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第一部: 終わりと始まりの日 - 閑話
◆閑話 「仇敵、相討つ魔獣たち 前編」
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ザグッ!という身の毛もよだつ音が一つ響き、激しく振る雪の中に血飛沫が舞う!
建物どころか樹木の一本すら立ってはおらず、見渡す限り真っ白な雪に覆われた氷原の上で、今、死闘を繰り広げているのは二頭の猛き獣であった。
戦いの余波により絶え間なく、烈しい突風が巻き起こり、地に深く積もった雪を巻き上げる。
あたかも、この場にだけ局地的な雪風巻でも発生しているかのように。
一撃を加えたのは、白い毛皮を持つ獣である。ヒョウを思わせる特徴的な斑模様を持つ猫科の猛獣だが、口元の上顎より生えた二本の長大な牙が、通常の動物ではないことを物語っている。
緩やかに弧を描き、内側に薄く鋭い刃を持つそれは、生き物の生命を刈り取る死神の鎌か。
対するは、白き獣が子どもに見えるほどの圧倒的威容を誇る漆黒のクマだった。
肩口に深手を負い、足下へ血を流しているが、弱っている様子は微塵も感じられない。
吹きつけてくる雪の白色にも染められない黒い毛皮は、長い毛を戦いの昂奮により逆立たせ、持ち主の巨体を更に一回り大きく見せている。
四肢の太さは白き獣の胴回りにも匹敵し、巨大な顎はそのまま頭をまるかじりにできそうだ。
「ゴウォオオオオオオ!」
「ギニィアアア!」
互いに咆哮を上げ、激しく威嚇しながら間合いを取り合う二頭。
雪面に足跡も残さず、まるで宙を滑るかのような足取りで黒き獣の周りを回っていく白い獣が、ゆっくりとした円の動きを止め――瞬間! 引き金を引かれた弩から撃ち出される太矢が如く、後ろへ残像を残すほどの速度を以て一直線に飛び掛かった。
黒き獣はまだ白き獣に対し側面を向けており、射線を遮る物など何も無い。
そのがら空きの横腹へ、矢が……いや、死神の鎌が一気に迫る!
「ヴォオオオッフ!」
だが、未だ白き獣の方へ向き直らぬままでいた黒き獣が吠え声を上げると、突如として傍らに、雪面を割って小さな石壁が出現し、あと僅かの間、突き立てられようとしていた死の刃を阻む。刹那の反応により石壁へ前脚を掛け、とんぼ返りをするように反転する白き獣だが、間髪容れず、ドドッ!という鈍い打撃音が響き、その身体は大きく弾き飛ばされてしまう。
深く積もった雪の下に広がる岩の地面を、触れずして動かすことができるということだろうか、黒き獣の足下……雪の中より撃ち出された二つの石飛礫が、逆に無防備となった白き獣の腹へと連続で叩き込まれたのだ。
「ヴォオウ!」
遠間で横倒しになった白き獣を傍目に、黒き獣は低い唸り声を上げる。
と、先ほどと同じく雪面の中より岩塊が飛び出してきた。
今後は一つ……だが、数倍では利かないほど巨きく、全体が濃い玄色に染められていた。
そして、どこへも撃ち出されることなく、薄く広がりながら黒き獣の前半身を覆い隠していく。
現れたのは、岩石で出来た鎧をまとう黒き巨獣。もはや明らかに通常のクマではありえない。
「ぐるるるぅ……ひいぃ……」
片や、素早く体勢を立て直した白き獣もまた、単なる野生の獣ではありえない行動に出る。
高く伸びゆく笛に似た鳴声を響かせながら、その身を包む白い毛皮が雪景色へ溶け込んでいく。
足下に広がる雪面が、降りしきる雪が、身動きしない獣の向こう側に少しずつ見えてきていた。
気付けば、どれだけ目を凝らそうと、もうそこに獣の姿は見て取れない。
雪景色に溶けてかき消えた白き獣。擬態や保護色などという次元を超越した超能力だ。
そして、戦いが再開される。
素早く移動し続けながら機を窺い、死角から奇襲を仕掛けていく姿無き獣に対し、鎧装の獣は一所に留まり、攻撃を受けつつ怯むことなき即応反撃を繰り返す。
しかし、一見すると、この攻防は黒き獣の側が不利かと思えた。
降りしきる雪の中であるにも拘わらず、影一つも見て取れない白き獣の完全極まる迷彩能力。
四方八方どころか上下からも襲い来る見えざる刃は、たとえ野生の勘や超反応を以てしても、易々と迎撃できるようなものではない。
――ザシュ!
また一つ、不可視の斬撃によって前触れも無く斬り裂かれ、黒き獣の肉体が血を飛び散らせた。
もう幾度目になるのか、受けた傷は疾うに両手両足の指でさえ数えきれないほどである。
だが、巨体に相応しい厚い毛皮と強靱な筋肉に加え、金属と変わらぬほどの硬度があるらしき岩石の鎧によって守られたその肉体は、よく見れば痛手と呼べるほどの傷は負わされていない。
鎧に守られていない部分に見て取れる無数の傷も、開く側から流す血を止めているようだ。
「――ギミャア!」
逆に、白き獣は幾度もの攻撃の中で時折、唸りを上げて振るわれる剛腕の一撃を受けただけで……いや、かすっただけで吹き飛ばされ、透明化していた姿を露わにしながら雪面へと突っ込み、爆風のように氷雪を噴き上げる。
回数を言えば、まだたったの三度。
黒き獣が三度の攻撃を当てただけで、白き獣は起き上がる力を失ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
強まる降雪に埋められていく形で二頭の獣が倒れ伏している。
白き獣が倒れた後、ほどなくして黒き獣もその場で身を伏せ、以降、動きを止めていた。
二頭共に口の端から白い息を漏らしており、まだ息はあるようだ。
とは言え、流石にもう相手にとどめを刺そうという気力まではないらしい。
いや、そこから済し崩し的に始まるであろう文字通りの死闘を互いに避けたが故か。
やがて、短くはない時間が過ぎ、よろよろと白き獣が立ち上がり。
「ぐるぅ……るぅー……いぃー……――」
か細い鳴き声を響かせながら、雪景色の中へと消え去っていった。
最後の最後まで、憎々しげに黒き獣の姿を睨め付けながら……。
建物どころか樹木の一本すら立ってはおらず、見渡す限り真っ白な雪に覆われた氷原の上で、今、死闘を繰り広げているのは二頭の猛き獣であった。
戦いの余波により絶え間なく、烈しい突風が巻き起こり、地に深く積もった雪を巻き上げる。
あたかも、この場にだけ局地的な雪風巻でも発生しているかのように。
一撃を加えたのは、白い毛皮を持つ獣である。ヒョウを思わせる特徴的な斑模様を持つ猫科の猛獣だが、口元の上顎より生えた二本の長大な牙が、通常の動物ではないことを物語っている。
緩やかに弧を描き、内側に薄く鋭い刃を持つそれは、生き物の生命を刈り取る死神の鎌か。
対するは、白き獣が子どもに見えるほどの圧倒的威容を誇る漆黒のクマだった。
肩口に深手を負い、足下へ血を流しているが、弱っている様子は微塵も感じられない。
吹きつけてくる雪の白色にも染められない黒い毛皮は、長い毛を戦いの昂奮により逆立たせ、持ち主の巨体を更に一回り大きく見せている。
四肢の太さは白き獣の胴回りにも匹敵し、巨大な顎はそのまま頭をまるかじりにできそうだ。
「ゴウォオオオオオオ!」
「ギニィアアア!」
互いに咆哮を上げ、激しく威嚇しながら間合いを取り合う二頭。
雪面に足跡も残さず、まるで宙を滑るかのような足取りで黒き獣の周りを回っていく白い獣が、ゆっくりとした円の動きを止め――瞬間! 引き金を引かれた弩から撃ち出される太矢が如く、後ろへ残像を残すほどの速度を以て一直線に飛び掛かった。
黒き獣はまだ白き獣に対し側面を向けており、射線を遮る物など何も無い。
そのがら空きの横腹へ、矢が……いや、死神の鎌が一気に迫る!
「ヴォオオオッフ!」
だが、未だ白き獣の方へ向き直らぬままでいた黒き獣が吠え声を上げると、突如として傍らに、雪面を割って小さな石壁が出現し、あと僅かの間、突き立てられようとしていた死の刃を阻む。刹那の反応により石壁へ前脚を掛け、とんぼ返りをするように反転する白き獣だが、間髪容れず、ドドッ!という鈍い打撃音が響き、その身体は大きく弾き飛ばされてしまう。
深く積もった雪の下に広がる岩の地面を、触れずして動かすことができるということだろうか、黒き獣の足下……雪の中より撃ち出された二つの石飛礫が、逆に無防備となった白き獣の腹へと連続で叩き込まれたのだ。
「ヴォオウ!」
遠間で横倒しになった白き獣を傍目に、黒き獣は低い唸り声を上げる。
と、先ほどと同じく雪面の中より岩塊が飛び出してきた。
今後は一つ……だが、数倍では利かないほど巨きく、全体が濃い玄色に染められていた。
そして、どこへも撃ち出されることなく、薄く広がりながら黒き獣の前半身を覆い隠していく。
現れたのは、岩石で出来た鎧をまとう黒き巨獣。もはや明らかに通常のクマではありえない。
「ぐるるるぅ……ひいぃ……」
片や、素早く体勢を立て直した白き獣もまた、単なる野生の獣ではありえない行動に出る。
高く伸びゆく笛に似た鳴声を響かせながら、その身を包む白い毛皮が雪景色へ溶け込んでいく。
足下に広がる雪面が、降りしきる雪が、身動きしない獣の向こう側に少しずつ見えてきていた。
気付けば、どれだけ目を凝らそうと、もうそこに獣の姿は見て取れない。
雪景色に溶けてかき消えた白き獣。擬態や保護色などという次元を超越した超能力だ。
そして、戦いが再開される。
素早く移動し続けながら機を窺い、死角から奇襲を仕掛けていく姿無き獣に対し、鎧装の獣は一所に留まり、攻撃を受けつつ怯むことなき即応反撃を繰り返す。
しかし、一見すると、この攻防は黒き獣の側が不利かと思えた。
降りしきる雪の中であるにも拘わらず、影一つも見て取れない白き獣の完全極まる迷彩能力。
四方八方どころか上下からも襲い来る見えざる刃は、たとえ野生の勘や超反応を以てしても、易々と迎撃できるようなものではない。
――ザシュ!
また一つ、不可視の斬撃によって前触れも無く斬り裂かれ、黒き獣の肉体が血を飛び散らせた。
もう幾度目になるのか、受けた傷は疾うに両手両足の指でさえ数えきれないほどである。
だが、巨体に相応しい厚い毛皮と強靱な筋肉に加え、金属と変わらぬほどの硬度があるらしき岩石の鎧によって守られたその肉体は、よく見れば痛手と呼べるほどの傷は負わされていない。
鎧に守られていない部分に見て取れる無数の傷も、開く側から流す血を止めているようだ。
「――ギミャア!」
逆に、白き獣は幾度もの攻撃の中で時折、唸りを上げて振るわれる剛腕の一撃を受けただけで……いや、かすっただけで吹き飛ばされ、透明化していた姿を露わにしながら雪面へと突っ込み、爆風のように氷雪を噴き上げる。
回数を言えば、まだたったの三度。
黒き獣が三度の攻撃を当てただけで、白き獣は起き上がる力を失ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
強まる降雪に埋められていく形で二頭の獣が倒れ伏している。
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二頭共に口の端から白い息を漏らしており、まだ息はあるようだ。
とは言え、流石にもう相手にとどめを刺そうという気力まではないらしい。
いや、そこから済し崩し的に始まるであろう文字通りの死闘を互いに避けたが故か。
やがて、短くはない時間が過ぎ、よろよろと白き獣が立ち上がり。
「ぐるぅ……るぅー……いぃー……――」
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