出た僕は、改めて「んんん~っ!」と大きく手足を伸ばすと、寝起きでまだ固まり気味の身体を解きほぐすためストレッチを始める。
見渡す限り果てが見えない広大な大草原の中に拓かれた半径数百メートルの空き地。
今いる自宅のログハウス前は、大凡、その中心に位置している。
空き地には他にも数十戸の小屋が点在しており、ほぼ同数の世帯を養う集落が成り立っている。
この小さな集落の領主が僕の……現在の僕の父だ。
まぁ、領主と言うよりも村長と呼んだ方が実態に即しているけどな。
一応は爵位持ちの貴族ではあるものの、最下級の男爵を授与されて数年の成り上がりである。
その前は騎士爵を持つ平民として、もっとずっと北の土地を開拓していて、僕が生まれたのも実はそっちの村だったりする。
こことは逆に年間通して気温が低く、非常に雪の多い土地だった。
それがどうしてこんな南の熱帯地域へ移住してきたのかと言えば……。
ちょっと頑張りすぎて、北国の開拓を大成功させてしまったことが原因だ。
ある程度大きな収入が見込めるようになった騎士爵領は何かと悪目立ちしてしまい、最終的に男爵位の叙爵と引き替えに、こんな南方の僻地へと転封されることになったのである。
今から三年以上も前、僕がまだ二三歳の赤子だった頃の話だが。
当初、この場所は人工物など何もない草原だった。
家族を除けば、領民も王都でかき集めた五十人ぽっちしかいなかった。
狩猟と採集で糊口を凌ぎ、馬車で寝泊まりするという、ほとんど野宿と変わらない暮らしの中、土地を切り拓いて家と畑を作り、ようやく集落の体を成してきた今日この頃だ。
……と、考え事とストレッチはこれくらいにしておこうか。
「よし、今朝の仕事はいつも通り、水汲み、柵の見回り、採集、農具の手入れと薪割り……だね。みんなが起き出してくる前に、さっさと済ませてしまおう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
近くの川から引いてきている村共用の溜池で水を汲んでいると、どこからか強い視線を感じた。
辺りを見回してみれば、やや離れた低木の枝の上に見知った女児の顔を発見する。
いや、だいたい毎日のことなので予想は付いていたんだが。
「やあ! おはよう、ファル」
「――っ!?」
あ、逃げた。いきなり声を掛けて驚かせてしまったかな?
これもいつものことだ。たぶん、そのうち戻ってくるだろう。
目の前に広がる溜池の広さは一〇〇平米足らず、冬――乾期になれば干上がって泥沼と化し、雨季の今時分であっても日中には水位を大きく下げてしまうような頼りない水場である。
とは言え、朝早い今くらいの時間は勢いよく川の水が流れ込み、なみなみと水を湛えるため、子どもであってもそこまで水汲みに苦労したりはしない。
僕の場合、水の精霊に頼んで半自動的に汲み上げてしまうので尚更だ。
「よし、一つ終わりっと!」
池のほとりには、家から転がしてきた大きな樽が三つ立てられている。
この三つの樽を水で満杯にすると、ちょうど集落の生活用水一日分くらいを賄うことができる。
僕は精霊術により池の水を操作し、アーチを描く噴水のようにして樽の中へ注ぎ込んでいく。
ちなみに、樽はすべて水の精霊術【洗浄】により綺麗にされており、溜池の水に含まれている泥砂やゴミなどの不純物も、汲み上げる際にできる範囲で除去済みだ。
実のところ、とある事情から、衛生面に関してはさほど躍起にならなくても平気なんだけどな。
……樽に水が注がれていく様を、手持ち無沙汰にじ~っと眺めてしまう。
ヒマではあるのだが、あまり目を離すわけにもいかず、他のことができるほどの時間が無い。
と、再びどこからか気配を感じた。
どうやら、先ほど逃げていったファルが早々に戻ってきたらしい。
気付かない振りをしつつ、こっそり周囲を窺ってみれば、今度は池の側に生い茂った葦の間にその姿を見つけることができた。
さっきまで……いや、普段と比べても、かなり距離が近い。
珍しいな。いつもは声が届くか届かないかという遠間から近付いてくることはないんだけど。
――うずっ!
ふと、悪戯心が湧く。
「風の精霊に我は請う、旋風を起こせ」
そう小声で請願すると、池から噴き上がって樽の中へ向かう水のアーチの中程に小さな旋風が発生した。
逆巻く風に捲かれ、まるでスプリンクラーのように広く勢いよく周囲へ撒き散らされる水は、突然のにわか雨と化し、ざっと十メートルも離れた葦の茂みにまで降り注いでいく。
「ひゃっ!?」
即座にその場から離れようとしたファルだが、惜しいかな、その反応は僅かに遅い。
ちょうど立ち上がったところで、まとまって吹きつけてきた水を頭から浴びてしまう。
「つめたい!」
「あっははははは」
両手で頭を隠すようにしながら、ファルは右往左往して逃げ惑う。
が、何故か、その行く先々に散水が付いて回り、いつまで経っても逃れることができない。
唐突にしゃがんでみたり、フェイントを掛けて逆方向へ跳んでみたり、端から見れば、それは何かのパントマイムにしか見えなかった。
「もぉ! ひどい! 白ぼっちゃん、ひどい!」
「だって……はぁはぁ……僕、もう何もしてないのに、あははははっ」
「笑わないでよう……むー! だったら!」
すっかりずぶ濡れ、濡れ鼠のファルがそう呟いてきゅっと表情を引き締めた。
かと思うと、とたたっと僕の方へ一直線に向かってくる。
と言っても、あくまで女児の動きである。
何を狙っているにせよ、落ち着いていれば余裕で対処可能だろう。
むしろ、僕の背後に大きな樽や池があることを考えると、下手に回避しようとするのは危険だ。……ファルにとって。
これは真正面から受けきるしかあるまい!
悪戯な風が撒き散らす水は、当然、僕の下へも降り注ぎ、小雨のように顔と外衣を濡らす。
やや腰を落とす僕、駆けてくるファル、二人の間合いが残り数歩となる。
「んきゃーっ!」
そこでファルは両手を前に広げると、奇声を上げながら全身で突っ込んできた。
――ぽすっ!
くっ、良いタックルだ。
構えていた僕は、当然ながら難なくそれを受け止めることに成功する。
しかし、相手が小さな女児だとは言え、こちらも身体は同年代の幼児に過ぎない。
「……とっ、ととと……!?」
――ベシャッ!
予想していたより強い衝撃、散水によってぬかるんだ足場、おまけにファルがまとう雰囲気、思わず脱力してしまっていたのだろう。その幼躯を抱き留めたまま、数歩ばかりたたらを踏み、尻餅を突くようにして後ろへ倒れ込んでしまった。
「うわ、水! 冷たっ! あー、あー、あー、まったく……」
「あはははは、これで白ぼっちゃんもいっしょ!」
「ああ、もう、冷たいなぁ……ふっ、ふふっ……あっははは」
先の尖った長い耳を震わせ、|キャッキャッと笑うファルにつられ、僕も堪えきれず笑い出してしまう。二人揃って水浸し、一張羅は泥だらけ、もう何がおかしいのかもよく分からないままに。
やがて精霊術で起こしていた旋風は吹き止み、噴き上がる池の水が元のようにアーチを描いて樽の中へ注がれ始めた。
その側には、小さな虹が架かっていた。
見渡す限り果てが見えない広大な大草原の中に拓かれた半径数百メートルの空き地。
今いる自宅のログハウス前は、大凡、その中心に位置している。
空き地には他にも数十戸の小屋が点在しており、ほぼ同数の世帯を養う集落が成り立っている。
この小さな集落の領主が僕の……現在の僕の父だ。
まぁ、領主と言うよりも村長と呼んだ方が実態に即しているけどな。
一応は爵位持ちの貴族ではあるものの、最下級の男爵を授与されて数年の成り上がりである。
その前は騎士爵を持つ平民として、もっとずっと北の土地を開拓していて、僕が生まれたのも実はそっちの村だったりする。
こことは逆に年間通して気温が低く、非常に雪の多い土地だった。
それがどうしてこんな南の熱帯地域へ移住してきたのかと言えば……。
ちょっと頑張りすぎて、北国の開拓を大成功させてしまったことが原因だ。
ある程度大きな収入が見込めるようになった騎士爵領は何かと悪目立ちしてしまい、最終的に男爵位の叙爵と引き替えに、こんな南方の僻地へと転封されることになったのである。
今から三年以上も前、僕がまだ二三歳の赤子だった頃の話だが。
当初、この場所は人工物など何もない草原だった。
家族を除けば、領民も王都でかき集めた五十人ぽっちしかいなかった。
狩猟と採集で糊口を凌ぎ、馬車で寝泊まりするという、ほとんど野宿と変わらない暮らしの中、土地を切り拓いて家と畑を作り、ようやく集落の体を成してきた今日この頃だ。
……と、考え事とストレッチはこれくらいにしておこうか。
「よし、今朝の仕事はいつも通り、水汲み、柵の見回り、採集、農具の手入れと薪割り……だね。みんなが起き出してくる前に、さっさと済ませてしまおう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
近くの川から引いてきている村共用の溜池で水を汲んでいると、どこからか強い視線を感じた。
辺りを見回してみれば、やや離れた低木の枝の上に見知った女児の顔を発見する。
いや、だいたい毎日のことなので予想は付いていたんだが。
「やあ! おはよう、ファル」
「――っ!?」
あ、逃げた。いきなり声を掛けて驚かせてしまったかな?
これもいつものことだ。たぶん、そのうち戻ってくるだろう。
目の前に広がる溜池の広さは一〇〇平米足らず、冬――乾期になれば干上がって泥沼と化し、雨季の今時分であっても日中には水位を大きく下げてしまうような頼りない水場である。
とは言え、朝早い今くらいの時間は勢いよく川の水が流れ込み、なみなみと水を湛えるため、子どもであってもそこまで水汲みに苦労したりはしない。
僕の場合、水の精霊に頼んで半自動的に汲み上げてしまうので尚更だ。
「よし、一つ終わりっと!」
池のほとりには、家から転がしてきた大きな樽が三つ立てられている。
この三つの樽を水で満杯にすると、ちょうど集落の生活用水一日分くらいを賄うことができる。
僕は精霊術により池の水を操作し、アーチを描く噴水のようにして樽の中へ注ぎ込んでいく。
ちなみに、樽はすべて水の精霊術【洗浄】により綺麗にされており、溜池の水に含まれている泥砂やゴミなどの不純物も、汲み上げる際にできる範囲で除去済みだ。
実のところ、とある事情から、衛生面に関してはさほど躍起にならなくても平気なんだけどな。
……樽に水が注がれていく様を、手持ち無沙汰にじ~っと眺めてしまう。
ヒマではあるのだが、あまり目を離すわけにもいかず、他のことができるほどの時間が無い。
と、再びどこからか気配を感じた。
どうやら、先ほど逃げていったファルが早々に戻ってきたらしい。
気付かない振りをしつつ、こっそり周囲を窺ってみれば、今度は池の側に生い茂った葦の間にその姿を見つけることができた。
さっきまで……いや、普段と比べても、かなり距離が近い。
珍しいな。いつもは声が届くか届かないかという遠間から近付いてくることはないんだけど。
――うずっ!
ふと、悪戯心が湧く。
「風の精霊に我は請う、旋風を起こせ」
そう小声で請願すると、池から噴き上がって樽の中へ向かう水のアーチの中程に小さな旋風が発生した。
逆巻く風に捲かれ、まるでスプリンクラーのように広く勢いよく周囲へ撒き散らされる水は、突然のにわか雨と化し、ざっと十メートルも離れた葦の茂みにまで降り注いでいく。
「ひゃっ!?」
即座にその場から離れようとしたファルだが、惜しいかな、その反応は僅かに遅い。
ちょうど立ち上がったところで、まとまって吹きつけてきた水を頭から浴びてしまう。
「つめたい!」
「あっははははは」
両手で頭を隠すようにしながら、ファルは右往左往して逃げ惑う。
が、何故か、その行く先々に散水が付いて回り、いつまで経っても逃れることができない。
唐突にしゃがんでみたり、フェイントを掛けて逆方向へ跳んでみたり、端から見れば、それは何かのパントマイムにしか見えなかった。
「もぉ! ひどい! 白ぼっちゃん、ひどい!」
「だって……はぁはぁ……僕、もう何もしてないのに、あははははっ」
「笑わないでよう……むー! だったら!」
すっかりずぶ濡れ、濡れ鼠のファルがそう呟いてきゅっと表情を引き締めた。
かと思うと、とたたっと僕の方へ一直線に向かってくる。
と言っても、あくまで女児の動きである。
何を狙っているにせよ、落ち着いていれば余裕で対処可能だろう。
むしろ、僕の背後に大きな樽や池があることを考えると、下手に回避しようとするのは危険だ。……ファルにとって。
これは真正面から受けきるしかあるまい!
悪戯な風が撒き散らす水は、当然、僕の下へも降り注ぎ、小雨のように顔と外衣を濡らす。
やや腰を落とす僕、駆けてくるファル、二人の間合いが残り数歩となる。
「んきゃーっ!」
そこでファルは両手を前に広げると、奇声を上げながら全身で突っ込んできた。
――ぽすっ!
くっ、良いタックルだ。
構えていた僕は、当然ながら難なくそれを受け止めることに成功する。
しかし、相手が小さな女児だとは言え、こちらも身体は同年代の幼児に過ぎない。
「……とっ、ととと……!?」
――ベシャッ!
予想していたより強い衝撃、散水によってぬかるんだ足場、おまけにファルがまとう雰囲気、思わず脱力してしまっていたのだろう。その幼躯を抱き留めたまま、数歩ばかりたたらを踏み、尻餅を突くようにして後ろへ倒れ込んでしまった。
「うわ、水! 冷たっ! あー、あー、あー、まったく……」
「あはははは、これで白ぼっちゃんもいっしょ!」
「ああ、もう、冷たいなぁ……ふっ、ふふっ……あっははは」
先の尖った長い耳を震わせ、|キャッキャッと笑うファルにつられ、僕も堪えきれず笑い出してしまう。二人揃って水浸し、一張羅は泥だらけ、もう何がおかしいのかもよく分からないままに。
やがて精霊術で起こしていた旋風は吹き止み、噴き上がる池の水が元のようにアーチを描いて樽の中へ注がれ始めた。
その側には、小さな虹が架かっていた。
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