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第一部: 終わりと始まりの日 - 第五章: グレイシュバーグの胎にて
第二話: ホームシックの二人
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それは、いつもより早く仕事が終わってしまい、微妙にヒマを持て余した僕が、ベア吉の横で一緒になってうとうとと微睡んでいたときのことだった。
――ザッシャ! ザッシャアアア!
「松悟さん!」
何やら、珍しく非常に慌てた様子の月子が、カーゴで山小屋へ飛び込んでくるなり僕を呼んだ。
「ふわぁあ……やあ、おかえり、月子。どうしたんだい? そんなに慌てて……」
「それが、松悟さんに見ていただきたいものがありまして、できれば今すぐ、直接」
「僕はもちろん構わないが……ベア吉のことは――」
「ヒヨス、お留守番を頼みますね」
「みにゃあ!」
本当に彼女にしては珍しい慌てぶりだ。一体何があったというのか。
のんびりとした様子で外から戻ってきたヒヨスに、未だ本調子ではないベア吉の護衛を任せ、月子はわざわざ助手席側へ身を乗り出してフロントドアを開けてくれる。
急いで防寒具を取ってきた僕が、それらを身に着けるのも後回しに、なんだか久しぶりという趣さえあるカーゴの助手席へ腰を下ろすと、まるでそこが起動スイッチででもあったかのように窓の外の六本脚が忙しく動き始めた。
「ヒヨスがいなくても平気なのかい?」
「ええ、目印を立ててきていますし、それほど距離は遠くありません」
「……只事じゃなさそうなのは分かったが、そろそろ何があったのか教えてくれるかな」
山小屋を飛び出し、相当な早足で進んでいくカーゴに揺られながら僕は改めて問いかける。
と、フロントウィンドウから目を離さないまま、月子は硬い声音で答えた。
「玄室です」
「なんだって!?」
「あの不思議な石材で築かれている玄室を新たに見つけました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
玄室。
それが、この異世界の雪山へ放り出された僕と月子が、およそ二ヶ月半に亘って生活の拠点としていた地下施設を指していることは、今更言うまでもないと思う。
呼吸するかのように濃い空気を出し入れし、適度な熱と光まで発し、精霊術による加工を一切受け付けない、そんな特異な性質の数々を備える謎の石材によって人工的に組み上げられていた石造りの大部屋である。
互いに無言のまま暫し、僕と月子は急ぎ足のカーゴで起伏に富んだ岩場の斜面を横切っていく。
「あれか……」
「入り口から覗いてはみましたけれど、まだ足を踏み入れてはいません」
そこは垂直に切り立った断崖へ向かって大きく突き出されている岩棚だった。
岩棚の上、山側の付け根辺りに多数の巨岩が乱雑に積み上げられている……いや、一見すると乱雑なそれらは、よく見てみれば大きめの祠といった形を成しており、崖の外へと不格好な穴を向けているようである。
カーゴビートルの巨体で近付いていくには、それなりに勇気を要する地形と思えたが、月子はまったく躊躇することなく、あまり広さに余裕があるとも言えない岩棚の上へ進んでゆき、穴の中が覗き込める位置に横付けしてみせた。
僕が座る助手席側の窓が穴に面しており、その様子を確認するためガラスへ顔を寄せていくと、運転席の月子もハンドルから手を放し、こちらへ大きく身を乗り出してきた。
僕の背中にのしかかり、肩へ頭を乗せるような体勢となった彼女と共に祠の中を観察すれば。
「奥の方です。見えますか?」
「……ああ、見えた。確かに玄室みたいだな」
「やっぱり、松悟さんもそう思われますか」
内部は相当深くまで続いており、入り口近くより先は、外の光が届かず真っ暗となっている。しかし、更に奥の方へよくよく目を凝らせば、僕らにとっては見間違いようもないほど見慣れた黄色い光がぼんやりと漏れ出している様子を確認することができた。
まさしく、つい二週間前まで暮らしていた玄室内の暖かな光そのものだ。
ふと、遙か遠くに未だその威容を留めている、あの世界の果ての岩壁を眺めてしまう。
「同じ施設ではないにせよ、何らかの関係がある同様の施設に続いているのかも知れないな」
「すぐに調査を始めてしまっても構いませんね」
「ああ、こんなもの、調べないわけにはいかないだろう。上手くすれば山小屋から引っ越せる。いや、なんなら中で麓の方まで道が繋がっている可能性だってあるんじゃないか?」
「くすっ、そうですね。では……地の精霊に我は請う――」
月子の精霊術により、周囲の地形がカーゴを乗り入れられるよう調えられていく。
しばらくすると、岩棚の上はカーゴが余裕を持ってUターンできそうな手広い円形広場となり、祠の入り口もその呼び名に相応しい神殿じみた門構えへと造り替えられていた。
大きく広げられた入り口――門ををくぐり抜け、カーゴが祠の中へと脚を踏み入れていく。
内部の様子は、岩棚の付け根に当たる山の方へ、ゆるやかに真っ直ぐ降っていく洞窟といったところ。生身の人であれば数人並んで歩ける程度の広さはあるものの、カーゴを乗り入れるにはまだ多少狭く、地の精霊術で慎重に広げながら進む。
やがて、そんな狭い通路から左手側へ広がる広い空洞へ出た。
その空洞の左奥の壁だ。
「ほんの少し前のことなのに、なんだか懐かしさを感じるよ」
「ええ」
岩壁の一角に広く露出している石壁は、あえて見ようとせずとも即座に目に飛び込んできた。
僕らの玄室とは異なり、ここはまるで岩に埋もれておらず、まるで現代日本の山間に築かれたトンネル入り口であるかのようにぽっかりと、洞窟内の壁に更なる口を開けていたのだ。
趣は違っていても、淡く光る石材によって築き上げられた建造物を目にし、僕と月子は思わずしみじみと感じ入ってしまう。
――だから、反応が遅れた。
門の向こうから撃ち出されてきた矢が、眼前のフロントウィンドウに突き刺さるまで、僕らはその人影にまったく気付くことができなかったのだ。
――ザッシャ! ザッシャアアア!
「松悟さん!」
何やら、珍しく非常に慌てた様子の月子が、カーゴで山小屋へ飛び込んでくるなり僕を呼んだ。
「ふわぁあ……やあ、おかえり、月子。どうしたんだい? そんなに慌てて……」
「それが、松悟さんに見ていただきたいものがありまして、できれば今すぐ、直接」
「僕はもちろん構わないが……ベア吉のことは――」
「ヒヨス、お留守番を頼みますね」
「みにゃあ!」
本当に彼女にしては珍しい慌てぶりだ。一体何があったというのか。
のんびりとした様子で外から戻ってきたヒヨスに、未だ本調子ではないベア吉の護衛を任せ、月子はわざわざ助手席側へ身を乗り出してフロントドアを開けてくれる。
急いで防寒具を取ってきた僕が、それらを身に着けるのも後回しに、なんだか久しぶりという趣さえあるカーゴの助手席へ腰を下ろすと、まるでそこが起動スイッチででもあったかのように窓の外の六本脚が忙しく動き始めた。
「ヒヨスがいなくても平気なのかい?」
「ええ、目印を立ててきていますし、それほど距離は遠くありません」
「……只事じゃなさそうなのは分かったが、そろそろ何があったのか教えてくれるかな」
山小屋を飛び出し、相当な早足で進んでいくカーゴに揺られながら僕は改めて問いかける。
と、フロントウィンドウから目を離さないまま、月子は硬い声音で答えた。
「玄室です」
「なんだって!?」
「あの不思議な石材で築かれている玄室を新たに見つけました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
玄室。
それが、この異世界の雪山へ放り出された僕と月子が、およそ二ヶ月半に亘って生活の拠点としていた地下施設を指していることは、今更言うまでもないと思う。
呼吸するかのように濃い空気を出し入れし、適度な熱と光まで発し、精霊術による加工を一切受け付けない、そんな特異な性質の数々を備える謎の石材によって人工的に組み上げられていた石造りの大部屋である。
互いに無言のまま暫し、僕と月子は急ぎ足のカーゴで起伏に富んだ岩場の斜面を横切っていく。
「あれか……」
「入り口から覗いてはみましたけれど、まだ足を踏み入れてはいません」
そこは垂直に切り立った断崖へ向かって大きく突き出されている岩棚だった。
岩棚の上、山側の付け根辺りに多数の巨岩が乱雑に積み上げられている……いや、一見すると乱雑なそれらは、よく見てみれば大きめの祠といった形を成しており、崖の外へと不格好な穴を向けているようである。
カーゴビートルの巨体で近付いていくには、それなりに勇気を要する地形と思えたが、月子はまったく躊躇することなく、あまり広さに余裕があるとも言えない岩棚の上へ進んでゆき、穴の中が覗き込める位置に横付けしてみせた。
僕が座る助手席側の窓が穴に面しており、その様子を確認するためガラスへ顔を寄せていくと、運転席の月子もハンドルから手を放し、こちらへ大きく身を乗り出してきた。
僕の背中にのしかかり、肩へ頭を乗せるような体勢となった彼女と共に祠の中を観察すれば。
「奥の方です。見えますか?」
「……ああ、見えた。確かに玄室みたいだな」
「やっぱり、松悟さんもそう思われますか」
内部は相当深くまで続いており、入り口近くより先は、外の光が届かず真っ暗となっている。しかし、更に奥の方へよくよく目を凝らせば、僕らにとっては見間違いようもないほど見慣れた黄色い光がぼんやりと漏れ出している様子を確認することができた。
まさしく、つい二週間前まで暮らしていた玄室内の暖かな光そのものだ。
ふと、遙か遠くに未だその威容を留めている、あの世界の果ての岩壁を眺めてしまう。
「同じ施設ではないにせよ、何らかの関係がある同様の施設に続いているのかも知れないな」
「すぐに調査を始めてしまっても構いませんね」
「ああ、こんなもの、調べないわけにはいかないだろう。上手くすれば山小屋から引っ越せる。いや、なんなら中で麓の方まで道が繋がっている可能性だってあるんじゃないか?」
「くすっ、そうですね。では……地の精霊に我は請う――」
月子の精霊術により、周囲の地形がカーゴを乗り入れられるよう調えられていく。
しばらくすると、岩棚の上はカーゴが余裕を持ってUターンできそうな手広い円形広場となり、祠の入り口もその呼び名に相応しい神殿じみた門構えへと造り替えられていた。
大きく広げられた入り口――門ををくぐり抜け、カーゴが祠の中へと脚を踏み入れていく。
内部の様子は、岩棚の付け根に当たる山の方へ、ゆるやかに真っ直ぐ降っていく洞窟といったところ。生身の人であれば数人並んで歩ける程度の広さはあるものの、カーゴを乗り入れるにはまだ多少狭く、地の精霊術で慎重に広げながら進む。
やがて、そんな狭い通路から左手側へ広がる広い空洞へ出た。
その空洞の左奥の壁だ。
「ほんの少し前のことなのに、なんだか懐かしさを感じるよ」
「ええ」
岩壁の一角に広く露出している石壁は、あえて見ようとせずとも即座に目に飛び込んできた。
僕らの玄室とは異なり、ここはまるで岩に埋もれておらず、まるで現代日本の山間に築かれたトンネル入り口であるかのようにぽっかりと、洞窟内の壁に更なる口を開けていたのだ。
趣は違っていても、淡く光る石材によって築き上げられた建造物を目にし、僕と月子は思わずしみじみと感じ入ってしまう。
――だから、反応が遅れた。
門の向こうから撃ち出されてきた矢が、眼前のフロントウィンドウに突き刺さるまで、僕らはその人影にまったく気付くことができなかったのだ。
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