70 / 227
第一部: 終わりと始まりの日 - 第五章: グレイシュバーグの胎にて
第一話: 二人と二頭、山小屋生活
しおりを挟む
ヌッペラウオとの決着から既に六日が経過していた。
だが、僕たちはまだ奴と戦った岩山の尾根を発つことができずにいる。
やや離れた安全そうな丘の上に小屋ほどの大きさの岩室を設営し直し、精霊術の効果を高めるボウリングムシの粉を使ってエアコン対応の山小屋としつつ、中破したカーゴビートルの修理、失ってしまった物資の補充……など、態勢の立て直しを図っているのだ。
幸い、この岩山周辺は鉱物資源がなかなか豊富であり、どこからともなく小動物を獲ってくるヒヨスの働きもあって、順調に再出発の準備が調いつつある。
カーゴについては既に完全な状態まで修理し終わっているし、物資の備蓄も余裕ができてきた。
何なら、このままここでずっと暮らしていけそうなほどだ。
食用にできそうな植物がほとんど生えておらず、特に、いつの間にか植生が変わっていたのか、すっかり氷樹の姿を見なくなってしまったため、栄養の偏りが少しだけ心配なことと、火山灰に塗れた雪から綺麗な水を作るのに少なからず手間が掛かることを除けば……だが。
ただ、出発できずにいる理由はもう一つ。
「ベア吉、食事を持ってきたぞ」
「……わぅ」
奇跡的に死の淵から還ってきたベア吉だったが、かろうじて息を吹き返した後、現在に至るも、未だ快復したとは言い難い容態が続いていた。
全身の火傷痕はすっかり癒え、呼吸と心臓の鼓動もほぼ正常に行われている。液状にして口へ流し込んでやれば食事も摂るし、正常に排泄もできていることから、内臓に問題は無さそうだ。
しかし、ぐったりと蹲ったまま、まったく起き上がることができないらしい。
俗に言う寝たきり状態に近いだろうか。
「それにしても、お前もなかなかにでたらめな生き物だったんだな。まるで不死身じゃないか。……もう驚かないから、そろそろ起き上がっても良いんだぞ?」
「……ぁぅふ」
基本的に、僕はベア吉の看病と護衛のため、山小屋で留守番するのが役目となっている。
食料や素材を加工して梱包していく合間を縫い、動けないベア吉の世話をし、休憩がてら話しかけてやったりしていれば、意外とすぐに時間が経ってしまう。
――ザシャ! ザシャ! ザシャン!
「ただいま戻りました、松悟さん、ベア吉」
「ああ、おかえり、月子、それにヒヨスも」
「にゃあ」
ヒヨスを供に連れ、カーゴを操縦して採集へ出掛けていた月子を山小屋の中で出迎える。
ああ、現在の状況を説明するのに、これを忘れてはいけなかった。
驚くなかれ、なんと、山小屋とカーゴとで【環境維持】が併用できるようになったのだ。
どちらかだけに掛けた場合と比べれば持続時間は短くなってしまうものの、都度、掛け直せば良いだけのことで、さしたる問題にはならない。
おそらく、標高が以前までと比べて千メートル以上も低くなったお蔭ではないかと思われる。
「ベア吉、月子とヒヨスが帰ってきたぞ」
「……わふ」
「ふふ、ベア吉はねぼすけさんですね」
「にゃっ」
微笑みながらベア吉の頭を撫でる月子。
ヒヨスはベア吉の脇を通る際、いつものようにその鼻面を長い尻尾で軽くはたいていく。
それらに対してもベア吉は特に劇的な反応を返さないが、もう手触りの良い黒い毛皮まで生え揃った姿は健康そのものであり、誰もこの状況に悲観などしていない。
僕を含め、収穫物を奥へ運んでいくみんなの表情には、まるで暗さが感じられなかった。
別に、いつまでに下山しなければならないといった期限があるわけもなく、正直に言うならば、拠点だった洞穴を発ってから一週間以上も車中生活を続けてきたストレスを発散でき、山小屋の暮らしは良い気分転換とすら呼べるものとなっているのだった。
「さて、ヒヨス。楽しいお風呂の時間ですよ」
「……にゃあ」
「だめです」
「みゃあ! みゃあ!」
「すまん……僕では止められない。いい加減、諦めてくれ」
現在、狩猟・採集と周辺探索は月子とヒヨスが専任しており、毎日一緒に出掛けていくのだが、帰還後のこのやり取りは、すっかり見慣れたものとなっていた。
「みにゃ――」
「逃がしません! 地の精霊に我は請う――」
平らに均された地面から岩石で出来た二本の手が突き出し、山小屋の出入り口へ向かって飛び出そうとしたヒヨスを一瞬で捕らえてしまう。
お、今日はこれが出てしまったか。
拘束力においては他の追随を許さない地の精霊術【大地の楔】だ。
僕ではこれほど精密な動きはさせられないし、ほんの数十秒足らずで解けてしまうものだが、最近の月子はこの大きな二本の手を自分自身の手のように自在に扱ってみせる。
「みゃあ~! みゃあ~!」
前脚の付け根辺りの胴体をガッチリと掴まれ、直立するように持ち上げられてしまうヒヨス。
そして、月子の更なる精霊術により、さながら動く歩道のように動き始めた地面に流されて、そのままの体勢で水平移動し始め、岩屋奥の一画にある石壁の間仕切りの方へと運ばれていってしまった。
「みゃぁ……ぁぁ……ぁ……――」
どこかからドナドナドーナー……と歌声が聞こえてくる気がした。
あの仕切りの向こう側は、彼女たちが一緒に使えるほどの広さを誇る風呂場になっている。
と言っても、天然の温泉などではなく、精霊術で整えた岩風呂にお湯を張るだけではあるが、風呂好きの月子はもちろん、毎回入る前には抵抗しているヒヨスでさえも、上がってくる頃にはご満悦となってしまう極上空間なのだ。
いつも通り、今日もしばらくは出てこないだろう。
「ベア吉、僕らも後で一緒に入るか。背中を流してやろう」
「……わぅ」
さて、とりあえず今のうちに夕飯の仕込みでもしておくとしようか。
だが、僕たちはまだ奴と戦った岩山の尾根を発つことができずにいる。
やや離れた安全そうな丘の上に小屋ほどの大きさの岩室を設営し直し、精霊術の効果を高めるボウリングムシの粉を使ってエアコン対応の山小屋としつつ、中破したカーゴビートルの修理、失ってしまった物資の補充……など、態勢の立て直しを図っているのだ。
幸い、この岩山周辺は鉱物資源がなかなか豊富であり、どこからともなく小動物を獲ってくるヒヨスの働きもあって、順調に再出発の準備が調いつつある。
カーゴについては既に完全な状態まで修理し終わっているし、物資の備蓄も余裕ができてきた。
何なら、このままここでずっと暮らしていけそうなほどだ。
食用にできそうな植物がほとんど生えておらず、特に、いつの間にか植生が変わっていたのか、すっかり氷樹の姿を見なくなってしまったため、栄養の偏りが少しだけ心配なことと、火山灰に塗れた雪から綺麗な水を作るのに少なからず手間が掛かることを除けば……だが。
ただ、出発できずにいる理由はもう一つ。
「ベア吉、食事を持ってきたぞ」
「……わぅ」
奇跡的に死の淵から還ってきたベア吉だったが、かろうじて息を吹き返した後、現在に至るも、未だ快復したとは言い難い容態が続いていた。
全身の火傷痕はすっかり癒え、呼吸と心臓の鼓動もほぼ正常に行われている。液状にして口へ流し込んでやれば食事も摂るし、正常に排泄もできていることから、内臓に問題は無さそうだ。
しかし、ぐったりと蹲ったまま、まったく起き上がることができないらしい。
俗に言う寝たきり状態に近いだろうか。
「それにしても、お前もなかなかにでたらめな生き物だったんだな。まるで不死身じゃないか。……もう驚かないから、そろそろ起き上がっても良いんだぞ?」
「……ぁぅふ」
基本的に、僕はベア吉の看病と護衛のため、山小屋で留守番するのが役目となっている。
食料や素材を加工して梱包していく合間を縫い、動けないベア吉の世話をし、休憩がてら話しかけてやったりしていれば、意外とすぐに時間が経ってしまう。
――ザシャ! ザシャ! ザシャン!
「ただいま戻りました、松悟さん、ベア吉」
「ああ、おかえり、月子、それにヒヨスも」
「にゃあ」
ヒヨスを供に連れ、カーゴを操縦して採集へ出掛けていた月子を山小屋の中で出迎える。
ああ、現在の状況を説明するのに、これを忘れてはいけなかった。
驚くなかれ、なんと、山小屋とカーゴとで【環境維持】が併用できるようになったのだ。
どちらかだけに掛けた場合と比べれば持続時間は短くなってしまうものの、都度、掛け直せば良いだけのことで、さしたる問題にはならない。
おそらく、標高が以前までと比べて千メートル以上も低くなったお蔭ではないかと思われる。
「ベア吉、月子とヒヨスが帰ってきたぞ」
「……わふ」
「ふふ、ベア吉はねぼすけさんですね」
「にゃっ」
微笑みながらベア吉の頭を撫でる月子。
ヒヨスはベア吉の脇を通る際、いつものようにその鼻面を長い尻尾で軽くはたいていく。
それらに対してもベア吉は特に劇的な反応を返さないが、もう手触りの良い黒い毛皮まで生え揃った姿は健康そのものであり、誰もこの状況に悲観などしていない。
僕を含め、収穫物を奥へ運んでいくみんなの表情には、まるで暗さが感じられなかった。
別に、いつまでに下山しなければならないといった期限があるわけもなく、正直に言うならば、拠点だった洞穴を発ってから一週間以上も車中生活を続けてきたストレスを発散でき、山小屋の暮らしは良い気分転換とすら呼べるものとなっているのだった。
「さて、ヒヨス。楽しいお風呂の時間ですよ」
「……にゃあ」
「だめです」
「みゃあ! みゃあ!」
「すまん……僕では止められない。いい加減、諦めてくれ」
現在、狩猟・採集と周辺探索は月子とヒヨスが専任しており、毎日一緒に出掛けていくのだが、帰還後のこのやり取りは、すっかり見慣れたものとなっていた。
「みにゃ――」
「逃がしません! 地の精霊に我は請う――」
平らに均された地面から岩石で出来た二本の手が突き出し、山小屋の出入り口へ向かって飛び出そうとしたヒヨスを一瞬で捕らえてしまう。
お、今日はこれが出てしまったか。
拘束力においては他の追随を許さない地の精霊術【大地の楔】だ。
僕ではこれほど精密な動きはさせられないし、ほんの数十秒足らずで解けてしまうものだが、最近の月子はこの大きな二本の手を自分自身の手のように自在に扱ってみせる。
「みゃあ~! みゃあ~!」
前脚の付け根辺りの胴体をガッチリと掴まれ、直立するように持ち上げられてしまうヒヨス。
そして、月子の更なる精霊術により、さながら動く歩道のように動き始めた地面に流されて、そのままの体勢で水平移動し始め、岩屋奥の一画にある石壁の間仕切りの方へと運ばれていってしまった。
「みゃぁ……ぁぁ……ぁ……――」
どこかからドナドナドーナー……と歌声が聞こえてくる気がした。
あの仕切りの向こう側は、彼女たちが一緒に使えるほどの広さを誇る風呂場になっている。
と言っても、天然の温泉などではなく、精霊術で整えた岩風呂にお湯を張るだけではあるが、風呂好きの月子はもちろん、毎回入る前には抵抗しているヒヨスでさえも、上がってくる頃にはご満悦となってしまう極上空間なのだ。
いつも通り、今日もしばらくは出てこないだろう。
「ベア吉、僕らも後で一緒に入るか。背中を流してやろう」
「……わぅ」
さて、とりあえず今のうちに夕飯の仕込みでもしておくとしようか。
1
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。


お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。

溺愛されている妹がお父様の子ではないと密告したら立場が逆転しました。ただお父様の溺愛なんて私には必要ありません。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるレフティアの日常は、父親の再婚によって大きく変わることになった。
妾だった継母やその娘である妹は、レフティアのことを疎んでおり、父親はそんな二人を贔屓していた。故にレフティアは、苦しい生活を送ることになったのである。
しかし彼女は、ある時とある事実を知ることになった。
父親が溺愛している妹が、彼と血が繋がっていなかったのである。
レフティアは、その事実を父親に密告した。すると調査が行われて、それが事実であることが判明したのである。
その結果、父親は継母と妹を排斥して、レフティアに愛情を注ぐようになった。
だが、レフティアにとってそんなものは必要なかった。継母や妹ともに自分を虐げていた父親も、彼女にとっては排除するべき対象だったのである。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる